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二人のデート

 デートの日がやって来てしまった。正直楽しみなんて気持ち以上に、気鬱な思いの方が強くて仕方ない。

 待ち合わせとなったのは駅の近くにある喫茶店。……というか、喫茶店って自分じゃ入ったことないからドキドキする。他のお客さんはノートパソコンで仕事をしているサラリーマンや、ノートと参考書を広げ勉強をしている学生が多い。喫茶店には自宅のようにテレビやゲームなどの遊びの誘惑がないので、仕事や勉強が捗るのかもしれない。……まぁ、俺は、周りの目が気になって落ち着かないけれどね。

 喫茶店とか慣れてないから場違いな気がして仕方がない。普段は気にもしない空調の音まで耳につく。財布、ちゃんと持っているよね? とか、無駄な心配までしてしまうレベル。さっきから小説でも読んで時間を潰そうとしているのだけれど、全く本の内容に集中できないし。

 俺はココアを飲みながら、早く桐生さんが来ないものかと思う。もう、待ち合わせの時間だというのに彼女はまだ来ない。何度メールに書かれた待ち合わせ時間と場所を確認し直したことか。どんなに見ても、この喫茶店の名前に午後二時で間違いはない。テレビなどでは、デートなので女性が遅れるという事は良くあることっぽいので、彼女もそうなのかもしれない。すっぽかされていなければ。

 まぁ、でも、別にデートが楽しみというわけでもないので、すっぽかされたというのなら、俺としてはそれでも良いさ。むしろその方が良い気もする。

 しかしそれにしても、この店のメニュー表を見ると、コーヒーや軽食に至るまで、様々な方法でお薦めされている。けれど俺はあんまりコーヒーが好きではないので、このお店の人が一押しだというコーヒーを飲む気がしなかった。

 だからココアを頼んでいるわけだけれど、自分の飲んでいるココアだけは、お薦めと書かれていないのが気になって仕方がない。

 もう、むしろ、お薦めしたくない理由があるんじゃないかと勘繰ってしまうくらいだ。そう思うと、このお店のココアはまずい気がしてくる。別に俺の舌は肥えているわけでもないので、自販機のココアでも十分なんだけれどね。

 結局、桐生さんがやって来たのは、約束の時間から二十分ほど後の事だった。よくテレビなどで聞く一時間とか二時間じゃなくて良かったと思う。

「ごめん、遅れちゃった。待った?」

 少し慌てた様子で、見慣れた制服姿の桐生さんが近づいて、そう言ってくる。なんていうか、デートで有り勝ちな問答だ。

「待った」

「あはは、ごめんね。でもそこは、今来たところって言う場面じゃないかな?」

「……今来たところ」

 俺があからさまに棒読み臭く言うと、彼女は苦笑し、困ったような顔をする。

「……むぅ、ごめんね。もしかして伏見くんって、時間にうるさいタイプ?」

「いや、別に暇だから時間なんて別に良いんだけど、……喫茶店は慣れなくて、心細かった」

「……心細いって、伏見くんはいつも一人じゃん」

 少し呆れた様子でそう言いながら、彼女は向かいの椅子に座る。

「別にいつも一人だからって、心細くないわけじゃないさ。慣れない場所なら尚更な」

「……そうなんだ。……なんか、ごめん。いつも一人だなんて言って」

「はは、別に良いさ。いつも一人でいるのは事実だしな」

「……もう。……自虐は過ぎると、モテないよ」

 彼女は笑いながら冗談めかして言った。

「む、そうなのか? じゃあ、気を付ける」

「あはは。伏見くんでもモテたいんだ」

「……いや。たぶんモテても、俺は戸惑いしかしないと思う。……でも、彼女になった桐生さんには嫌われたくないとは思うからな。だから気を付ける」

「……そっか。……にひひ。何か照れるね。……って、よく見たら伏見くん。傷だらけじゃん。治りかけているみたいだけれど、どしたの?」

 桐生さんは俺の顔や手にできた切り傷を見て、不思議そうに聞いてくる。それらは全て、異形の猫と戦った時の傷だ。傷は鋭く浅いので、今はもう、痛くもないし、赤い線がある程度だ。でも、目立つ。

 しかし、魔法だとか異形だとか、本当の事を言うわけにもいかない。言ったところで信じられもしないし、むしろ中二病扱いされることだろう。なので、僕は無難な返答をする。

「ん。猫に引っ掻かれた」

「伏見くんは猫を飼っているんだ。なんか意外。……イメージ的には亀とか」

「なんで亀?」

「のっそりとして動かなそうなのを飼ってそう」

「……なんか馬鹿にされている気がする。……まぁ、でも、猫は飼っていないし、あれは野良猫だと思う」

「野良猫? もしかして、変なちょっかいでも出したりしたの?」

「……俺としては、仲良くしようとしたんだけれどな」

 わざと噛まれてみようとか思ったわけだし。

「そうなんだ。でも、猫の爪は雑菌だらけだって言うし、気を付けた方が良いよ」

「ああ、今度からは気を付ける。……それより、何か頼んだらどうだ? コーヒーがお薦めらしい」

 俺はメニュー表を桐生さんに渡す。俺だけココアを飲んでいるのは、ちょっと気まずかった。

「そうなんだ。……のわりには、伏見くんはココアなんだね」

 桐生さんはメニュー表を見ながら首を傾げた。

「コーヒーは苦手なんだ。だから、本当にここのコーヒーが美味しいのか、試してみてくれないか?」

「はは、何それ。でも残念。私もコーヒーは苦手なんだよね。私もココアにしようかな? あぁっ、でもなんだろう? ココアだけお薦めされていない」

「そう。そうなんだ。謎だよな」

「ん~、でも、ココアってこだわり難いんじゃないかな。コーヒーみたいに豆の違いとかあんまりなさそうだし。違いがあるとすればカカオの産地と牛乳に使っている牛の種類?」

「……言われてみれば、自販機の売り文句はおいしい牛乳を使っています的な感じだった気がする。カカオってこだわり難いのかぁ」

「というか、コーヒー豆の種類が多いんだと思う。味にこだわる人には、そっちの方が面白いんじゃないかな? それに、こういうお店をやる人って、コーヒー好きだろうし」

「……確かに。コーヒー嫌いがコーヒーこだわりの喫茶店なんてやらないか」

「でしょ? という事で私は、こだわりの茶葉を使っているって書いてある紅茶にしようかな」

「ココアもこだわってみてほしい」

「あはは、それはお店の人に頼もうね。……レモンティーとミルクティー、どっちにしようかな?」

「……レモンティーは鉄分の吸収を阻害するって、昔テレビで見たことある」

「そうなの?」

「まぁ、昔の事だから、学説とか変わっているかもしれないし、本当はどうだかわかんないけど。コラーゲンは肌に良いって言うのが、医学的に解明されてないとかいう話もあるらしいし、何が本当で何が嘘かってわかんないよな。まぁ、俺のなんて、テレビで見たかもってくらいの話だから、眉唾くらいに考えてくれていいよ」

