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八章(1)

  八の詞  最後に微笑む者は


 銀星と昴は、初めから苦戦を強いられていた。

 もともと、二人は夜叉や劉のように、戦闘慣れしているわけではなかった。このひと月あまりの旅で、多少の戦闘を経験したものの、素人に毛が生えたようなものだ。銀星の蒼穹で持ちこたえてはいるが、いつ、その均衡が崩れるか分からない。

男は男で攻めあぐねていた。すぐにでもくびり殺せそうな、無力に等しいガキが二人。それが、あの蒼穹のせいでなかなか上手くいかない。

 (だが……)

 男は心中でほくそ笑んだ。

 (いくら武器が優れていても、それを扱うのは、無知で不慣れな小娘だ……。少し揺さぶれば、こんな小娘、すぐ我が手に堕ちる)


 「実は、少し貴様に期待していたのだがな。〈暁〉の娘よ」

 いきなり話しかけられて、驚き警戒しながら、慎重に銀星は口を開いた。

 「……私に? いったい、何を」

 「負の感情を」

 ニタリと、男が笑う。銀星は身体をぶるっと震わせた。男の笑い顔は、どうにも、生理的に受け付けられなかった。

 「外へ向かう負の感情だ。あのガキを傷つけたことで、外を、世界を、自身の運命さえも、呪い、そして憎むことを期待していたのだが……。まったく、思い通りにならなくて腹が立つ。内へ向けられては意味が無いのだよ」

