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僕に唯一できることは。  作者: 伊月
きっと信じることは間違いなんかじゃない
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 桜っていうのは、本当にすごいものだと思う。人の心を癒すことができて、和ませることができて。古来より連綿と続く花見という文化によく見られるように、人を楽しませ高揚させることもできる。


 冬の厳しさを乗り越えて蕾を実らせた桜は、暖かくなったのを感じると一気にその花を開かせ、白にも似たピンク色の美しい花弁を咲き誇らせる。日本の象徴とも言える桜の優雅さは、この国に生きる人間ならば誰でも知っていることだ。散る姿さえも綺麗で心奪われる桜を毎年見ることができるのは、桜のある国に住む特権である。


 ちょうど満開の桜によって鮮やかに彩られた並木道を歩きながら、僕は登校中の一時を楽しんでいた。一陣の風が吹き、ざわざわと枝が揺れる音に合わせて吹雪が視界を染める。それを楽しげに眺める美衣は、心の奥底まで、この光景に見入っているのだろう。


 僕も美衣の見ている世界を見てみたい、と思ったことはこれまでに数えればきりがない。美衣のような少女にこの機械仕掛けの世界はきっと息苦しさを感じるものだとは思うが、それでも彼女の世界は、いつも輝いているはずだ。どれだけつらく苦しい状況にあろうと、彼女はその中での幸せを見つけることができる。人は長所より短所の方が目立つと言われることがあるが、たぶん、どんな相手でも美衣はまず長所を見つけてしまう。佐倉美衣はそういう人間なのだ。

 だから彼女の目で見る世界は絵画のように美しい。それを共有したいと思うのは人間の性というものだ。


 けれど、やはり僕は今のままであることを望む。美衣の見る世界がどれだけ素晴らしくとも、その世界に美衣は映らない。

 僕の世界は、佐倉美衣がいてこその世界だから。世界そのものがひどく汚れていようと、彼女がそこにいれば、僕は前を向いていられる。


「ね、ゆうくん、見て見て!」


 気付けば先を歩いていた美衣が、両手で何かを抑え込むようにして戻ってきた。嬉しそうな笑みを浮かべて、美衣は手を開く。


「桜……だな」

「うん、桜! 私と同じ名前!」


 そこには根元から千切れ五枚すべての花弁が揃った小さな花があった。よれることも切れ目が入ることもなく、まるでその手中に納まるためだけに降ってきたような綺麗な状態だ。

 こうもすっぱり千切れてしまっているとなんだかかわいそうな気もするが、美衣のこの笑顔を作るためにやってくれたなら、この花に感謝をしたい気分だった。


「綺麗だね、桜」

「……そうだな」


 見れば、周囲にもいくらか足を止めて桜を見上げている人たちがいた。薄いピンク色の背景が、一際強い風と共に大きく揺れる。

 見ている人の想いに呼応せんとばかりに花びらを舞いあげた風は、しばらく吹き続けた。ただの背景だった色に、僕たち自身も取りこまれ、包まれる。


「ひゃっ……なんだかくすぐったい」


 言葉だけ見れば嫌がっているようにも見えるが、上ずった声音が真実を表す。桜吹雪の中にいるというのもなかなかない経験なので、僕も口には出さずとも楽しい気分になっていた。この時間を共有できている実感がひとしおの喜びを僕に与えてくれる。


「ふたりとも仲良くできそうでよかったね」


 唐突にそんなことを言われた。ふたりとはつまり、千葉と一ノ瀬のことだ。


「そうか? 千葉はともかく、一ノ瀬は今でもまだ苦手なんだけどな」

「そんなことないよ。千葉くんも真白ちゃんも、もちろんゆうくんも、みんな楽しそうだもん」


 基本的に美衣に物事の悪い部分は見えていない。それは彼女の長所であり短所でもあるのだが、この場合はどっちなのだろうと考えた。考えて、すぐに思案を放棄する。孤独主義者でもあるまいし、学友と仲良くするのはいいことに違いない。それを美衣が我がことのごとく喜んでくれるのであればなおさらだ。


「美衣は楽しいか? 僕と、千葉と、一ノ瀬がいるあの場所。旧文化研究会」

「もちろん。去年だって本に囲まれてるあの部屋は好きだったけど、ゆうくんたちが来てもっと大好きになったよ」


 そこらの男なら一発でオチてしまいそうな微笑みで、頭がくらくらするようなセリフを吐く。僕もたぶん、そこらの男だ。


「私とゆうくんが喋って、そこに真白ちゃんも混じってきて、ゆうくんと真白ちゃんが言い合いしちゃうの。千葉くんが割って入ろうとするんだけど真白ちゃんに一蹴されちゃって、悪態をつきながらも千葉くんは笑って許しちゃうんだよね。そんな様子にゆうくんがまた何か言って、私が仲介するの。でもみんななんにも悪気とかないから全然嫌な気分とかにはならなくて、笑って一日が終わる。いいよね、そういうの」


 ターンしながら踊るように髪を揺らす。彼女の言うその光景が、容易く想像できた。

 別に美衣が綺麗なものだけを見るからそういう絵ができるわけじゃなくて、そもそもあの部屋に根っから嫌なやつなんていないから、自然そうやって楽しい時間はできあがるのだ。僕も、美衣も、千葉も、一ノ瀬も。みんな楽しめる場所と時間。

 人にぶつかったりするんじゃないぞと思いながら美衣を追いかける。


 今日もまた、そんな時間が始まるのだ。

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