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僕に唯一できることは。  作者: 伊月
きっと信じることは間違いなんかじゃない
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 英語、数学、世界史、日本史と来て、ようやく昼食の時間だ。授業を聞く意味があまりない僕にとって、学校に来る意味とは主に部活とこれだけである。

 研究者である両親は、自分の専門分野と子である僕に対する関心は大きいのだけれど、どうにも私生活はずぼらで頼りない。そんなわけで親の弁当も期待できない僕は、いつもどおり千葉と共に食堂に向かう。


「そういや先輩って料理できるの?」


 ふと、千葉がそんなことを訊いてきた。


「壊滅的にできないけど……」ただし何故かお菓子作りだけはうまいひとつ上の少女を思い浮かべて言う。「それがどうかしたのか?」

「いやぁ、もしできるなら、先輩に弁当とか作ってもらえばいいのにと思ってさ」

「なんでだよ」

「今想像しただろ」

「うるせぇ」


 正直めちゃくちゃ想像した。美衣が僕の名前を呼びながらかわいい布で包まれた弁当を差し出し、肩を並べて庭園のベンチに座り、美衣に「あーん」とされて恥ずかしくなりながらも口を開けるところまで想像した。が、決して口には出さない。


「でもさあ、よくわかんないんだよね、俺」

「何がだよ」

「ふたりの関係」


 まだ微妙に妄想の海をたゆたっていたら、ド級の嵐が吹き荒んだ。波が荒れ狂い稲妻が真っ黒な空を白く染める。


「いきなり何言ってるんだよお前……」

「え、だって夕立、先輩のこと好きだろ?」


 美衣はこういう話を一切しないからわからなかったけれど、なるほど裏表がなく直球というのもそれはそれで困る時があるのだと、十五年生きていて初めて知った瞬間だった。

 あまりにも真っ直ぐな目で言われるものだから、否定する機も失ってしまった。いや、否定する気はなかったけど、誤魔化しはしたかった……。


「……それがどうしたんだよ」


 そう返すしかなかった僕は、千葉に背を向けて心なしか歩調を早める。当たり前だ、まさか昼休みに、しかも食堂に向かう廊下でそんな話を振られるだなんて、恥ずかしすぎる。

 不幸にも今現在近くに他の人がいないせいで彼はこの話をしてきたのだろうから、つまり、食堂につけばさすがにやめるはず。そう信じて一刻も早く食堂に向かわんとする僕に、千葉は平然と並んで来る。

 そもそもこの場を凌いだところで根本的には何も解決しないのだけれど、この時の僕はそんなことを考えている余裕はなかった。


「待てって夕立! 食堂でするよりここでした方がいいだろ?」


 ぴた、と足が止まった。

 おい、こいつ今なんて言った。

 前言撤回。さすがに食堂で僕のプライバシーに関わる話をするわけがないと思っていたが、そういえばこいつ、馬鹿だった。いいやつだけど、馬鹿なのだ。


 仕方なく周囲を見渡し、周りに人がいないことを確認する。今日は少し教室を出るのが遅かったから、僕らと目的を同じとするほとんどの生徒はもうすでに食堂に着いているのだろう。

 その点だけは安心して、きつく千葉を睨む。しかし彼はまるで気にしていない様子だった。


「夕立さ、俺と初めて会った時のこと覚えてる?」

「別にそんなに衝撃的な出会いをした覚えはないけど」

「俺からしたら結構衝撃的だったけどね。なんせ入学したばっかなのに死んだ魚みたいな目をしたやつがいたんだもん」


 あの時の僕はそんな顔をしていたのか。一週間と少し前の記憶を探るため、海馬に仕事をさせる。なんとなく思い出した。初対面から馴れ馴れしくて、でも、今考えてみると、あの時でもそんなに嫌な気はしていなかった気がする。


 そう、たしか話の内容は――


「夕立のフラれた相手って、先輩だろ?」


 なんてこった。僕と美衣を除く全部員に僕が好きな人にフラれたってことがバレてしまった。まあ僕と美衣以外の部員はふたりだけだし、なんなら一応幽霊部員いるらしいから全員ではないけれど。

 普通なら言いにくいであろうことを――思春期の真っただ中、美衣にずっと引っ付いてたせいで友達がいなかった僕に語られるなんて、普通もかわいそうだ――悪びれもせず、照れもせず、真正面から言ってのけた千葉。僕は、こんなに素直な友達を持てて幸せ者だ……と思うが、今だけはその素直さを封印してほしかった。


「……それがどうしたんだよ」


 数秒前に言ったセリフをそっくりそのまま復唱した。間の取り方も一緒過ぎて僕が声優なら使い回しじゃないかとネットで叩かれるくらい。


「いや、よくフラれたのに仲良くしてるなって。というよりも、これはフったのに仲良くしてる先輩がすごいのか?」


 フったとかフラれたとか、たぶん、人生で今一番聞いてると思う。千葉はその言葉のひとつひとつが矢のように、いや最早槍くらいの攻撃力を持って僕に突き刺さっていることに気がついているのだろうか。目から汗が出そうになる。

 とはいえ、ここは少し真面目に話さねばならない。いつまでも隠しておけるとは思っていなかったし、いずれ話すことになるとは思っていたけれど、まさかこんなに早いとは思っていなかったので、もちろん何も準備はしていない。


「まあその、なんだ。信じられない話だとは思うんだが……美衣はその時のことを何も覚えていないらしい」

「覚えてない? 夕立をフったのに?」

「あんまりフったとかフラれたとか連呼するんじゃねえよ、結構傷つくんだよ……。お前と初めて会った日、バラ園で休憩してたら美衣が来て、僕が美衣を連れて離れたことあったろ。あの時に確認したんだ」