 あのガキ——間違いなく、千鶴のことだろう。確かに、千鶴を傷つけてしまったとき、銀星が抱いたのは自責の念。自分自身だけを責め、恨んだ。当然だと、銀星は思っている。

 どうやら、外だろうと内だろうと、負の感情をもった時点で、この男には感知されてしまうようだ。

 ぎゅっと唇を強く噛んだあと、自分の瞳に怒りや恨みが映っていないことを祈りつつ、銀星は言った。

 「人は道具じゃないわ。誰もが、誰かの思い通りになんかならないのよ」

 「ふん。言ってくれるわ、小娘が。貴様から負の感情が漏れれば、私の計画はより完璧になっていただろうに」

 「あなたの計画……。〝楽園計画〟のことね」

 「ああ、そうだ。アレから聞いているのだろう? まあ、アレが信じていたものとは、若干の相違点があるがな」

 自分の姉を『アレ』呼ばわりされ、銀星はらしくもなく、カッとなった。

 「ふざけないで! 最初っからそのつもりで、お姉ちゃんにウソを言っていたんでしょう⁉ この人でなし!」

 「ちょ、銀星さん」

 実際には決してしないだろうが、今にも銀星が男につかみかかっていきそうで、昴は思わず銀星の腕を捕らえた。

 それを見て男は銀星たちに気づかれないように、小さく笑った。

 「人でなし、なあ。褒め言葉として受け取っておこう。私は、貴様らのような下等な人間たちとは、確かに違うからな」

 「下等ですって……? どう違うのか教えてもらいたいわね」

 「ふん。教えたところで貴様になど、理解できんさ。私は、神にも等しい力を持ち――そして、もうすぐ神になる存在なのだからな」

 「神を騙るなんて、おこがましいにもほどがあるんじゃない?」

 「おこがましい、だと?」

 男の眉がピクリと動く。これは思わぬ反撃を食らった。

 「おこがましいとは、なんという言い草だ。私が神になるのは、もはや動かぬ事実だ」

 「勝手に結論付けないでほしいわね。私たちはまだ、誰一人として諦めてないんだから」

 男の余裕の表情が崩れたのを見て、銀星は少し落ち着きを取り戻した。だが、すぐにそれは霧散した。

 「早々に諦めたほうが、お前たちの身のためだと思うがな。そら、これが貴様らの成れの果てだ」

 男がふわりと腕を振ると、陽炎のようにおぼろげながら、確かな映像が見えた。

 自分や昴が——男とストレイア以外の——銀星の大事な仲間たちが、絶命し、血だまりの中に沈み、動かぬただの肉塊と成り果てるまでの一連の映像が。

 脳がその映像を、映像として認識したとき、銀星は自分でも驚くぐらい激高した。身体の奥底から熱い塊がせり上がってくるようだ。

 男に向けられたのは、間違いなく殺意。まぎれもない憎しみと、怒りの感情だった。

 「てめぇ、ふざけん……」

 「ダメだ、銀星さん!」

 銀星が今の気持ちそのままに、矢をつがえたとき、彼女を綺麗な風が包み、熱を攫っていった。

 「落ち着くんだ、銀星さん」

 昴が銀星の両肩に手を置いた。

 「どうやら、あの男にのせられていたみたいだ」

 「え、それってどういう……?」

 自分より頭ひとつ分高い昴を見上げて尋ねる。さっきまでの激情は、まだ燻っている感じがしないこともなかったが、おおむね消えている。

 「君に、負の感情を放たせようと言うことさ。さっきの会話から察するに、君が負の感情を放つと、奴の〝計画〟を進めてしまうらしい」

 「そういえば、そんなことを……。すいません、昴さん。私、つい、我を忘れてしまって」

 気恥ずかしくなって、昴から目を逸らしつつ謝罪すると、昴は「いや、」と続けた。

 「たぶん、君が我を忘れるように、あの男が仕組んだんだと思う。君が激高する直前、どす黒い空気が君を包み込もうとしていたから」

 「え……」

 「とにかく、間に合ってよかっ……がっ!」

 何かに弾かれたようにのけぞって、昴はそのまま倒れた。

 「っ、昴さん!」

 「あ……ぅ…………」

 銀星が急いで足す起こす。額から血が噴き出しており、きれいな金髪は、前髪が赤く濡れていた。

 「まさか、『清風』を契約している者がいるとはな」

 人差し指をこちらへ向け、男は不機嫌そうに呟いた。

 「おかげで、せっかくの機会をふいにしてしまった。小娘一人ならば、容易かったものを」

 「『清風』……? もしかしなくても、今の風のこと……?」

 「貴様の持つ蒼穹と同じく、天の女神が祝福したという、ふざけた伝承がある術だ」

 「君の、蒼穹に……比べられるほど、立派なものじゃ、ない……」

 昴が額を抑えながら、起き上がる。彼の傍らにシーアが控えているのを見て、そして昴の額を確認して、銀星はひとまず胸を撫で下ろした。

 「気に食わん……が、貴様らの未来は決して変わらん。貴様らは死ぬのだ。私の創る新たな世界を見ることなく、な。ああ、そこだけは哀れに思ってやろうか」

 「そんなこと、思ってくれなくてもけっこうよ。あなたのその野望は、私たちが絶対に止めるから」

 「まだ言うか。だが、貴様は本気でアレが手を貸すと思っているのか? 今は利害が一致しているかもしれんが、アレは本気で世界を憎んでいるのだぞ。アレは世界を滅ぼすことは望んでも、世界の再生は決して望まん。……そういう風に、育てたからな」

 男の澱んだ瞳に、愉快そうな表情が映る。銀星は歯ぎしりをして、知らず知らずのうちに両拳を強く握りしめていた。

 「銀星さん」

 昴が彼女をいさめる。銀星は、分かっているというように頷くと、深呼吸をして気持ちを落ち着かせてから、静かに立ち上がった。

 「私に負の感情を放たせることに失敗したから、今度は私を疑心暗鬼に陥れようって? それなら無駄よ。私はお姉ちゃんを信じているから。もし万が一、お姉ちゃんが世界を救うのを渋っても説得できる。だって、私たちは姉妹だから。お姉ちゃんも必ず、分かってくれる」

 そう言いきった銀星の目には、わずかな曇りも無く、本当に夜叉を——自分の姉である銀嶺を、心から信じていることが容易に知れた。それが、男を大いに苛立たせた。

 「……麗しき姉妹愛、とでも言う気か? ふん、くだらん。実にくだらんよ。そんなものは、ただの幻想にすぎん」

 「セリフが陳腐ね。神になると大言壮語した人にしては」

 銀星の何気ない言葉は、男の胸を抉った。

 「なに?」

 「陳腐だって言ったの。……ついでに言わせてもらえば、神になるなんて言ったけど、それにしては、心が狭すぎるんじゃない? 神様はもっと人を愛し、慈しむものよ」

 後半、銀星は明らかに意図をもって、男を挑発していた。昴は内心でヒヤヒヤしながら、周囲の様子に気を配っていた。

 「人を、愛するだと……? 慈しむだと……? こんな腐りきった世界の、性根が腐った者共をか⁉ 人間と呼ぶのも反吐が出るような、クズで、下種な奴らに捧ぐ愛などないわ‼」

