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七章(3)

 ゴオッと音を立てて、古竜の手が振り下ろされる。巻きあがった土煙に紛れて古竜の手に飛び乗る——つもりが、素早く引き上げられ、逆の手が夜叉を切り刻もうと横から伸びてきた。

 「チッ!」

 舌打ちをして夜叉は前へ飛び出した。一回転して立ち上がると、古竜の横腹に向かって気炎を放った。古竜のぎらつく眼が夜叉を不快そうに睨み、古竜は夜叉に向かって大きな口を開けた。

 「なっ!」

 生物としての本能が、夜叉の身体をとっさに動かした。

 古竜の口から炎が放たれる。夜叉は方舟に乗り、水流波をまとった偃月刀を右手首の周りで回転させて炎を防ぎながら、上空へ逃れた。

 すると、放たれるものが渦を巻く炎から、丸く大きな炎の塊へと変わった。夜叉によけられた炎の塊は、遥か彼方の山を吹き飛ばし、地面に巨大な穴をあけた。

 (なんて破壊力だ)

 それらを横目に見ながら、唇を軽く噛んだ。炎をよけながら、着実に額の黒玉に近づいていく。

 「雷刃!」

 夜叉の中位の術は黒玉に届いたが、なんと吸収されてしまった。

 「吸収された⁉ 弾かれるならともかく……」

 夜叉にスキが生まれた。そこへすかさず、古竜が再び攻撃を仕掛けてきた

 雷による攻撃を。

 「うああっ!」

 もろにその攻撃を食らってしまった夜叉の身体に多数の裂傷ができた。中には、空に弧を描くほど派手に血が噴き出す酷い傷もあった。

 (かみ、なり……だ、と。まさか、さっきのを、吸収したからか……?)

 霞んだ視界に、再び古竜の口が開かれるのが映った。

 (っ、く……)

 痺れを感じる手を、足へ伸ばす。

 「エア……ブーツ……」

 古竜の目が捕らえていた獲物が突然、消えるようにいなくなった。古竜は驚いたが、今さら攻撃を止めることはできない。古竜の口から放たれた雷の渦は虚空へ流れた。

 古竜がゆっくり首を巡らすと、夜叉は古竜の正面にうずくまっていた。古竜は再び手を夜叉へ振り下ろした。だが、古竜の手に、何かを潰した感触はなかった。

 「……?」

 古竜が自分の手の平を見て不思議そうにしていると、眉間に何かが当たった。

 「くそっ、外れたか」

 膝まである金属製の長いブーツを履いた夜叉が、宙に浮きながら偃月刀を構えていた。

 額からは滝のような汗が流れ、息はとても乱れていた。流血と長時間の戦いでの影響で、夜叉の体力と集中力は大きく落ちていたのだ。

 夜叉の雷刃は古竜の鱗を傷つけることすらできなかったが、古竜に不快感を与えるのには、十分だった。

 ハエのようにぶんぶん飛び回って不快。ゴキブリのようにしぶとくて不快。自分のような強いものに、敵うはずもないのに挑んでくる弱く小さな虫ケラ。酷く神経を逆なでされる——。

 古竜が本来持っている知性は、男によって奪われている。そのため、古竜には酷く単純かつ、男に刷り込まれた思考回路しか持たなかった。


 すなわち、大魔術師・バークライアーの命において気に食わぬものは全て破壊、排除する。


 古竜の口から、再び雷が放たれた。先ほどよりも、次の雷を放つのが早い。

 しかし、宙靴は地を走ることも、それと同じように空を翔ることもでき、自分の足で走るよりも体力の消費が抑えられる。体力に限界がきている夜叉には、こっちの方がむしろよかった。