「そうなんだ。……ていうか、コラーゲン根拠無いの!?」

 コラーゲン根拠無い説がよっぽど驚きだったのか、彼女はガタリと椅子を動かして立ち上がる。俺はそんな彼女に驚きつつ頷いた。

「た、確か、そうらしいよ」

「確かじゃ困るよ。ちょっと調べてみよ」

 桐生さんはそう言うと、猛然とスマホで調べ始める。

「うわっ、本当だ。根拠ないって書かれている。……ていうか、そうか。タンパクなんだ。あたし、納豆とか豆腐とか、積極的に食べているから、あんまり関係ないかも。……うぅ。コラーゲン入りのパックとか買っちゃったけど、意味ないのかなぁ。……高かったのに」

「な、なんか、めちゃくちゃへこんでいるけど、大丈夫か?」

「だ、大丈夫。えっと、と、とりあえず、ミルクティーにしとくよ」

 彼女はそう言って、弱々しく笑った。


 お茶を飲んで一息吐くと、あたしと伏見くんは喫茶店を後にする。ミルクティーに砂糖を入れ、あたしは甘くして飲むのだけれど、何だかコラーゲンの話の性で、苦々しい気がして仕方がなかった。

 まぁ、そんな事はどうでもよく、あたしたちは当初の予定通り、洋服を買いに行くことにする。

 伏見くんはあんまりお店を知らないようなので、主にあたしが案内役として、駅前の商店街に向かう。

 商店街とはいえ、この町の駅前は結構活気があって、あたしたちが利用しやすそうな、いわゆる若者向けのお店も多い。あたしは今まで男の人向けのお店を注意して見てはいなかったので、とりあえず最初に、良さそうなお店はないかと、店の前だけを見て回る。

「それにしても喫茶店で奢ってくれなくても良かったのに。今時、ワリカンのカップルも多いよ」

 喫茶店のお会計の時、お金を出してくれたことを思い出しながら、あたしはそう言った。

「でも、……女の人としては奢られた方が嬉しいだろ?」

「まぁ、そうだけどね。……でも、伏見くんだってまだ高校生なんだから、あんまりお金ないでしょ? それに、これから服だって買うわけだし」

「……ん。でも臨時収入もあったし、大丈夫だと思う」

「臨時収入?」

「ああ。アルバイトでちょっとな」

「へぇ。伏見くんってアルバイトしているんだね。どんなの?」

 高校生のできるアルバイトで思い浮かぶのは、ファミレスとかチェーン店の接客。正直、伏見くんがはきはきと接客している姿なんて想像もできない。

 でも、仕事になるとスイッチを入れたように変わる人も居るって言うし、もしかしたら伏見くんもそうなのかもしれない。

 テレビで面白い事ばかり言うお笑い芸人の人が、裏では寡黙だってことは良く聞くし、彼も接客に出れば、いつものぼんやり顔ではなく、笑顔ではきはきとしているのかも。

 ……やばい。想像してみたら、ちょっと見てみたい。とにかく、明るい伏見くんってどんなだろう? 安心してくださいとか言うのかな? アルバイト先がわかる場所だったら、今度覗いてみようか。

「俺のバイトは、お世話になっている先生の手伝いだ」

「先生? 何か教室に通っているの?」

 思い浮かぶのは塾だけれど、高校生に手伝わせるなんてことはない気もする。ああ、でも、中学生くらいなら勉強の面倒はみれるか。伏見くん、成績良いし。

「……えっと、俺は親と離れて暮らしていて、お世話になっている人が居るんだ。その人を先生と呼んでいるのさ。色々と指導する人でもあるから」

「そうなんだ。っていうか、伏見くんって親と別々に暮らしているんだね。……でも、今の高校ってあたしたちの通っていた中学から、そんなに遠くはないよね?」

 中学の時の友達が、遠くの高校へスポーツ推薦で行ってしまった時、流石に通える距離ではないので寮生活になると言っていたことは覚えている。

 けれど、あたしと伏見くんの通っていた中学は普通の公立。つまり、伏見くんの家がどこなのかは知らないけれど、中学の近くに住んでいるという事が普通だと思う。なら、あたしたちの通っている高校は、家から通えない距離じゃないはず。

 少なくとも、電車で二十分の距離なんて、わざわざ親元を離れるような距離とは思えないし。

 けれど、あたしの疑問に伏見くんは苦笑して、首を横に振った。

「前提が違うよ。確かに中学からそんなに離れてはいないけれど、そもそも俺は、中学の時から既に、先生の家でお世話になっているんだ」

「中学の時から!?」

「ああ。正確に言えば、小学校の途中からだけれどな。……俺は、親とは疎遠なのさ」

 そう言って肩を竦める伏見くんの顔は、笑みを浮かべていたけれども、それは感情を押し殺して誤魔化しているようにも見えた。

 あたしと両親の仲は良い。けれど、ニュースや友達の話を聞く限り、世の中の全ての家庭が、良好な関係を築けていると言うわけではないのは知っている。

 伏見くんの家庭も色々と問題があるのかもしれない。小学校の半ばで、親元を離れなければいけないほどに。……例えば、親から酷い虐待を受けていたとか……。

 嫌な想像ばかりが浮かぶ。

 もしかして、伏見くんが中学時代に人を避けていたのは、そういった経験からだったりするのかな?

 普通だったら、親に愛されることで、人を愛することを覚えるんだと思う。でも、無償の愛をくれるはずの親から虐待を受けることで、人嫌いになったとか。

 ……もちろん、こんなのは全て、あたしのただの妄想でしかない。本当の理由が何かわからないけれど、それでも、中学時代に伏見くんが人を避けていたのには、何か理由があったんじゃないかって思うのには十分だった。

 とはいえ、その理由が聞ける気もしないし。たぶん、あの表情を見る限り、伏見くんと親との関係は、彼にとって良いものじゃないはず。それこそ、触れられたくない傷だって思うくらいに。だからこそ、あんな感情を押し殺したような顔をして誤魔化そうとしたんだと思う。

 ……なんか気まずいこと聞いちゃった。

 あたしは話を変えようと、目に入った古着屋を指差した。

「と、とりあえず、あのお店に入ってみようか」

「ん? 古着屋? ブランド物のお店じゃなくて?」

 伏見くんが何故かキョトンとした顔をして不思議そうに首を傾げた。

 何だろうか? あたしがブランドにしか興味のないような人に見えたのだろうか?

