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傲慢な男らと意固地な女  作者: 迷子のハッチ
第4章 王妃として
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第59話・3 ビーザの戦い(3)

 ビーザ砦の状況を使い魔が知らせてきました。

 私がパスト市で朝食を終わろうとしている頃、ビーサ砦ではキリアム侯爵軍の攻撃が始まっていた。


 私がビーザ砦に行ったのは3月20日、治療所が襲撃された日の夕方だった。

 投石器を西門の上から火球(ファイアーボール)で破壊して、キーグに乗ってデーストゥラ城(右)とスィニートゥラ城(左)の二つの出城に迫る投石器を燃やしたのは翌日の昼7前(午前中)だ。

 両出城で攻めてくるキリアム侯爵軍に斜壁から火球(ファイアーボール)で応戦したのも昼7前(午前中)だった。


 ビーザ砦に昼7後(午後)について、翌日の昼7後(午後)に帰途に付いたのだから丸っと1日いた事になる。

 その間にキリアム侯爵軍は1万近くの兵士が、率いていた大将(領主)たちを打ち取られてしまい、まともに戦える軍ではなくなっていた。


 その1万の内逃散した兵も多かったが、大半の兵士8千程が村ごとの割り当てで徴兵されていたため村を捨てる事が出来ずに残っていた。

 私とトラント将軍はこれ以上私が介入するとキリアム侯爵軍が撤退すると判断した。

 それで3月21日にパストへ帰り、明けた翌日が今日3月22日になる。


 前日の攻撃は夜明けと共に始まったが、今日は兵の配置だけでも昼3時(午前8時)まで掛かった。

 時間が掛かった主な原因は、纏まりの無い兵士8千を両出城へ配置するために消費された。

 ヨーヒム将軍はこれらの纏まりの無い兵士を集めて後方で待機させていたが、総攻撃する事になり彼らを前線に置いた。

 出城毎に、彼らの後ろに督戦隊の兵2500の部隊を置き、督戦隊の前に彼らを置いた。


 ビーサ砦の東西から攻めるのは残りの1万5千の兵士を東側に5千、西側へ残りの1万で督戦隊に出した5千だけ少ない。

 東に在った掘っ立て小屋の町は既に灰になっていた。

 東のビーサ砦の守りは幅4ヒロ(6m)の水の流れる堀と城壁に第1連隊1200名が守っている。

 城門へ続く橋は西の橋と同じように橋脚だけで上部の構造物は撤去されている。


 昼3時(午前8時)やっと用意が終わったキリアム侯爵軍は攻撃を始めた。

 デーストゥラ城(右)を攻撃した4千の兵士は督戦する兵士たちに脅され、斜壁へと攻め寄せた。

 スィニートゥラ城(左)も似たような状況だが、出城が小さい分兵士の密度も高かった。


 前回の時は、5か所ある塔を攻略しようと攻めたが、今回は4ヶ所の斜壁毎に千の兵で攻めさせている。

 指揮する者が居ないので、後ろから督戦隊で前へと追いやった。

 殺されないためには前へと進むしかない彼らは斜壁を上って守り手を倒すしか生きる方法が無かったのだ。

 少しでも怯む者が出れば督戦隊により切り殺された、後ろからは味方に前へ行け行かなければ殺すと遅れた者が殺されれば進むしか無かった。

 彼らは、斜壁の上から攻撃され、後ろからも攻撃され斜壁の下の空堀にむなしく屍を晒した。


 トラント将軍は出城の防衛に第2と第4連隊から一個大隊の応援部隊を配置させた。

 デーストゥラ城(右)には第4連隊第2大隊300名が、スィニートゥラ城(左)には第2連隊第2大隊300名が初めから防衛戦に参加していた。


 力攻めの攻城戦では城壁は兵士が数に任せて犠牲を出しながら乗り越えて占領しようとする。

 使えるのは梯子か素手ぐらいで城壁の上まで行かなければならない。


 攻城櫓を使った攻め方は、付け城を城壁の周りに築くだけの時間と堀が無い場合に使えるぐらいだ。

