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二章(2)

 翌日の朝早く。銀星は旅支度を整えていた。と言っても、ほとんどは結芳のものから、自分用に借りて袋に詰めるだけであったが。

 「銀星。ちょっといい?」

 「あ、はい」

 結芳の部屋で荷物をまとめていた銀星に愛藍が声をかけた。結芳はどの薬草を持っていくべきかをさっきから頭を抱えて悩んでいた。

 「似合っているわね。その服」

 「え? そ、そうでしょうか。私には不釣り合いなほど綺麗な服だと思いますけど」

 廊下に出てきた銀星を見て、愛藍が言った。銀星が着ているのは、部屋の奥から出てきたわりに、しわ一つない薄青の上衣と白い長い下衣だった。上衣の上には、白い糸で牡丹が刺繍された薄手の上着を羽織っている。

 「あら、そんなことないわ。結芳にって西に住んでる友達がくれたんだけど、あの子が着たらそれはもう似合わなさすぎて。思わず笑ってしまったわ」

 「うるさいよ! 自分で生んだ子どもじゃない!」

 部屋から大声で反論が返ってきた。だが、愛藍はその時のことを思い出したのか、大笑いしていて聞こえていなかった。結芳はさらに続けた。

 「そんなに笑わなくてもいいじゃん。容姿なんて望んで得られるものじゃないし!」

 「うるせえぞ、結芳! 外まで聞こえてるぞ!」

 畑から錬が声をかける。結芳は荷造りをしている手を止めて窓を開けると、怒鳴り返した。再び、派手な口喧嘩が始まった。銀星は止めようとするが、愛藍に言わせると、

 「ヘタに止めようとすると怪我するわよ。この時間は二人とも眠くて機嫌が悪いから」

 だそうだ。

 ガンッという大きな音と錬が怒鳴った声で、口喧嘩は一応終了したようだった。

 「よ、よかったんですか、止めなくて。今すごい音が聞こえたんですけれど」

 「かまわないわよ。少し細いけど、ああ見えて錬の頭は石頭だから。ま、結芳が昔っからなんだかんだと投げつけてたからなんだけどね」

 「そ、そうですか」

 「ええ。それより、あなたに預けておきたい子たちがいてね」

 首を傾げる銀星の目の前に置かれたのは、拳ほどの大きさの玉だった。青い玉と、橙の玉。どちらも、見る角度によって色が動いてきれいだった。

 「千の象、万の名。我が契約の名に導かれ現れよ。クトリ、ミーチェ!」

 青、橙の玉の順に軽く手を触れる。と、煙が現れ、晴れた時には銀星の腰ぐらいまでの身長しかない女の子が二人、机の上にいた。

 「お呼びですか、愛藍さまー?」

 「三ヶ月ぶりのお仕事?」

 最初に口を開いた女の子は、へその見える橙色の袖無しの上衣を着て、腰から膝までを同じ色の布で包むように巻いていた。さらに、左右に分けた髪を縦に巻いた、変わった髪型をしていた。

 「あ、これは西の衣装で、スカートって言うんですー」

 銀星の視線に気づいたのか、女の子がくるりとその場で回りながら言う。

 「あ、そうなの。可愛いね」

 「あなたも似合ってる。結芳さんより」

 青い玉から現れた女の子が銀星を見ながら小さく言った。彼女は、青色の袖も丈もしっかりある上衣に、裾が広がった青色のスカートをはいていた。が、その服よりも先に銀星の目についたのは、彼女がかぶっている三角形で、つばの広いかぶり物だった。

 「えっと、ありがとう。あなたも可愛いわよ」

 「……」

 女の子は、少し照れたように銀星から目を逸らした。

 「あなたに預けたい子たちって言うのは、この二人なの」

 「え?」

 「この子たちは私が契約してる使役魔よ。「伝書」のね。はい、自己紹介して」

 「私はミーチェって言いますー。色んな情報をお伝えするのが、お仕事ですー」

 「クトリ。想いを届けるのが私の役目」

 じっと二人に見つめられて、銀星も自己紹介を返した。

 「あ、私は銀星です。えっと、一応〈暁の者〉の化身、です」

 「一応じゃないでしょ、銀星」

 「でも、まだあまり実感がなくて」

 「ま、いいわ。クトリ、あなたは銀星たちについて行って。ミーチェはこの手紙を瑠璃に届けたら銀星たちのところに戻りなさい。銀星、何かあったらこの子たちを使って連絡をちょうだい。と言っても、呼び出すのは血がつながっている結芳にしかできないけれど」

