紫蓮院権太
そんな頃よ、権太に初めて出会ったのは。
組の企業舎弟の不動産屋が関係した地上げ案件で、それに北区の福祉課が支援する母子家庭保護施設が絡んでいたのね。わたしは知らなかったし、そんな案件にわたしが顔を出しても、自分の立場を説明するだけで半日以上かかるから、担当の子分任せにしてたのよ。
そのわたしを名指しで、権太が組事務所を訪ねてきた。名刺を見たら「課長」の肩書きだった。区役所とは言え、三十そこそこで課長だなんて、よっぽどのキャリアのエリートさんかと思ったわよ。
そのエリートさんが、いきなり、わたしの前で深々と頭を下げて、「なにとぞ土御門さんのご協力をお願いします」というのよ。わたしはこの稼業で「お願い」はさんざんしてきたけど、お願いされるなんて初めてだから、びっくりした。
後で分かったんだけど、権太は泉組のことをあれこれ調べて、わたしが実質的なトップだってことに気がついたんだって。でも、だからと言って、いきなりサシでこられても、わたしも困るしさー。
で、びびらせて逃げ出させようと、一芝居打ったのよ。こういう時のために、特別に用意した子分がいたの。相撲取り崩れで身長二メートル、体重百二十キロのゴーレムみたいな大巨人。現役時代の四股名を恐山って言うんだけどさ。その恐山にお茶を運ばせて、一口すすり、「ぬるい!」と茶碗ごと投げつける。コーン、と恐山のおでこにヒットした茶碗が宙に浮いている間に、わたしは席を蹴って立ち上がり、恐山に掴みかかると、頭上高々と持ち上げ、テーブルに投げ下ろす。木製のテーブルが真っ二つにへし折れて、恐山が「ぐへっ」と盛大に血反吐を吐く。
…お芝居なのよ、プロレスみたいな。わたしは、恐山がケガしないように十分に気をつけてるし、テーブルは簡単に壊れるように木材に切れ目を入れてるし、恐山はあらかじめ血糊を仕込んだビニール袋を口の中に隠しているし。
で、小娘の見かけからは想像を絶する、思いっきり盛大な暴力行使現場をご披露して、エリート課長さんにはお引き取りを願おう、と思ったわけ。
権太は、茫然としてぽかーんと口を開けてた。そこでわたしは「ごらんの通り、本日は取り込んでおります。日を改めてまた…」と切り口上を並べかけたんだけど、次に驚かされたのは、わたしの方だった。
権太は、キッとまなじりを決し、背広を脱ぎ、ネクタイを外した。靴を脱いで床に正座し、そのまま深々と土下座したのよ。そして、「なにとぞ、土御門さんのご協力を」と最前のせりふを繰り返す。
それで、その権太にわたしは惚れちまったのよ。権太が一人暮らししてる官舎に押しかけて、女房ヅラしてあれこれ世話焼いて、二年、いや三年か。わたしはいつでもオケーだってのに、権太は指一本触れようとしないから、一大決心してベッドに押し倒し、童貞&処女でやっちまったのが、わたしが十八歳の時。権太は三十三歳。童貞貫き三十年、「妖精」にクラスチェンジした三年後に、「怪獣」のわたしに操を奪われてしまった、とさ(笑)
翌朝、北区役所に結婚届出して、その足で事務所へ行った。組員全員並べて、その前で土下座して、ヤクザから足を洗わせてもらった。
土下座だけじゃケジメがつかないだろうと思って、出刃包丁と俎板持ってって小指を詰めようとしたんだけど、血相変えた沢田さんその他がすっとんできて、わたしは恐山に全力で羽交い絞めにされて、出刃を取り上げられた。
組の連中は皆、わたしの廃業を歓迎してた。ホント、全員、心の底から喜んでた。…ま、気持ちは分かるわよ。
今から思い返すと馬鹿みたい。何にも知らない小娘が暴走しまくってただけで、周囲には多大なご迷惑をおかけしましたですよ。特に泉組の方々を筆頭に、反社の皆様には。
だから必死に勉強したのよ。学校の勉強の何倍もの密度と熱意で。
今は、分かってる。同じようにチンピラをぶちのめすにあたっても、暴行と傷害と…殺人未遂とじゃ、量刑が全然違うとか、選挙違反の立件条件とかさ。
組を辞めて、権太と所帯をかまえた後も、わたしは爺の家に毎日通った。アルツが進んで日常生活にも支障が出てきた爺を介護してた。百宿百飯の義理を思えば当然よ。「下の世話」も当然。わたし、そういうの全然平気、というか、やりがいを感じるの。ナース体質? いえ、そんなことを言うと本職のナースや介護職の人たちに失礼よね。
ハスキー犬のチビは、何年か前に老衰で死んでた。その頃から爺のアルツが急に進行したのよね。
爺は一人暮らしが無理になって、特養ホームに入り、半年ほどして亡くなった。お葬式は東京大仏の乗蓮寺で盛大にやった。わたしは権太と一緒に堂々と参列した。公務員と「反社」の交際? 死んで仏になったらヤクザもカタギもないでしょう。義理ごとを欠いたら人間失格よ。言いたい奴には言わせておけばいいのよ。




