六章(3)
「ふざけないで」
もう一度銀星は繰り返した。一言ひとことに、今までの銀星からは考えられないほどの迫力が感じられた。そう、銀星は、いつになく怒っていた。
彼女が誰かに怒りを向けた数は、片手で足りるほど。
そしてその中でも、こんなに激しい怒りを感じたのは、生まれて初めてだった。
「あなたはなんの権利があって世界を滅ぼそうとするの? そんな権利があなたにあるって言うの? この世界で必死に生きている人だっているのに。そんな人たちを、あなたの勝手で殺して、あなたの勝手で世界を滅ぼす? あなたを信じてついてきたお姉ちゃんまで捨てて? 人を何だと思っているの⁉」
銀星の右腕にはまっていた腕輪の光はますます強くなり、直視できないほどだった。
そして、その形状がだんだん変わり始める。
「私は、あなたたちを絶対に許さない‼」
光が爆発した。
あまりの眩しさに、全員が思わず目をつぶった。全員の視界が元に戻ったとき、銀星の手には大振りの蒼い弓が握られていた。
「なんだ、あれは」
ストレイアが不快そうに、顔をしかめて呟いた。
銀星自身、驚いていないわけではなかったが、何故かこれでいいのだと思えた。これが本来の蒼穹の姿なのだ。
「蒼穹か。なるほど、あのガキが死ななかったのはそれのせいか」
舌打ち混じりに男が吐き捨てた。
「ご存知で?」
「天の女神が祝福した者のみに与えるという、くだらん言い伝えがある術だ。……しかし、それを使うものは決して楽な死に方をしないとも言う。どうやら、そこだけは真実となりそうだな」
男がにやりと歪んだ笑みを浮かべる。キッと二人を睨みつけ、銀星は弓を構えた。光が収束し、矢の形になった。
「世界を滅ぼさせたりなんかしない。お姉ちゃんも殺させたりなんかしない。私があなたたちを止めてみせる!」
放たれた矢を二人は軽々とかわす。しかし、地面に刺さった矢の先から淡い光の輪が広がり、二人の身体を焼いた。
「痛っ⁉」
「……なるほど。油断はするべきでない、ということか」
右腕をさすりながら男が言った。今の光に大きな威力があるわけではなかったが、連続して受ければ致命傷になるかもしれない。
「ふむ。時間をかけすぎるのもいただけない。手っ取り早く、これで貴様たちの相手をしてやろう」
すっと左腕をあげ、男が朗々と詠唱を始めた。その腕に固まった血のような、どす黒い色の文様が浮かぶ。
男の背後の風景が歪み、穴が現れた。そして、その中から形容し難い唸り声が聞こえてきた。
「なんだ……?」
全員が首をかしげた時、ガシッと穴の淵を何かの手が掴んだ。ゴツゴツとした鱗に覆われ、白い爪は鋭く、子供ぐらいの大きさがあるだろうか。
そして、徐々に全身が現れ、その姿に銀星たちは言葉を失った。
爛々と光る眼は敵意に満ち、大きな口にはのこぎりのような形をした歯がずらりと並んでいた。
びっしりと身体を覆う鱗の下には、隆々とした筋肉が隠れていることだろう。
広げられた翼は空を隠すか、見上げるその身体は山かと疑うほど、それは大きかった。 なかでも最も特徴的なのは、額で不気味な光を放っている球体。
「出でよ、古き世から到来せし災いの悪魔、古竜ラグナロクよ!」
——それは、伝説となっていた竜だった。
「ラグ、ナロ、ク……だと……?」
顔を上げた夜叉が呆然と呟いた。それを聞いて、銀星が竜から視線を外さないまま、震える声で聞き返した。
「お姉ちゃん、ラグナロクって……なに」
「……古竜ラグナロク。高位の使役魔だ。しかし使役魔に分類されているものの、実際に使役することは——自分の指示に完璧に従わせることは、不可能だったはずだ。なのに何故、この局面で」
「あ、あたし聞いたことあるよ」
少し震えながら、結芳が片手を上げた。
「竜の額にある宝玉は竜の力の源。無限の再生能力を持つとかなんとかって。限りなく透明なのに、見る角度によって、いろんな色の光が見えるらしいよ」
「けど、見てみいや結芳。あれ、黒……やぞ」
果たして黒と言ってもいいものか。そうとしか表現できないが、まるで瘴気を固めたようなその宝玉の色を『黒』と言うには抵抗がある。
「うん、だから、もしかしたら」
「使役できないはずの竜を使役しているかもしれない、と言いたいんだね」
「うん……」
昴が結芳の言葉を引き継ぐ。結芳は自信なさげに、弱々しくうなずいた。
「とにかく、あの黒いのをブッ壊せばいいってことだな?」
ユースが竜の額を指差して言った。
「お前、簡単に言うけど、どうやってや」
「え、え〜」
首をひねって策をひねり出そうとしているユースをよそに、銀星が夜叉に呼びかけた。
「立って、お姉ちゃん」
未だ地面に膝をついたままの夜叉に手を差し伸べる。
「千鶴ちゃんを傷つけてしまってごめんなさい。それは、本当にそう思ってるの」