 「はーい」

 「分かりました」

 そう返事をするとクトリは玉に戻り、ミーチェは手紙を持つと翼を生やして窓から飛んで行った。銀星はそれを面白そうに眺めていたが、ハッとすると慌てて愛藍に尋ねた。

 「え、いいんですか。いないと困りませんか? 二人とも私になんて」

 「いいのよ」

 明るく笑いながら愛藍は手をひらひらさせて言った。一服しにきた飛竜が布で汗を拭きながら部屋にあがってきた。

 「そうだ、銀星さん。渡しておきたいものがあったんだよ」

 「なんですか?」

 「向こうに着いたら、ここを訪ねてみてくれないか。おれの弟がいる。砂漠越えやら何やら、ここで用意するよりはずっといい装備が揃うはずだ」

 「あ、ありがとうございます」

 渡された紙をしっかりと握り、椅子から立って頭を下げる。そこにようやく荷造りが終わったのか、結芳が銀星の分も袋を持って部屋に入ってきた。結芳は、ピンクの布地に可憐な小さい花が舞うように刺繍された上衣を着て、黒色の短いスカートをはいていた。ちなみに、胸は銀星よりも大きく、この服だとその大きさが余計に目立った。

 「あ、ごめん、結芳ちゃん。重かったでしょ」

 「いえいえ。力仕事なら兄さんより私のほうができるものですから。大丈夫ですよ」

 「でも、ごめんね」

 「結芳、クトリよ。あとでミーチェも戻って来るから。しっかり管理しといてね。あなたはすぐにものをどこかになくしちゃうから心配なんだけど」

 「む」

 しかめっ面を作る結芳。それがどことなく可愛くて、銀星は小さく笑った。愛藍も笑いながら、外へ出る。空は昨日と同じ快晴だった。しかし、西のほうをよく見てみると、黒い雲がわずかに見えていた。銀星の方舟は明るい緑色で、結芳は橙色だった。

 「いってきまーす!」

 元気に両親に声をかけ、結芳が空へ飛んで行った。銀星も笑みを浮かべて愛藍と飛竜に言った。

 「じゃあ、いってきます」

 「ええ。いってらっしゃい。結芳のことお願いね」

 「はい」

 銀星も空へと向かった。結芳が銀星のとなりに来て少し声を張って言った。

 「青海港まではこれで行っても一日以上かかります。今日は野宿かもしれませんね」

 「じゃあ、少し早めに地上に下りて、宿を探しましょうか。それと、敬語は使わなくてもいいよ、結芳ちゃん」

 「あ、そうですか? まあ、銀星さんがそう言うなら、気をつけま……気をつけるね」

 「ありがとう」

 「いえいえ」



 その日の夕方、黄昏の時間よりやや早いぐらいに、銀星と結芳は宿を取るため地上に降りた。

 その時、夜叉は西大陸の南へ向かって方舟で飛んでいた。今日は珍しいことに、隣に劉がいた。

 「おお、あれやな。オレらが始末せなあかん奴がおるジラ国のアイゼンとか言う街は。遠かったな〜」

 手を額にかざして劉が言う。後半部分は夜叉に向けて言った言葉だったが、夜叉は無反応だった。劉は肩をすくめると頭の中で自分のやるべきことを繰り返した。

 (え〜と。オレはあの三件立ち並んどる家の真ん中に烈火で乗り込んで、破壊したらすぐに右っかわに移動すんねんな。ほんで、降りてから十分経ったら)

