八章(2)
清風も、蒼穹すらも、役に立たなかった。敵を一瞬、退けることぐらいならできる。でも、倒すことができない。
「どうして⁉ さっきまで調子良く効いていたのに! どうしていきなり効かなくなっちゃったのよ、こんな時に‼」
銀星が泣きそうになりながら言った。
さっきから矢を放っているのに、まったく効果が見られない。矢自体から放射されている光を浴びても、魔物たちは気にもかけない。焦ってはダメだ。頭では分かっている。でも、他のみんなは無事なのか気になる。早く倒さないと世界が滅んでしまうかもしれない。なのに、自分の唯一の武器である蒼穹はまったく効かない……。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう…………。
いつの間にか、狙いも定めず、デタラメに矢を放つようになっていた。
「光耀弾!」
銀星の目の前に光の球が浮かび、突然爆発した。強烈な光が魔物たちに降り注ぐ。呪詛のようなうめき声を上げ、魔物たちがのたうち回る。
爆発した光の一番に近くにいても、銀星は失明することはなかった。光耀弾を放った昴自身に目隠しをされて、方舟ごと彼に連れられて魔物たちの間をかいくぐり、その群からの脱出をはかっていたからだ。だが、これだけ密集していると、運良く光の直視を免れたモノもいて、すんなりとはいかなかった。
「落ち着くんだ、銀星さん。焦りで集中力が落ちているよ」
「そ、そんなの当然じゃないですか! 結芳ちゃんやお姉ちゃんたちがどうなったか気になるし、さっさと終わらせようにも、私の蒼穹がなぜか効かなくなっちゃってるし!」
「だから落ち着いて。お姉さんの方は分からないけど、結芳ちゃんたちはたぶん無事だから」
「え?」
「さっきチラッと見えたんだよ。まだ戦いは続いてるみたいだ。それにほら、あのストレイアって男、こっちに来てないだろ?」
「そ、そう言えば……」
ストレイアはどう考えても、あの男の部下だ。もし結芳たちが倒せているなら、さっさとこちらに姿を見せるだろう。
「凄い、ですね。私は、そんな、周りを見る余裕なんて……」
銀星は俯き加減で、ボソボソッと言った。それに、昴は苦笑混じりに答えた。
「そんなことないさ。たまたま視界に入ったって言うだけ」
それを言うなら、銀星の視界にだって入っていたに違いない。ただ、認識してる余裕が自分になかっただけで。
「まあ、君は一つのことを考えると、もうそれしか見えないところがあるのは知ってるから。そこは、僕がいくらでもフォローしてあげるよ」
昴のそのひとことに、銀星は余計にへこんだ。恥ずかしくて、顔がますます上げられなくなった。
「けどね」
昴が優しく肩をつかんだ。
「君のそういうところは、君の長所なんじゃないかなって、ふと思うよ。純粋に、まっすぐに、物事に向き合えるのは、きっと大きな武器になる」
「昴、さん?」
「蒼穹が効かなくなったのは、焦りで気持ちが散漫になってるからじゃないかな」
昴が方舟を止めた。そこは、男とその背後にある穴の直線上だった。
「さあ、銀星さん。君のするべきことはなに? 君の信じるべきものは、なんだい?」
優しい昴の声に、いつの間にか力んでいた身体がほぐれていく。あんなに荒れていた心が凪いだ海のように静かになった。
「僕たちはまだ、誰一人として諦めてないんだから」
初めて見せた、いたずらっ子な笑顔。そして昴はすっと銀星から離れた。
「君が撃つまでの間の防御は、僕に任せて」
「え、でも!」
「頼りないかもしれないけど、僕だってお姫様を守る騎士の役ぐらいできるさ」
そう言った昴の表情に、時も場合も一瞬忘れて、銀星の心臓は大きく跳ねた。
「だから、頼んだよ。銀星さん」
「……はいっ!」
昴はにっこり笑ってうなずき返すと、大量に迫ってきていた魔物に、一人で立ち向かっていった。
それを悠長に見送っている時間はなく、すぐに男に向き直ると、銀星は弓を構えた。蒼い光が集まり、矢が現れた。
