四章(1)
四の詞 変わる者 決意する者
飛焔、瑠璃、シルハの三人に見送られ、四人は日が昇る頃に出発した。帝呀山まではクルトでも一月弱はかかる。ユースと昴が交代で運転し、夜も走り続けることになった。銀星は複雑な顔で何か言いたそうであったが、のんびりできる旅でもないことは分かっていたので、結局はその案に賛成した。
隣国のレア国に入ったのはそれから一週間後のことだった。四人をのせたクルトは、以前はもっと整備されていたのだろうが、今は荒れ放題になっている道を走っていた。道には右手の崖から落ちてきたのか、大小様々な石が転がり、左手に広がっているかつては田畑だったとおぼしき場所の土は、干涸びてヒビが入っていた。その所々に枯れた苗が張り付いていた。
「ひでえな、これは」
「でも、おじさんたちの畑はこんなことなかったよね」
カールを操るユースに結芳が運転席へ身を乗り出しながら聞く。飛焔たちが用意してくれた食事は、いつも家で食べていたほどの量はなかったが、かといって空腹が満たされぬほど少ないわけでもなかった。もしや無理をさせていたのではと、結芳は心配になった。
「いや。飛焔さんたちの畑も半分ほどはこんなものだった。きっと、世話をする範囲を狭めて確実に収穫できるようにしてんだろうな」
「そんな……」
結芳が顔をしかめた。まったく気がつかなかったし、何より正直なところ、あまり気にしていなかった。今さらながら自分が恥ずかしくなってきた。
銀星もユースの言葉を聞いて、結芳と同じような罪悪感を感じた。そして同時に、不安も感じた。自分は、愛藍に世界の現状を聞いたときも自分の無知に恥じ入ったはずなのに、今ここでも同じことを思っている。つまりは、あの時からなにも変わっていないということだ。
やっぱり自分はダメだ。自分でもそうと分かるぐらいに。これで本当に夜叉と名前を変えた姉を説得し、自分たちの役目を果たすことができるのだろうか……。
すると、突然クルトが止まった。急に止まったので危うく銀星も結芳も転びかけた。仮眠をとっていた昴も飛び起きた。
「な、何が起きたんだ?」
「ちょっと、あんた! 危ないでしょ、何してんのさ!」
結芳が噛みつくが、ユースはたった今通り過ぎた、枯れて細くなった木の下で休憩していたらしき黒髪の青年の方を見ていて答えなかった。青年の方も、こちらを見てぽかんとした顔をしていた。そして、呆然とした声音でつぶやいた。
「お前はまさか……ユース?」
「その声……お前、やっぱり焔成か?」
銀星たち三人は状況が分からず首を傾げるばかり。と、ユースはいきなり『焔成』と呼んだ青年に抱きついた。
「お、お前今までどこに居った⁉ つーか、よう無事やったなあ!」
「うげ! お、おま、苦しいっての……」
「っと、わりぃ。あんまりにも久しぶりだからよ。つい、な」
「つい、で殺されたらたまったもんちゃうわ。ま、ホンマに久しぶりやから、気持ちは分からんでもないけどな」
二人が長い間会っていなかった親友だというのは本当だったのだろう。どちらもお互いの無事を知り、再会したことで喜色満面の笑顔だ。
「私もいるよ、焔成兄さん。久しぶり!」
「ん? お前、もしかしなくとも結芳か! いや〜、久しぶりやなあ。えらい大きいなったやんけ」
「ちょ、痛いって焔成兄さん。あと、その言い回しは少しジジ臭い」
わしわしと頭を撫でる焔成に抗議しながらも、どこかくすぐったそうな顔をする結芳。 「ジジイってなんや、ジジイって。まあええけどな」
「ええんかい」
「ん、まあな。つーかいまさらやけど、なんでお前ら一緒に旅しとんねん? ハッ! まさか新婚「んな訳あるかぁ!」……ぐふぅ!」