 「火炎放射を忘れるなよ」

 「分かっとるって。その為に転移術使わんと方舟でここまで来たんやろ」

 「ならいい。行くぞ」

 「了解」

 夜叉は表情を変えず、劉も先ほどまでのおどけた表情を消し去り、夜叉と同じような無表情になった。二人は方舟を消すと、それぞれの武器を構え、攻撃系術の呪文を唱えた。

 「鎌鼬」

 「烈火」

 ドオーン‼


 夜叉が降りたのは一番左端にあった三件中最も大きな家の、使用人たちの休息所だった。夜叉が放った鎌鼬で、三人が息をしていなかった。難を逃れた使用人たちが、夜叉を見て必死に逃げようとしていた。

 「きゃああ!」

 「うわあ!」

 「ひ、人殺……がっ!」

 悲鳴も意にかかさず夜叉は偃月刀を振り、新たにできた死体に目もくれず、戸を蹴破るようにして廊下へ出た。悲鳴は聴こえても、何が起こったか分からない顔をしている使用人たちをどんどん切り捨てて行く。

 「ぐはっ!」

 「助けて……ぎゃあ!」

 「だ、誰か! 誰かいないか……!」

 奥へ向かうにつれ、衛兵が増えてきたが、夜叉の足をほんの少しも食い止めることはできなかった。劉と言っていた十分が経つ頃には、この家の主の前に立っていた。バルコニーに追いつめられ、太った体を揺らしながら主はなんとか口を開いた。

 「な、何者じゃ、女! わ、わしが誰か分かったうえでの狼藉か。わしはこ、この街の、この街を治めとるんだぞ! わ、わしに手を出せば、国王陛下が……」

 「甘い汁を吸い、金を奪いしこたま貯め込むことしか頭にない、堕落した豚だろ」

 主の言葉を遮り、夜叉は鎌鼬を放つ。それは主の右腕を弾き飛ばし、痛みのあまり主は後ろにのけぞり、そのまま地面に落ちた。

 「ぎゃああ! わしの腕がぁ!」

 「きゃあ!」

 幼い少女の悲鳴が主の悲鳴に重なった。夜叉が見下ろすと、呻いている主の隣に十歳ほどの少女が籠を抱えたまま腰を抜かしていた。

 「お、おいお前。わしが逃げる間、あの女を引き止めておけ」

 「え?」

 「わしの命を狙っておるのだ。分かるな、わしを守るのがお前の仕事だ」

 冷や汗を流しながら、夜叉を指差して少女に命令する主。少女は眉を大きくひそめ、夜叉と主を交互に見やると、主を睨んで言った。

 「なに馬鹿なことを。いいじゃん。殺してくれるってんなら、殺してもらえば? 私もそのほうがせいせいする。私にはあんたを守る理由なんてまったくないよ、この豚!」

 「何じゃと、この小娘! 貴様は誰にものを言ってるつもりだ!」

 残った左腕を振り上げて少女を殴ろうとする主。少女は反射的に手で顔を守り目をつぶったが、その腕は少女の上には落ちてこなかった。少女の体は夜叉に抱き上げられて空にあった。そして、夜叉が少女を抱えて飛んだ瞬間に、劉の放った火炎放射が主も、主の家も、その中に倒れていたたくさんの使用人や衛兵たちを燃やし尽くした。

 「運がいいな。お前はもう自由の身だ。好きなところへ行け」 

 「え? えっと、一体何が? お姉ちゃんは?」

 「俺が誰でもかまわない。親のところへでも戻ったらどうだ。お前が仕えていたあの男は炎の中だ。好きにしろ」

 少女は燃える家を見てしばらく考えていたが、夜叉を見上げて言った。

 「なら、お姉ちゃんについて行ってもいい?」

 「なに?」

 「だって私、お母さんもお父さんも病気で死んじゃっていないし、親戚なんて分かんないし。お姉ちゃんがいいなら、私はお姉ちゃんについて行きたいな」

 「……お前、俺が怖いと思わないのか?」

 「なんで? まあ、全然怖くないかって言うとそうじゃなくて、やっぱりその返り血……みたいなのついてるから少しは怖いんだけど、ね。でも、今は私を助けてくれたし、本当に悪い人じゃないでしょ、お姉ちゃんって」

