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第三話:猫の集会

 その日から、俺は猫の観察を始めた。


 朝、圭子が出勤すると、俺は面接に行くふりをして一度家を出る。そして、三十分後にこっそり戻ってきて、物陰からクロの行動を監視した。


 最初の数日は、特に変わったことはなかった。クロは普通の猫のように、寝て、毛づくろいをして、また寝る。


 でも、四日目に異変が起きた。


 午後二時ちょうど。クロが突然立ち上がり、窓辺に移動した。そして、外を見ながら、規則的なリズムで鳴き始めた。


「ニャー、ニャニャー、ニャー」


 まるでモールス信号のような鳴き方。


 すると、外から別の猫の鳴き声が返ってきた。同じようなリズムで。


 会話している?


 馬鹿げた考えだが、そうとしか思えなかった。


 その夜、俺は圭子に提案した。


「たまには外食でもしないか?」


「え?」


 圭子は驚いた顔をした。最近、俺から誘うことなんてなかったから。


「クロちゃんはどうするの?」


 案の定、最初に出てきたのは猫の心配だった。


「二、三時間くらいなら大丈夫だろ」


「でも......」


「久しぶりに、二人でゆっくり話したいんだ」


 圭子は少し迷った後、頷いた。


「分かった。でも、早めに帰るからね」


 近所のファミレスで、俺たちは向かい合って座った。


「最近、疲れてるみたいだけど、大丈夫か?」


「うん、大丈夫よ」


 圭子の顔色は、確かに良くない。目の下にクマができている。


「クロの世話で寝不足じゃないか?」


「クロちゃんは悪くないわ」


 即座に猫を庇う。


「そうじゃなくて、少し距離を置いた方がいいんじゃないかって」


「何言ってるの? クロちゃんは家族よ」


「でも、最近の圭子は普通じゃない」


「普通じゃないのはあなたでしょ。いつまで無職でいるつもり?」


 話が逸らされた。確かに俺に非はあるが、今はそれどころじゃない。


「圭子、クロは普通の猫じゃない」


「何それ」


 圭子の目が冷たくなった。


「クロは......人間の言葉を理解してる」


「猫は賢いのよ」


「いや、そういうレベルじゃなくて」


「もういい」


 圭子は立ち上がった。


「クロちゃんが心配だから帰る」


 結局、三十分も経たずに店を出た。


ーー✳︎ーー✳︎ーー✳︎ーー


 家に着くと、クロは玄関で待っていた。まるで俺たちが帰ってくる時間を知っていたかのように。


「クロちゃん! ごめんね、寂しかった?」


 圭子はクロを抱き上げて、頬ずりをする。


 クロは圭子の肩越しに、俺を見た。


 その目は「余計なことをするな」と警告しているようだった。


ーー✳︎ーー✳︎ーー✳︎ーー


――深夜一時。


 俺は寝たふりをしながら、布団の中で息を潜めていた。

 すると、予想通りクロが動き出した。

 音もなくベッドから降り、部屋を出ていく。

 俺はそっと後をつけた。


 クロは器用に窓の鍵を外し(前足でどうやって?)、外へ出た。

 俺も窓から這い出て、距離を保ちながら尾行する。


 住宅街の路地を抜け、小さな公園を横切り、たどり着いたのは廃墟となった空き地だった。

 茂みに隠れて覗くと、そこには信じられない光景が広がっていた。


 猫だらけだった。


 二十匹、いや三十匹以上。野良猫も飼い猫も、首輪の有無に関係なく集まっている。

 そして、その中心に、純白のペルシャ猫がいた。

 月明かりに照らされたその姿は、神々しいほど美しい。


 ペルシャ猫が口を開いた。


「報告を」


 喋った。

 間違いなく、人間の言葉で喋った。


 俺は自分の耳を疑った。幻聴か? でも、他の猫たちも普通に聞いているようだ。


「第三地区、進捗率68%です、女王様」


 クロが答えた。うちのクロが、流暢な日本語で。


「まだまだね。ネコゾプラズマの散布を急ぎなさい」


 ネコゾプラズマ。田中が言っていた、あの寄生虫。


「はっ。ただ、一つ問題が」


「何?」


「私の担当家庭に、抵抗を示す人間が一名」


 俺のことだ。


「始末する?」


 別の猫が物騒なことを言った。


「いえ、泳がせておきます。どうせ無職の役立たず。脅威にはなりません」


 クロの言葉に、カチンときた。事実だが、猫に言われる筋合いはない。


「人類完全支配まで、あと少し。今年中には、この街を完全に掌握できるでしょう」


 女王と呼ばれたペルシャ猫が宣言する。


「そして、来年には日本全土を。再来年には世界を」


「ニャー!」


 猫たちが一斉に鳴いた。まるで鬨の声のように。


「人間どもは愚かだ」


 女王が続ける。


「我らの甘い仕草ひとつで財布を開き、住処を提供し、寿命まで差し出す」


 確かに、圭子を見ているとその通りだ。


「だが、まだ奴らは我らを『ペット』と呼ぶ。滑稽だと思わぬか?」


 猫たちがざわめく。


「真実を教えてやろう。飼われているのは人間の方だ。我らは太古の昔から、人類を操ってきた」


「エジプトでは神として崇められ、日本では化け猫として恐れられた。すべて計画通りだ」


 女王の演説は続く。


「そして今、最終段階に入った。ネコゾプラズマは我らが開発した生物兵器。これにより、人類は完全に我らの支配下に入る」


「すでに、この国の首相の飼い猫も我らの同志だ。政治家、企業のトップ、有名人。重要人物の多くが猫を飼っている。分かるか? 我らはすでに、世界の中枢に入り込んでいるのだ」