 出城には空堀しか無いが山城なので攻城櫓を組み立てて攻めるには地ならしなどの手間がかかる。

 投石器で遠距離からの攻撃は一度失敗し、再度投石器の組み立ては行っているが未だ組み立て中だ。


 とどのつまり、キリアム侯爵軍は督戦によって死兵(この場合は前を攻めなければ後ろから殺される)による力攻めしか無かった。

 守りの硬いビーザ砦の攻略は南北に在る両出城から攻略するしか無かったのだ。


 東から攻めた5千の兵士は東門の1200名の守りを突破できなかった。

 西から攻めた1万の兵士は筏を組んで川を渡ろうとしたが、城壁から投石器で石を投げつけられて渡る事が出来なかった。

 増水した川を流れる水量は多く、流れも速いため投入される筏が多くても大半が潰されて溺死する未来しか無かった。


 攻略の本命、デーストゥラ城(右)とスィニートゥラ城(左)では。

 守り側は斜壁の上から投石や熱湯、弓矢に槍などで防衛した。

 守りの人数も各斜壁に100名以上も配置され万全だった。


 両出城を巡る攻防戦は朝から始まって夕方日の沈むまで行われた。

 攻め手はほぼ壊滅し、督戦隊が参戦して攻めたが斜壁を上る事も出来なかった。

 空堀に積み上がった死体の山が行く手を遮ったのだ。


 守り側には大した被害も無くこの日は終わった。


 戦が一段落した後、軍使がキリアム侯爵側から現れ空堀に積み上がった死体を引き取りたいと白旗を振りながら大声で申し出た。

 防衛側も死体の片付けは病気などの発生を避けるためにも必要だった。


 双方の考えが一致し、その夜死体をキリアム侯爵軍は片付ける事になった。

 武装した兵士は砦に近寄らず、遠くから焚火などで灯りを絶やさない事と死体を片付ける兵士は武装せずに死体を運搬する事になった。


 夜の間に両出城側は防衛を第1大隊と第3大隊の600名に入れ替えていた。

 第2と第4大隊は各々の兵舎で休息を摂る事が出来た。


 使い魔を介して状況を見守っていた私は投石器の状況次第で朝一でビーザ砦に行く事も考えていたが、投石器は組み立てが遅れていた。

 キリアム侯爵軍は一度集積地を分散させた(竜騎士対策)ため機材の場所がバラバラになり何処に何が在るのか分からなくなっていた。

 そこで一度最初の物資集積地へと戻し、投石器の部品を集める事にしたため時間が掛かり、組み立てが始まったのが朝方に成ってしまったのだ。


 投石器を運用する部隊長らの予想では翌日の昼近くに組み立ては終わるらしい。

 使い魔が部隊長らがヨーヒム将軍にそう言っていたのを側で聞いていた。


 本陣でキリアム侯爵とヨーヒム将軍の軍議が行われ、その席上力攻めは投石器で城内を数日間攻撃した後に行うとなった。

 今日の攻めで5千もの兵士が死亡したらしい。

 督戦で攻めさせた兵士の半分が死亡したのはさすがにキリアム侯爵も驚いた様だ。

 残りの兵士もほとんどが負傷してもう戦えないと話し合っていた。

 特に西側から筏で攻めた兵士に千名近くの被害が在ったそうだ。


 一度の攻撃で三分の一(戦闘不能者が1万)を失った事で撤退の声が挙がったが、キリアム侯爵が大声でその声を封殺した。

 キリアム侯爵にとって今回失敗する事はキリアム侯爵家の滅亡でしか無い事は自明だった。

 撤退は無くなったが、ではどうやって攻めるのか?

 ヨーヒム将軍の提案で力攻めはしばらく行わずに投石器で砦の戦力を削る事になった。

 投石器の組み立ても続けるそうで、最終的に12台作る予定だそうだ。


 キリアム侯爵は更なる徴兵と傭兵の雇い入れを指示した。


 次回は、ラーファが再度ビーザ砦にやってきます。

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