 それはちょっと心外。

「ブランドものなんて、素材が良くて縫合が良くて、デザインが少し良いだけだよ」

「いや、……それが重要なんじゃないのか?」

 眉を寄せる伏見くんに、あたしはやれやれと肩を竦め、首を横に振る。

「わかってないね、伏見くんは。ブランド物は見る人が見ればわかるんだよ。もしも高価なブランド物を、全くおしゃれに気を掛けていない人が着ていたらどう思う?」

「……なんていうか、高い物だけ買っていれば良いって、考えているようにしか見えないな」

「そう、その通りだよ。つまり、ブランド物を着ていると言うより、着せられているって感じだね。……服はね。ただ高ければ良いわけではないの。高い物よりも時と場所、そして何より、自分自身に合った物。それを選ぶことが重要なんだよ。……因みに、今のあたしの恰好はどうかな?」

 そう言って、伏見くんに見易いように、少し離れてみせると、彼は訝しげな顔をして、目を細めてこちらをジッと見つめてくる。いつもと違うところでも探しているのかもしれない。……それにしても、自分で言っておいてなんだけれども、じっと見つめられるのは少し気恥ずかしい。

「え、えと、何か気付いた?」

 尋ねてみると、彼は眉を寄せて首を捻る。

「……ん。綺麗で可愛い」

 いきなり褒められた。照れと恥ずかしさで思わず俯いてしまう。

「あ、ありがとう。……ていうか、わからないからって、とりあえず褒めて誤魔化そうとしていない?」

「……そんなことないな」

「……目線を逸らした段階で、誤魔化していること決定だからね。それよりも、ちゃんと思ったことを言おうね」

「……素直に思ったことを言ったつもりなんだけれどな。……ん。まぁ、そうだな。……いつもと変わらないように思うけれど、……化粧を変えてみたり?」

「変えてないよ。というか、いつもと変わらない、で正解」

「そうなのか?」

「うん。だって、伏見くんがいつもと変わらない制服姿だってことはわかっていたからね。これであたしがデート服としてキメキメの恰好なんかして来たら、伏見くんもあたしも、どっちも浮いちゃうよ」

「……確かに、そうかもな」

「というわけで、ブランドの服なんか伏見くんには似合わないし、服なんて、できるだけ安く、恰好良く着れた方が良いんだよ」

 あたしはそう言うと、伏見くんの手を引っ張って、古着屋へと入って行く。……というかあたし、手を繋いじゃっているし。

 何やっているんだろうか。本当の恋人ってわけじゃないのに。

 初めて握る男の人の手は、少しごつごつしててあんまり柔らかくない。けれど、とても大きく温かく感じた。


 俺は桐生さんに手を引かれて古着屋に入った。彼女の手は柔らかく少し冷たくて、なんというか、握っているだけでソワソワドキドキしてしまう。

 というか、何で古着屋なのだろうか? 高級なブランドショップなどに連れていかれ、口八丁手八丁で、高い物を買わされるのだとばかり思っていた。なのにここの古着屋の服は、どれも手ごろだ。高校生でも普通に買えそうなものばかり。数万とかいう馬鹿みたいに高い物も……ありはしたけれどそんなに多くはない。

 たぶん、桐生さんの口ぶりから考えるに、高い物を買わせるって感じでもなさそうだ。……詐欺じゃなかったのかな? 結婚詐欺ならぬ、恋人詐欺。

 でも、桐生さんはそんな様子を見せない。

 もしかして、疑っている俺の方が悪いのかな?

「とりあえず伏見くん。自分で服を選んでみよっか」

「……あれ? 桐生さんが選んでくれるんじゃないのか?」

「あたしが一から十まで選んでいたら、伏見くんのセンスは育たないよ。こういうのは自分で選んで試してみて、失敗することで成長していくものなんだから」

「……失敗することが前提なのか」

「最初からうまくいく人なんていないんだよ。エジソンは良い事を言ったよね。私は失敗したわけではない。一万通りの上手くいかない方法を見つけただけだ、ってね。だから伏見くんも、一万通りの上手くいかない方法を見つけて、自分に似合う服を探してみよう」

「……桐生さんって、意外と博識?」

「……伏見くんがあたしをどう見ているかは知らないけれど、一応常識もあるし、馬鹿ではないつもりだよ」

「そう」

 俺は頷きながら、途方に暮れた気持ちで、古着屋の壁に所狭しと並んでいる洋服を見る。正直、どれを選んでいいか全くわからない。

「ちゃんとあたしがダメだししてあげるから。……まぁ、完全にあたしの好みに左右されるダメだしだけれどね。因みにあたしは、チャラいのはあんまり好きじゃないわ」

「……まぁ、俺もチャラいのは好きじゃないから別に良いけれど、……俺としては選んでくれた方が楽なんだけれどな」

 ぼやきながら、手近にあったチェック柄のシャツを手にする。

「それはアウトだよ、伏見くん。無難な服にしようと思って選んだんだろうけれど、チェックって人の印象に残り難い服なんだよ。そして、オタクっぽいと言われる柄でもあるの」

「……そうなんだ」

 まさか着る前からダメだしされるとは思わなかった。というか、オタクっぽいって。……まぁ、ゲームとかアニメとか好きだから、否定はできないが。

 その後もお店を変えたりしながら、上に着る物よりも中の色が明るい方が、上着は映えるとか、その恰好だったらシャツは入れた方が良いだとか、色々とアドバイスを貰いつつ、何とか買い物を終えた。

 終わった時には、正直慣れない事ばかりで疲れ切ってしまった。それでもわかったことがある。少なくとも桐生さんは、この買い物に関して、本当に真摯に協力してくれている。何だか、詐欺だと疑った自分が恥ずかしいレベルで。

 ……まぁ、世の中には、最初に信じさせるために真摯なふりをするというのもあるらしいけれど、一介の高校生が、そこまで手の込んだことをするとも思えない。

 なら本当に、桐生さんは俺の事が好きなのだろうか?