両方から鋭いツッコミの一撃を受けて、焔成はしゃがんで痛みに呻く。
「な、なかなか効いたで、これは……」
「何を気色悪いこと言うねん、お前は。冗談にもならんわ」
「こんな男、こっちから願い下げだっつーの!」
「こっちかて嬢ちゃんみたいなガキはごめんじゃ」
「ガキ言うな〜!」
「落ち着け」「落ち着いて、二人共」
睨み合う二人に昴と銀星が割り込んだ。そこで焔成は初めて二人に気づいたようだ。
「おい、誰さんや?」
「ああ、スマン。紹介するのがおくれたな。おれの東のダチで、昴。ほんでこっちの美人さんが銀星さん」
銀星は、自分の名がユースに呼ばれた時、目の前に立っていた焔成の顔つきが一瞬変わったように感じた。が、それは一瞬のことで、
「おお、そうか。結芳の従兄弟で、焔成言います。以後、お見知りおきを」
ようやく痛みが和らいだのか、立ち上がりながら人懐っこい笑みを浮かべて二人に会釈をした。そして、ユースの方を指差して言った。
「あと、いつもこのひょろ長の大バカが世話んなっとります」
「なんやねん、その言い方。どういう意味や」
「そのまんまの意味や。お前、なんやあると首突っ込んどったし。特に喧嘩にな。一番迷惑かけんのは喧嘩に巻き込んだ時やで?」
「う、ぐ」
ぐうの音もでないユース。昴は東でのユースの今までの生活を思い返してみて、さすが親友、よくわかっていると思った。
「あーもう、そこはどうでもええわ。それよりお前、この十年何しとった? 十年間ずっと音信不通やったらしいけど」
「あー、ちょっと仕事の都合上な」
「ほお、何の仕事しとんねん?」
口をモゴモゴさせ、言いづらそうだったが、「まあ、ちょっとややこしくてよ。世界中飛び回っててわりと忙しいんだ」と早口で言い切った。言外に、詳しいことは聞くなと言われているようだった。
「へえ、世界中。そら、大変やな。そうそう、それとは別にな、焔成」
焔成の言外の訴えを察し、ユースは素早く話題を変えた。
「おれも今ちょっと忙しくてよ。十年前の約束なんだけどな、夏の節季祭『盛命祭』の時に飛焔さん家でどうだ? お前の家出の理由は知らんけど、十年も経っとるし、ええかげん時効やろ。仲直りするええ機会やん」
ぴくっと顔を僅かに引きつらせたが、さっと取り繕うと口を開いた。
「せやなあ。そん頃にはオレの仕事もまあ落ち着いてるやろうし。何よりまず分かっとったらどうにか他で調整できるしな。よっしゃ、分かった。『盛命祭』ん時にオレん家やな」
「おう」
「で? お前これからどこ行くんや?」
「まあ、とりあえずリージンブルやな」
「え?」
焔成は先ほどよりも分かりやすく、顔色を変えた。
「リージンブルや言うとるやろ。そこで飯とか水とか補給しよう思て。なんや、仕事でそこに行く途中なんやったら一緒に行くか? もうちょい詰めればあと一人ぐらい乗れるやろ」
「いや、そうじゃなくて。あー、その、うん。行かん方がええ。今あの辺り、かなり荒れてっからよ」
「そうなのか?」
「ああ。少し遠回りになるかもしれへんけど、リージンブルの北東にあるアレイ山を通り。補給っちゅうことは、目的地はまだ先やろ? そうした方が絶対ええわ」
「それは、リージンブルを通るのと比べるとどれくらい時間に差が出るんですか?」
「せやなあ。一週間ぐらいとちゃうか? 急げばもうちょい、短くなると思うけど」
その答えを聞いて、今度は銀星が顔色を変えた。
「一週間も? ダメです、そんな時間はかけられません」
「なんや、そんな急ぎの旅なんか?」
焔成は親友の方へ顔を向けると尋ねた。ユースも、まさか本当のことは言えないので「ああ、まあな」とぼかした返事をした。
