表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕に唯一できることは。  作者: 伊月
その森はあたたかい
1/32

 フラれた。

 微塵の可能性も残らぬほどに、罵倒を交えた明確な拒絶の言葉だった。

 心が音をたてて軋む。幼い頃からずっと抱き続けてきた恋心が、いとも容易く蹂躙された。

 佐倉美衣。幼稚園の時からずっと一緒に育ってきた、いわゆる幼馴染み。可憐で、優しくて、明るくて。僕の人生でたぶん、いや間違いなく、一番きらきら輝いている人。

 そんな人の艶やかで美しい唇に、汚い言葉を吐かせてしまった。触れさせてしまった。

 でも、今でもわからないことがある。

 あの時彼女の頬を流れた雫は、僕の女々しい妄想が生み出した幻覚なのか、それとも――



                     ○



「入学早々陰気な顔してるなぁ」


 誰だこいつ。口には出さない。


「別にいいだろ。ほっといてくれ」


 頬杖をつき、声をかけてきたクラスメートにそっぽを向く。


「まあそう言わないでさ。なんかあるなら話聞くぜ?」


 軽々と言う彼に僅かばかりの苛立ちが湧くのを感じながら、どうしたものかと考える。まさか入学早々にフラれましたとは言えない。

 幾秒か考えた末に、今更ながら思った。なんで名前も知らないやつに相談する必要があるんだ。そもそも、落ち込んでいるだけで悩んではいない。


「当ててやるよ。失恋だろ」

「なっ――」


 なんでわかったんだ。驚くと同時に失敗したと後悔する。

 こんな反応をしてしまったら、そのとおりだと言っているようなものじゃないか。

 更に言うなら、せめてもの抵抗と、そいつの方を睨んだのがいけなかった。にやにや笑いを浮かべるそいつと、ばっちり目が合う。


「図星か」

「……うるさい」

「相手は誰だ? 同じ学校のやつか? つってもまだ始まったばっかだし……一目惚れ?」

「そういうんじゃない」

「てことは同中ってことか」


 軽薄そうな見た目に反して妙に鋭いのがむかつく男だった。染めたのではなく地毛らしき中途半端な茶髪。

 見ると、どうどう? 当たってる? とでも言いたげな表情でこちらをじっと見ている。当たっていると言えば当たっているのだけど、恐らく彼はある一点、大きな勘違いをしているはずだ。相手が誰かはバレることはないだろう。


「それにしても、よくやるよなぁ、入学してすぐ告白なんて。うまくいきゃあいいけど、フラれたら健康診断プラスメンタルケアじゃんか」


 うまくいってないやつの前でうまくいけばなんて話するんじゃねーよ、と思わなくもない。

 ていうか思った。



 メンタルケア。数年前にようやく設備が行き届いたことによって日本全国で義務付けられた、健康で社会的な人間――Health and social human――のための法律。その一部だ。MGPM、通称メディと呼ばれる大きな機械を、学校ならば保健室、家ならばリビングといった場所に設置し、またいたるところにその配下と言える端末を配置。二十四時間人の健康状態と精神状態を検査させ、異常があればすぐに処置を施せるようになった。

 これで人の健康は維持され、怪我や病気に怯える必要はなくなった。……というのが、世間一般や教師たちの言い分。でも僕は到底そうは思えない。これはまるで、健康の奴隷だ。


 しっしと手を振り男を追いやると、ちょうど静かに教室の扉が開いた。授業の始まりだ。


 机の端をとんとんと二度叩く。視力の低下を招かないようにと細心の注意を払われたディスプレイが教材を表示した。

 そんなことに気を使うのであれば、昔みたいに紙とペンで勉強させてくれればいいのにと思う。



『世界は平和になった』

 数十年前、どっかのお偉い誰かが言ったらしい。テレビの前でなされたその発言はすぐさまお茶の間に伝わり、新聞に掲載され、ネットのニュースで記事になり、瞬く間に広がった。たかが一文だけの、なんなら小学生にだって言える発言が何故有名になったか。それは、その言葉が他のどんな言葉よりも的確に今の時代を言い表していたから。


 まだ十数年しか生きていない僕には、歴史の授業で習った程度の知識しかないけれど。昔、世界は大変だったらしい。戦争が終わっても色んなことがあった。戦争でめちゃくちゃになった世界や拗れた関係をどうにかベターな形にしようと、政治家たちは必死だったそうだ。

 でも、例え日本の政治家たちがいくらがんばったところで、貧困に苦しむ人たちはお腹いっぱいご飯を食べられたわけじゃないし、未知の細菌病に苦しむ人たちに治療法を与えられたわけじゃない。


 それでも数十年前、あるふたつの分野が飛躍的に進歩した。


 ひとつはエネルギー。実は飢餓や貧困の直接的な原因たる食糧不足も、超高効率のエネルギー炉があれば解決する問題だった。そしてそれ以前では考えられなかったようなことを実現した人がいた。これまでとは比べものにならないほどの、超高効率エネルギー回収機構。これまでの発電というのは、発生するエネルギーのほとんどは電力利用されずに無駄に廃棄されてしまっていたのだけれど、それをどうにか覆した新機構によって、電力問題がこの世界の抱える数々の問題の中から姿を消した。詳しい原理は今の僕には理解しようもなかったけれど、ともかく、そうしてエネルギー問題が解決すると、それだけで数多くの問題が消えた。石油エネルギーなんかを求めて争う必要がなくなったし、おしげもなく機械化された産業によって食糧生産率は数倍に増えた。


 でも、それだけで世界は平和にはならない。いくら電気があったところで、風邪すら治ることはないのだから。


 つまり、もうひとつというのが、医療だ。といっても、医療分野は研究の積み重ねが大事で、劇的に何かが変わることはない。だから、変わったのはシステム。Artificial Intelligence――人工知能の進化によって、医療は急成長を遂げたのだ。一般的な人間の記憶容量を遥かに上回るコンピュータが、人間の脳に近い柔軟な思考能力を手に入れれば。全てを記録するバックログを超高速で参照しつつあらゆる可能性を検証しつくすAIによって、通常では考えられないよう方法だったり、現代の倫理観では実験できないような結果も、九割以上の確証をもって試算することができた。人力では途方もない時間がかかる研究の積み重ねを、進化したAIは人間の何倍もの早さで可能にしたのだ。


 それらを下敷きに、科学は果てしない荒野を突き進んだ。街中には立体映像の広告が軒を連ね、昔は板状のデバイスを操作していた通話端末もかつて腕時計として単体で存在していたものと一体化した。地図や時計などはコンタクトレンズに内蔵された拡張視(augment)によって任意で表示される。


 かつてない進歩だと、年老いた〝昔を知る科学者たち〟は口を揃えて言う。

 おかげで今日明日の食べ物のことを考えなければならなかった人たちは、数年先の未来を考えることができるようになった。誰もが夢を見ることができるようになった。


 でも僕は。

 それでも僕は今のことを考えていた。いつになるかわからない未来に思いを馳せる暇なんて、なかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