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五章(1)


  五の詞  惑う者と奪った者


 飛焔の家を出発してから約半月。ついに、帝呀山の全貌を捉えることができるようになった。

 中腹あたりまでは普通の——不幸の波が世界を覆う前の——山のように、緑色の葉をたくさん茂らせた木に覆われていた。しかし、ある一線を越えると、葉の色は赤黒く変わり、禍々しい雰囲気を醸し出していた。

 「気味悪ぃ山だな」

 荷台の中から山を見てユースが、ボソッと呟いた。

 先の使役魔たちとの戦いで大けがをしたユースは、昴の持つ使役魔・シーアに治療してもらったのだが、その時『できるだけ安静にしてるように』と言われてしまった。

 「いい? いくら私が治療の使役魔だっていっても、完璧に治すことなんてできないの。じっくり時間をかければ可能だけど、主人の体力が持たないからムリ。つまり、あとは自然治癒に任せるしかないわけ。本当なら絶対安静って言いたいとこだけど、それはたぶん無理でしょうから、できるだけ安静にしてなさい。いいわね? クルトの運転なんてもってのほかよ!」

 ということで、現在クルトは昴が運転している。

 「途中までは普通の山みたいだけど、こんな世界じゃ逆に、不気味だよね」

 「見ているだけで、寒気がするわ」

 同じように山を見ながら、結芳は顔をしかめて、銀星は自分の肩を抱きしめて言った。

 「帝呀山の名前の由来は、『天帝に呀みつけるほど高い山』だそうだよ。世界に不幸をって謳う人たちがいるには相応しい場所だね」

 「まったくだ」

 無表情に呟いた昴のセリフに、ユースが大きく頷いた。そして、声を落として吐き捨てるように言った。

 「あんな所にいたら、そりゃおかしくもなるだろうぜ。焔成の奴、変なことに手ぇ出しやがって」

 四人の間をなんとも言えない空気が流れたとき、突如として空に黒雲が広がり、雨が降り始めた。そして、すぐに目の前が見えないほどの大雨になった。



 「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」

 夜叉が床に座って出発の準備をしていると、千鶴が部屋の戸を開けて駆け寄ってきた。そして、いきなり彼女に飛びついた。

 「! いきなり抱きつくな。危ないだろ」

 床の、すぐ取れる位置においておいた偃月刀を千鶴から遠ざけながら、少しきつい口調で注意する。が、千鶴は夜叉の首に腕を回したまま、何も言わない。

 「どうした?」

 途中だった、右腕に包帯を巻く作業を再開して尋ねる。巻き終える頃、ようやく千鶴は口を開いた。

 「あの、ね。あのね、あたしがずっと一緒にいてあげるからね!」

 「いきなり、なんだ?

 「その……レイさんに聞いちゃったの。お姉ちゃん、お父さんとかお母さんとか……みんな……その、死んじゃって、家族はもう誰もいないんでしょ?」

 「…………ああ、そうだ」

 自分の声が、少しかすれて聞こえた。心なしか、身体がこわばっているような気さえする。千鶴は、夜叉の目をしっかり見つめて言った。

 「だからね、あたしがずーっと、一緒にいてあげるの。安心して、もう寂しくなんかないから!」

 「‼」

 落雷にでもあったような、大きな衝撃が夜叉の身体に走った。

 「寂……しい?」

 自分に、まさかそんな感情があったのか……? いや、そんな……。

 「うん。お姉ちゃんは、家族がいなくなった時、あたしぐらいの年だったんでしょ? それって、今のあたしがお姉ちゃんたちを失っちゃうようなものだと思うんだ。そうなった時のこと考えるとね、もうホントに悲しくて、寂しい気持ちになるの。お姉ちゃんもきっと、そうだったと思うんだ」

 「…………」

 「お姉ちゃんがあまり笑ってくれなかったのも、きっと寂しかったからだと思うの。寂しくて、寂しくて、心が固まっちゃってたからなんだね」

 千鶴の言葉を聞きながら、夜叉の心には家族との思い出が浮かんできた。温かくて、楽しくて、いつも笑顔だった記憶。不思議と、そこに以前のような憎しみは現れなかった。

 「でも、もう大丈夫だよ。あたしがずっと一緒にいてあげるから! あたしだけじゃなくて、レミィお姉ちゃんも、劉兄ちゃんも、きっとみんな、一緒にいてくれるよ!」

 「……それは、こっちのセリフだな」

 夜叉は、どうにか声を絞り出した。まだ浮かんでこようとする過去の記憶を、頭を振ることで強制的にストップさせる。

 思い出に流されるわけにはいかない、流されてはいけないのだ。

 自分は〈黄昏の者〉の化身。師匠の計画の、最期の駒なのだから。

 「だが、ありがとう。千鶴」

 そう言って頭を撫でてやると、千鶴はパッと顔を輝かせた。彼女は、夜叉に初めて「ありがとう」と言われたことが嬉しくて、その顔が固くこわばっていることに気づかなかったようだ。