 無垢な笑顔で自分を見る少女から思わず目をそらす夜叉。彼女にこの無邪気さはあまりに眩しかった。

 「それに、私あの豚やこの家の人とか好きじゃなかったから。あんまり何も思わないんだ」

 「おーい、夜叉。何やっとんねんお前らしくもないやん、け?」

 夜叉が返答できないでいると、劉が方舟に乗ってやってきた。そして、夜叉の足下で座っている少女を見て首をかしげる。

 「おい、なんやねん。そのガキ」

 「ガキじゃなくてハル!」

 少女——ハルが唇をとがらして言った。

 「ああ、そうかい。んで? こいつなんやねん、夜叉」

 「こいつじゃない!」

 「ハル」

 「なに? お姉ちゃん」

 自分を見上げるハルと視線を合わせず、早口で夜叉は答えた。

 「俺が居る場所は人道に外れている。それでもいいのか」

 「? お姉ちゃんが行くならどこでもいいよ」

 「なら、連れて行ってやる。後悔するなよ」

 「なんやて?」

 夜叉の返答を聞いて、劉は驚いて夜叉に詰め寄った。小声で夜叉に耳打ちする。

 「お前、なに言うとんねん? あの人の許可なしに、んな勝手なことしてええんかい」

 「師匠の許可が下りなければその時はその時だ」

 「おいおい」

 「お姉ちゃん、なら私に新しい名前をつけて。この名前はあの豚が適当につけた名前なの。本当の名前が分からないなら、お姉ちゃんにつけてもらいたい」

 夜叉と劉の間に割り込んでハルが頼む。夜叉は一瞬考え、パッと出てきた名前をそのまま告げた。

 「千鶴」

 「千鶴? わあ、なんかすごいありがたそうな名前!」

 ハル改め千鶴は、その場で飛び跳ねながらうれしそうに言った。劉はあまりのことに混乱して、目を白黒させた。

 「しっかりつかまっておけよ」

 「うん!」

 千鶴は夜叉の腰にしっかりと手を回して答えた。そして、ふと思い出したように尋ねた。

 「そういえば、お姉ちゃんの名前はなんて言うの?」

 「……夜叉だ」

 「ふーん。名前も強そうなんだね、お姉ちゃんって」

 ニコニコとした千鶴の笑顔とは対照的に、固い顔のまま方舟で翔ていく夜叉。その少し後ろを飛びながら、劉は小さくつぶやいた。

 「どんなことになっても知らんぞ」

 利用価値の無さそうな子どもをあの山に置いておくことを、あの人はきっと許さないだろう。劉はそう思ったが、事態は異なった展開を見せた。


 三人が帝呀山に着いた時、頭上にはすでに下弦の月が昇っていた。

 「劉、千鶴を俺の部屋に連れて行っておいてくれ。俺は師匠に報告してくる」

 「わかった。ほら、ハル……やのうて、千鶴。こっちやで」

 「え、お姉ちゃんは?」

 劉に掴まれた腕を振り払い、千鶴は夜叉に駆け寄った。夜叉は千鶴をちらっと見て言った。

 「すぐに戻るから、おとなしく部屋で待っておけ」

 「うん……」

 そして、夜叉は彼女らの部屋がある建物の裏の小さな御堂へ向かった。師匠がここから外に出てくることは滅多にない。

 「師匠、夜叉です。ただ今戻りました」

 扉の前に膝立ちして声をかける。少しの間があったあと、師匠が尋ねてきた。

 「お前にしては珍しいことだな」

 「何がでございますか?」

 「任務完了の報告予定時刻を過ぎてから、ここに来た。お前はいつも時間かっきりに報告をしていたはずだ」

 「は。それは……向こうでその、子どもを一人拾いまして。ここに置いておくことを許可していただけませんか、師匠」

 「利用価値はあるのか?」

 「い、いえ。はっきり申し上げると、何かの役に立ちそうな子どもではありません。しかし、どうしても、過去の自分を重ねてしまいまして……」

 「同情か」

 夜叉は一瞬息を止めた。実のところ、自分でも、なぜこんなことをしてしまったのかよく分からない。ただ、自分が仕えているものに殴られる時の気持ちはよくわかる。ハルを……千鶴をすくいあげたのは、半ば反射的だった。