「なんでそんな急いでるんかは知らんけど、悪いことは言わん。アレイ山を回り。あんたみたいな人が行くとことちゃう」
「ご忠告、ありがとうございます。でも、本当にそんな時間はないんです」
「急がば回れ言うやろ?」
「確かに言います、でもそうしている間に私の」
「そこまで」
昴が間に割って入った。銀星たちと出会ったときと同じ、柔らかい声音で二人を諭す。
「落ち着いて、二人とも。焔成さん、でしたね。忠告はありがたく頂戴しておきます。でも、こちらにも事情があるんです。せっかく忠告してやったのに、と思うかもしれませんが、察してください。銀星さんも不用意な発言は控えるようにね」
「はい……」
「……分かった。ま、一応言うたし。オレはこれで」
焔成はまだ何か言いたそうだったが、諦めたようで、荷物を担ぎ直すとくるりと背を向けた。
「あ、もう行くんか?」
「急ぎの旅なんやろ? それにオレもそろそろ行かんと怒られるしな」
「そうか。まあ、ここで会えて良かったわ。じゃ、おれらもそろそろ行こうか」
「はーい。じゃ、またね。焔成兄さん」
結芳が焔成に手を振ってまずカールに乗り込み、銀星と昴が軽く会釈して結芳に続いた。
「ほな、約束忘れるなよ。焔成」
「もちろんや、ユース」
手を軽く挙げて焔成がユースに応えると、ユースはクルトを発進させた。それが小さくなっていくのを見送りながら、焔成は小さくつぶやいた。
「夏、この世界が在って、お前もオレも生きていられたらな」
焔成と別れ、そろそろリージンブルの街が見えてくるはず、というところまで来たとき、突然崖の上から岩が落ちてきた。
「うおっ⁉」
「きゃあ!」
ユースはクルトを急停止させ、土煙が晴れるのを待った。が、その前に上から「行くぞ!」という声が聞こえた。
「なにっ」
「えっ?」
四人が驚き、とっさの行動ができないでいる間に、口元を布で覆った十人ほどの団体がクルトを取り囲んだ。そして、ナイフを持った一人が中へ飛び込んできて言った。
「命が惜しけりゃ、金目のものと食料をあるだけ出しな!」
飛び込んできたのが、クルトを取り囲んでいるのが、結芳や銀星とそう年の変わらない子供たちであったことに四人はまたしても驚かされた。
「なんでお前らみてぇのが、こんな盗賊まがいのことしてんだ!」
油断なく少年たちを見回しながらユースが尋ねると、小馬鹿にしたような笑いが返ってきた。
「ハッ。なんでって生きるために決まってんだろ? ……んな当たり前のこと聞くってことは、おたくら相当なボンボンってわけか!」
少年はそう言うと、目の前に立っていた昴に向かって真っ直ぐナイフを突き出した。それをさっと躱すと、少年を取り押さえようとするが、逆に足払いをかけられて床を転がった。
「やっちまえ!」
この少年が頭領格なのだろう。少年が外の仲間に見えるように手を振ると、いっせいに飛びかかってきた。
「銀星さんは下がって!」
結芳は銀星をクルトの隅へ連れて行き、自分はその前に立った。
「紫電!」
結芳の指輪から放たれた小さな雷光は真っ直ぐに向かってきていた少年に刺さった。避けようともしなかったことに結芳は首を傾げたが、その少年のすぐ後ろに両手に拳鉄甲をはめた少年がいるのを見て、大きく舌打ちをした。鋭く打ち込んできた少年をなんとかさばくと、逆に殴り返した。
「おお、おっかねえ。あんた、なんか武術でもかじってたのか?」
「護身術ぐらいは習ってて当たり前でしょうが」
「違いねえ!」
少年は再び遠慮なく殴ってきた。一打目はかわせた結芳だったが、二打目は脇腹をこすった。痛みに顔を歪めたが、そのまま振り上げた足は、少年の顎を正確に蹴った。
