第3話 火花と職人の背中
昼下がりの工房は、鉄と蒸気と油の匂いが濃く漂っていた。
ナイルは胴の長いレンチを片手に、空挺機の腹部に潜り込んでいる。
熱を帯びた金属が頬をかすめ、微細な火花がぱちぱちと飛び散った。
「そこ、締めすぎんな。軸が歪む」
低い声が、機体の外から響いた。ヴォルス親方だ。
「わかってます」
そう言いながらも、ナイルは工具の角度を少し緩めた。
親方は口数が少ないが、その一言一言には“長年の勘”が詰まっている。
ナイルはそれを知っていた。
午後も半ばに差しかかった頃、事件は起きた。
整備中の機体の燃料供給管が異常な圧を示し、計器の針が急上昇する。
「やば……!」
咄嗟にナイルはバルブを閉め、冷却弁を解放する。
金属のきしむ音とともに、白い蒸気が勢いよく吹き出した。
作業場の仲間たちが息を呑む中、親方が静かに近づいてくる。
そして計器を一瞥し、蒸気が収まるのを確認すると、ただ一言。
「……よく見てたな」
それだけ言い残し、親方は別の作業台へ向かっていった。
夕方、作業を終えて着替えをしていると、ナイルの机に何かが置かれていることに気づいた。
新品の、手になじみやすい握りのレンチだった。
名前は刻まれていないが、ナイルはすぐにそれが親方からのものだとわかった。
手に取ると、鉄の冷たさの中に、どこか温かいものがある気がした。
その夜、工房の二階の自室。
ランプの下で空図巻を開きながら、ナイルはレンチを机の横に置いた。
ページの上では、星々の線がゆるやかに近づき、形を整えつつある。
「……もうすぐ、なのか?」
つぶやいた声は、窓の外の夜風に溶けていった。
階下では、親方が黙々と工具の手入れをしている音が、いつまでも響いていた。