 「お前にもまだ、そのような人の心があったとはな。驚きだ」

 夜叉は息をつめたまま黙って跪いていた。師匠が否、と言えばあの子を殺すしかない。師匠は、闇の中でしばらく思案していたが、夜叉が連れて来たその子どもに立派な利用価値を見つけた。

 「まあ、いいだろう。その子どもをこの堂に入れぬのなら、許可してやる。よく言い聞かせておけよ」

 「分かりました。ありがとうございます、師匠」

 ほっと安堵のため息をつく夜叉。そのまま一礼し、来た道を戻っていった。その顔に変化はなかったが、彼女の心には小さく、暖かい光が灯りかけていた。

 「あっ。お帰り、お姉ちゃん!」

 さっきの場所にはまだ千鶴と劉がいた。連れて行こうとする劉の腕にしっかりと噛み付いていた千鶴だったが、夜叉が来るのを見て劉を突き飛ばして駆け寄ってきた。

 「先に行っておけと言っただろ。寒くなかったのか?」

 「ぜ〜んぜん」

 そう言いつつ、くしゃみをする千鶴。夜叉は飛びついてきた彼女を抱きとめながら、小さく、呆れを含んだため息をついた。

 「連れて行っておけと言ったはずだが」

 「あのなあ、オレだってちゃんと連れて行こうとしたんやで。風邪でもひかれたらかなわんからな。でもそいつが噛み付くわ、引っかくわ、殴るわ、蹴るわの大暴れに暴れっとんやからな。悪いんはオレとちゃうわ」

 「なんだ、思ったより元気がいいんだな。千鶴」

 「うん!」

 満面の笑みを浮かべて頷く千鶴。そして、夜叉の腕をしっかりと抱えたまま建物のほうへ歩き出した。

 (眩しいな、こいつの笑顔は。俺にはとてもできなかったし、今でもできない)

