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僕に唯一できることは。  作者: 伊月
晴れのち
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誰にだってどうにもならないことはある

 どん、と足に軽い衝撃を感じた。背後からのそれの正体を探るべく振り向くが、視界に映るのは楽しそうに歩みを続ける人々だけ。


「ゆうくん。下、下」


 隣からの声に、そういえば足にぶつかってきたんだっけ。と思い出しながら視線を落とす。予想通りではあるのだけど、こんなことが実際にあるのかと、同時に驚きもする。

 僕を見上げるのは、目尻に涙を浮かべた小さな女の子だった。


「まま……」

「では、ないかな……僕、男だし」


 思わずそう返してしまう。母親とはぐれたのであろう心細い少女に、そんな返答をしてしまえば結果は見るまでもない。目尻だけに留まっていた涙は、放流するダムのようにとめどなく溢れる。

 まま、まま。と叫びながらわんわん泣く少女。どうしたものかと戸惑う僕とは対照的に、美衣の行動は素早かった。

 さっとしゃがんで目線を合わせると、両手を使って涙を拭いながら優しく撫でる。僕や美衣に兄弟姉妹はいない――もしくは、僕ら自身が姉弟のようなものでさえあった――ので、こういうときの正しい対処法というのは、正直わからない。彼女もわかってはいないのだと思う。けれど、思いつく限り、できる限りのことを美衣はする。


 歳は三歳か四歳か。そのくらいに見える。肩にかかる程度の髪や淡い水色のスカートはとても綺麗で、少なくとも親に見捨てられたということではなさそうだ。

 こういう人の多い場所であえて子供を放置して捨てる親がいるらしいという話を、何度か聞いたことがある。彼女がそうではないということは、とりあえずの救いだ。

 それに何より、手首にはちゃんと、無骨な端末があった。子を捨てるつもりなら外しているはずなのだから。


「どうしよっか、ゆうくん?」


 言いながら、未だ泣きやまない少女に、何を思ったか美衣は首筋をくすぐり始めた。

 一瞬、止めようかと手を伸ばしかける。しかし、笑うことで涙が止まり、悲しいことから意識をそらそうとしているのだと気付いた。


「どうもこうもないだろ。こんなところでひとりなんて、僕でも泣く」

「それは今の話?」

「子供の頃の話だよ……迷子になって泣く高校生とか、そっちの方が泣きたくなるわ」


 あまりに実年齢に精神が伴っていないのは少し問題だ。


「じゃあ、いこっか?」


 気を抜けばすぐに見失ってしまいそうな小さな少女の手を、美衣はそっと握る。


「きい、どっかいくの?」


 少女の名前はきいと言うらしい。名前なのか、愛称なのかはさだかではないが、一人称であるということは準ずる何かなのだろう。それさえわかれば十分だ。


「うん。お姉ちゃんたちと一緒にお花見しよ?」

「おはなみ……?」


 美衣の言葉を復唱した少女は、何故か僕を見た。〝たち〟という言葉に反応したのだろうか。

 どう答えればいいかわからず、とりあえず笑ってみた。美衣や千葉なんかは面接で笑顔に自信あります! とか言えちゃいそうなスマイルの持ち主だけれど、あいにくと僕は違う。きいが泣いたりしないかびくびくしながら口角の痙攣を感じる。


「いく!」


 無視された。泣くにしろ笑うにしろ、何かしらの反応があると思っていただけに、拍子抜けを通り越して悲しくなった。僕の存在などなかったかのように美衣に白い歯を見せるきい。迷子にはなっていないが泣きそうだ。




 迷子になったの? と訊くのは簡単だ。しかし、その先は残念ながら簡単ではない。一度泣きやんだ少女は、親とはぐれたという事実を思い出して再び泣きじゃくってしまう可能性があるのだ。だから美衣は、あえて親を探すと言わず、楽しそうな話題を振ったのだろう。

 とはいえ、親の情報をどうにかして入手しないことには始まらない。僕がうまく訊き出せる気はまったくこれっぽっちもしないので、美衣に丸投げするしかなさそうだ。自分にできることが何で、何ができないのかを認識するのは重要なことだ。決して言い訳ではない。


