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五章(4)

 そして夜。

 (この三日間、何の襲撃もなし。使役魔による待ち伏せもなしか……。こっちが近づいてきていることぐらい分かってるはずなのに、一体どうして……?)

 クルトの操作台に座って、周囲へ目を光らせながら昴は思った。

 (あの子の治療をしているから? いや、むしろあの女なら、女の子の目が覚めたらすぐにやってきそうなものだけど……)

 少しして首を振ると、彼らについて考えることを止めた。分からないものをあれこれと考えてもしょうがない。

 ハーッとついた溜息が白くなる。もともと、この辺りは砂漠で夜は冷え込むものだったが、あの山から発せられる魔力のせいで、常よりもずっと冷え込んでいる。そう、巫女のような力がない昴でも、感覚として捉えることができるほど強く、邪悪な魔力。空気を直に吸うのも躊躇われ、昴はマフラーを口元まで引き上げた。

 (彼らの本拠地はもう目の前。いつ、誰が攻撃してきてもおかしくないし、こっちから仕掛けるのも遠い話じゃない。けど)

 その時ふと、何か物音がしたような気がして振り返ると、銀星がこちらを見ていた。

 「昴さん、眠れないんですか?」

 久々に聞いた彼女の声。しかしその内容に、昴は少しだけ目を見開くと、再び前を向いて言った。

 「見張りだよ、僕たち三人で。いつ彼らが襲撃して来るか分からないからね」

 「そう、なんですか。……三人ってことは結芳ちゃんも?」

 「ああ。止めたんだけど、自分だけ特別扱いするなって言われちゃってね。まあ、ユースに『寝不足だと背が伸びないぞ』って言われて、反発したっていうのもあるだろうけど」

 「そうですか」

 銀星は目線を少しさまよわせた後、操作台の方へやってきながら言った。

 「私、代わります。昴さんも寝て下さい。今からなら、私でも朝まで起きていられます」

 「いや、大丈夫。君こそ寝た方がいいんじゃないか。色々と考えて疲れもあるだろうし。なんせ、僕たちの話が耳に入らないぐらい考え込んでいたんだから」

 昴の言葉に棘を感じて、銀星は身体を少しこわばらせた。

 「銀星さん、君を責めるような言い方になって悪いとは思う。けど、はっきりと言わせて欲しい。……君は、もっとしっかりするべきだ」

 銀星のふがいなさに昴は怒っていた。いや、もどかしさ故のいらだちを感じていた、と言う方が正しいかもしれない。

 「君には大事な使命がある。そうだろ?」

 昴は不機嫌さを抑え、淡々と言葉を重ねる。

 「世界を救うという使命だ。これは、君にしかできない事でもある」

 「私に、しか……」

 「そうだ。君にしかできない」

 「だけ、ど、私は……あの子を救うばかりか傷つけてしまった。今まで苦労もあったはずの、あんな小さな子に……私がしてしまったこと、昴さんだって見ていましたよね?」

 「もちろんさ。あの場にいたんだからね。だけど、あれは仕方がなかったとも言える」

 「仕方が……なかった?」

 愕然として、銀星は昴の言葉を繰り返した。

 「だってそうじゃないか。あの時、君はお姉さんを止めなくてはならなかった。そのために蒼穹を放った。そこにあの子が飛び込んできてしまった。まったく予想できなかったことだ。君が故意にあの子を傷つけたわけじゃない」

 「だから、仕方がなかったって言うの⁉ そんなの逃げよ、言い訳よ!」

 「そう思いこむ方が懸命だよ。少なくとも、ぐるぐる後悔して立ち止まってしまうよりは」

 「……っ!」

 「いいかい、銀星さん。世界が今、どんな状況なのか、少しは知っているだろ? 救えるのは君だけだ。そして世界を不幸にしているその元凶の人たちがいる場所は、もう、すぐそこなんだ。君が今、一番にすべきことは彼らを倒し、世界を救うことだ。そのためには逃げでも言い訳でもいい、あの子を傷つけてしまったのは仕方がないと割り切って、前に進むべきなんだ!」