「……」
「お姉ちゃんが私を許してくれないってことは分かってる。けど、今、私はこの世界を救いたい」
一語一語区切って、言葉に力を込める。夜叉は黙って銀星を見上げていた。
「そのためには、お姉ちゃんの力が必要なの。お願い、お姉ちゃん。私と一緒に、あの人たちと戦って」
祈るような気持ちで、銀星は夜叉を見つめた。だが、夜叉は銀星の手を取らず、一人で立ち上がった。
「お姉ちゃ……」
「俺は、この世界も、貴様も憎かった」
慌てたように夜叉へ伸ばされた手が、止まる。
「だが、今回ばかりは、貴様の言うことが正しいようだ」
夜叉は決して銀星と目を合わせようとしなかった。だが、偃月刀を握る手には、しっかり力が込められていた。銀星はほっとして、柔らかい笑みを浮かべた。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「礼を言われるものでもないし、まだそれには早いだろう。……それに、実を言うと、俺では師匠にも、ストレイアにも勝てない。……俺に、戦う術を教えてくれたのはあの二人だから」
「そう、なの」
つまり、相手が夜叉の動きをほぼすべて予想でき、対応できるのに対して、夜叉は自分の攻撃がきかないことになっても、それを打ち破るのは簡単ではない。何より、相手の方がもともと、何倍と強いことは明らかだ。
「だが、その点で言うなら、古竜の方は問題ない。奴は俺に任せてくれてかまわない」
「お姉ちゃん一人で相手をするの? 危険だよ」
「問題ない」
「いやいや、大アリやろ!」
「二人で勝手に決めないでよ!」
二人の間に劉と結芳が割り込んできた。
「特に夜叉、お前傷だらけやんけ。せやのに、あんな化けもんに一人で立ち向かうんは無謀っちゅーもんやで」
自分の肩をつかみ、仰々しいため息をつく劉の腹を夜叉は軽く叩いた。
「ゔっ」
「貴様に言われたくないな」
「……お前のせいでもあるんやけど…………?」
夜叉に刺され、叩かれた部分を抱えて劉が呻く。それを見て苦笑しつつ、銀星が言った。
「じゃあ、私があの二人の相手をしますから、皆さんで古竜を」
「なんでだ!」
結芳、ユース、昴の三人から抗議の声が上がった。目を丸くしている銀星に三人が詰め寄る。
「一人で二人を相手にできるわけないじゃん!」
「あんたが死んだら意味無いんだぞ!」
「君はもう少し、僕たちを頼ってもかまわないんだから」
「ていうか頼って!」
「けど、二人ぐらいなら私だけでも……」
「あっちの若いヤローは、青海港を一発で壊滅させた奴だぞ!」
「他にどんな術を使ってくるか分からない。君一人では危険だ」
お互い主張しあって譲らない四人を見て、夜叉はため息をつくと古竜に向き直った。
「劉」
「ん?」
「お前がストレイアの相手をしろ」
「はあ? またなんで」
「あいつらを待っていたら、先に世界が滅びる」
「……ま、まあ、否定はせんが」
四人の言い争いを横目で見ると、劉は乾いた声で答えた。
「なら、いいな。行くぞ」
「……了解」
深々とため息をつくと、劉はうなずいた。二人は同時に走り出す。
自分に向かってくるのを見たためか、ストレイアが男から少し距離を取る。
「烈火っ!」
「水波」
劉の放った炎は実にあっさりと、ストレイアの水に消された。心底呆れた、と言う風にストレイアが話しかけてきた。
「懲りないなあ。さっきだいぶ痛めつけてやったのに」
「ふん。ここでお前らを止められんかったら、どうせ死ぬだけやろ」
「なるほど、もっともだね。ま、主様の計画を万が一にも狂わされないために、君たちはここで殺しておこう」
「やってみやがれ」
ストレイアの本気をかいま見て、劉の頬を嫌な汗が伝った。
「潰せ、ラグナロク」
男の命に従い、古竜が夜叉めがけて手を振り下ろす。衝撃で地面が揺れ、激しい土煙が巻き起こった。視界が瞬く間に閉ざされる。
「お姉ちゃんっ! ゲホッ、ゲホ」
四人の視線が夜叉と古竜に向く。と、劉の腕を駆け上がる夜叉の姿が見えた。そのまま額の黒玉へと迫るが、古竜がその太い腕を一振りすると、あっさり払い落とされてしまった。
「お姉ちゃん!」
「問題ない! 貴様らはどうするかさっさと決めろ!」
悲鳴を上げ、駆け寄ろうとする銀星を制して、夜叉は再び古竜へ疾走した。
四人が顔を見合わせた時、派手な爆発音が聞こえた。そちらへ目を向ければ、劉が地面をゴロゴロと転がっていた。
「焔成! くそっ!」
ユースが走り出した。
「ユースさん⁉」
「あたしとあの兄さんがあっちを相手にするから! 銀星さんと昴さんはそっちね!」
結芳がユースに続いて走り出しながら、半身を後ろにひねって二人を指差して言った。
銀星が何かを言う前に、昴が彼女の背中を軽く叩いた。
「いくよ、銀星さん」
「……はい!」