「女なんだから少しは手加減してくれてもよくない⁉」
「こんな痛てえ蹴りかます奴は、なかなか女扱いできねえな」
少年は三たび殴りかかろうとしたが、それは銀星の声に阻まれた。
「やめて!」
「は?」
「いくら生きるためだからって人を襲っていいなんてことはないわ。もっと他にすることがあるでしょ!」
拳鉄甲をはめた少年は耳の裏をかきながら頭領格の少年の方を見た。その少年もナイフを持ったまま呆れた顔をして、口を開いた。
「で、お姉さんはオレらに何をしろって説くわけ?」
「そんな危ない武器は捨てて畑を耕すとか」
「はあ? よりにもよってそんなことかよ。今、一番できねえことじゃねえか。いや、できねえっつーか一番無駄なこと、だな」」
ユースの周りにいた少年のうちの一人が言う。いつの間にか、少年たちは皆、動きを止めていた。
「そもそも、そんなところに回すだけの水もねえしな。無駄だって分かってることをなんでわざわざしなきゃなんねえんだよ」
「つーか、耕してどうにかなんのなら、とっくになってるって。ずーっと親父たちがやってたんだからよ」
「い、今はそうでも……。あと、あと一ヶ月頑張って! あと一ヶ月したら必ず……」
「あー、はいはい。何の根拠があってんなこと言ってんのか知らねえけど、お姉さん」
言い募る銀星を遮って、首を振りながらナイフを持った少年は言った。そして、一気に銀星へと距離を詰め、ナイフを振りかぶった。
「んな理想が通るほど、世の中優しくねえんだよ!」
「銀星さん!」
呼びかけた結芳よりも先に、昴がその少年を背負い投げの要領でクルトの外へと投げ飛ばした。同時に、ユースが風浪で行く手を阻んでいた岩を砕き、クルトを発進させた。唯一、クルトの中に残っていた拳鉄甲をはめた少年が狼狽の声をあげたが、その隙に結芳がクルトの外へと突き落とした。何やら叫んでいる声が聞こえたのでまあ、無傷とは言わずとも無事ではあろう。と、クルトのあげる土煙の間から一人の少年が口径の大きい銃を構えるのが見えた。
「どこからあんなものを調達してくるのかな」
昴が術を発動させるよりも先に、結芳が何かを投げた。それが何かを問う前に、それは爆発して、辺りは真っ白な煙に包まれた。猛スピードで走っているクルトは瞬く間にその煙から抜け出したが。
「結芳ちゃん、今のは? ただの煙幕?」
「ううん。燃えると身体を痺れさせる毒素を出す草を編み込んだお手製爆弾。別に死ぬようなやつじゃないから大丈夫だよ、昴さん」
「それはよかった。……銀星さん?」
いつもなら、真っ先にあの煙に害がないかを確認するはずの銀星が沈黙している。昴と結芳が銀星の方へ向き直ると、銀星は床に座り込んで何かをつぶやいた。二人が聞き返すと、もう一度つぶやいた。
「私は……どうしたらいいのかな」
「え?」
「私は、畑を耕したり、人を襲わないで生きていくことは当たり前にできることだと思っていた。たとえ、こんな世界であったとしても。…………けど、あの子たちはそれを理想だと言った。私の考えは理想で……実現できないことだと、言った。けど、たとえ実現できそうになくても、そうあろうとすることはできるはずよね? それとも、この考え方も甘いと言うの? 私は、どうしたら……」
自分に自信をなくし、銀星は自分がどうしたらいいのか分からなくなっていた。
「現実を知ることだろうね。自分の目で見て、耳で聞いて。ありのままの現実を知ることだと思うよ」
頭を抱え、嘆く銀星に昴は厳しく言う。
「現実を知れば、きっと君の語る『当たり前』が、彼らのような人たちにとってどれだけ大きくて、実現不可能な『理想』であるかが分かると、僕は思う」