 雷をよけながら黒玉を狙うが、吸収されてしまうなら、ヘタなものは撃てない。どうしても焦りが生まれてしまう。

 「くそっ、どうすればいい!」

 つい、声にも出してしまった。出したところで妙案が浮かぶわけでもなかったが。

 古竜は古竜でいらだちを覚えていた。捕らえたと思えば、またすぐにどこかへ行き、なかなか捕まえることができない。攻撃は大したことがないので気にしていないが、完璧にしとめることができないのが、気に触る。

 だから古竜は、夜叉を挟むように雷の砲丸を二つ放った。

 上へ飛び上がり、それらをよけた夜叉を待ち構えていたのは、白く鈍く光る巨大な爪だった。

 ズバッか、ザクッか。表現し難い音が夜叉の耳に届いた。そして、一瞬おくれてやってきた熱さ。夜叉はかすれた声すらも出せなかった。

 急速に夜叉の意識は薄れていく。だからか、宙靴の機能が停止し、夜叉の身体は重力に引かれるまま、地面へ落ちていった。

 古竜が口を開けたのが、かろうじて見えた。だが、もう指一本動かない。

 「夜叉ぁー!」

 劉の叫ぶ声がかすかに聞こえる。それを境に、夜叉の意識は深い闇におちていった。

 

 「夜叉っ!」

 地面すれすれを、方舟が出せる最大のスピードで走る。だが、古竜の口が大きく開かれているのを見て、自分の剣先を古竜の目玉に向けた。

 「氷柱!」

 細く長い刃にも似た氷は、古竜の目玉にも、その周りの鱗にも刺さらなかった。——目尻に刺さった一本を除いて。

 耳をつんざくような悲鳴が、古竜の喉から発せられた。古竜が腕を振り回して暴れる。それに夜叉が巻き込まれなかったのは幸いと言えよう。

 夜叉の身体が地面にたたきつけられる、その寸前で、彼女を拾い上げると、劉はすぐさまナーシャを喚び出した。

 「治せ! 絶対や‼」

 今まで見たことないような劉の必死さに、ナーシャは「主人の体力が持ちません」とは言えなかった。

 すると、すぐとなりに古竜の尾が落ちてきた。その衝撃で吹き飛ばされ、どうにか夜叉を庇いながら、劉は地面を転がった。夜叉をナーシャに任せ、剣を構えて古竜の方へ向き直るが、古竜は劉たちの方など見ていなかった。どうやら、まだ目の痛みに任せて暴れているようだ。足踏みをし、尾を地面に打ちつけ、空に吠えて。

 それらは地面、空気、そして心まで大きく震え上がらせた。

 「ゲホッ、ゲホッ! うぇ、ものすごい土煙やな。これじゃ何も見えん」

 涙目になりながら、目の前で手を振る。しばらくむせていたが、ふと辺りが静かになったことに気づいた。

 「なんや、もう暴れんのはもう止めたん、か⁉」

 まだ辺りに漂っている土煙の間から、古竜の大きな眼が、しっかりこちらを睨みつけているのが見えた。そして口から、竜巻とたとえるのが一番の、風が放たれた。

 「避けろっ!」

 劉は夜叉とナーシャを抱えて横に飛び退いた。土煙をまっぷたつに裂いて、風が三人のすぐそばを駆け抜けていった。ほっとしたのもつかの間、炎や雷と違い、今放たれた風は、周りの空気をも巻き込み巨大化していた。

 「うっ、おぉ……」

 風にあおられ足が止まる。剣を地面に指して、持っていかれそうになる身体をどうにか支える。

 すっかり土煙は晴れ、三人の姿は古竜に丸見えだった。古竜が首を動かすと、それに合わせて風が移動する。

 「くそっ、氷結球!」

 間に合えと、心の中で叫びながら剣を握る手に力を込める。刀身が光り、瞬く間に剣を中心にして、半径二メートルほどの氷のドームが形成された。一瞬遅れて、古竜の風の攻撃がやって来たが、びくともしなかった。