「目的だった買い物も終わったし、これからどうしよっか?」

 そう言って微笑みながら俺を見上げてくる彼女の顔がとても眩しく感じて、俺は思わず目を逸らしてしまう。

 なんだろう? 彼女の目をまともに見れない。

 ……あぁ。俺はたぶん、桐生さんが本当に好きになり始めているのかもしれない。男なんて、少し優しくされただけで惚れてしまう、単純な生き物だって言うし、俺も同じなんだろう、きっと。

「……ん。桐生さん」

「何?」

「服を選ぶのを、手伝ってくれてありがとう。……その。……君が好きだって言ってくれたことが、本当に嬉しい。俺も桐生さんが好きだ」

 彼女の気持ちを疑った自分が、後ろめたい。でも、そんなのを素直に言って謝ったところで、桐生さんは傷つくだけだ。俺の自己満足にしかならない。

 俺にできるのは、彼女の好意に全力で応えるだけだと思う。だから俺は、恥ずかしいという気持ちを押し殺して、彼女に好意を伝えた。

 この前の電話の時よりも顔も見えて意識してしまっている分、更に恥ずかしくて抵抗もあったけれど、腹さえ決めれば何とか言う事が出来た。

「あ、あはは。……も、もう、突然だね。びっくりしちゃった。……でも、ありがと」

 桐生さんは頬を赤く染め、恥ずかしそうにそっぽを向く。その姿は思わず抱きしめたくなるほど可愛いと思えたけれど、俺は何とか理性で押し留める。

 流石にそれは、まだ早いはずだ。例え付き合い始めているとはいえ。……というか、なら、いつからなら良いのだろうか? というか、もう良いのだろうか? 抱きしめても。そんな俺の下心を感じ取ったわけでもないだろうに、桐生さんは俺から少し距離をとる。

「え、えっと、ちょ、ちょっと早いけれど、ご飯にしようか?」

 時間は五時半。確かに夕飯には早い時間帯だ。……というか、服選びに三時間近くもかかっていたのか。まぁ、色々なお店を見て回ったし、そのくらいはかかっていたのか。

「そうだな。慣れないことして疲れたし、ちょっとゆっくりしたい」

「ふふ。伏見くんにとって服を買う事は、そんなに疲れる事なんだね。……じゃあ、お店はどうしよっか?」

「ん? ……えっと、もしかしておしゃれなお店じゃなきゃダメ……とか?」

 女の子の好きなお店とか知らんし。……あれか。とりあえずパスタにしておけば良い的な奴だっけか?

「いや、そんな怯えた顔をしなくても。ふふ、大丈夫だよファミレスとかでも。というより、今のあたしたちは制服姿だし、気取ったお店よりも、そっちの方が丁度いいでしょ? 気を遣わずにゆっくりもできるし」

「……そっか。じゃあ、あそこのファミレスで良いかな?」

 ビルの二階あるファミレスが丁度目に入ったのでそう言うと、彼女は頷いてくれた。そこは、イタリアンテイストのファミレス。……パスタはありそうだ。

 店内に入り、店員に案内されるまま席に着くと、二人でメニュー表を見る。思ってみればファミレスにしても、俺はあんまり来たことない。一人では寂し過ぎるし、かと言って、一緒に来るような友達もいないし。

 ていうか、旨そうだな、ファミレスのメニュー。

「伏見くんは何を食べる?」

「ん。……何にしよう。……ステーキか、ハンバーグか」

「あはは、基本、肉なんだ。やっぱり伏見くんは男の子だね。……んぅ。あたしはこの本格ピザにしようかな」

「ドリアも旨そう。……ハンバーグはチーズが被るから、……ステーキかな。でも、チーズインハンバーグも捨てがたい。……ここは二つ頼んでみるか?」

「両方食べるの!?」

「ん? 普通、そのくらい食わない?」

「いやいや、普通の女の子はそんなに食べないよ。……男の子の普通は、ちょっとわかんないなぁ。あたしは後、サラダでいいかな」

「……パスタは良いのか?」

 そう尋ねると、桐生さんは呆れたようにジト目になる。

「……別に、女の子の誰もが、パスタが好きってわけじゃないよ。まぁ、好きだけれど。……でも、今のあたしはピザの気分」

「そっか」

 俺たちは決めた注文とドリンクバーを頼み、ジュースを飲みながら料理を待つ。

 正直、こうやって目的もなく改まると、何を話していいのかわからない。俺は何の脈絡もなく質問することが苦手だ。相手の触れられたくないようなことに触れてしまうんじゃないのか、とか、下心があるように見えるんじゃないか、とか、そういう事を考えて、何も聞けなくなってしまう。話の勢いがあれば大丈夫なのだけれど、一度途切れると、質問とかし難い。

 かと言って、桐生さんと共通の話題と言うと何だろう?

 学校?

 でも、俺は淡々と授業を受けているだけだから、特に話すようなこともない。というか、もうすぐ夏休みだし。……そのくらいなら聞いても良いのか?

「えっと、……もうすぐ夏休みだけれど、桐生さんは予定とかあるの?」

「ん? 部活とか家族と旅行とか、友達と遊んだり、後は、……伏見くんとデートだね。・……ま、まぁ、伏見くんの予定が合えばだけれど」

 自分で言っていて恥ずかしくなったのか、桐生さんは頬を赤らめ、早口にそう言って視線を逸らす。

 今、俺はデートをしているんだと、変に意識してしまい、俺の顔も赤くなるのを感じる。

「……お、俺は別に予定とかないし、桐生さんに合わせるよ」

「そ、そっか」

「そ、そう言えば、桐生さんは部活をやっているんだな」

 あからさま話題の変更だけれど、桐生さんも恥ずかしかったのだろう。その話題に乗っかってくれた。

「う、うん、美術部にね。……他の高校は知らないけれど、うちの高校の美術部はかなりおもしろいよ。絵を描くだけじゃなくて、皆で協力して、何か作ったりもするんだよ。この前は大きな凧を作って広場で飛ばしたりもしたし」

「へぇ。……それはちゃんと飛んだのか?」

「あはは。それが浮いたと思ったらすぐに落ちてボキボキに。でも、ちょっと浮かんだ時は、ワクワクしたよ。何かを作るのって面白いんだよ」

「そうか。でも、工作が好きなんて、桐生さんはちょっと、男っぽいところもあるのかもな」

「えぇ? そんなことないよ。女の子だって、工作が好きな人はいると思うよ。DIYにはまる女子も増えているって言うし。まぁ、あたしはそこまで手を出していないけどね」

「ふぅん」

 そんな話をしていたら、料理が運ばれてくる。その後も、他愛のない話は続いていく。

 最初は何を話せばいいかわからなかったけれど、少しでも話し出せば、桐生さんが話を広げてくれた。

 特に気を遣うことなく、普通に話せている。それがとても心地良かった。


 伏見くんは、暗くなったという事もあり、家まで送ってくれた。とりあえず、別れ際に次のデートの約束をする。次の休日という形にすると夏休みに突入してしまうので毎日となってしまう。まぁ、それはちょっと難しいから、部活の無い日を選んで夏休みの三日目。その日に約束をした。

 例のバツゲームの期間は一カ月。つまり、八月の中旬まではこの嘘の恋人関係を続けなければならない。

 ……気が重い。

 あたしはそう思いながらも、次のデートは何をしようかと考える。

 伏見くんはあんまり、外で遊び慣れていなさそうだから、たぶん、リードしなくちゃいけないのはあたしなんだと思う。

 こうなったら、絶対に伏見くんの行かなさそうなところに行って、ちょっと困らせてみようか?