「でも、目で見て耳で聞いて。それだけではあの子たちの気持ちは完全には理解できない。私のは、付け焼き刃のようなものでしょう? 彼らはきっともう何年もあんな生活をしている」
「完全に理解する必要はないと僕は思う。知る事が大切だよ。特に、君は」
「……どういう意味です?」
そこで、初めて銀星は顔を上げた。その目からあふれる涙を拭いながら、昴は声音を緩めて言った。
「現実を知れば、君はどんな困難があるとしても最終的な目標へ向かっていくだろう? お姉さんを説得して、神樹の下で祝詞を詠うという目標に。その『理想』を『現実』にする力を持っているんだから」
昴の言葉は、自分の進む道が分からなくなっていた銀星に確かな道標を与えた。
その夜、四人は道に座ってたき火を囲んでいた。ちゃんとした装備をつけず、クルトを全速力で走らせたのでカールの方がエネルギーを使い果たしてしまったのだ。一晩休ませれば、また明日から軽快に走ってくれるはずだ。
「……」
今まで、食事の時間は団らんの時間となっていたのだが、今は誰も口を開こうとしなかった。
予定では、街の中心部を通りながら食料などを補給するはずだった。だが、昼間の一件で食料を得ることは難しいだろうと判断し、予定より遠回りにはなるが——それでも、ズレは二日未満と推測できる——リージンブルを迂回し,レマイン国の辺境部分を通ることになった。そもそも、ひと月ほどはなんとか持つだけの食料を飛焔たちから貰っていたのだ——無論、節約に節約を重ねればの話だが。
ユースは塩気が強い干し肉を水と一緒に飲み込むと、明日の行程を確認しようと口を開いた。いや、開こうとした。
ドオォーーーーン!
地面が大きく揺れた。同時に、日が暮れるまで見えていた街の上空が赤くなった。それはつまり、
「燃えている?」
「そ、そんな。いきなり何で⁉」
「さあな。で、どうする。行くか?」
ユースの問いに、銀星は真っ先に方舟を呼び出して答えた。
「当たり前です!」
そこは、さながら地獄のようだった。
建物という建物が赤い炎に包まれ、そこかしこから悲鳴が聞こえて来る。女性の甲高い悲鳴、幼い子供が泣き叫ぶ声。怒号と何かを殴るような鈍い音が絶えることなく続く。
「これは……」
「ひでえな。なんでこんなことに……?」
煙を吸い込まないように、口元を布で覆って四人は街の中にいた。助けようにも、三百六十度、全方位から悲鳴が聞こえてどうしたらいいのか分からない。と、四人が立っていたとなりの家から全身に火がついた人が飛び出してきた。
「うあああ!」
「え、な、何?」
「人が燃えて……!」
「だ、助けてぐれぇ‼」
火だるまの、おそらく男は四人の方へと助けを求めて手を伸ばしてきた。
「す、水流!」
「千の象、万の名。我が契約の名に導かれ現れよ。シーア!」
結芳が消火し、昴が治癒の使役魔を呼び出して治そうとしたが、治療が終わる前にこと切れてしまった。しかし、冥福を祈る間もなく、別の悲鳴と複数の足音が聞こえた。
「人殺しだあ!」
「た、助けてくれぇ!」
「ひ、あ、ああぁ!」
「がはぁ!」
四人が駆け寄るまもなく、「人殺し」から逃げてきた人たちは皆、首をはねられて倒れた。そして、彼らの後ろから現れたのは、銀の長い髪をなびかせ、周りで燃える炎と同じ色に染まった偃月刀を持った女性だった。
「お姉、ちゃん」
「こんなところで遇うということは、やはりアレイ山へは行かなかったのか」
「え?」
「やはり? やはりってなんだよ、そんな言い方。まるで……」
夜叉の言葉にビクリと反応して、ユースが青ざめた顔で尋ねる。その続きは言いたくなかった。信じたくなかったから。けれど、