 昴は銀星の両肩を掴んで、力説した。だが対照的に、銀星は唇を噛みしめ、その表情は硬かった。と、

 「おーい。一体これは、どういう状況だ?」

 「二人とも、うるさいー」

 毛布にくるまりながら、ユースと結芳が声をかけてきた。ユースが起き上がってこちらを見ているのに対し、結芳はまだ半分寝ているのか、床に横になったままでだった。

 「どういう状況かって聞かれると、答えづらいんだけど」

 昴は銀星の肩から手を離し、自分の腰へ移動させて、ため息をついた。どこから説明しようか考えていると、銀星がぼそっと呟いたのが聞こえた。

 「世界を……救う?」

 「?」

 ユースと結芳は揃って首を傾げた。

 「そうだよ。それが、伝説にある〈暁の者〉の化身として生まれた、君の義務だ」

 昴はきっぱりと言い切った。

 彼らに向かって、銀星は少し悲しげに、どこか苦しげに、声を絞り出した。

 「無理ですよ」



 一方その頃、帝呀山では。

 千鶴はなかなか目を覚まさなかった。彼女を目に入れても痛くないほどかわいがっている夜叉は、今は睡眠薬を投与されて眠っている。

 (自分も大ケガしとんのに……まったく)

 三日前の、帝呀山へ帰ってきた後。睡蓮香が切れて、目を覚ました夜叉の様子を思い出して、劉は深々とため息をついた。

 

 「ぅ…………く」

 背後でかすかなうめき声が聞こえた。振り返って見ると、夜叉が布団を出て、戸口へ向かおうとしているところだった。慌ててその肩を掴んで引き止める。

 「ちょ、お前、何しとんのや! 絶対安静やぞ⁉」

 「黙れ、止めるな」

 「いや、止めるわ。ナーシャも千鶴を治すのに力使てしもたから、お前は普通の手当てしかしとらんのや。それで、」

 「うるせぇ! 俺の身体なんて知ったことか! 殺してやるんだよ。あの女……千鶴を傷つけたんだ! 必ず殺してやる! だから離せ、劉!」

 パシッ。暴れる夜叉に一つ、平手打ちをする。

 「んな身体で行って何ができる。それに……せめて千鶴の目が覚めるまではそばにおったれよ」

 「千鶴」という言葉の効果はてきめんだった。夜叉は逡巡した後、無言で踵を返すと千鶴の傍らに膝をついて座った。


 そのまま、夜叉が一睡もしないまま三日が経った。これでは治る傷も治らない。ということで、劉は食事に睡眠薬を混ぜて、強引ではあるが、彼女を眠らせた。睡蓮香を使わないのは、使いすぎれば厄介な副作用が働くからだ。

 (さーて、これからどうするか)

 髪をかきむしったり、天井を見上げてうなったりしていると、夜叉が体を起こす気配がした。

 「お、起きたか。よう眠れたか?」

 夜叉は寝起きのためか、目を少し瞬かせていたが、ハッと気づいたように千鶴の方を見た。

 「千鶴は」

 「なんもあらへん。ええ加減目覚ましてほしいもんやけどな」

 「そうか」

 そう言うと、千鶴の頭を不器用そうに、だが優しい手つきで撫でた。

 千鶴と出会ってから、まだ一月ほどしか経っていない。だがその短い間に、夜叉はずいぶんと変わった。いい方向へ。殺人マシーンと言っても過言ではないような性格だった夜叉を、ずっと気にかけていた者としては喜ばしいところだ。

 そう思い、劉はふっと口元を緩めた。だが、

 「ところで劉。俺に妙な薬を盛ったこと、覚えておけよ?」

 「うげっ⁉」

 今、劉に向けられている夜叉の目は以前とそう変わりない、冷たい目だった。

 「こ、このタイミングで、んなこと言うか……」

 「貴様のタイミングなど知らん」

 「くうぅ〜」

 劉は悔しげに握り拳を作った。するとその時、かすかな声が聴こえ、二人は思わずバッと、眠っている少女の顔を見た。眉間に少しシワが寄り、まつげを震わせて小さな目が開く。

