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僕に唯一できることは。  作者: 伊月
相反する存在はそれだけで夢に満ちている
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「それじゃあそろそろ戻ろっか。ここ寒いしね」


 しばらく地下の書庫を歩き回った僕たちは、再び地上の旧文化研究会の部室に戻った。どうやら不親切な構造は階段だけではなかったらしく、入口からかなり離れたところにあるスイッチを押さなければ消灯できないため、二度と同じ苦しみを味わわまいと、颯爽と美衣にすり寄る一ノ瀬。そんな様子を苦笑いで見守りながら、僕と千葉も後をついていった。

 そして場所は再び二階、旧文化研究会。

 定位置となっているロッキングチェアにどかっと身体を預けた僕は、ふと窓の外を眺めた。すでに日が沈みかけており、朱い夕日が森を照らす。室内のはずなのに大自然に囲まれているかのような安心感があった。

 目を瞑ればすぐにでも眠ってしまえそうな心地よい揺らぎに包まれながらまどろむ。




 まるで、あの日のことがなかったみたいな平和だった。僕と美衣は昔から変わらずずっと仲の良い幼馴染みで、久しぶりにそこに一ノ瀬がまた戻ってきて、今度は千葉っていう新しい友達も増えた。楽しくて、暖かくて、この冷たい世界が嫌いな僕でも喜んで生きられる空間だって。そう思っていられた。

 だから、気が抜けてた。このままのんびりと楽しくだらだらしてられるなんて考えてしまった。あの異常な状態を、すっかり忘れて。

 たぶん、本当に何気ない会話だったのだと思う。うとうととしていた僕には話の流れはよくわかっていなかったけれど、何故かその言葉だけはっきりと聞こえた。


「そういえば先輩って、彼氏とかいないんですか?」


 クラスメートに話すかのような気軽さで、何も考えていないように。




 瞬間。どさりと音を立てて美衣が膝をついた。慌てて一ノ瀬が肩を支える。


「美衣先輩!」


 苦しそうに頭を抱える美衣。すぐにでも近寄って声をかけたい衝動に駆られるが、脳裏によぎった映像がそれを遮った。

 何も根拠はない。関連性も見出せない。合理性なんて一片たりとも感じられないが、それでも僕はあの時のことを思い出した。


 空気を震わせる聞いたことのない声。別人のような目。流れる一筋の水滴。

 それだけじゃない。「記憶がない」――そう言う彼女の泣きそうな顔が、鮮明に描き出される。

 理屈がどうとかではなかった。僕にはあれらが無関係だとは思えなかった。だから、今苦しむ美衣を見て、どうこうする権利も、僕には――

 頭痛に苦しめられている人に大きな声は避けるべきだ。小声でいくつか美衣と言葉を交わした一ノ瀬は、僕と千葉に鋭い視線を向けた。


「あんたたち、今日はもう帰りなさい」

「え? どういうことだよ?」

「いいから黙って言うとおりにしなさい。あんたたちがいてもできることはないわ」

「つってもよぉ……」


 なおも食い下がる千葉を、そって手で制止する。


「夕立……?」

「一ノ瀬の指示に従おう。お前は知らないかもしれないけど、一ノ瀬はメディを活用した医療技能の特許だって持ってる。僕らより何倍もこういう時には役に立つ」


 そこまで言うとさすがに納得したのか、渋々といった風ではあるが頷いた。今一度美衣の姿を見やるが、眉間に力が入った表情に胸が締め付けられる。

 だから僕は一ノ瀬の言葉を自分に言い聞かせた。僕にできることは何もない。僕がいても、邪魔なだけだ。

 その言葉は僕の身体を無理やりに動かす手であり、また僕の本心を僕自身から隠す手だった。〝僕のせいだ〟という不安を、すっぽり覆い隠すための大きな手。

 床に放置された鞄を掴むと、千葉に先行して扉を目指す。古い木造に見えるよう加工された扉に手をかけ、迷いと共に引き開く。



                     ○



 意識はしていなかった。それでも、自然と足がここに向かっていた。

 既に日は沈み、足もとを照らすためのライトが淡く光り、バラに昼間とは違う魅力を纏わせる。

 無意識にこの場所へ辿り着くなんて、皮肉なものだ。色鮮やかな花々の中で、以前にも休憩に使ったベンチに力無く倒れる。


「なああれ、本当に大丈夫なのかよ」


 背後からかかる声に、僕は投げやりに返した。


「言ってるだろ。一ノ瀬に任せとけば問題ないって。その一ノ瀬が僕たちのことを邪魔だって言うなら邪魔なんだろ。お前だってさっき納得してたじゃないか」


 美衣とふたりきりになるために嘘をついた、とは思わない。普段の彼女ならそれくらいのことは平気でしかねないだろうけれど、美衣の調子が悪いというタイミングでふざけるような女ではない。