 夜叉は心の中でそうつぶやいた。その肩を劉が叩いて、小声で尋ねてきた。

 「おいおい。まさかあの人、許可したんか? こいつ置いとくこと」

 「ああ」

 「なんでやねん。どう考えても、あの人の計画に千鶴は使えんやろ」

 「そんなことまで知らん。だが、おそらく見物だと思ったんだろう」

 「は?」

 劉は聞き返したが、夜叉は答えなかった。だが、それ以上は劉も聞かなかった。夜叉の顔がどことなく微笑んでいるように見えたから。

 「ここ? お姉ちゃん」

 「ああ」

 夜叉が引き戸をひき、開いた瞬間に巨大な猫の顔が飛び出してきた。 

 「きゃああ!」

 「あら? 夜叉、その子誰よ。あなたの子?」

 巨大猫の背後から、胸が大きくあき、短い黒のスカートをはいた女が出てきた。

 「……レミリア。貴様は人の部屋で一体何をしている?」

 尻餅をついた千鶴を助け起こし、女のほうに向き直って尋ねた。その目には少しだけ、怒りが混じっていた。

 「あなたを驚かせようと思って」

 腕を組んで当然だとばかりに豊満な胸を張る。そのむき出しの肩を掴んで夜叉が言った。

 「今すぐに自分の部屋へ戻れ」

 「あら、私があの子を怖がらせた事がそんなに気に入らなかった? それはごめんなさいねえ」

 夜叉の手を払い、巨大猫の頭を二回叩きながら意地悪そうに尋ねた。

 「だったらなんだ」

 「へぇ〜い。めっずらしいねえ。この夜叉がそーんな事で怒るなんてよ」

 巨大猫が手の平サイズに縮みながらからかうように言った。猫耳としっぽが小さく動く。夜叉が睨むと、その小さい肩をすくめた。

 「ま、子どもは嫌いじゃないからいいんだけど。さて、怖がらせてごめんね? 私はレミリアよ。レミィって呼んでね」

 「オイラはジーチ。レミィの使役魔の一匹さ。よろしく!」

 レミリアは少しかがんで千鶴の目線にあわせ、ジーチはその白い肩の上で歯茎が見えるまで笑いながら言った。

 「あ、はい。ええっと、こちらこそ」

 「千鶴、こいつらと仲良くなる必要はない」

 挨拶を返そうとする千鶴を遮り、背中を押して夜叉は部屋に入ろうとする。

 「え〜。でも、さっきのお兄ちゃんより楽しそうだし、いい人っぽく見えるよ?」

 「それは思い違いだな」

 「夜叉の言う通りや! なんでオレがこいつらより下みたいな言い方されなあかんねん」

 「当然じゃない。本当に可愛いわ〜、あの子。気に入っちゃた」

 「っていうかあんたいたのかい。オイラ、まったく気付かなかったよ」

 「何やと。失礼な使役魔やな」

 「そんな言い方しないでくれる? っていうかあんた、いま夜叉が言った事、絶対理解してないでしょ。夜叉にとっちゃ、私もあんたも千鶴ちゃんにとって害のあるものってことよ」

 レミリアが薄く笑いながら劉の胸を指でつつく。ジーチも大きなその目にからかいの色を浮かべながら笑っている。

 (こいつらホンマ似とんの)

 心の中でそうつぶやきながら、そっぽを向いて答えた。

 「うるさいわい! オレのどこが有害やねん」

 「貴様も十分うるさい。もう寝ろ」

 「おやすみなさい、レミィお姉ちゃん、ジーチ君」

 騒ぐ二人と一匹を眺めていた夜叉だが、じろりと睨んで言った。千鶴は二人にそう言って手を振る。そして、戸が閉じられた。

 「オレは⁉」

 劉がショックを受けた顔でつぶやく。レミリアとジーチは涙が出るほど笑い、そのまま自分たちの部屋へと引き上げていった。


 「どうかしたか」

 月明かりが差し込む静かな部屋の中、夜叉は何やら自分に話しかけたそうにしている千鶴に声をかけた。環境が変わったからだろうか。千鶴はなかなか寝付けないようで、何度か寝返りを打ちつつ、こちらをチラチラと見ていた。

 少しの沈黙の後、はにかんだような笑みを浮かべ、千鶴は口を開いた。

 「……ありがとうね、お姉ちゃん」

 「なに?」

 あまりに唐突。かつ、普段では滅多に聞くこと無い言葉。夜叉は思わず聞き返してしまった。

 「ありがとうって言ったの。私、お姉ちゃんに会えてなかったら、あの人たちにいびられ続けて、自分がなんの為に生まれてきたのか分からないまま死んでたと思う。……お姉ちゃんはあまりいい顔しなかったけど、私はレミィお姉ちゃんや劉お兄ちゃんとも会えて嬉しいよ。とても楽しそうで、優しそう」

 「……人をそうも無条件に、信じられるんだな。お前は」

 「え?」

 布団から顔を覗かせる千鶴の横に移ると、その髪を優しく撫でた。

 千鶴の言ったことは、かつて自分も思ったことだ。他人にいいように使われる辛さ、その惨めさ。その思いが肥大し、この世の全てを憎み、滅ぼしたいと願うようになった。それが今の自分だ。

 しかし、千鶴はそこまで至っていない。ならば、その純粋な心を必ず守ってみせる。その無邪気な笑顔を。どうか、いつまでも……。

 千鶴の髪を撫でながら、その口から零れたのは遠い記憶に眠っていた子守唄だった。


  大切なモノを失うのは もう一度手に入れるため

  大切な人と別れるのは もう一度出逢うため


  「さようなら」を言うのは

  「こんにちは」を聞くため


  今日はうれしいことや 楽しいこと

  たくさんの笑顔が あったから

  ずっと続くように 祈るの


  お日様がこんにちはすると 光が暖かい

  お月様がおやすみを言うと 家が温かい

  空に輝いたのは一番星

  

  そして 月日は巡るんだ……


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