 言い終えると、男は大きな深呼吸を繰り返した。よほど、気持ちが高ぶっていたらしい。

 「なんて言い方だ。聞いてるこっちのほうが、気分が悪くなる」

 顔をしかめた昴の言い分に、銀星も賛成だった。しかし、それよりもふと気づいたことのほうが、銀星にとって重要だった。

 「あなたの言い分なんて、聞く気がなかったのだけど。ひとつ、聞いていて分かったことがあるわ」

 「はっ、なんだ? 言ってみろ。聞いてやろうじゃないか」

 「あなたが、可哀想な人だということよ」

 「……なんだと?」

 今度は、挑発などではなかった。少なくとも、銀星にその気はなかった。彼女は、本当にそう思ったのだ。

 「あなたは人から愛を貰ったことが、とても少なかったのね。そして、人に裏切られることが多かった。そんな人生を送ってきたんでしょ? 誰からも愛されず、誰も愛することが出来なくて。だから、こんなことをしてやろうと思ったんでしょ?」

 銀星の予想は、当たらずも遠からず、と言ったところか。 

 「あなたは、自分の弱さを世界のせいにしているだけよ。そんな理由で世界を滅ぼさせやしない!」

 男は身体を震わせ、

 「調子に乗るのもいい加減にしろ、小娘ぇ!!」

 叫んだ。

 怒髪天を突くとは、まさにこのことだろう。あまりに激しい殺気で、男の髪も服も吹き上がり、大きくはためいた。

 男の手の平から、赤黒い光が何本も発射される。銀星も、負けじと蒼穹を放つ。蒼穹自身が光を砕くこともあったが、蒼穹が刺さった地面から、カーテンのような盾が生まれ、男の攻撃を弾いていった。

 男は憎々しげに蒼穹を睨み、今までとは違い、感情を剥き出しにして攻撃をしてきた。

 「貴様が言うのは理想論だ! ただの夢物語だ! 現実を見てみろ!」

 自分を庇おうとする昴を気にかけつつ、銀星は反論した。

 「見てきたわよ。ここに来るまでの間に!」

 「たかだかひと月あまりの旅で、いったい何が分かるというのだ! 夜叉ですら本当の世界の醜さというものを知らんだろう。私とて、全ての世界の醜さを知っているとは言わん。だが! 信じれば裏切られるということは! 自分さえよければという自分本位な奴ばかりだということは! 誰よりもよく知っている‼ だからこそ、私は新たに世界を創るのだ! 誰もが心穏やかに、健やかに暮らせる。それが私の創る新しい世界だ‼ これは、貴様らのようなガキには理解できん、崇高なる使命なのだ‼」

 「崇高な使命? どこがだよ。僕たちが生きてきた、生きていこうとした世界を、身勝手に滅ぼしてるだけじゃないか」

 昴が、そう吐き捨てた。この男の話を聞いていると、胸のあたりがムカムカする。

 銀星ばかりに任せるつもりなど、毛頭ない彼は、自身も何度となく遠距離攻撃を仕掛けているのだが、効果はあまり見られない。清風も利用してみたが、結果は同じだった。

 どうにも歯がゆくて構わない。

 唇を噛み締めながら、それでも昴は攻撃を続ける。

 銀星は銀星で、何度も蒼穹で男を狙うがことごとく砕かれ、防がれていた。

 「あなたと同じことを言われたこともあった! でもね、私の理想論を、私なら現実にすることが出来ると言ってくれた人がいるのよ。だって私は〈暁〉の者だから! 世界を救う、片翼を担う者だから!」

 銀星は、少し攻撃の仕方を変えてみることにした。太い光の矢は、銀星の手を離れると同時に、複数に分裂してバラバラに動く。

 それを見た男は眉根をきつく寄せた。

 「あなたの計画は、絶対に阻止する! その代わり、私が見せてあげるわ。誰ひとり死なせないで、誰もが心穏やかに、健やかに暮らせる平和な世界を! 私が、お姉ちゃんと一緒にね‼」

 ついに、蒼穹が男の頬をかすめた。このとき、男はすっかり失念していた。この蒼穹という術、本体から放射される光だけでも、男にとってダメージを与えていたのだ。それが直に触れたとなれば。

 「ぐおおぉ!」

 顔の右半分を焼かれた男が、苦悶の叫び声をあげた。

 「ぐっ、は、はあ……!」

 顔を抑え、どうにか息を整えようとするが、上手くいかない。男の頭の中は、もはや際限のない怒りだけが渦巻いているだけだった。ギロリと二人を睨みつけ、

 「貴様は、この私を本気で怒らせた! それを後悔するといいっ‼」

 ばっと男が左腕を掲げた。古竜を喚び出したときとは違う、今度は不気味な紫色の文様がその腕に浮かんでいた。

 (あれは……何かヤバい!)

