うどん屋
「性善説ぅ?」
向かい合わせでうどんを啜りながら、先輩は私の言ったことを繰り返した。正確には私の言ったことは「性善説信じてますんで」だが。
どうしてそういう話になったんだろうか。部帰りに学生向けのうどん屋でうどんを食べていた。試験期間前の土曜に学校の図書館に来て勉強していて、学校の近くのうどん屋の前で鉢合わせたら「クーポンやるよ、一緒に食う?」と言われて310円のうどんを50円引きでふたりで食べていた。テーブル席で向かい合って、他には誰もいなくて、試験期間前だけれど休日で、休日に学生服を着ていて人も少なくてちょっと開放的な気分だった。
「ばっかじゃないのお前、16にもなって。あれか?まだ天国と地獄とか信じてるタイプか?悪いことしたら地獄に落ちるとか信じてるタイプか?」
箸をこちらに向けながら、驚きつつも嘲るように、呆れるようにでも諭すように先輩は言った。その通りだったので私は顔に出ないように気をつけながら誤魔化すようにうどんを啜った。
キリスト教も仏教もよく知らなかったが、漠然といつの間にかそう思っていて、だから学校で理不尽な目にあってもうまく対応できないでいた。
「べつにそうじゃないですけど。」
おあげをつゆに沈めながらなんとか答える。
「考えてもみろよ、じゃあなんでスクールカーストなんてあるんだよ、体罰教師なんているんだよ、いじめが起きて人が死ぬんだよ、戦争だって起こるんだよ。」
「おかしくないか?」と先輩は言った。
言葉に詰まる。私はスクールカーストは中の下くらいだったから直接的な被害には遭っていないが、課題を忘れたら黒板差しで頭を思い切り叩く教師はいた。いじめはこの高校で現在起きているか知らないが、そういう事件がなくらないことはテレビのニュースで知っている。戦争が繰り返されることだって知ってた。
「でも、それは社会が悪いっていうか大人になってからっていうか。子供はみんな無垢で善なるものじゃないですか?」
「善なるものねぇ」
ため息を吐きながら、先輩は斜め上を見上げた。
「お前は幼稚園や小学校で嫌な思いをしたことがないわけ?好きだから意地悪しちゃった、でもなんでも、それは受ける方からしたら悪だろ」
「でもそれは自分のことがわかってなくてどうしたらいいかわからなかっただけじゃないですか?」
「俺はあるけどね。自分なら何してもいいと思ってた感覚」
「え」
先輩は成績もよく文化的活動でも表彰されていた。だけどそれを鼻にかけず垣根なく人と接していた。私にはそう見えていた。
「俺は昔から頭ひとつ他人よりできていた自覚あったからね、結構横暴で理由もなく他人に意地悪したり、まあ、調子乗ってたんだな。」
「……意外です」
「でもまあ痛い目みて自分を改めたけどな。でもそれだってそこにいたのはあくまで人間。人間の悪意。神様なんていないし、まぁ俺が敢えて何か主張を持つなら、それは善性は痛い目をみながら自力で獲得するもので、それさえ自分のためでしかない、ってことぐらいかな。」
「……それって性悪説ってことですか?」
「さあ?それはよく知らないけど。まぁどちらかと言うとそうだろうな。」
「でも善くありたいと思うのは、やっぱり生まれついた善性があるからじゃないですか?」
「だから言ったろ?それさえ自分の為でしかないって。処世術だよ処世術。」
処世術。私もそれを身につける必要があるのだろうか、私は私のために善き人間で在ろうとしているのだろうか、それだけなのだろうか。うどん鉢の中でふくらんできつつあるうどんを見下ろしながらそう思った。