 「あ…………れ、わ、た……し?」

 「千鶴! よかった、やっと目ぇ覚ましたか!」

 劉がパッと顔を輝かせ、夜叉は数秒の沈黙の後、がばっと千鶴に抱きついた。

 「きゃ……」

 「よかった、本当に。千鶴……!」

 「い、痛い⁉」

 「っ! す、すまん」

 知らず知らず力を込めすぎていたらしい。慌てて千鶴の身体を解放する。

 「え、あ、だ、大丈夫……」

 千鶴も少し慌てた様子で、目を少しそらし、手を身体の前で振る。しかしやはり痛いのか、すぐに両腕をさすった。

 「まあ、そんな焦らんでもってことや。それより千鶴、腹減ってるやろ。今、なんか持ってきたるわ」

 そう言って出て行った劉は、ほんの数分で戻ってきた。ほかほかと湯気のたつ椀をのせた盆を持って。

 「ま、とりあえず粥な。食い終わったらナーシャに診てもらおうか」

 一人で食えるか、と言いながら千鶴に盆を渡す。彼女がうなずいたので、匙も一緒に渡してやる。しかし、なかなか手をつけようとしなかった。

 「どうした、食べないのか」

 「え、あ、あの、こ、これ……私の、ためにその、用意をして……?」

 「? 当たり前やん」

 無言でしばらく粥を見つめていた千鶴だったが、空腹に耐えきれなくなったのか、ゆっくりと食べ始めた。それを見て安心し、二人は肩の力を抜いた。

 「そういや、そろそろレミィが帰って来るってよ」

 「そうか」

 「またお土産があるらしいで。よかったな、千鶴」

 劉が笑顔を向けると、千鶴はぴたりと食べるのを止めて、とまどい、どこか怯えたような顔をした。

 「え……?」



 「無理って、どういうことだい? 君が〈暁の者〉ならできるはずだろ。それとも」

 「いえ、私が〈暁の者〉なのは確かだと思います。首の模様以外、確固たる証拠がないのも事実ですけれど」

 銀星は昴の言葉を口早に遮った。膝の上に置いている手はぎゅっと強く握られていた。

 「でも、私が無理だと言ったのは、それが理由じゃありません」

 「じゃあ、何で無理なんだ!」

 昴らしくもなく、声を荒げて銀星に詰め寄った。彼女はいつになく暗い声で、

 「伝説をよく思い出してみて下さい。世界を救うには、」


 

 「どうした、千鶴。さっきからおかしいぞ」

 知らぬうちに、千鶴を睨んでいたらしい。彼女はビクッと身体をすくませた。

 「夜叉、お前顔ちょっと怖すぎ。もう少し力抜け」

 「む」

 「けど、ホンマにちょっと様子おかしいで。なんやったら今すぐ、ナーシャに診てもらうか?」

 腰に下げている緑の水晶に手を伸ばすが、千鶴の声にその手はぴたっと止まった。

 「あ、あの、違うん、です!」

 「違う?」

 「てか、なんやねん。『です』って。そんな改まんでも」

 二人とも首を傾げる。口をモゴモゴ、視線をうろうろさせ、なかなか千鶴は口を開こうとしなかった。辛抱強く二人が待っていると、やがて千鶴はおずおずと口を開き、

 「あ、あのね。お姉ちゃん、お兄ちゃん、私」



 「〈暁〉と〈黄昏〉が、つまり私とお姉ちゃんが、心を通じ合わせなくてはならないんですよ……?」

 

 「その、ごめんなさい。私、何も覚えてないの。二人のことも、全然分かんないの」


 昴たち三人を、夜叉と劉の二人を、まったく別種の衝撃が襲った。

 


 「……記憶、喪失…………なの、か?」

 夜叉がこわばった表情で、固い声でゆっくりと千鶴へ問いかける。彼女がうなずいたのを見て、思わず夜叉は千鶴へ掴みかかってしまった。

 「何も覚えてないのか⁉ 俺のことも、劉やレミリアのことも! ここに来てからの記憶が一切ないというのか⁉」

 「こ、こら落ち着け、夜叉! 千鶴が怯えとるやろ!」

 「答えろ、千鶴‼ お前は本当に全部、忘れてしまったのか⁉ この一ヶ月のことも、俺との約束も! 全部、お前の頭から消えてしまったのか⁉」

 数秒の後、千鶴は夜叉の顔から目をそらした。

 「ごめん……な、さい」

 …………なぜだ。どうして、こうなった?