 「フー。どうにか間に合うたか」

 額に浮いた汗を拭い、劉が一息ついた瞬間、古竜の攻撃の性質が炎に変わった。

 「なっ⁉」

 だがそれ以上に、ドームの正面部分がわずかに溶け始めたことの方に驚いた。

 「んなバカな! 氷結球は防御率の最も高い中位の術の一つやぞ⁉ それが、いくら直撃を食らっとる言うても、こんなあっさり……!」

 劉は柄から手を離し、正面へ駆け寄ると、直接壁に手をあてて修復を行った。だが、少しでも手を離せばすぐに溶け始めるため、その場から一歩も動けなくなってしまった。

 「くっそぉ……」

 「無茶です! 古竜の炎は、対象を焼き尽くすまで消えない業火だと聞いています。あなたの方が持ちません!」

 「……夜叉の、怪我は?」

 顔色が明らかに悪い劉を見かねて、ナーシャが彼を止めるために走りよろうとした時、劉が聞いてきたのは夜叉の容態だった。それに対してナーシャが答えたセリフは、劉の使役魔としてはたいへん正しいものだった。

 「彼女のことより自分の心配をして下さい! それ以上続ければ、本当に命が危なくなりますよ⁉」

 そして、遂に劉はいらだちを爆発させた。

 「手ぇ止めてんじゃねえぞ、ナーシャ‼ さっさと夜叉を治しやがれ! そいつが死んだら元も子もねえんだよ!」

 しかし、ナーシャも簡単には引かなかった。

 「私はあなたの使役魔です! 主人たるあなたのことが、全てにおいて一番なんです!」

 「そのオレの命令が聞けねえのかっ! ゲホ、ゲホっ!」

 「主人!」

 「……何を、している」

 轟々とドームの周りを過ぎてゆく炎の音にまぎれてしまうような、かすれた細い声が劉の耳に届いた。両手をドームの壁に当てたまま、首だけを巡らして背後を振り返ると、夜叉が地面に倒れた他まま、顔だけをこちらに向けていた。

 「夜叉、気づいたか!」

 劉の顔がパッと明るくなった。

 「何を、しているんだ……」

 ゆっくり、顔をしかめつつも起き上がろうとする夜叉を見て、慌てたように劉がナーシャに言った。

 「ナーシャ、夜叉の治療を再開してくれ。気ぃついた奴相手なら、さっきより早よ治せるやろ」

 「……分かりました」

 不満そうではあったが、劉の言うことも正しいので、ナーシャは渋々うなずいた。しかし、くるっと振り向いた彼女は、それ以上先に踏み出すことができなかった。

 「貴様はここで何をしているんだ、劉!」

 夜叉の迫力におされたのだ。夜叉のその睨む目の先は、怒りの矛先は、劉に向けられているはずなのに。ナーシャの足はすくんで、どうしても動けなかった。

 「あ? 何って」

 「ストレイアはどうした! 古竜はオレがやると言ったはずだ!」

 「ユースと結芳に任せてきたよ」

 「なっ……貴様、なんのつもりだ! あんな奴らにストレイアが倒せるはずがないだろ! 無駄死にさせる気か⁉」

 「あいつらなら大丈夫やろ。つーかそもそも、オレにこっち行け言うたんはあいつらやし」

 「だからといって、置いてきていいわけないだろ! 奴らは貴様の親友と従兄弟だったんじゃないのか。奴らが死んでもいいというのか⁉」

 「んなわけねえだろ!」

 「ならさっさと行ってやれ。……とっくに死んでるかもしれんがな」

 偃月刀で身体を支えるようにして、おぼつかない足取りで夜叉は劉のすぐ後ろへやって来た。

 「あ、あの、怪我の治療を」

 「必要ない。傷は塞がった」

 ナーシャが夜叉におずおずと話しかけたが、夜叉は冷たく言い放った。本当に何でもなさそうに夜叉は言う。それが当然だったからだ。しかしそれは他人に、劉に言わせれば、ただの強がりだ。