 昴がとっさに疾風迅雷を放つ。だが、それを契約していた円盤は男に触れる前に、融解した。

 「なっ……!」

 昴が息をのむ。銀星も一瞬、呆然としたようだが、すぐに我に返ると、次々と矢を射かけた。さすがに男はそれを避けていたが、蒼穹も威力が目に見えて落ちていた。おそらく——いや、十中八九、あの空気が問題だ。男の後ろに開いた穴から漏れる、濃紫色の瘴気。

 「出でよ、古に造られし禍つ兵たちよ!」

 そして、何かが這い出てきた。魔物、というのが適切だろう。

 人の身長ほどもあるような胴を持つ蛇。牙が異様なまでに長い。

 見た目は、猿やゴリラに似ていた。猫背で二本足で歩いてはいるものの、大きく長い両腕は地面にかすっている。

 同じ二本足で歩いているものの、頭が三つあるモノ。半透明でスライム状のモノが地面を、嫌な音を立てて進んでいる。きわめつけは、古竜ほどの大きさはなくとも、姿形は同じの、確かに竜と呼べるモノが何体いることだろう。

 「あ、あ……」

 のどが震えて声が——いや、体全体が震えて、指一本動こうとしない。逃げるとか、攻撃するとか、防御するとか、選択肢はいくらでもあるのに、どれも実行まで持っていけない。頭では分かってるのに、身体が恐怖で動かない。

 その硬直を解いたのは、一撃の大きな落雷だった。といって、二人やその近くに落ちたものではない。もう少し離れたところで。

 「! な、なに、今の……」

 「雷、か……? いったいなんで」

 顔を見合わせると、二人は互いが滝のような汗を流しているのが分かった。心臓がばくばくなっている。身体の震えはますます酷くなったようだ。

 そんな恐怖で怯えている二人に、男が冷水のような言葉を浴びせた。

 「あれは破空雷光だ。そうか、ストレイアにそれを出させたか。思ったより粘ったようだが、終わったな」

 「終わったって、まさか……」

 昴が口の中で呟いた。だが、男には表情でなにを言ったか分かったようだ。きっと、銀星も今は昴と同じ顔をしているに違いない。

 「貴様らの仲間——あの赤毛の男とチビだろうな。奴らは今、死んだ。確実にな」

 男がニタリとした笑みを見せた。

 ほんのわずかな間、銀星と昴の時が止まり——

 「ウソよ!」

 「ウソだ!」

 二人は同時に叫んだ。

 「ユースはお前たちにやられるほどヤワじゃない!」

 「結芳ちゃんだってそうよ! 任せてって言ったんだから、あの二人は絶対にストレイアって人を倒してくれるわ!」

 「はっはっは。大した強がりだ。なに、心配することはないぞ。お前たちもすぐ、あとを追うことになるのだからな!」

 男が腕を振り下ろす。魔物たちが一斉に向かってきた。

 二人は方舟を喚び出すと、空へ逃げた。

 「昴さん、私……」

 「分かっている。奴にはああ言ったけど、僕だって二人が心配だ。急いで様子を見に行こう」

 方舟を、さっき落雷があった場所へ向けたとき、二人の間を、あの瘴気に似た色をした水が駆け抜けていった。

 「なんだ⁉」

 そう言って振り向けば、今度は濃紫色の炎が昴の目の前にあった。

 (そうか、小竜らは空を飛べるのか!)

 かなり無茶な方向へ身体をひねってかわしたが、毛先が炎に触れてしまった。すると触れた部分の髪が、燃えるのではなく溶け始めた。ドロドロという音が聞こえそうだ。昴は慌ててナイフを引き抜くとその部分を切り落とした。少し変な髪型になってしまったが、そんなところは気にしてられない。空中で髪があっという間に溶けたのを見て、昴はぞっとしない思いだった。

 (き、気持ち悪い……)

 身体をブルリと震わせたとき、銀星が「危ないっ!」と言って昴に体当たりをしてきた。驚いた昴はバランスを崩し、銀星がぶつかってきた勢いのまま、後方へ大きく下がった。すると、一瞬前まで昴がいたところを何かが凄い勢いで通り過ぎていった——と思ったら、それは蛇の巨大な頭だった。信じ難いが、蛇はゴムひものように、地面から身体のバネを使って空中高くまで飛んできたのだ。

 「そ、そんなことができるのか……」

 ユースたちのほうへ向かうどころの問題じゃない。一瞬でも気を抜けば、こいつらの餌食になる。

 「ふははは。そうだ、怯えろ、逃げ惑え! 絶望を知れ、ガキ共が!」

 男が高笑いをする。それを横目に見ながらも、二人はただ、四方八方から来る攻撃を避けるので手一杯だった。

 「クックック。さあ、こやつらはこれでいい。放っておけば、すぐにくたばる。では、最後の仕込みといくか」

 男はそう言うと、ゆっくり目を閉じ、意識を古竜に向けた。

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