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僕に唯一できることは。  作者: 伊月
その森はあたたかい
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 昔から授業は退屈なものだとされてきていたけれど、今でもなんら変わりはない。自慢じゃないけど僕の成績は周囲よりも頭ひとつ抜きん出ていて、職業適性も学者から役人までわりとなんでも選べる人生を生きている。おかげで朝から夕までのんびり外を眺めていても問題はないし、僕の成績がわかっているから教師だって何も言わない。今やそういう生活指導的な面での需要が最たるものだというのに、だ。昔で言うところの、職務放棄というやつだろう。議会で居眠りをしている議員の写真を思い出させる。


 彼女が来るまでの数分、どう暇を潰そうかと考える。とはいえたかが数分、ぼーっとしていればすぐだろう。そう思い、にわかにざわめきたつ教室を見つめる。


 思い出すのは、あの日のこと。聞いたこともないような言葉が、あの可憐な少女の口から紡がれた。誇張なく汚れを知らなそうな彼女から。


 ――そうだ。誰を待ってるっていうんだ。あいつが、来るわけがない。忘れっぽくて、甘え上手で、そのくせ頼られたがりで。そんな少女は、もう。自嘲気味に小さく笑うと、鞄を持って立ち上がる。昔と違って、その中身は軽い。制服と同じく、所属を示すためにあるような鞄。


「あれ、白雨帰るのか?」


 教室の扉に手をかけたちょうどその時、朝のクラスメートが声をかけてきた。


「そりゃもう授業終わったし。え、なに、だめなの」

「おう」

「なんでだよ……」


 用もないし、普通に帰りたいんだけど。


「一緒に部活見て回ろうぜ」

「……はぁ?」


 たった今、部活の勧誘に来るであろう人間を待とうとして、考えを改めたところなんだけど。言ったって通じるはずのない文句を、心中で零す。


「いやぁ、俺って中学の時なんもやってなかったからさ。部活って憧れあるんだよな」

「ひとりで行けばいいだろ」

「なんか寂しいじゃん。ほら、行こうぜ」


 おい。それだとまるで今まさにひとりで帰ろうとしていた僕が寂しいやつみたいだろ。

 しかし僕の苦言などどこ吹く風、彼は僕の手を引いてずんずんと進んでいく。その勢いたるや、廊下で談笑する生徒たちが訝しげな視線を向けながら道を開けるほどだ。


「おい、ちょっと待てって。おい!」

「なんだよ、学校広いんだから早くしないと日が暮れちまうぜ。探検がてら校舎全部回るつもりなんだからさ」


 なんだそれ。聞いてない。いや、そうじゃなくて。


「せめてお前の名前教えろって。でないと僕、今知らないやつに連れ回されてることになるから。これ誘拐って言うんだよ。知ってる? ユウカイ」

「なんだよ、人の自己紹介聞いてなかったわけ?」

「……それはまあ、悪かったよ」

「ま、いいか。俺の名前は千葉楓。改めてよろしくな、白雨夕立」



 本当に校舎を全部回った。度々道に迷っては拡張地図を呼び出し、走り回っては廊下は歩けとセルフアラートに小さく注意され。古くから失われることのない芸術分野や音楽系の部活に始まり、五次元定礎部など何をしているのか検討もつかないようなものまで、累計面積など考えたくもないような広大な校舎をひととおり行き回ったかというところで、ようやく千葉の足が止まる。敷地内にいくつか点在する中庭のひとつ、その規模から庭園と呼ばれる空間のベンチで腰をおろした。


「……疲れた……」

「運動不足じゃねえのか? これくらいで根を上げてちゃ日が暮れるまでに全部回りきれないぞ?」

「どう考えても、問題なのは僕の体力じゃなくて、この学校の予算の無駄遣いだろ……。なんだ、五次元定礎って。まず四次元解明してからにしてくれよ」


 僕の言葉に苦笑を漏らしながら、千葉は自分たちを囲む一面のバラを見やった。技術力を誇示するかのように、パレットみたいな色が散りばめられている。


「しっかしこの学校すげぇな……敷地内にこんな広い緑地がいくつもある学校なんて、そう多くないだろ」

「たしかにね。至るところを芝で埋めつくすとこは結構あるみたいだけど、ここみたいに、バラ園まである学校は少ないだろうな」


 だるくなった足をぐねぐねとほぐす。どうせ進歩するなら、疲れを感じなくなるところまでいってほしい。そこまでになると、人間と名乗っていいものか怪しいけれど。


「こういうのだけ見てると、まるで数十年前みたいだよなぁ」

「……まあ、わからなくもないかな」


 当然、僕らは数十年前の学校を、この目で見たことがあるわけではない。歴史の資料で得た知識としてあるだけだ。今や白楼に覆われたこの日本も、かつては緑の方が多かった――そういうのを、写真や映像で見ただけ。


 昔――たしか、もう百年以上は続いているあるテーマパーク。改装を重ねてどうにか廃れずにやってきたあの場所は、中から外のビル群が見えないようになっているらしい。たぶん、ここと同じような理由なのだろう――外の世界と隔離された、別の場所。少なくとも外見上は。


 見てくれだけはいつまでも変わらない校舎を、荊の隙間から見やる。そのくせちゃっかり青いバラを混ぜているのだから、たぶん、ここの設計者は捻くれている。


「で、誰にフラれたんだ?」

「まだ覚えてたのかよ」


 せっかくいい感じに持ち上がってきた気分が、またどん底まで深く沈んだ。何せ、僕がフラれたのは、まさにこのバラ園だ。


「いいじゃん、さくっと話して楽になろうぜ。そうしたらメンタルケアも避けられるかもしれないしさ」


 千葉の言っていることはたしかに正鵠を射ている。主に精神状態の悪化を検知するために健康診断に組み込まれているピプセン――覗き見、という意味らしい。正直知りたくなかった――と呼ばれる機械は、つまり問題が既に解決していればなんの反応を示すこともない。ここで千葉にすべてを打ち明け心がすっきりすれば、心の中を覗き見られることも、禍々しい薬品やカウンセリングのお世話になることもない。


 でも。


「いや、遠慮しとくよ。別にまだそこまでお前と仲良くなったわけでもないしな」


 てっきり何かしら文句を言ってくるかと思っていたのだけれど、しかし千葉は「ふぅん」と一言零すと、それきりこの話題には触れてこなくなった。


「さ、休憩もしたしグラウンドに行こうぜ」

「グランウンドって……運動部? 悪いけど僕は運動は……」



「あー! ゆうくんやっと見つけた!」


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