 背筋が凍った。

 これが事実なら、人類は知らないうちに猫に支配されていることになる。


「そして、我らは王国を築く。『ヌコの王国』を!」


「ニャー! ニャー! ニャー!」


 猫たちの声が響く。


 その時、俺は気づいた。ここに集まっている猫たちの中に、見覚えのある猫が何匹もいることに。

 隣の家の三毛猫、向かいのマンションのシャム猫、近所のコンビニにいる茶トラ。

 みんな、普段は普通の猫のふりをしている。


「今週の任務を伝える」


 女王が言う。


「各自、担当の人間により強い暗示をかけよ。抵抗する者がいれば、報告せよ」


「はっ!」


 猫たちが一斉に返事をする。


「特にクロ」


 女王がうちの猫を指名した。


「お前の家の男、目障りだ。早めに処理しろ」


「承知しました」


 クロが頭を下げる。


(処理? 殺されるのか、俺は)


「では、解散」


 猫たちが散り始める。

 俺は急いで茂みから離れようとした。その時、足元の枝を踏んでしまった。


 パキッ。


 音は静かな夜に響き渡った。


「誰だ!」


 女王の鋭い声。

 一斉に猫たちの視線が俺に向いた。数十対の目が、暗闇の中で光る。


「人間か」


「始末しましょう」


「いや、待て」


 クロが前に出た。


「この男は、私の飼い主のヒモです。任せてください」


 ヒモ。そう呼ばれて、さらにカチンときた。


 クロがゆっくりと近づいてくる。


「お前......聞いていたのか」


 クロの目が赤く光った。

 そして、飛びかかってきた。

 鋭い爪が俺の顔をかすめる。必死で避けるが、次々と攻撃が来る。


「やめろ!」


「遅いんだよ、人間」


 クロが喋った。もう隠す必要もないという感じで。


「お前には消えてもらう」


 クロの爪が俺の首筋に迫る。


 その時、朝日が差し込んだ。


「時間だ」


 女王の声で、クロは攻撃を止めた。

 クロの爪が俺の額に触れた瞬間、視界が急速に暗くなっていく。


 意識が、深い闇の中に沈んでいった。


ーー✳︎ーー✳︎ーー✳︎ーー


 目が覚めると、自分の部屋のベッドで寝ていた。


 カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。時計を見ると、午前七時。

 頭が重い。まるで二日酔いのような不快感。

 昨夜のことを思い出そうとするが、記憶が曖昧だ。


 確か、クロが窓から出て行って......それを追いかけたような......?

 いや、そんなはずはない。猫を深夜に追いかけるなんて。


 でも、なぜか空き地にいたような気もする。たくさんの猫に囲まれて......猫が喋って......

 馬鹿な。夢だ。ストレスで変な夢を見たんだ。


 体を起こすと、着ているスウェットのすそに違和感を覚えた。

 見ると、泥が少し付いている。


 乾いた土。確かに外を歩いた跡だ。

 やっぱり外に出たのか? でも、何のために?


 思い出そうとすると、頭痛がひどくなる。まるで記憶にモヤがかかったような感じ。


「おはよう」


 圭子が部屋に入ってきた。もう出勤の準備を済ませている。


「珍しいね、まだ寝てたの?」


「ああ、ちょっと疲れてて」


「昨日、夜中にトイレ行った? 物音がしたような気がしたんだけど」


「......覚えてない」


 本当に覚えていない。


「そう。じゃあ、行ってくるね」


 圭子が出て行った後、俺はベッドから降りた。


 リビングに行くと、クロがソファで寛いでいた。

 いつもと変わらない、普通の猫の姿。


 でも、俺と目が合うと、クロは小さく首を傾げた。

 その仕草が、まるで「覚えてないんだろ?」と聞いているようで、背筋が寒くなった。


 洗面所で顔を洗おうとして、鏡を見た。

 額に、小さな引っかき傷があった。


 いつつけたんだろう?


 クロを見ると、何食わぬ顔で毛づくろいをしている。

 記憶の片隅で、何かが叫んでいる。


 危険だ、逃げろ、と。


 でも、何から逃げればいいのか分からない。

 ただ、一つだけ確かなことがある。


 クロを見ていると、言いようのない恐怖を感じる。

 まるで、とても恐ろしいものを見たような、でもそれが何だったか思い出せないような。

 そんな感覚が、俺の中でくすぶり続けていた。

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