 戸惑った顔をする伏見くんを想像して、あたしは笑ってしまう。

 女性の大半は、彼氏にリードして欲しいと言うけれど、あたしは特にそんなこだわりはない。むしろ、遊びの計画を立てたりするのは好きなので、あたしはリードされるよりもリードしたい派なのかもしれない。

 まぁ、結局、どっちでも良いのだけれど。

 もしも伏見くんが頑張ってデートコースとか決めてきたのなら、それに乗っかってあげても良いし。結局、ファミレスでも奢ってくれたし、男らしくしたい的な思いが伏見くんにはあるのかも。だから、頑張ってリードしようと、ちゃんとデートプランを作ってくる可能性も、大いにあり得る。

 というか、それもそれで面白そう。伏見くんがどんなデート演出をしてくるのか、とても興味があるし。

「ふふ。どうなるのかな」

 あたしはそう呟き、次のデートを楽しみにしている自分にびっくりした。中学時代はあれだけ嫌っていたというのに。

 でも、先程までのデートは意外に楽しかった。何だか、中学時代の伏見くんとは違う気がする。中学までの彼だったら、何を言ったところで関わろうともしなかっただろう。

 けれど今の伏見くんは、不器用ながらも話そうとしてくれるし、あたしの好きだという言葉に一生懸命答えようともしてくれている。

 嘘の恋人。

 罪悪感がちくちくと胸を刺す。

 中学時代のままの伏見くんだったなら、そんなもの、感じずに済んだのに。

 約一か月後に、伏見くんに好きじゃなかったと告げた時、彼はどんな顔をするのだろう。

 やっぱり、傷付くのだろうか?

 そんな彼の顔を想像すると、彼とのデートが楽しかった分、気持ちが一気に落ち込んでいった。


 夏休みに入り、二回目のデートの日がやって来た。蒸し暑い夏日だ。喫茶店の窓から覗くアスファルトジャングルは、熱気で揺らいでいるように見える。

 地球温暖化は深刻だと思えてならない。まぁ、だから何ができるとも思わないけれど。

 兄弟弟子たちは、今日こそ騙されるはずだとか言って来たけれど、俺はもう、気にしないようにする。もし騙されていたとしても、それでも構わない。少なくとも、桐生さんと一緒に過ごす時間は、とても楽しいものだった。

 騙されてお金を失うとしても、その分、楽しめたのならそれで良いさ。そう、割り切れば良いのだ。つまりお金を払って女の子にちやほやしてもらうキャバクラに通う気持ち。……違うか。

 まぁ、とりあえず、騙されていたのなら騙されていた時に考えれば良い。疑うばかりで楽しいと思えた時間を楽しめなくなるのはつまらないし、騙されていなかった時に申し訳なくなる。

 俺は桐生さんの笑顔を思い出す。彼女の笑顔はとても綺麗で可愛くて、疑いたくないという思いがあった。……男として、ちょろいと思われるかもしれないけれど。

 待ち合わせ場所は前と同じ喫茶店。今日は買い物ではなく遊びに行くという事で早めに会おうという事になり、朝の十時が待ち合わせ時間だ。

 二回目ともなるとこの喫茶店にも慣れてきて、前のようなソワソワとした気持ちはすこしはマシになり、のんびりと待つことができた。因みに今回はミルクティーにしてみた。甘いもの好きの俺は砂糖まで入れるので、正直、茶葉のこだわりなんてどうでも良いのかもしれない。それこそ素直にココアでも良かったのかも。

「うぅ。また、伏見くんの方が早い」

 いつの間にかやって来た桐生さんが、驚いた顔をして恨めし気にそんなことを言ってくる。前の学生服とは違い、今日は私服だ。

 水色のキャミソールに、白色の薄いカーディガンを羽織っている。下はデニムっぽい(あっているのか自信がない)ホットパンツ……ハーフパンツ、どっちなんだろう? ……とにかく、明るい雰囲気で、清楚というわけでもないしそこまでチャラチャラしたわけでもなく、とても似合っていると思う。……まぁ、自分の服にもこだわらない俺が、女性のファッションチェックなんてできるわけもないから、どんな服でもそう思ってしまうのかもしれないけれど。

「おっかしいなぁ。今度はちゃんと、早く来たのに」

 納得いかないと言った顔をして首を捻りながら、肩にかけた大き目のトートバッグを横に置きながら、向かいの椅子に座る桐生さん。俺はチラリと時計を見る。

「早く来た? 約束の時間ギリギリだけれど」

「待たせちゃいけないと思ってね」

「……いや、その心がけは大事だけれど、約束通りなら早く来たとは言わないからな」

「あはは、そうだね。……それにしても今日はあっついねぇ。喫茶店の中は涼しくて生き返るよぉ」

 桐生さんはそう言いながら、キャミソールの胸元をパタパタと広げ、冷房で冷やされた空気を取り入れようとする。そのたびに白い肌と胸の谷間がチラ見えて、物凄くドキドキする。彼女を見ていると、視線がそっちに行きそうになるので、俺は顔ごと視線を外す。

 胸元ばかり見ているエロ野郎だとは、やっぱり思われたくない。

「で? 伏見くんは遊びに行く計画とか立てているの?」

 面白がるような顔をして、桐生さんは聞いてくる。きっと俺には、デートの計画なんて立てられないとでも思っているのだろう。……だが、正解だ。

「遊ぶ場所と言われても、カラオケに映画に、ボーリングとかのあるゲームセンター。後なんだろう? 遊園地とか水族館? そのくらいしか思い浮かばなかった。一応、どれも場所くらいは調べたけど……」

「んふふ。なんていうか、デートの定番だね。……じゃあ、そうだね。プールとかはどう?」

「プール? でも、俺、水着持って来てないし」

「大丈夫。あたしは持ってきたから」

「俺に裸で泳げと!?」

「あはは。そしたらあたしが一番に110番してあげるよ」

「……する前に止めてくれ。というか、水着を持って来ているってことは、最初からプールに行くつもりだったんだろ? なら、教えてくれていたら良かったのに。そうすりゃ俺も……」

 俺の言葉は、桐生さんのじっと見つめてくる視線によって黙らされてしまう。

「そんなこと言ったら、伏見くんは最初から、デートをどうするかとか、考えてくれたりはしなかったでしょ? あたしは、伏見くんがここに行きたいって言う場所があったのなら、あたしはそれに付き合うつもりだったよ」