「冗談とか、嫌がらせとか、そういうんじゃないよなぁ」

「当たり前だ。美衣がそんなことするわけないだろ」

「……本当夕立って、先輩のこと好きなんだね」


 何を今さら、と言いそうになって、さすがに躊躇った。気持ちが知られたからといってなんでも言えるわけではない。

 どうやら真剣に考えてくれているらしい。うんうんと唸る姿を見ていると、なんだか申し訳なくなってきた。


「お前が気にすることじゃないさ。大体、僕や一ノ瀬でもわからなかったんだ」

「なんかそれ、ひどくない? たしかに俺の頭はふたりより悪いけどさ……。ていうか、一ノ瀬も知ってるんだ? もしかして呼び出されてたのって、それ?」

「ああ。美衣のあれに、僕が関係してると悟ったらしい。僕自身、美衣のあの時の不調は僕が原因だと思ってる」

「あちゃ、てことはもしかして俺が彼氏いるかとか訊いちゃったから? ごめん、なんか。夕立との関係、それとなく探ってみたくなってさ」


 手を合わせて謝る千葉に思わず小さく笑う。知らなかった以上別に何も悪いことなんてしていないのに、律儀なやつだ。


「でもどういうことなんだろうな、それ」

「さあな。僕の告白と記憶の消失、それに頭痛……関連性はあるとは思うけど、原因がさっぱりだ」

「ああいや、そうじゃなくてさ」


 てっきりそういう話だと思っていたのだが、どうやら千葉の突っかかりはそこではないらしい。妙に鋭いところがある男だから、その意見は馬鹿にはできない。


「それ、なんで一ノ瀬は夕立が原因だと思ったんだろう、って」

「ん? そりゃ美衣から色々聞いたからじゃないのか。ほら、美衣が倒れてすぐ、なんか小声で話してただろ。よくわからない時はメンタルを疑うのが定石だとかなんとか言ってたぞ、あいつ」

「うーん、それはそうなんだけどさ……」


 どうにも釈然としないのか言葉を濁す千葉。

 一ノ瀬を疑っているのだろうか。たしかに僕も一ノ瀬がなんらかの形で関係しているのではないかという懸念は抱いているけれど、まさかあの一ノ瀬に限って、美衣を傷つけるようなことをするとは思えない。


「先輩はその時のこと覚えてないんでしょ? バラ園で夕立が先輩とどんな感じで話したのかは知らないけどさ、それだけしか聞いてないなら、普通あの頭痛の原因が夕立だなんて思わないんじゃないのかなって。夕立は告白と記憶のこと、それと頭痛のことがあるからそう判断してるけどさ」


 一ノ瀬は、記憶のことと頭痛しか知らない――


 記憶の消失に僕が関わっていることはわかっても、美衣のことだから僕が悪いとは微塵も思っていないだろうし、一ノ瀬に伝えるニュアンスもそれに準じているはず。たったそれだけの情報で、僕が原因だと判断するか? あの、一ノ瀬が?

 ない。美衣に関して以外は合理的で理屈を重視する一ノ瀬が、そんな不確定な状態で断定するわけがない。

 しかし、納得できないこともないのは事実だ。一ノ瀬は美衣のメンタルに大きな影響を与えることができる人間は僕くらいだと言っていたし――いや、待て。それはおかしい。

 たしかに僕は美衣の幼馴染だが、付き合いの長さだけで言えば当然その上位に家族が位置している。そして、美衣は付き合いの長さだけで関係性を決め付ける人間ではない。一ノ瀬だって、美衣に影響を与える可能性はある。

 いくら自分のことは自分が一番よくわかっているとは言え、こんな状況で迷いなく自分を原因から除外できるか? 他でもない、一ノ瀬が?


 となると、考えられるのは――


 一ノ瀬は、僕が知らない何かを知っている?


「でも待て。一ノ瀬が美衣に危険が及ぶようなことをするとは思えない。あり得ないだろ」

「それは俺も思うけどさ……でもほら、例えばだよ? 俺はあんまりそういうことは詳しくないから、あり得るのかわかんないけどさ。薬の過剰摂取で逆に体調崩しちゃうみたいなことが、医療プログラムってのにあるとしたら……」


 睡眠薬などの薬を大量摂取しての自殺は、実際に存在する。それはあくまで使用者の意思だが、千葉が言いたいのはきっと、本来人の役に立つものであっても、使い方を間違えたり勘違いでミスをすれば牙を剥くことだってあるということに違いない。

 それをプログラムに置き換えれば、それは――


「誤作動、ってことか?」

「そう! もしかしたらそういうこともあるんじゃないかなって」


 その時僕は、ようやく気付いた。海浜公園での、一ノ瀬の苦虫を噛み潰したような複雑な表情。あれが意味するものがなんなのか、今の今までわからなかったけれど、ようやくわかった。

 失敗の色――後悔の顔だ。

 そうだ。たしかに一ノ瀬は何かを隠していた。誤魔化していた。けれど、一ノ瀬が美衣に対して意図的に害をなすなんて起こり得ない。天地がひっくり返ろうと、絶対に。

 それに、僕はちゃんと確認したじゃないか。美衣のことが好きかと。一ノ瀬は、はっきりと肯定した。


 やっと辿り着いたひとつの答えに安心すると、空気を読まないというか、逆に空気を読んだというか、景気のいい音が下の方から聞こえた。


「ははっ……ご飯、食べに行くか」


 心のどこかに一ノ瀬に対する疑いがあったのだろう。美衣への想いだけは僕と変わらないはずなのに、状況が無用な疑念を生みだしてしまっていた。

 けれど、それももうない。まだすべてはわかっていないけれど、きっと今見えた道筋は間違っていない。そう思うと、無性にお腹が空いた。


「おう」

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