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僕に唯一できることは。  作者: 伊月
相反する存在はそれだけで夢に満ちている
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 僕が笑ったのを馬鹿にされたと感じたのか、小さく唸りながら美衣は話を戻す。


「とにかく、昔はいっぱい図書館があったってのはわかってもらえたかな。私もさっきゆうくんが話してたようなことはよくはわからないんだけど、それはとりあえず置いておいて」


 置いとかれちゃうのかよ。せっかく語った自論を軽く流されたことに悲しみつつも、続く言の葉を待つ。


「今はもうひとつを残してすべての図書館がなくなっちゃったわけなんだけど……そうだね、千葉くん、じゃあそれはどこにいったかわかる?」

「それって、図書館のことっすか? そりゃあ潰れたんじゃないんすか?」

「あ、ごめん、訊き方が悪かったね。そこにあった本がどこにいったか、わかる?」


 微妙にニュアンスの違う――というよりも、より詳細になった質問に対しても、しかし千葉の答えは変わらなかった。


「うーん……それもまあ、やっぱり変わらないんじゃないんすか? 場所がないのに物だけあってもどうしようもないし、やっぱり捨てるしかないんじゃ」


 それは当たり前のことというか、それ以外にどうしようもないことだ。コップの容量以上に水を注いだところで溢れるだけ。それはいつか拭き取られるか、時間をかけて蒸発し空気に溶けていく。


「そうなの。だからここがあるの」

「はい?」


 いきなりぶっ飛んだ話の流れに、意図せず声が漏れる。それも三人同時に。

 そんな僕らの心境などまるで気付いていない彼女は、にこにこと微笑みを湛えている。話が下手なのはわかっていたが、さすがに下手にも程がある。式と解だけ教えられても、その道筋を説明されなければ授業にはならないのだ。


 こういうときにすぐに口を開くのは、やはりというか彼女だった。僕ほどとまでは言わないが美衣のことをよく知っている上、単純な興味も合わさったからか、呆れよりその言葉が勝ったらしい。


「えっと、その、図書館がなくなって本が捨てられることと、ここがある理由がどうして繋がるんですか?」


 一ノ瀬の言葉に、うん? と勘づく。

 図書館。本。旧文化研究会。

 だが、まだすべてが解決したわけではない。


「この部活を作った創部者の人が、すっごい本が好きだった人らしくてね。どんどんなくなる図書館を見てて耐えられなかったらしくて、自分に一施設を維持するほどの財力はないから、せめて本だけでも、少しだけでも。って思って作ったのがこの部活らしいよ」

「ということは、たったひとりの本好きの想いからできたってことなんですね。この空間は」

「そう聞くとなんだかすげぇなぁ」


 それぞれ感嘆の意を述べているが、しかし僕にはどうも気にかかることがあった。


「それはわかった。この部屋が元々図書室だったんだろうってことも想像はつく。でも、じゃあ初めから図書室にあった本はどこへいったんだ? それほどスペースに余裕があったとも思えないし、後から入ってきた本はどうやって入れたんだ?」


 千葉や一ノ瀬が知らず、僕だけが美衣から聞いていたこと。かつて、ほぼすべての学校には、図書室という教室があったこと。これだけ大きな、かつ紙の本がまだ使われていた時代から続く学校に、それがなかったわけがない。


 僕の言葉に、美衣はにっしっしと笑う。まるで待ってましたと言わんばかりに。


「よくぞ言ってくれてねゆうくん。なんならこの時のためにゆうくんにだけその話をしたってくらいだからね」


 えっへんと胸を張る美衣に、何がなんだかわからずに首をかしげた。図書室というものの話を聞いたのはたしか半年ほど前だった気がするが、それが一体どう関係があるというか。頭の中には目の前で主張される柔らかそうなものでいっぱいになる。

 僕の疑問をすぐには晴らしてくれるつもりはないらしく、がばっと音が鳴る勢いで彼女は立ち上がった。


「ほら、みんなも立って」わけがわからないまま彼女の指示に従う。動いた衝撃でロッキングチェアが小さく軋んで音を立てる。「こっちだよ」


 そう言って彼女は部屋の奥へと進んでいく。この部室は天井をぶち抜いて上層と一体化しており、いくつかの階段と踊り場によって広大な空間が形成されている。ぐるりと本棚に囲まれた森を、美衣の後ろについて歩く。