 美衣に妹はいない。それは紛れもない事実で、たぶん、これから生まれることもないだろう。……うん。おばさんたち、もう四十半ばだし。さすがにない。と思う。

 だからなのか、きいと手を繋いで歩く美衣の表情は、きいを不安がらせまいとする以上に、彼女自身の感情が前面に押し出されているように見えた。早い話、妹みたいで嬉しいのだ。

 僕は美衣の幼馴染で、友達で。一時弟のようですらあっただろう。けれど、性別ばかりはどうしようもない。残念ながら女装して似合う顔立ちでもなかった。いや、別に残念ではない。


 弟と妹じゃあ、色々と違うだろうと思う。できることできないこと。

 僕は自分にできる限りのことを美衣にしてきたつもりだし、与えられる限りのものを与えてきていたつもりだけれど。できないことというのは、数限りないほどに、多いのだと。そんなことを、こんな些細なことで、改めて考えてしまった。


 性別という観点で見れば一ノ瀬がそれに該当するのだが、どうにもあいつは妹という感じではない。妹にしては姉に忠実すぎる。もっと反発や食い違いもあった方が、家族としては適している気がする。

 ――そういう点を鑑みれば、僕も弟としては正しくなかったのかもしれないな。かわいい弟ではあったかもしれないけれど、甘やかし、甘えることがあまりにも多すぎた。


 立場は変わる。生きていれば必然だ。

 今までの弟としての僕が未熟だったというのであれば、これからの、恋人としての僕は、もっと優秀な人間になろう。


「ゆうくん? 話聞いてる?」

「ん? あ、ごめん。何も聞いてなかった」


 僕の唐突な決心など知る由もない美衣が言う。


「もう……人が多いところであんまり考え込みすぎると危ないよ?」

「悪い。ちょっと、人生について考えてた」

「何それ」


 変なの、と笑う美衣を見て僕も頬を緩める。惜しむらくは、きいには僕のふりしぼったユーモアが伝わらなかったことだろうか。


「で、なんの話だったんだ?」

「ああ、うん。きいちゃん端末持ってるんだからそれでお母さん捜せないかなって」


 僕と美衣の間できょろきょろと周りを見るきいには聞こえないくらいの声で、彼女は言う。

 まあ妥当な判断である。美衣も機械の使い方がわからないだけで、それで何ができるのかはある程度理解している。だからそんな提案をしてきたのだろう。

 が。


「残念だけど、これはこっちから保護者を探すようにはできてないんだ。小さい子が親を捜そうとして危険な場所とかを無理に通ったりしないようにな。基本的には子供側にはわかりやすいところで待っててもらって、親から捜す形になる」

「じゃああんまり動かない方がいいってこと?」

「本来はそうなんだけど、もう結構時間が経ってる。なのに親が来ないってのは、何かあったのかもしれない」


 メディとその働きを補助する携帯端末は最新技術の結晶だ。それは間違いない。しかし、電源に常時接続できるわけではない以上、バッテリー切れの可能性は切り離せない。

 となると、こちらから捜すしかないわけだ。


「はぁ……僕、千葉と違ってあんまり鍛えてないんだけどな」


 ぼやいても仕方がないことはわかっている。これが最善なのだ。


「きい、ちょっとこっちおいで」


 そう言って、かがみながら手招きする。美衣と手を繋いでいる少女はちらと美衣に視線を送った。美衣がにこやかに頷くのを見ると、恐る恐る僕の前に来た。


「落ちないように気をつけて」


 そう言うと、きいの股の間に頭を突っ込み、両手で少女の両膝を抱えると、一気に起き上った。


「きゃっ」


 小さく悲鳴を上げるが、その手はバランスをとるためにしっかり僕の髪を掴んでいる。いや痛いからもっと頭全体を掴んで。ハゲるから。


「ゆうくんどうしたの」

「人、多いからな。こうした方がきいも桜、見やすいだろ?」


 明日布団から出られるかどうかが非常に不安だが、できるだけ平静を保つ。仮にも彼女の前なのだ。僕だってかっこいいところは見せたい。


「高いところ、大丈夫か?」


 そう問うが、返事は来ない。心配になってゆっくり視線を上に向けると、それが杞憂に終わったことを察した。

 こうも純粋な笑顔を見せられると、自分の身体の心配をしていたのが馬鹿らしくなる。

 やっぱり、花見は人ごみに邪魔されても楽しくないからな。

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