「まるで、オレとの会話を聞いとったみたいやんか……ってか?」
無情にも、夜叉に続いて現れたのは、昼間言葉を交わした結芳の従兄弟でユースの親友である焔成、その人だった。
「あーあ。こうなるのが嫌やったからアレイ山回れ言うたのに。途中で気が変わって向こう回ってくれてへんかなあ、とか思ったんやけど。そんなことはなかったみたいやな」
「なん、で……なんでや。どういうことやねん、焔成!」
問いつめる口調で、ユースが一歩近づく。それを手で制し、彼は表情をほんの少し哀しげなものに変えて告げた。
「悪いが、今のオレはお前の知ってる焔成やない。改めて自己紹介すると、オレの名前は劉。〈黄昏の者〉の化身である夜叉の仲間や。よろしゅうな」
「な、何がよろしゅうやボケェ! お前、自分がなんっつーことしてるか分かっとんのか⁉」
「ちゃんと分かっとるがな。分からんと人殺すほど馬鹿ちゃうぞ、オレは」
「な、何をそんな簡単に……。人殺すとか簡単に言うなや!」
「事実やからな」
あっさりと言って退ける焔成、いや劉と呼ぶべきか。劉にユースはどう返していいのか分からない。
「私からも聞きたいよ! どうしちゃったって言うのさ、焔成兄さん。昔はもっと優しかったじゃん! そんなにこの世界を不幸にさせたい⁉ させてどうするってんの!」
今度は結芳が一歩前に出た。昼間十年ぶりぐらいに再会して思い出したが、幼いときはもっと明るく快活で、優しかった。しかし、劉は首を傾げると、となりに立つ夜叉を見た。
「不幸にさせる? そこまでしか言うてへんのか、夜叉」
「全てを話す必要がどこにある」
「ま、そらそうやな」
「その言い方だと、他に目的がありそうだね」
自己完結した劉に昴が厳しく尋ねる。しかし、劉は軽く肩をすくめて答えた。
「言う必要がどこにあんねん?」
昴は微かに顔を歪めた。だが、劉の手が腰の刀に伸びるのを見て自分の武器へと同じく手を伸ばした。
「これはオレが自分で選んだ道や。どれだけ非難されようとも、オレはこの生き方を変える気はあらへん。ユース、結芳。つまり、オレらはここで殺りあうしかないっちゅーこっちゃ」
「何をふざけたことを……」
「そんなの嫌!」
自分の武器を構えられない二人を一瞥し、夜叉も偃月刀を構えた。
「無駄話はここらで終わ……」
しかし、そのセリフは不自然なところで切れた。
「夜叉?」
不審に思った劉が振り返る。彼女は、偃月刀を構えた時に落ちた小さな白い折り鶴を見つめていた。夜叉はそれをさっと拾い上げると、相方の青年に声をかけた。
「いや、今日はもう退くぞ」
「はっ?」
「今回の任務である『レマイン国主要都市の殲滅』はすでに終わっている。戻ったところでなんの問題も無い」
「い、いや。たしかにそうやけど」
いつもの夜叉とは思えない発言に、しどろもどろの劉。しかしよく見てみれば、手の中の折り鶴を見つめる夜叉の目元は優しかった。
「それに、今日は先約があった」
「あー、まあ、しゃあない、な。うん。戻ろうか」
呆気にとられたような顔をしていた劉は、宙をさまよわせていた手で気まずそうに髪を掻いたあとため息をついて、空間転移の呪文を唱えた。
「千の地点、万の名。我らが住処へと送り届けよ」
その足下から風が発生し、二人を包んでいく。
「って、待てや。おい、焔成!」
ユースが手を伸ばしかけるが、ちょうど二人と四人を分け隔てるように炎が燃え広がってきたため、その手を引っ込めざるを得なかった。
「命拾いをしたな。お前たちに次はない」
最後に夜叉の、先程とは真逆の冷たい声が聞こえた。あとには、止むことのない悲鳴を巻き込みながら燃え盛っている炎だけが残された。