 彼女は俺の事を立ててくれようとしてくれていたのだ。まぁ、俺がどんなデートプランを提案してくるのか、試しているというのもあるのだろうけれど。

「……そっか。……でも俺、本当に、水着の用意とかしてないぞ?」

「あはは。してないって言うよりも、伏見くんは学校指定の水着しか持ってないんじゃない?」

「……そんなことない……ぞ?」

 たぶん、まだ両親と暮らしていた頃になら、学校指定以外の水着も持っていたはず。はい、ただの見栄だね。桐生さんの言っているのは今の事だし。流石に小学生の頃の水着なんて、着られるわけがない。

「ふふ、疑問形って絶対持ってないでしょ。という事で、プールに行く前に水着を買いに行こうね」

「……わかったよ」

 ……プールか……。

 中学からは、学校の授業以外で泳いだことってない気がする。両親と暮らしていた頃は、市民プールや海に連れて行ってもらったことはあるけれど、昔の記憶過ぎて、どんなだったか、あんまり覚えていなかった。


 ショッピングモールで水着を買った後、電車とバスを乗り継いで、一時間ほどかけてリゾートプールへとやって来た。まぁ、デートだから市民プールではないとは思っていたけれど、正直、入り口でもう圧倒されてしまう。

 夏日という事で、同じようにプール目当てに来る人も多いようで、行列ができている。

 大きなドーム状の建物の中から、きゃっきゃっと騒ぐような声が聞こえてくる。建物の外に居ても、消毒用の塩素の臭いと共に、プール独特の雰囲気が感じられた。

「……リゾートプールって初めてかもしれない」

「へぇ、そうなんだ。じゃあ、ウォータースライダーでもやってみる?」

「……やってみたいかもしれん」

「んふふ。乗り気だねぇ。ちなみに、頭の方から滑るともっと面白いよ」

「……それは、見ている方がだろ?」

「あはは、バレちゃった」

 変な滑らせ方をさせて、笑いものにしようという魂胆が丸見えだ。危ない危ない。俺が素直な性格をしていたら、騙されていたかもしれない。

 桐生さんは少し、悪戯好きなようだ。まぁ、悪戯と言っても、お遊び程度でほとんど悪意はない。なので実際のところは、騙された所で、構わないと思えるものばかりだ。……まぁ、ウォータースライダーを頭の方からは、ちょっと危なそうだけれど。

 少し前まで俺にとって、桐生さんは同じクラスメイトだという事以外、ほとんど知らない人だった。けれど、デートを重ねることで、どんどんとわかっていく。彼女の事を知ることができる。

 それは、彼女との距離を縮めているようで、素直に嬉しい。

 俺たちはじゃれ合うように他愛のない話をして、行列の時間を潰す。

 少し前までは何を話して良いものかと思っていたものだけれども、今では自然に話ができている。

 それはきっと、前にも思った通り、桐生さんがどんな話でも広げてくれるからでもあるし、それ以上に、彼女はどんな話でも楽しそうに聞いてくれるからだろう。

 彼女が本当に、俺との会話を心から楽しんでくれているのかはわからない。それでも、表向きだけでも楽しそうにしてくれているということが、嬉しいし、何より安心させられる。だから俺も、自然に話すことができているんだと思う。

 桐生さんとの何気ない会話は楽しくて、列の待ち時間も短く感じられた。俺らは更衣室で一時的に別れ、俺はさっさと水着に着替える。

 新しく買ったのはトランクスタイプの水着。今まで学校指定の水着しか着たことはなかったので、トランクスタイプって何気に初めてだった。トランクスタイプって、泳いでいる時、隙間から見えてしまわないのか、とか思っていたけれど、中にはちゃんとサポーターがあるようで、まぁ、当たり前だけれども、見えないようになっているようだ。

 男の着替えなんてものは楽なもので、バッと脱いで、サッと穿く。それだけだ。忘れずに、ロッカーの鍵の付いたゴムバンドを腕に付け――プールに来るのは本当に久しぶりで、物凄く懐かしく感じた――更衣室を出る。

 女子の仕度には時間がかかると言う。桐生さんも準備をしているのだろう。まだ、彼女の姿はない。俺はわかり易い場所で桐生さんが来るのを待つ。

 それにしても、水着姿って落ち着かない。こうやって泳ぎにくることなんて授業以外にないし、普段は服で隠しているところを晒しているというのが、正直恥ずかしくて仕方ない。

 水着なんて言っているけれど、下着と変わんないからね、露出度的に。何で水着ならOK的な風潮があるのかわからないレベル。

 というか、俺って変じゃないよね? 人前でこんなに肌を晒すことなんてないから、自分の体が他の人と違うんじゃないかと不安になる。胸毛は産毛程度しかないし、すね毛は濃くはないはず。体だって、それなりに鍛えているから引き締まっている……と思う。

 笑われる要素はないはずだ。

 ……男の俺ですらこんなに不安になるんだし、本当なら女性の方が躊躇いそうなものだと思う。なのに、桐生さんは何で、プールなんて誘ってきたのだろう。自分の素肌なんて、普通は見せたくはないと、女の人ならそう考えるはずだ。……好きな人以外には。

 ……本当に桐生さんは、俺の事が好きなのかな……。

 何度考えたかわからない疑問。

 彼女がどんなに好意を見せてくれても、やはりどこかで信じきれていない自分が居る。

 ……というか、好きな人だからこそ、恥ずかしくて素肌を見せられないというのもあるし、やっぱり、桐生さんは、俺の事をどうでも良いと思っている可能性だって否定できないわけで……。

 悶々とする悩みを、俺は頭を振って振り払う。

 もし、本当に桐生さんが俺の事を好きだと思っているのなら、こう思う事が失礼だ。それに騙されているのなら、一時馬鹿にされるだけ。そんなのは慣れているし、それならそれで構わないとすら思う。

 そんな答えはもう、ずっと前から出ているのだ。

 騙されていたとしても、俺は全力で騙されていればいい。そうすれば、どっちだったとしても、少なくとも桐生さんは傷付けないで済む。

 ……それでも俺が悶々と考えてしまうのは、俺が本当に桐生さんを好きになり始めているからだと思う。

 本気で彼女を好きになればなるほど、嘘だった時、俺は間違いなく傷付く。だから、彼女の好意を疑う事で、自分が傷付かない為の言い訳を無意識に探しているんだ。

 結局のところ、俺が臆病だという話。

 ため息を吐いて、ガラスの天井越しに空を仰ぎ見れば、小さな歪みが目に入る。本当に小さな歪みで、世界に少し影響を与えて自然に消えて行く。

 今日は雲一つない快晴のはずが、歪みによって雨雲が生み出され、にわか雨となって急にふりだした。

 魔術師の中には、歪みとは、零れ落ちたこの世界のあり得たかもしれない可能性だと言う者がいる。だから歪みを見通せば、これから起こり得る可能性が見えるのだと言う。実際に、歪みを見た時、これから歪みが何を起こすのか、わかることもある。けれど、どんなに目を凝らそうと、俺には自分の未来を見通すことはできなかった。


