きっと――だから、何も心配はいらない。
悲劇なんてものは、そう易々と起きていいものではない。
無事にきいの母親に追いついた美衣のおかげで、きいは母親と合流することができた。小さな少女が母親との再会にも涙を流さず気丈に振る舞っていたのは、直前に僕があんな話をしてしまったからだろうか。人は自分以上に平静でない者を見ると、落ち着きを取り戻しやすい。それと似たようなものだ。……もっとも、逆によりパニックになるということもあるのだけれど。むしろそちらの方が多いかもしれない。
しきりに頭を下げるきいの母親に、僭越ながら忠告もさせてもらった。この世界において、子を守る一番の手段は世界を信用することだ。それを用いる人間が確かであれば、安全を保障される程度には技術は進化しているのだから。僕より長く生きている人に対して失礼に当たるかとも思ったが、一時とはいえ共に笑いあった少女の幸せを願うくらいは、許されてもいいだろう。
「お母さん、無事に見つかってよかったよね」
「見つかってくれなくちゃ困る」
きいとその母親と別れた僕らは、駅への帰り道を歩いていた。といっても、別にもう家に帰るというわけではない。これからまだ他の場所を回るのだ。
それが僕と美衣の、一年の始まり。
少々予想外の出来事で予定がずれ込んだが、問題視するほどではない。
「きいちゃん可愛かったなぁ。またどこかで会えたりするかな?」
「無理じゃないか。たぶん、あの子もここが地元ってわけじゃないだろうし」
「むう。現実的だね」
「僕は現実を見る係だからね」
「なんか私が夢ばっか見てるみたいじゃないですかー?」
答えない。かわりに、目を細める。
眉を寄せてわかりやすく拗ねた美衣を余所に、独り言のように僕は言った。
「世の中って、結構どうにもならないことが多いんだよな。人間関係とか。まあ、物理的にもだけど」
「……何かあったの、ゆうくん? もしかしてもう真白ちゃんに勝つこと諦めてる?」
食いついてきたところは狙い通りだけれども、どうにも変な捉えられ方をしているらしい。一日も経たずに諦めるって僕の意志はどれだけ弱く見積もられているんだ。
「……もしもの話。きいの母親がきいを捨てるつもりだったら、僕らにはどうしようもなかったと思う。できることなんて限られてる。だから、どうにかなってよかったって。そう、切に思う」
「ほっとした?」
「した。したと同時に、後悔もしてる」
「お母さん、見つかったのに?」
「きいを初めて見た時、その服装に、僕は安心したんだ。綺麗な服を着ている。大丈夫、この子は愛されている子だって。でもそれはなんの証左にもなり得ない。他にそうする理由なんて、いくらでも考えられるのに。そんなことに、ついさっきまで気付かなかった」
「ゆうくん頭いいもんね」
「……皮肉か」
「うん。だってゆうくんは、ほとんどの場合自分の考えが正しいって思ってるもん。真白ちゃんくらいでしょ。ゆうくんが人の意見を素直に聞き入れるのって? それはゆうくんの悪いところだと思うよ、私は。直した方がいいとも思う」
ずばずばと切れ味のいい言葉が並び連なる。だがそれはまぎれもない事実で、僕がちょうど今言おうとしたことそのままだ。
ひとつ訂正できることがあるとすれば、僕が聞き入れる言葉が一ノ瀬のものだけだということだが――いや、これも断定はできないな。きっと人なんていうのは、自分の欠点には鈍感にできている。
僕は僕の考えを信じているが故に、自分自身で僕の考えを否定することができない。
物理的にノーを突きつけられれば簡単なのだが、今回のような場合、そうはいかない。きいの母親を見つけた時に違う考えが浮かんだのはただの偶然だ。安堵感で思考がリセットされたのかもしれない。どうあれ遅きに失する。
「間違えてもいいんだよ。後悔したっていいの。それが経験するってことで、成長するってことなんだと思う」
「それはなんの言葉?」
「私の言葉」
「……でも、取り返しのつかないことだってあるだろ。絶対にしてはいけない間違いだってある。悔いても、もうどうしようもないことだって」
「間違えても間違えなくても、結果が同じことだってあるよ。ゆうくん、どこにいるかもわからないお母さん見つけられるの? 見つけるまできいちゃんの面倒を見ること、できた?」
「それ、は……」
できない。できるわけがない。仮にできたとして――そんな奇跡みたいな未来の可能性があるとしても。断言するほど無責任にはなれない。
システムは完璧じゃない。無いものを有るものにすることはできないし、不可能を可能にすることができるわけでもない。
仮にきいの母親が端末を捨て、メディの目をくぐり抜けて生きることを選んでいれば。それはもう、数十年の時を遡るに等しい。そして現代においてそのような状況下での行動は、数十年前よりも困難だ。
何より、ほんの短い時間をきいと過ごすことすら大いに戸惑っていた僕が、きいと一緒にいられるとも思えない。時を重ねることで知を得るとはいえ、同時に不知をも得ることとなるのだから。
だから彼女の言葉は正しい。僕がきいと出会ったあの時点ですぐに別の可能性に気付いていたところで、結果は何も変わらなかった。その可能性が現実だったとしても。
何も、悲観的になれと――そう美衣は言っているわけではないのだ。考えても仕方がないことで、意味もなく悩むのべきではないと言いたいのだろう。
思考リソースはもっと適切なものに割けと。
――だとしても。
「考えることはやめられないよ。それが僕の役目だ」
「……頑固だね」
「簡単に曲げたらカッコ悪いだろ?」
「ふふっ。でもそういうところ、いいと思うよ」
「ああ。それに大丈夫。中学生の時とは違うさ。僕にできないことは他の誰かができることかもしれないんだからな」
「人を頼るって、大事だもんね」
「ああ――」
僕に足りない考え方を、彼女は提示してくれる。
美衣だけじゃない。
僕では考え付かなかった発想を千葉は持っているし、僕が知らない知識と技術を一ノ瀬は獲得している。
その上で、僕は僕の答えを見つける。シェリーのことだって――僕だけじゃない、みんなで未来を掴む。
僕に――彼女が信じたこの白雨夕立に、その程度のことができないわけがないのだから。
ここまで読んでくださった方に、最大限の感謝を。