それをつがえながら、銀星は何度も深呼吸をして、自分の気持ちを落ち着かせた。雑念を頭から追い出す。
男は目を閉じたままだから、今、銀星たちがなにをしているかは分からないはず。
銀星は考える。
古竜の時と違い、魔物たちが出てきた穴が、まだ塞がっていない。なのにそこから新たな魔物が現れる気配はない————あの穴を消すことができれば、魔物たちを倒せる勝機に繋がるかもしれない。
(私が、今すべきこと……)
今、本当にこの一瞬の今、するべきことは、あの男を倒すこと。そして、同時にあの穴を消し去ること。
(私が、信じるべきもの……)
それは、自分とともに戦ってくれている仲間。そして、この蒼穹の力。
(天の女神が祝福したという攻撃系術。傷を一切つけず、痛みだけを与えるから、かつては拷問用の術として使われていた……)
思い出したナーシャの言葉が銀星の胸を刺した。
だが、使っていると……こうして、落ち着いた気持ちで蒼穹を眺めていると、分かることがある。
全ては、蒼穹という術の持つ性質が、拷問という行為に向いていただけのこと。だから使われた。それだけにすぎないのだと。
(拷問用というのがそもそも、間違っていたんだ……。これは、邪を祓うものなんだから)
そう、今までの使い方が間違っていたのだ。
いや、もしかしたら正しく使っていた人もいたかもしれない。だが、過去には必ず脚色がまざる。それがいいものであれ、よくないものであれ。
きっと、間違った解釈だけが伝わってきたのだろう。
(これは、人の心に巣食う邪を祓うためのもの。そして、人に仇なす邪を討つためのもの)
矢から放射される光が、増した。魔物たちが不快そうな声をあげるのが聞こえた。それでも向かってこないのは、昴が頑張っているからだろうか。
(そうでなければ、あのお母さんが、この蒼穹と契約するはずがない)
そう。この蒼穹は、母・花蓮が契約していた唯一の攻撃系術だと言う。あの優しく聡明で、美しかった母が、ただの拷問用の術と契約を交わすはずがない。
そのとき、男が狼狽したような声を出した。気づかれたかと思って身構えたが、どうやら違うらしい。ふう、とため息をついて心を落ち着かせる。ふいに、爽やかな風が銀星の頬を撫でた。
(昴さんの清風かな……)
そして目を開けた。今度こそしっかり狙いを定めて矢をつがえる。
(お母さん。私、信じるよ。お母さんが信じたこの蒼穹を)
矢が、放たれた。
蒼い矢はまっすぐに男の胸を貫き、穴へ吸い込まれていった。銀星が固唾をのんで見守っていると、穴の一点から蒼い光が広がり、淵まで辿り着くと穴はすっかり光に隠され、まるで光を反射している鏡のようになった。その明るさに銀星が目を細めていると、何の前触れもなく光は消えた。濃紫の穴ともども。同時に、魔物たちが光の粒子になって消えていった。少し、苦しげな声を出しながら。
「銀星さん」
腕から血を流した昴が、はっきりと笑みを浮かべながら、彼女を呼んだ。
「す、昴さん! 腕! 血が」
「やったね」
焦る銀星もなんのその。にこにこと、本当に嬉しそうな笑顔で言った。
「はい。私、やりました!」
ぽかんとした銀星だったが、すぐに昴と同じような満面の笑みで答えた。
「うん、やったね。おめでとう」
「昴さんのおかげです。……はっ、だから早く止血! 治療!」
「ははっ。分かってるよ。そんなに焦らなくても、シーアを喚べば……」
ガッキィィ……ィンッッ……ッ…………!
昴の言葉を遮るように、音が響いた。耳障りなその音に、二人とも思わず耳を塞いだ。
「つ〜。なんだ、今の音は……」
「さ、さあ。いったいどこか、ら」
銀星の目が、一点に吸い寄せられる。
「銀星さん?」
「う、うそ……そんな…………」
銀星の目線を追って昴も顔を動かし、そして同じく驚いた顔で「そんなバカな……」と呟いた。
ふらふらっとだが、男が立ち上がったのだ。
「そんな、確かに倒したと思ったのに……」
まさか、すんでのところで避けられた?