「ヤバイ。ちょっと恥ずかしいかも」

 更衣室の鏡に映る自分の姿に、あたしの頬が赤くなる。ビキニとホットパンツ型の水着を合わせたあたしの恰好は、周りと比べても、それほど露出しているわけじゃない。まぁ、普通だ。

 自分のスタイルにはちょっとは自信あるし、周りの人も似たような恰好だし、恥ずかしがることなんて別にないはずなのだけれど、これを伏見くんにじろじろと見られるのかと思うと、恥ずかしくなってくる。

 というか、男の人と二人っきりでプールなんて初めてだし、緊張もするというもの。こんな事なら、真奈の言う事なんて聞くべきじゃなかったかも。

 伏見くんとデートをすることになったという話をしたら、真奈が「夏といえば海だ」的な事を言われ、海は遠いという事でプールになった。その時は、まぁ、それでも良いかなと思ったのだけれど、水着姿になると後悔がハンパない。あんまり深く考えなかったけれど、いざとなると恥ずかしいね、やっぱり。

 とはいえ、きっと伏見くんは待ってくれているはずなので、恥ずかしがってばかりいないで早く行かなくちゃ。

 果たして、彼はあたしの水着姿を見て、どんな反応をするんだろう? ……マジマジ見られるのは嫌だなぁ。

 そんな事を思いながら更衣室を出ると、いつの間にか天気が悪くなっていた。傘は持って来てなかったので、降る前にここに着いて良かった。

 伏見くんはすぐに目に入る所でちゃんと待っていてくれている。中学の頃のぶっきらぼうさからは想像もできなかったけれど、彼は恋人らしく気を遣ってくれている。

 伏見くんはあたしに気付くと手を挙げる。そんな彼の様子が何だか嬉しくて、あたしはそんな彼にトコトコと小走りで近づく。

「いきなり雨が降ってたからびっくりしちゃったよ。少し待たせちゃったかな?」

「まぁ、少しな。でも、女性には準備があるから仕方ないさ」

「そう言ってくれると嬉しいな。男の人は着替えるのは簡単そうで良いよね」

 あたしはそう言って、マジマジと彼の姿を見る。

「な、なんか変か?」

 あたしの視線に気付いて、伏見くんは困惑したように聞いてくる。

「いやぁ。なんて言うか、伏見くんって意外と良い体しているね。……って、そうか。伏見くんは運動神経良いんだよね? 喧嘩強いし」

 あたしはそう言って、しまったと思う。中学の時の喧嘩は、絶対伏見くんにとって、良い思い出ではないはずだ。

 けれど、彼は特に気にした様子もなく苦笑いを浮かべる。

「前に言ってたお世話になっている先生に、護身術も教えてもらっているからな。運動は得意な方だよ。先生は、健全な心は健全な体に宿るって考えを持っている人だから、結構厳しく鍛えられているんだ。……まぁ、俺の精神が健全かはともかくとして」

「あはは、確かに。伏見くんの心は、健全とは程遠い所にあるよね」

「程遠いって酷くない?」

「ふふ。だって伏見くんは、人を遠ざけよう遠ざけようってするでしょ? 健全な人はそんなことしないよ?」

「むぅ、否定できない」

「ふふ。それよりも、早くプールに行こ?」

 あたしがそう言うと、伏見くんは頷いてプールの方へと向かう。……って、あれ? 伏見くん。あたしの水着姿に何の反応もしていないんだけれど。

 確かにマジマジ見られるのは嫌だけれど、全くスルーされるのは女性としてのプライドが……。

「え、えっと、伏見くん」

「ん?」

「……んっと、……その、……あたしの恰好は変じゃないかな?」

 ヤバイ。改めて聞くのって、思った以上に恥ずかしい。自分の顔がどんどん赤くなっているのを感じる。伏見くんの方はどうかと思えば、彼はチラリとあたしの水着の方を見ると、顔を赤くしてすぐに逸らした。

「……に、似合っていると思う」

「あ、ありがとう。……ていうか今、ちゃんと見てないでしょ」

「いや。……桐生さんは綺麗だから、……その……恥ずかしいっていうか……」

「……ぷっ、あはははは。伏見くんが恥ずかしがるっておかしいでしょ。……むしろ、見られるあたしの方が恥ずかしかったんだからね」

「そうなのか?」

「そうだよ。水着姿はやっぱりちょっと恥ずかしいものだよ。なのに伏見くんは、何の反応もしてくれないんだもん。あたしって魅力がないんじゃないかって、ちょっと女としてのプライドが傷ついたね」

「いや、魅力的だよ。……むしろ、魅力あり過ぎて、直視できないレベル」

 伏見くんは言葉通り、こちらを見た後、照れたように視線を逸らす。何この初心な反応。ちょっと可愛い。

「そっかぁ。魅力的かぁ」

「……そ、それより、早くプールに行こう。俺、流れるプールって久しぶりだから、流れてみたい」

 伏見くんは恥ずかしくなったようで、逃げるようにプールの方へ行ってしまう。あたしはそれを追いながらも、ニヤニヤと笑みが浮かぶのが止められなかった。

 その後、あたしたちは流れるプールへといった。のんびりと泳いでいると、波のプールでサーフィン体験をさせてもらえることに気付いた。

「ねぇねぇ、伏見くん。サーフィン体験をやってみようよ」

「サーフィン?」

「テレビとかで見ると、ちょっとおもしろそうだなぁって、思わない?」

「……まぁ、確かに。じゃあ、行ってみるか」

 伏見くんも頷いてくれたので、あたしたちは早速、サーフィン体験をしてみることにした。インストラクターの人にサーフボードを借り、波のプールへと踏み出す。最初はサーフボードに腹ばいで乗って、波に乗る感覚を掴むらしい。手と足をばたつかせ、あたしは波のある方へと向かっていくと、クルリと横転し、プールへ簡単に投げ出される。

「ケホッ、ケホ。うぅ。水飲んだぁ。……ていうか、思ったよりも難しいかも」

 スノボーみたいな感覚かなと、なんとなく想像していたのだけれど、滑る場所が不安定な水の上な性か、スノボーよりも遥かに転びやすい感じ。

 けれど、腹ばいに乗っかって泳ぐことには、すぐに慣れることができた。まぁ、さっきはスノボーで例えたけれど、腹ばいになっている以上、今はスノボーではなく、ソリに乗っているようなものだからね。例え不安定な水面だろうと、ソリならばまだ、バランスは取れる。

 こうなると水を切り、波に乗って進んでいく感覚が楽しい。何だか、サーフィンにハマる人の気持ちが、わかった気になる。

「じゃあ、そろそろ立つことに挑戦してみましょうか?」

 インストラクターにそう言われたので、今度は立ってみることにした。

「うわっ、と」

 膝立ちになろうとしたところで、また水の中に投げ出された。難しい。立ち上がるというだけで、こんなに重心が変わるのかと、実感させられる。

 インストラクターの話だと、このサーフィン体験でちゃんと立てるようになる人は、本当に稀らしい。

 けれど、そんな事を言われると燃えてしまうね。

 目覚めよあたしの才能!

