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僕に唯一できることは。  作者: 伊月
きっと信じることは間違いなんかじゃない
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 静かな授業の時間とは打って変わって、弾けんばかりの喧騒が籠る空間。食器の音と談笑が入り乱れ、甘かったり辛かったり苦かったり酸っぱかったりするにおいがいたる方向から漂い、気を抜けば今自分が何を食べているのかを見失ってしまいそうだ。

 そんな食堂のふたり席で千葉と向かい合って座る僕はラーメンを傍らに、目の前の少年に神妙な面持ちで告げる。


「冷静に考えて、誤作動起こすようなものが、体内に入るわけなくないか?」

「たしかになー」


 飄々と僕の言葉を受け流すと、見るからに辛そうなカレーをひょいぱくひょいぱくと食べる千葉。辛くないカレーはカレーじゃないとはよく言ったもので、実際僕も甘口のカレーはそこまで好きとは言えないけれど、これはなんかもうそういう次元じゃないと思う。

 見るからに毒々しい赤みを帯びたルゥは、なんというかカレーというよりタバスコとかデスソースとかそういうものを連想してしまう。


 カレー味のデスソースだ、これは。

 そんなおよそ人の食べ物とは思えないものを美味しそうに食べる彼に、僕は憤慨する。


「たしかにじゃねえ。そもそもメディは製薬機械だし、それに付随して神経とか体内に作用するプログラムだったり、精神安定プログラムとして実際にそういうのは使われてたりするけど、そもそもそれだって根本的には医療機械だって前提があるからなんだよ。医療の、健康のためってことだ。いくら電気信号とかフォトンとか分子結合とか使えても、医療用途って前提がある以上、メディ監視用AIがあるんだから不具合なんてのが発生しかねないプログラムが人体への介入を許されるわけがない」


 息切れしながら長いセリフを言いきった僕に、おつかれ、と千葉はコップを差し出してきた。ありがたくそれを一気に飲み干し、悲しそうに空のコップを見つめる千葉に言う。


「ふぅ……てなわけで、このままだとさっきの理屈が通らなくなってしまうんだけど、何か考えはないか?」

「考えって言ってもなぁ……俺は夕立ほどそういうの詳しくないし、夕立がわからないなら俺にはわかんないんじゃないか?」


 未だ切なそうに、コップの底を眺めている千葉。そりゃあ数滴くらいは残ってるとは思うが、大人しく給水機に行けばいいんじゃないかと思う。いや、ここは僕が行くのが道理なんだろうけれど。


「お前は僕にない発想を持ってるよ。僕が保証する」

「なんかそう言われると照れるな。つっても考えってなぁ……ちなみにこのままだとどういう結論になるわけ?」

「一ノ瀬が悪者になる」

「あー、そりゃ避けたいな」

「だろ? だから頼むから、なんか僕に知恵をくれ……楓」

「っ! ……よし、そんじゃいっちょ久しぶりにない頭振り絞るかな」


 単純な男で助かった。両の親指でこめかみを押さえてぶつぶつ言いだした千葉を確認して、僕はコップをふたつ持って席を立つ。僕が飲み干してしまった分と、あとはついでに自分の分も。

 既に結構な人数が昼食を終えてしまっているからか、食器を専用の返却所に戻そうとする生徒がそこらにいた。人の波にぶつからないように身を細めて進むと、給水機には三人ほどの先客がいた。

 仕方なく最後尾に並び、自分の番が来るのを待つ。なんの気なしに周囲を見渡していると、ちょうど僕や千葉のようにふたり組の男子生徒の姿が見えた。それ自体はよくある光景でなんの珍しさもないのだけれど、そのうちのひとりが、やたらとチャラチャラした見た目というか、どうにも好きになれなさそうなタイプの人間だった。


 だがしかし、この時だけは何故か、彼らの会話が気になった。ただ暇を潰したかっただけなのかもしれないけれど、耳を傾けてみると、聞き捨てならない名前が耳を貫く。


「二年にさ、ッベェかわいい先輩いるじゃん。名前なんったっけな……たしかそう、桜って人」

「桜? は? ……ああ、桜じゃなくて佐倉だろ。花の名前じゃなくて、よくある苗字の方の」

「それそれそうそう! あの人マジパナいよなぁ……彼氏とかいちゃう系かな?」

「そりゃあんだけかわいい人ならいるんじゃねえの? 性格もいいらしいしな。……あー、いや、でもなんかあんまよくない噂聞いたことあるかも」

「噂ァ? なによそれ、ヤベェ系のやつ?」

「俺もあんまり詳しくは知らないんだけどよ……なんでも、告った先輩たち、みんなことごとく惨敗らしいぜ」

「マジかぁ……でもそれって彼氏いない系ってことじゃないの? じゃあむしろチャンスアリアリじゃね? いっちゃえ的な?」

「いや、なんでもそのフラれ方ってのがまたひどかったらしくて、顔に似合わぬどぎつい言葉で罵詈雑言浴びせられたらしいぞ」

「っかー! マジっすか、オニヒョウしちゃう感じかー! じゃあさすがにナシだなぁ。俺、上には乗られたいけど尻に敷かれるのは無理系だわー」

「食堂で下ネタぶっこむのはさすがにそれこそなしだろ。ていうかオニヒョウってなんだよ」

「え? 鬼に豹変っしょ! けんたろそんなのもわかんないとかマジ遅れてるわー」


 聞いてるこっちが頭が痛くなってきそうな会話に耐えきれず、いつの間にか先に並んでいた人がいなくなった給水機でコップに水を満たした。何回マジって言うんだよ。便利すぎだろマジ。

 そそくさと千葉の所に戻る道すがら、さっきのふたりの会話を思い出す。


 普段の態度からは想像もつかないような罵詈雑言――これがあのバラ園での出来事と無関係だというのは、さすがに無茶があるだろう。


 大和撫子のごとき容姿、男の妄想を具現化したんじゃないかってくらいの性格のよさ。どれをとっても引く手数多の魅力に違いはないから、僕以外にも恋心を抱く男は少なくないはずで、だから美衣に告白してフラれたっていう男がいることにはなんの驚きもない。


 だが、その状況には、驚きを隠せなかった。

 僕との関係を崩さないため……その事実をなかったことにするための手段だと思っていた。無視ではなく罵倒によってそれがなされるということは不可解ではあるが、トラウマを植え付けることによって二度とそんな気を起こさせないためなのだろうと、勝手に自分で納得して。

 でも違う。美衣のあの態度は僕に対してだけのものではない。特別条件を満たした人間にのみであることに間違いはないが、その条件は今まで僕が思ってたようなものじゃなくて――


「告白してきた相手全員に?」


 さっきの男の発言を信じるならば、そういうことになる。にわかには信じがたいが、それが事実ならばいろいろと説明はつく。


 僕に対してはあまり隠し事をしない美衣が、今まで色恋沙汰に関する話をまるでしてこなかったのも。

 時々記憶が抜け落ちたんじゃないかと思うくらい忘れっぽいのも。

 まるでそういう影が見えないのも。


 すべて、それらに関する出来事が起きるたびに、記憶を失っているから――?


 僕が告白した一週間前のことだけじゃない。今までのことに、一気に説明がついた気がした。

 思い返せば、帰ってきたかと思えば許可なく僕のベッドでいきなり寝たこともあったし、連絡しても返事がないどころか連絡したことにすら気付いていないことだってあった。思い起こせばきりがないが、それらは全部、今のこの状況で説明がつく。


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