 それでもまだ腑に落ちない様子で、なおも千葉は言いよどむ。


「でもなぁ……」

「何がそんなに心配なんだよ、煮えきらないな。別にこのご時世、そう簡単に大事にはならないだろ」

「いや、だからそれなんだよ」

「は?」


 何が引っかかるのか、そんなことを言う千葉。さすがに僕も話がまるで読めずとうとう千葉を顔を見んと視線を背に向ける。


「俺もあんなとこにいたからすっかり忘れてて、さっきの夕立の言葉で思い出したんだけどさ。デメ研の部室って、隠してあるだけでメディはちゃんと機能してるんだろ? なら、なんで何も反応がなかったんだ? あんなにしんどそうにしてるくらいだし、危機段階も結構高いだろ。それなのに携帯も鳴らないし……」


 その言葉にはっとする。

 そうだ。人も物も社会から半隔離されているように思えるあの空間に慣れ親しんでいたせいで、綺麗に頭から抜け落ちていた。

 医療用一般製薬機МGPM、通称メディは、正式に国に認可を受けている学業施設であれば必ずすべての教室に通信用枝端末が設置されている。それは世間と隔絶された旧文化研究会の部室であっても例外ではない。常時通信によって室内の人間に怪我や病気の兆候があればすぐに親機となる保健室のメディ端末に情報が送られ、適切な対処の準備がその時点から開始される。同時に個人の手首の携帯端末にも勧告がなされ、手当てを促す。急病者が歩行困難など自力での被治療が難しい場合に備えて、周囲数メートル圏内の人間にも、同様の通知が送られる。

 それなのに、あんな露骨な体調不良を訴えている美衣の携帯はまるで反応を示していなかったし、僕の携帯にも当該通知は届いていない。


「どうなってるんだよ……」


 急いで立ち上がり、声を荒げて千葉に叫ぶ。


「戻るぞ!」

「え、あ、おう!」



                     ○



 最もありえる可能性は通信用枝端末の故障だ。走りながら千葉にも確認したが、やはり何も反応はなかったらしい。ふたり同時――一ノ瀬はわからないが、美衣を含めると三人同時に携帯が壊れるなんてことは考えがたいので、やはりこれが一番現実味がある。

 とはいってもこれだってなかなかに考え難いことで、今や最新鋭の医療機器は公共施設では標準装備だし、その整備点検も義務化されていて欠かされることはない。怠れば文部科学省と総務省、そして世間の総叩きをくらうはめになるからだ。

 階段を二段飛ばしで駆け上がると、数十分前に見た扉の前に戻ってきた。足が止まるのに合わせて、しつこく警告してきていたセルフアラートの赤い字もフェードアウトしていく。

 ふたりがまだ部室にいるというのは拡張地図で確認済みだ。


 息を整える間もなく勢いよく扉を開け放つ。出るときにここに残してきた迷いは、とっくに雲散霧消してしまったらしい。

 あの椅子が心地いいのはやはりみんな共通なのか、ロッキングチェアに揺られる美衣と、その傍らで立つ一ノ瀬。長い髪の可憐な顔には、もう苦痛の色は見えない。


「扉を開ける時はノックくらいしなさい。あんたそれでも文明人なの? ここは藁の家じゃないわよ」

「お、おうすまん……」


 のっけから鋭いパンチを打ってくる一ノ瀬に面食らって思わず謝ってしまう。いや、たしかにノックせずに入室したのは、まごうことなき僕のミスなのだけれど。

 しかし一ノ瀬のコンボはそれでは終わらず、立て続けに次が飛んでくる。


「あんた、あとで海浜公園に来なさい」


 その指はびしっとまっすぐに僕を指していて、指向性マイクのように矛先を収束させていた。

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