 「うん、どういたしまして!」

 「仕事に行ってくる。夜までには帰ってくるから」

 立ち上がり、偃月刀を拾い上げながら言う。千鶴は満面の笑みで答えた。

 「うん、分かった。いってらっしゃい。帰ってきたら、またトランプで遊んでね」

 「ああ」



 「ダメだ。全然視界が利かない。これで進むのは危険だよ」

 びしょ濡れになった昴が、荷台のほうへ避難してきながら言った。

 「そうですか。でも、この幌、本当に直しておいて良かったですね」

 昴にタオルを渡しながら銀星が言った。

 「そうだね。僕のレナと、結芳ちゃんのクイナには無理を強いたけど。そのかいがあったってことかな」

 「うん、うん。破られたままでの、この雨だったら大変だったよ」

 「でもよ。この辺は砂漠で、雨なんて滅多に降るようなとこじゃねえはずなんだよな。雨期でもねえし」

 「それじゃあ、やっぱりこの雨も異常気象なんでしょうか。レマイン国の酷い干ばつのように」

 「ま、そう考えんのが妥当だろうな」

 ユースは何気なく外へ顔を向けた。

 そして、青白い光を見た。

 「‼」

 それが刃の形だと気づいた時、普通に会話を続けている三人をとっさに押し倒して伏せさせた。

 「きゃあ!」

 「痛っ!」

 光が幌を真横に切り裂き、冷たい雨が四人の身体を打つ。

 ユースが体を起こして振り向くと、眼前に銀色の線が迫ってきていた。

 「くっ!」

 さっと身体を反らして偃月刀をかわす。そこへ昴が紫電を打ち込むが、空へ高く飛ばれ、かわされてしまった。

 分厚い雲の下、大雨でけぶる視界にも目立つ髪と瞳——。

 「お姉ちゃん……」

 夜叉が偃月刀をだらりと下げた状態で立っていた。



 「はーるはうららか 温かく〜」

 千鶴はブランコに乗ってゆらゆらと揺れながら小さく歌を口ずさんでいた。ついこの間、劉に教えてもらったのだ。

 「お雨は降ります 野の花に〜」

 夜叉も劉もレミリアも、仕事で今はいない。『仕事』がどんなものであるか千鶴は知らないが、危険な目にはあってほしくなかった。一度、劉が服を血まみれにして帰ってきたことがあった。あの時は、半狂乱になって心配したものだ。

 「春告人の手風琴 今日は楽しい春祭り〜」

 出がけに夜叉は約束してくれたが、それでも絶対ということは無いことぐらい、幼い千鶴にも分かっていた。もしも今、また劉が、レミリアが、夜叉が大けがをして帰ってきたら。もしも、万が一にも死……

 「どうしたの、千鶴ちゃん。暗い顔をして」

 「ふおぅ⁉」

 あまりに突然すぎて、呼びかけられた千鶴は珍妙な声をあげてしまった。

 「あっはっは。ずいぶんと可愛い声だ」

 「レイさん!」

 ブランコがつり下げられている木に寄りかかってストレイアが立っていた。

 「む〜。おどかさないでよ。びっくりしちゃったじゃん」

 「くっく。それは悪かったね。君が泣きそうな顔をしてるから、つい」

 「そこは慰めようとしてよ、もう!」

 頬を膨らませ、再びブランコをこぐ。

 「それじゃあ、どうして君は泣きそうな顔をしていたのかな?」

 「……お姉ちゃんたちが心配で」

 「夜叉のことかい?」

 「うん。お姉ちゃんだけじゃなくて、レミィお姉ちゃんも、劉兄ちゃんも、みんな……。それに、なんか、いやな感じがして」

 「いやな感じ?」

 「うん……。で、でも大丈夫だよね! レミィお姉ちゃんには強ーい味方がいっぱいいるし、劉兄ちゃんもけっこうやるし! お姉ちゃんはとびっきり強いし!」

 「……いや、今回はもしかしたら」

 「え?」

 顎に手をあて、ストレイアは神妙な顔つきで呟いた。千鶴がこわばった顔で彼のほうを見る。

 「ああ、いや、大丈夫だとは思うんだ。けど……今までのようにはいかないかもしれない。運が悪ければ……」

 「そ、そんな!」

 千鶴は顔を真っ青にしてブランコから飛び降りると、ストレイアに駆け寄った。

 「う、ウソ! ウソだよね。お姉ちゃんたちが、そんな、危険な目になんてっ」

 「ああ、あくまで推測。予想だよ。ただ、今までの中で一番危険なのは確かなんだ」

 「そんな……! や、やだよ。そんな、そんな危険な所に……お姉ちゃんが……!」

 パニックに陥り、うろうろ、おろおろする千鶴を見ていたストレイアが、ふいにしゃがみ、千鶴に問いかけた。

 「ねえ、千鶴ちゃん」

 「ふぇ? なに?」

 「もし、君が夜叉の所に行くことで、夜叉が助けられると言ったら、君はどうする?」

 「え?」

 「君がとても危険な目に遭うかもしれない。けど、同時に、君が夜叉の所へ行けば、夜叉を助けられるかもしれない」

 「あたしが、あたしがお姉ちゃんの所に行ったら、お姉ちゃんを助けられるの? お姉ちゃんは怪我をせずにすむの?」

 千鶴はストレイアにすがりついて、確かめるように繰り返した。その目は、一筋の光を見つけたように、期待と不安が入り交じった色をしていた。

 「その可能性はある」

 「なら、行く!」

 即答だった。涙を拭き、力強い目でストレイアを見上げた。

 「本当にいいのかい? 君が危険な目に遭うかもしれないのに」

 「うん、いいの。あたしはお姉ちゃんにいっぱい助けてもらったもん。今度はあたしがお姉ちゃんを助けるんだ!」

 気合い十分の声で答える。ふっと顔をほころばせて、ストレイアは千鶴の髪を撫でた。

 「優しいね、千鶴ちゃんは」

 「当たり前のことだよ! お姉ちゃんはあたしの命の恩人なんだから!」

 すばらしい決意をした少女を抱き上げ、自分の方舟を喚び出しながら彼は思った。

 (本当に……優しい子だ、君は。自分の危険も顧みず、ただ、夜叉を助けたいという気持ちだけで行動できる。とても優しくて…………可哀想な子だ)

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