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第一話 夢寐反芻「欺」

 『さるでもわかるばかなひと』


 そんな本の背表紙を飾るのは、きっと俺だ。


 この世のすべてのものは常に変化をし続け、永遠に同じ状態であるものはない。


 諸行無常。


 俺はこれを理解していなかった。


 心のどこかで、友人はずっと友人で、良い人はずっと良い人で、あの人はずっとあの人で。


 そんな簡単なものだと、本気で思っていた。


「あのぉ、図書委員さぁん?」


 語尾の全てが捨て仮名であるような甘ったるい声が、遊離していた意識を引き戻す。

 顔を上げると、目の前には声の主と思われる小柄な女子が二冊の本を持って立っていた。


「少しぼーっとしていました。すみません。返却ですか? 貸出ですか?」


 尋ねながらスマホを机の隅に置き、パソコンへと向き直る。

 右手でマウス、左手でバーコードリーダーを握ったところで、再び甘い声が聞こえた。


「踏み台って無くなっちゃったんですかぁ?」


「あぁっと、はい。丁度昨日壊れてしまいまして、今はまだ無いんですよね」


 マウスとバーコードリーダーから手を放し、視線をパソコンから女子へと戻す。


「そうでしたかぁ。じゃあこれ借りまぁす」


 女子はそう言うと、自身が持っていた二冊の本を机に置いた。


 この場合は大体三択だ。

 一つ目、ただただ踏み台の安否が気になった。

 二つ目、高いところにある本を取りたいが、カウンターにいる図書委員を動かすのは気が引ける。

 三つ目、高いところにある本を取りたいが、男子にはあまり知られたくない。


 本来二つ目と三つ目の問題を解決するため、そして学級文庫――自身のクラスに置く10冊の本――を偏りなく選ぶため、図書委員は各クラス男女一名ずつが選出され、当番の日に働く。


 しかし、今日はもう一人の女子の図書委員はいない。

 星嵐中この学校の図書室は毎日一クラスの男女二人と司書さんで回しており、今日司書さんは裏で仕事をしている。

 動ける人は俺しかいないのだ。


「もしかして読みたい本が取れませんでしたか? それなら取りますよ。もう一人の図書委員は今日いないんですけど、人も少ないですし、少しくらいカウンター開けても大丈夫だと思います」


 二つ目の理由ならばこれで大丈夫なはずだ。

 一つ目か三つ目の理由だとしたら、なにかテキトーなことを言ってくれるだろう。


「ほんとですかぁ? じゃあお願いしまぁす」


 女子の語尾は更に柔らかくなった。


「分かりました。どの本ですか?」


「ついてきてくださぁい」


 咄嗟に出そうになった「はぁい」という言葉を呑み込み、スマホを持って女子の後をついていく。


 靴下越しに伝わるカーペットの感触。四、五人の生徒がまばらに椅子に座り、静かに本を繰る音。美しく整理された本たちが発する、落ち着いた香り。


 数刻前までは素直に堪能できたであろうこれらが、今は現実から逃避するための薬にしか思えない。

 意識的に摂取していると、突然左足の小指に強烈な痛みが走った。


「――ッ」


 思わず痛みでしゃがみ込み、両手で小指を抑える。


「大丈夫ですかぁ? 椅子をちゃんと机にいれるように注意しないとですねぇ」


 どうやら椅子を蹴飛ばしてしまったらしい。

 痛みが少しおさまったところで顔をあげる。


「大丈夫です。すみません。また少しぼーっとしてま……」


 眼前には膝頭があった。


 ハイソックスとスカートの間、絶対領域に鎮座する膝頭がこちらをジッと見つめている。

 女子が俺を心配してくれたのか、ちょこんとしゃがんでいたのだ。


「ほんとに大丈夫ですかぁ?」


「はい。もう本当に大丈夫になりました。行きましょうか」


 痛みは嘘みたいに引いていた。立ち上がり移動を促す。

 女子は「わかりましたぁ」と言うと少し歩き、立ち止まった。


「あそこにあるぅ、913のク、『天へと降る』お願いしまぁす」


 女子が指したのは朽葉くちばしきさんの名作、『てんへとくだる』だった。

 背の上部を人差し指で押し、下部を持って取る。

 表紙には空とも海とも言えるあおを背景に、落下していると思われる人間が白一つで書かれていた。

 『天へと降る』である。


「どうぞ」


「ありがとうございまぁす」


 女子はお礼を言うと本を受け取り、カウンターへと向かおうとした。

 しかし、一歩出たところで立ち止まり、くるりとこちらを振り返る。


「そういえばぁ、元気なさそうですけどどうしたんですかぁ?」


「あぁ、っと――」




大和

「今までごめん」

「アルバム『証拠』を作成しました」




「小テストがボロボロだったんですよね。自信あったんですけど」


 脳裏に浮かんだトーク画面、それをすぐさま片隅へと追いやる。


 女子は「なんだぁ」とつぶやき、今度こそカウンターへ向かっていった。

 少し遅れて俺も後に続き、スマホの電源を入れて時間を確認する。


 もうすぐ閉館の時間だ。

午後の光はレースのカーテンを透かし、やわらかく部屋に落ちていた。

窓辺の小さなソファに腰かけた少女は、一冊の厚みのある本を膝にのせている。


「なんて読むんだろぉ?」


少女は小さくつぶやくと、スマホで本を読み取りとある四字熟語の意味を調べた。


むび-はんすう【夢寐反芻】

意味:過去に経験した嫌な出来事が、何度も突発的に夢の中で再現されること。

構成:「夢寐」は、眠って夢を見ること。また、その間。「反芻」は、物事をなんども繰り返し思い返し、考え続けること。

例:現に聞こえぬ彼の声は、夢寐反芻となり傷痕を掻く。<朽葉色、天へと降る>

注意:過去に経験した嫌な出来事の全てが完全に再現されることは少なく、特定の部分のみが切り取られ再現されることが多い。

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