第二話『花食亭』
町の中で声をかけて来たのは、
恰幅の良い白髪のおばあさんでした。
詳しく話を聞くと、隣の領にある町で
食事処を切り盛りしている女将さんだそうです。
ここには馴染みの鍛冶屋がいるので、
包丁や鍋といった調理器具を
直して貰いに来たと言っていました。
ですが帰り際に腰を痛めたようで、
通りかかったアタシに助けを求めたそう。
やる事もありませんし、馬車乗り場まで
荷物を代わりに持ちました。
馬車を待っている時間に事情を聞かれたので
起きた事をありのまま話したところ、
おばあさんは自分の事のように
怒り始めてしまったんです。
「ウチに来な!」と言われ、その言葉に甘えて
一緒に馬車に揺られてここに来ました。
「これがアタシの店さね。」
女将さんが指差したのは、
年期が入ってはいますが綺麗な状態を
保っているお店でした。
女将さんの荷物を調理場に置くと、
お店の二階に案内されました。
女将さんは今一人でこのお店を
切り盛りしていますが、昔ここに住んでいた
娘さんが使っていた部屋だそう。
掃除された室内はきちんと整理されていて
女将さんの性格が見えます。
とりあえず仕事を教えるのは
明日から、今日はまずお風呂だと言って
女将さんに思いっきりがしがしと
洗われました。
アタシはその日、初めて水じゃなくて
お湯に浸かったんですが、とっても
温かくて気持ち良くて!
お風呂から出たら、お店のテーブルで
女将さんの料理を食べました。
胃に優しい、消化のしやすい薄味の
料理でしたがすごく美味しくて。
ご飯を食べながらボロボロと
泣いてしまったんですが、女将さんは
叱るでもなく、殴るでもなく。
静かに背中を撫でてくれました。
お風呂が気持ちの良いものなのも、
ご飯が美味しいのも、
布団がこんなにふかふかなのも、
アタシは初めて知りました。
次の日、まずは接客の仕方を
教えてもらいました。
料理は営業後に教えてもらえるそうです。
お客さんが来たら挨拶、
そして空いている席に通して注文を聞き、
女将さん……パンジーさんに伝える。
料理が出来たらそれを届けて、
食べ終わったらお会計をしてお代を貰う。
パンジーさんのお店、
「花食亭」は町でも人気の食事処。
しかもたくさんの人に慕われていて、
色んな年齢や性別の方がひっきりなしに
来店します。
アタシは仕事が全然出来なくて、
お客さんを待たせてしまったり
届ける料理を間違えてしまったりして
ご迷惑をかけてしまいました。
でもお客さんは優しい人ばかりで、
ミスをしても水をかけられたりなんて無くて。
パンジーさんも、怒ったり
アタシの食事を抜いたりしなくて。
そうそう、アタシは
今日から名前が変わったんです。
マリーという名前は、自分以外の誰からも
呼んで貰えなかった名前です。
だから名前を捨てて、新しい自分になる為に。
新しい名前は「アネモネ」。
この領の、象徴的な花なんだそうです。