 そんなことを思いながら立とうとするのだけれど、バランスを取ろうと変に力が入って、中々上手く立ち上がれない。プルプルと膝や腕を振るわせながら、何とか立ち上がろうとしていると、それを見た伏見くんがポツリと呟いた。

「生まれたての小鹿の真似」

「プハッ」

 思わず笑ってしまったあたしは、また水面に叩き付けられる。いや、まぁ、自分の恰好が傍から見たらどう見えるかは知っていたけれどさ。

「もう、笑わせないでよ」

「いや、つい。……というか、流石に腹も減ったし、そろそろ飯にしないか?」

 伏見くんがそう言って来たので時間を見れば三時近くになっていた。お昼のちょっと前から何も取らずに遊んでいたので、お腹が空くのも当然。

「もう、こんな時間なんだ。じゃあ、そうしよっか」

 あたしは頷き、インストラクターの人にお礼を言って、フードコートに行くことにする。伏見くんはお金を取ってくると言ってロッカーへと走って行ってしまった。あたしは席を取る為に先にフードコートに行くことにする。

 なんだか、奢ってもらってばっかりで悪い気がする。今度、何かで埋め合わせをしなくちゃ。

 そんなことを思いながらフードコートへ着くと、お昼の時間帯からずれているおかげか、空いている席がいくつかある。伏見くんが来た時に、目に付きやすい場所はどこかな?

 あたしがわかり易そうな席を探していると、突然声を掛けられた。

「ねぇ、君、可愛いね。一人?」

 チャラついた雰囲気の二人の男。あたしよりいくつか年上だと思う。大学生ぐらいかな? ナンパにも手馴れているって感じで、うん、あたしの嫌いなタイプ。あたしはもっとこう、不慣れな感じの人の方が良い。

 同じ可愛いという言葉でも、不器用で照れながらも、一生懸命に言ってくれた方が何百倍もドキドキするし。

 思い浮かんだのは伏見くんの顔。

 あれ? 何で伏見くんと比べているんだろう? 確かに嘘とはいえ付き合っているからかもしれないけれど、本来あたしは、伏見くんが嫌いだったのに。

「良かったら俺らと遊ばない?」

 無視してもしつこくされる可能性がある。だからあたしは首を横に振ってきっぱりと断る。

「いえ。一人じゃないんで」

「何? 友達と来てんの? じゃあ、その友達と加えて二対二で丁度いいじゃん」

「友達じゃなくて彼氏なんで」

「彼氏なの? そっかぁ。でも、俺らと遊んだ方が絶対楽しいって。彼氏って言っても、子供でしょ? 俺らなら、大人の遊びを教えてあげられるよ」

 何、このポジティブ。超ウザい。

「いえ、お断りします」

「そう言わずにさ」

 しつこい、この人たち。あたしがうんざりしていると、伏見くんがやってくるのが見えた。

「伏見くん!」

 あたしがそう呼ぶと、彼はすぐに気付いて小走りで近づいて来る。

「何? ナンパ?」

「そうなの」

「ふぅん。悪いけれどお兄さん方。彼女は僕の恋人なんだ。遠慮してくれないかな」

「いやいや。ここは彼女を譲ってくれないかな?」

 男達はいけしゃあしゃあとそんなことを言ってくる。しつこい上に、達が悪い。きっと伏見くんが年下で、人数的に勝っているからの強気なのだろう。果たして伏見くんはどうするのだろうか? 基本的に事なかれ主義だからって、譲ったりはしないよね?

 不安な気持ちで伏見くんを見ると、彼はとても醒めた目で男二人を見る。

「馬鹿言ってないで、他の女の人でもナンパしていてくださいよ。もしも本気で彼女にちょっかいかけるっていうのなら、俺は本気で喧嘩するよ」

「喧嘩って」

 男たちは冗談と受け取ったのか一瞬笑ったけれど、醒めた瞳を向け続ける伏見くんに、顔を強張らせる。

「マジかよ、こいつ」

「俺は大人じゃないから、大人の分別っていうのが無いんスよ。だから、喧嘩するって言うのなら、ガチでやりますよ」

「……おい、行こうぜ」

「ああ、そうだな」

 実際に喧嘩するのはわりに合わないと思ったのか、男たちは引いていく。まぁ、本当に喧嘩したら、警備の人たちも集まってくるだろうし、下手をすれば警察に捕まり、学校や仕事先だって辞めさせられるかもしれないのだから。

 うわぁ。よくよく考えると、喧嘩ってリスクが高い。

「ありがとう、伏見くん。助けてくれて」

「ん? 彼氏だから当然だよ」

「……ん、彼氏……かぁ。でも、とても嬉しかった」

 あたしがそう言うと、伏見くんは照れ臭そうに視線を逸らす。

「……そう。……それにしても達の悪い奴らだったな。彼氏がいるってわかったんなら、さっさと引けってんだよな」

「ふふっ、ほんとにね。あそこまでしつこいのは初めてかなぁ。ほんとに伏見くんが居てくれて良かったよ」

 本心からそう思う。きっと伏見くんがいなければ、彼らはあんなにあっさりと引き上げはしなかっただろう。

 伏見くんが頼もしく思える。

 何より、自分がいじめられていても、滅多に手を出さない伏見くんが、身を挺して自分の事を守ってくれた。それが、本当にあたしの事を大切にしてくれているように思えてうれしかった。

 フードコートで食事をした後、あたしたちはプールでまた遊んだ。たぶんあたしは、その間中、ずっと笑っていたと思う。

 楽しかった。伏見くんと遊んでいることが。

 もう、認めなくちゃいけないのかもしれない。

 ……あたしはきっと、伏見くんに惹かれ始めているんだと思う。


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