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今日も今日とて放課後はやってくる。冷たいラーメンを食べてなんだか悲しい気持ちになった僕にも、辛いカレーで幸せそうな千葉にも、友だちと楽しく談笑しながら温かいご飯を食べて即昼寝していた他のクラスメートにも、平等に。
あくびを噛み殺しながら千葉と並んで旧文化研究会の部室に向かう道すがら。
実は旧文化研究会部室では、貴重な紙の書籍を所蔵しているという性質上、カップでの飲み物はなんとなくNGとなっている。地下施設の方ではそもそもポットや食器棚が置いてあったりするので、その暗黙の了解からは外れているのだが、しかし基本的に僕らの活動場所は地上二階と三階に渡って広がる森の中だ。
よって今日も僕は部室に向かう前に自販機に寄ってペットボトルや紙パックの飲料を購入してきていたのだけれど、ふと、数分前に買ったそれを見た。
「あれ、これ無糖だ」
そう、カフェオレを買ったはずが、思いっきりブラックのコーヒーだったのである。これは由々しき事態だ。
「あれ? 夕立もしかしてブラック飲めなかったりするの? たしかいつもカフェオレ飲んでた気がするけど」
「当たり前だろお前、何が悲しくてあんな苦いものを体内に摂取するんだよ馬鹿の所業だろ。いいか、人間の脳ってのは糖分で動いてるんだよ糖分。だったら常日頃から糖分を摂取しまくることで脳へ奉仕するってのが、脳味噌様に体を動かしてもらってる僕ら忠実なしもべとしての人間の当然の義務じゃないのかよ」
正直僕自身何を言っているのかさっぱり意味不明だが、自販機に思わぬ仕打ちを食らったショックでそれどころではない。普通にボタンを押し間違えた僕のミスだと考えるのが自然なのだけれど、それを証明する手立てがない以上自販機の補填ミスという可能性も残っているわけで、ここはシュレーディンガー的に僕のミスという可能性と補填ミスという可能性が重なりあって存在しているのだ。よって一概に僕が悪いとは言い切れない。
なんだかシュレーディンガーの猫を都合のいいように曲解して誤った使い方をしているが、要するにそれだけ僕にとってこの出来事はショックだったということだ。
「なんか夕立が言いたいことはよくわかんねーけど、そんなに嫌なら交換しようか? 俺、別にブラック飲めるし」
そう言って鞄からさっき買ったジンジャーエールを取り出す千葉。なんだこいつ神かと思わず口に出しそうになるが、いや待てよと制止をかける。
考えてみれば、そもそも僕にあのボタンを押せと命じたのは、他ならぬ脳味噌様だ。そして脳味噌様がそれを命じたということは、僕にコーヒーが飲めないという弱点を克服しろと言っているのではないか? 自分の栄養源を断ってまで僕の成長を促す脳味噌様の計らいを無碍にしていいのか白雨夕立十五歳。
「おーい、夕立? ……ダメだこりゃ」
僕が糖分を摂取するのが脳味噌様のため? ならばその脳味噌様の命に従わずして何が忠実なしもべか!
自問自答の雨霰の中から僕が引くべきカードをどうにか探していると、至極冷淡な声が凄まじい風となってすべてを吹き飛ばした。
「何やってんの、あんたたち?」
ばっと顔を上げると、そこにあったのは言わずと知れた一ノ瀬真白十五歳。その若さにして医療分野で天才の名を好き放題している冷徹な瞳の少女はしかし、手に白いパッケージの何かを持っていた。
そこに書かれていた文字は。
『みるく』
――そういえばこいつも、苦いのダメだったけ。
「? 何よ、あんたたちも他に用がないんなら早く部室行きなさいよね」
そう言って立ち去る一ノ瀬を見た途端、すべてがどうでもよくなった僕は。
「苦いの嫌いだからこれ、交換してくれ」
たぶん、余所見してただけだと思うし。