 千鶴の謝罪から、まず夜叉の頭をよぎったのはそんな疑問だった。

 「ま、まあ、お前が悪いんとちゃうわ」

 …………決まってる。

 「気にせんでもええからな、千鶴」

 …………あの女のせいだ。

 髪が浮かぶほどの殺気を放ち、戸口へ駆け出そうとする夜叉を、劉が慌てて止めた。

 「待て! お前の戦闘能力の高さは知っとるが、その怪我じゃ」

 「黙れっ‼」

 一喝し、劉の言葉を遮る。夜叉は背を向けていて分からなかっただろうが、彼女が叫んだとき、千鶴は身体を大きくはねさせていた。

 「落ち着けよ。千鶴が怖がっと……っ!」

 横に振られた夜叉の手刀を、とっさにしゃがむことでかわした。

 「俺が、誰の為に、怒っていると思っている⁉」

 「千鶴の為やろ。それぐらい分かるけど、自分の身体をちっとは考えろ」

 そう言って、劉は夜叉の腕を指差した。包帯にうっすらと赤いしみが浮かんでいた。

 「ちょっと腕を振った程度で、その出血や。今行ったら、お前は死にかねん」

 「だから何だ! どけ、俺はアレを殺しに」

 「行かせるわけにはいかん」

 夜叉が劉を押しのけ、戸口に手をかけたとき、劉がその肩を掴んで、何かを唱えた。すると突然、夜叉の身体が思うように動かなくなった。

 「何だ、これは」

 「縄縛じょうばくの使役魔、鎖蛇チェカ・スネークや。ちょっとやそっとじゃ離れんで」

 「貴様……!」

 「怪我が治るまでは、どこにも行かさんぞ」

 しばらく睨み合いが続いたとき、戸口の向こうから声がかかった。

 「劉、いるかい?」

 「レイか?」

 夜叉から目を離さず、聞き返す。

 「うん。主様から君を呼んで来いって言われてね」

 「こんな時にかよ!」

 思わず天井を仰いで呻いた。

 「何か問題でも?」

 戸口の向こうの声のトーンが一気に下がった。ストレイアは、『主様』の命令に従わないことを何よりも嫌っていた。

 「あー、いや。うーん……」

 「歯切れが悪いね。……入るよ、劉」

 劉の返事も待たず、戸が開いた。ストレイアは部屋の状況を目にして、パチパチと瞬きをすると、額に手を当てると深いため息をついた。

 「何を考えとんのかは、聞かんとこか」

 「そんなことは聞かなくて結構。僕が聞きたいのは、主様の命令に従うか否か、だ」

 常に微笑んでいるような顔の男が、一瞬、鋭い殺気を込めた目で劉を睨んだ。

 「従わへんっつー選択肢は、最初っからあらへんから安心しろ。ところで、レイ。お前、オレの代わりにこいつ見張っといてくれや」

 「夜叉を?」

 「そ、どこにも行かんようにな。オレが戻ってくるまででかまへんから」

 「……しょうがない、分かったよ」

 短いため息をつきつつも、承諾してくれたストレイアに、軽く手を上げて劉は部屋を出て行った。

 「さて、何があったか聞いてもいいかな」

 劉を見送り、鎖蛇から抜け出そうと、格闘している夜叉を振り返って尋ねた。



 「銀星さんと、あのお姉さんが」

 「心を通じ合わせる、ねえ」

 さすがに結芳も体を起こした。ユースが顎をかきながら、結芳の言葉の後を引き継ぐ。

 「ええ。できると思いますか? ……できるはずがありません」

 それ以外はあり得ないと断言したその言い方に、三人は少し眉を寄せた。

 「そんなの分かんないじゃん。ちゃんと話せば」

 「無駄よ。私の話なんて聞くはずがない」

 「やってみなきゃ分かんないよ!」

 「やらなくても分かるわ」

 「何でそう言いきれるんだよ」

 「私があの子を傷つけたからですよ。あの子がきっと、お姉ちゃんの『大切で大好きな人』だった。……その子を傷つけた、私なんかの話を、あのお姉ちゃんが聞くはずないでしょう⁉」

 ついに、銀星はヒステリックに叫んだ。

 「そう言うならまず謝ってみ……」

 「私が謝って! お姉ちゃんが私の話を聞くようになると思うの⁉ 私は思わない!」

 結芳の言葉を最後まで聞こうとすらしなかった。刃物を突きつけるかのような勢いに、結芳も二の句が継げない。ユースがそんな銀星の肩を押さえつけて、無理矢理座らせた。

 「まあまあ、落ち着けって! それに結局、嬢ちゃんの思いこみっつーか、アレだ、早とちりかもしれないだろ?」

 「けど、外れてもいない」

 チッチと指を振ると、ユースはニカッと笑って言った。

 「んな暗い方向にばっか考えてるからダメなんだよ。もうちょっと明るく考えたってバチは当たんねえよ」

 「そうそう。それに三日経って、お姉さんの方も少しは頭が冷えてるんじゃない? もう一度話しかけてみようよ」

 結芳がそれに同調する。しかし、銀星の表情は少しも晴れない。よりつらそうな顔で呟いた。

 「けど、私がお姉ちゃんが大切にしていた子を傷つけてしまったのは事実でしょ? だから、だから、私が何を言ってもそれは言い訳にしかならないと思うのよ」

 一拍を置いて、さっと顔を上げた銀星は涙声で言った。

 「だから、お姉ちゃんは私を絶対に許さないだろうって思うのよ!」

 そして、誰より早くそのセリフに返したのは、ここにいないはずの人物だった。

 「当然だ。許せるはずがない」

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