「くっ……!」
銀星はもう一度弓を構えたが、どうも男の動きがおかしい。あっちへ行ったりこっちへ行ったりと、足下がおぼつかない。すると突然、
「ぬあああああ‼」
男が空に向かって吠えた。
「な、なんだ。いきなりどうしたんだ」
昴が言うが、銀星もそれに答えられない。むしろ、こちらが答えを教えてもらいたいぐらいだ。
そして、男の口が動いたように見えた瞬間、男に向かって突風が吹いた。それも、四方八方から。
引き寄せられている感覚はないが、方舟が風で揺れて安定しない。二人はどちらからともなく、お互いの身体を抱きしめるような体勢になってバランスをとろうとした。
「あ、昴さん。あれを見て下さい」
「え、どこ?」
「ほら、あの人の右手です。その上に……何か、乗ってるように見えませんか?」
この風の中よく見えたなあと、変なところに感心しつつ、目を細めてどうにか見ようとする。すると、確かに何かが乗っているように見える。
「でも、あれは……あの色は、古竜の額にあったやつに似てないか」
「あ、やっぱり昴さんにもそう見えますか? 粉々の破片になってますけど、私にもそう思えて……」
二人が見たのは、大小の欠片がしっかりとくっついていない見かけだけの球体だった。
「おい」
「昴、嬢ちゃん!」
二人が声の方へ振り向くと、夜叉、劉、そして結芳を背負ったユースがそれぞれの方舟に乗って近づいてきていた。
「お姉ちゃん!」
「ユース、結芳ちゃんはどうしたんだ? まさか怪我でも」
「ああ、ちげーよ。疲れて眠ってるだけだ」
顔色を変えた昴に、急いでユースが首を振る。そして、昴の腕に目を移して、今度はユースが焦ったように言った。
「つーかお前が怪我してるじゃねーか。おい、焔成……」
「いや、大丈夫だよ。僕にだって治癒の使役魔はいるし」
「あ、そ、そうか」
二人をまるっきり無視して、夜叉は銀星に尋ねた。
「それで、どうなっている。突然風が吹いてきて……。それに、だんだん息苦しくなってきてないか」
「うん。それに、なんか空が……って言うより空気が黒い?」
銀星が口元を覆いながら辺りを見回す。夜叉も無言でうなずいた。最初はただの風だったのが、いつの間にか気味が悪いというよりは、ただただ不安を呼び起こす黒い靄のようなものが漂っている。赤かった空も、底知れぬ闇に変わっていた。
「何か原因があるはずだが」
「たぶん……。でも、私にも何かは分かんなくて。ただ、あの人の持っているあれのせいかも」
銀星が指差したのは、例の歪な球体だった。それを見て、夜叉はもとから細い目をさらに細めた。
「おい、夜叉。あれって、お前がついさっきぶっ壊したあれじゃねえの?」
「ああ、おそらくな」
「あれって……」
いつの間にか話を聞いていたらしい昴が劉に聞くと、劉は自分の額を叩きながら答えた。
「古竜のココにあったやつだよ」
「やっぱりそうなんだ」
「ああ。だが、師匠はあれを使ってなにをしているんだ? あれは古竜の制御装置だと思っていたんだが……」
「ふ、は、ははっ」
突然笑い出した男に、全員が身構えた。
男は、笑い声こそ出していたが、決して目は笑っていなかった。心の内でも、笑ってはいなかった。
男の内を支配していたのは、怒りなどという言葉で簡単には言い表せない、どす黒い感情だった。そう。まるで、今この世界を覆い尽くそうとしている黒い靄とも、雲とも、空気そのものとも言えるようなモノと同じ。
(まさか、こんな……こんなことが起こるとは……! やっと私の悲願が、千年以上の昔から思い描いてきた私の夢が! もうすぐ叶うというのに……! 最強だと信じていた災いの悪魔も、禍つ兵たちも、あっさりと破れ……。この事態はなんなのだ……!)
実際には、男が思うほど容易く彼らは倒されていない。相応に銀星たちを傷つけた。しかし、少し遊んでやるかという気分だった男から見れば、彼らは実にあっさりと倒されたのだ。自分が精魂を込めて作り上げた傀儡兵すらも。
「くっくっく……」
男が笑えば笑うほど、あたりに渦巻く黒い靄は濃く、重くなっていく。
(許すまじ! 許すまじ! 許すまじ‼ これ以上、私の邪魔はさせんぞ、小娘ども‼)
銀星たちは各々の武器を構えたまま、油断なく周囲に目を走らせる。
「はーはっはっはっはっ‼」
こうなっては手段を選びはしない。どうせ奴らは生き残る術を持たんのだ。とことん苦しみ抜いてから死ね‼
高笑いを続ける男から、衝撃波のようなものが放たれる。殺気と呼ぶには、それは激しすぎた。バサバサとそれぞれの服や髪がはためく。各自が乗っている方舟も、波の上の木の葉のように揺れる。