「本当はね、図書室に納まるだけって話だったの。必要性の感じられないものに過度の予算はつぎ込めないし、学校っていう建物の中である以上、限りがあるからって」


 それはまあ、なんというか、もっともな話だ。いくら科学が進歩しようとまだタイムマシーンはできてはいないし、宇宙旅行やワープ、四次元空間だって解明されていない。だからしょせん学校は学校であり、敷地や床面積にも限りはある。むしろ科学を突き詰めれば突き詰めるほど、物理限界という壁は大きく立ちはだかるものなのだ。

 その話を聞く限りだと元々図書室がこの広さを持っていたということになるわけで、この学校が途方もない規模を持っているということを、ようやく実感した。


 とはいえここがひとつの部屋である以上、歩き続ければ立ちふさがるものは必ず存在する。そこには、不自然に本棚と本棚の間に隙間があった。


 そう、ちょうど扉一枚分ほどの。


「これは……」

「もしかしなくてもアレっすか。アレなんですか!」


 思わずうるさいと一喝してしまいたくなるくらいに、千葉が騒ぎ立てる。一ノ瀬の鋭い視線が千葉に刺さるが、本人はまるで気づいていなさそうだ。

 だが正直なところ、胸が高鳴っているのは僕も同じだった。一ノ瀬に睨まれるのはごめんなので、極力表情には出さないようにしながら、しかし視線はじっとその壁を見つめる。


 なんの変哲もない、本棚の色に合わされた茶色い壁面。本棚で照明の明かりを遮ってしまっているのか仄かに暗いそこは、隙間があるということ自体が違和感を放ってはいるが、それ以外にこれといっておかしなところはまるで見られない。


 だが、きっとあるのだろう。理屈ではない。本能で感じるのだ。〝アレ〟だと。


「ふっふっふーん。びっくりするよー?」


 これまたお約束というか、美衣は傍らにある一冊の本を抜き取った。表紙は深く暗い森が描かれていて、タイトルは『エニグマ』。かつてドイツの暗号機に用いられていた名称だ。

 そのタイトルが意味するところとは――否応なしに期待に胸がふくらむ。

 右手でとった本を左手に持ち替え、空いた右手を何もないはずの本棚に突っ込む。ごそごそと何かを探すように腕を動かすと、カチ、という音が鳴った。


「……――っ!」


 感極まって千葉と視線を通わせる。この展開にテンションの上がらない男なんていない。そんなやつは男じゃない。

 僕と千葉のわくわくを体現するかのように、静かに壁に筋が入った。長方形に切り取られた壁がゆっくりと沈み、そして横へスライドして消えていく。音ひとつ立てずに壁が消えると、その先には数メートル先すらも見渡せないような暗闇が広がっていた。旧文化研究会部室の光が、わずかに入口を照らし、それが下り階段だと知らせてくれる。


「隠し扉……!」

「歴史を感じさせる趣の室内に、超文化的なギミック……ロマンだ……」


 たぶん、僕は今すごく目を輝かせているのだと思う。でも、こんなの興奮しないわけがない。物語の中でしかあり得ないと思っていたものが、こんな身近にあるだなんて。

 背後からは変わらず木の香りが漂っていた。対照的な機械仕掛けの鉄のにおいにより、来たる光景に想像を駆り立てられる。


「じゃ、いこっか」


 そう言って、飄々と美衣は足を踏み入れた。その足取りに驚きは見えない。当然だ、彼女は元からこのことを知っていたのだから。

 考えるまでもないことなのだが――どうやらあまりの出来事に、頭がうまく働いていないらしい。

 彼女はどうなのかと、さっきから言葉を発しない一ノ瀬の方をちらと見た。


「…………」


 固まっていた。信じられないものを見たような、事実信じられないものを見た顔で、茫然と口を開けている。結構露骨に喜びを露にしていたつもりだったけれど、どうやら軽口も煽り言葉も何も飛んでこなかったのはこのせいらしい。


 人は自分より不遇な人を見ると、自分はまだまだ大したことがないと冷静になることがあるという。今の僕がまさにそれで、思考停止に陥った一ノ瀬を見たおかげで我に返った僕は、ぽんっと一ノ瀬の背を軽く叩いて言う。


「さ、僕たちも行こうぜ」


 微妙な優越感を覚えながら、真っ暗な階段にゆっくりと足を運ぶ。すぐ後ろに千葉がついてくる足音がした。

 そして、少し離れたところから悔しそうな叫びが聞こえた。


「あんた、あたしが暗いとこ苦手なのわかってて言ってんでしょ!」


 いや、それはごめん、初めて知った。


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