 「オレが今どいたら、氷結球は消える。この炎を防ぐ術はなくなんねんぞ」

 「問題ない。数瞬なら水流波でも対応できる」

 「ずいぶん危険なカケやな」

 「無駄口を叩いてないでさっさと奴らのところへ行ってやったらどうだ」

 肩におかれた夜叉の手を、肩を振ることで払って劉は答えた。

 「ヤダね」

 「なんだと?」

 「あいつらなら心配あらへんわ。むしろ、戻ったところであいつらに蹴り返されるだけや」

 「どうだか」

 「なによりな、お前を置いていけるわけねえだろ、ボケ!」

 「は……?」

 こんな状況にも関わらず、夜叉はほうけた声を出してしまった。

 「まだわかんねえのかよ! 確かにあいつらを死なせたくはねえけどな、てめえだって死なせたくねえ大事な仲間なんだよっ‼」

 「……っ⁉」

 「てめえはいつもそうだ。一人でなんでもかんでもどうにかしようとしやがって! ちったあオレらを頼れや! 特に、今みてぇに大ケガしてる時とかな!」

 夜叉は、何も言えずに立ち竦んでいた。劉と出会って長いが、自分にこのような——子供を叱りつけるような調子で、まくしたててきたのは初めてだ。

 「分かったか⁉ 分かったら、てめえはおとなしくナーシャの治療を受けとけ。オレがこうやって守っといてやるからよ」

 「なんだとっ……」

 最後のひとことが不満で、夜叉が文句を付けようとしたとき、、古竜による炎の攻撃が止んだ。

 「あん?」

 「なんだ?」

 二人とも怪訝そうな顔をする。だが、周りには水蒸気が酷く立ちこめていて、様子はよくわからない。

 ひとまず手を離しても大丈夫だと思った劉は、膝の上に手を置いて、必死で息を整えた。気を抜けば倒れてしまいそうだった。

 「……大丈夫か」

 「あ? まあ、なんと、かな」

 「ふん、そんな状態でよく」

 夜叉が嫌味ったらしく言いかけると、突然壁の向こうの視界が開けた。だが、目の前に古竜はいなかった。

 「どこへ行った!」 

 夜叉が辺りを見回そうと身体を動かしたとき、ふっと暗くなった。夜だというのに、はっきり暗くなったと分かるほどに。

 「上です!」

 ナーシャが叫んだ。その時には、すでに夜叉は再び宙靴を稼働させ、二人を抱えて走り出していた。

 「解け、劉!」

 「分かっとるわ!」

 劉は、ただ氷結球を還すだけでなく、細かい氷の刃に変えて古竜めがけて放った。傷をつけるためではなく、ほんの一瞬だけでもいいから、意識を逸らせるために。

 辛くもぺちゃんこになることを免れた三人。十分な距離まで来ると、夜叉は二人を下ろして、地面に座り込んで立てない劉に言った。

 「貴様はここにいろ」

 「あ? お前まだ」

 「違う」

 思いっきり顔をしかめて言った劉の言葉を遮る。

 「貴様の言いたいことは理解した。だが、その状態で貴様に何ができる。ここで、貴様は自分を守ることだけに専念しておけ。いいな」

 それだけ言うと、劉の制止も聞かず、夜叉は古竜の方へ向かって行った。

 「あのアホっ! なんか打開策が見つかったわけでもあるまいに!」

 地面に拳を叩き付けながら言った。ふと、視線を感じて横を見ると、ナーシャがつらそうな顔で劉を見ていた。

 「……ナーシャ、お前も疲れたやろ。ありがとうな。もう戻ってくれてかまわん。またすぐに喚び出すかもしれんから、今のうちにちょっとでも休んどけ」

 「けど」

 「お前ら治癒の使役魔は、体力の回復まではできひんやろ」

 ナーシャはしばらく黙っていたが、一礼するとふっと消えた。

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