暴力の世界
十円玉を指で折り曲げるパフォーマンスってあるじゃない? 知らない? 昭和時代にマス・オーヤマっていう空手の達人がいて、握力百キロ以上あって、十円玉を片手の指で折り曲げて見せたのよ。梶原一騎原作の「空手バカ一代」ってまんがで読んだんだけどさ。パンピーはできないでしょう。でも、それなりに身体を鍛えて、「暴力」を商売にするような男どもなら、できて当たり前のこと、そう思ってたの。現に、テッラのわたしにとっちゃ簡単だからさ。
そう言って香織は小銭入れから十円玉を取り出し、親指と人差指で挟んで、くにゃりと半分に折り曲げてみせる。
沢田さんの目の前でやってみせて、ほらこの通り、暴力の「基本」はできてますよ、とアピールしたつもりだったんだけど…
「手品を見せてもらってもしょうがねえんだ」
と笑われた。ちょっと安心した様子だった。自信満々の小娘が何をやらかすのか予測不能で無気味だったのが、ただの「手品」だと思ったからかねえ。誤解なんですけど。マジ曲げてんですけど。
ずいぶん後になって分かったんだけど、誰もできないのよ。元ボクサーとか相撲取り崩れとか、格闘技経験者は組には相当数いたんだけど、誰もコイン曲げはできなかった。できるのはわたし一人で、実際にやってみせても「手品かよ」とか「超能力っすか」と言われるだけ。だったら意味ないじゃん。
それでも「採用」されたのは奇跡だったかもしれない。いえ、沢田さんの裁量? 力量? 度量?
「最初はトイレ掃除だ」と仕事を命じられた。
四階建てのビルの各階計四か所のトイレ掃除。とてつもなく汚なかったけど、道具を揃えて取りかかれば簡単なこと。一日がかりでピカピカに磨き上げた。
夕方になって、沢田さんが来たんで、報告した。
「きれいにしましたよ。確認しますから、見ててくださいね」
と、しゃがみこんで便器を舐めようとしたら、「やめろ馬鹿!」と叱られた。舐めてもいいくらいに便器を磨き上げるって、ヤクザの事務所の決まり事だったんじゃないの? 福本和也の「暴力株式会社」で読んで、知ってたつもりだったんだけど、間違った知識だった?
そんな感じでわたしは泉組で働くことになった。爺の出社日には爺と一緒に黒ベンツ。それ以外はママチャリで自転車通勤。仕事は清掃その他の裏方。トイレ以外にもフロアやらエントランスやら、ビル全体を清掃する。窓ガラスも磨く。とにもかくにも、気がついたところを全部きれいにする。
「表」には出してもらえなかった。当然よね。ヤクザの事務所に小娘がチャラチャラしてたら、「なんじゃコイツ?」でしょうから。
そんなこんなで地道に働いてたんだけど、ヤクザには目障りだったんでしょう。特に若い連中、いわゆるチンピラには。
卑猥な言葉を投げつけられたり、すれ違いざまにお尻をなでられたりは日常。最初は我慢してた。でも、わたしが掃除してる最中の便器にわざわざおしっこしやがったチンピラに対して、思わずぶち切れて、胸ぐらつかんで、トイレの床にぶん投げた。頭から落ちてチンコ丸出しの小便まみれで気絶したのを軽く踏んづけてやった。
これで吹っ切れた。わたしは泉組でのバイオレンス・ライフをスタートさせた。
わたしの唯一の特技は暴力。でも見てくれは「可憐な乙女」っつうか、発育不全のロリだから、低能揃いのヤクザには理解が難しいわけよ。
チンピラにナメられないように、わたしもそれなりのカッコしてたのよ。スカートはNG。肌見せは論外。バイク乗りみたいな黒の皮ツナギに鉄板入りのブーツ。髪はお団子にまとめて、大きめのキャスケットをかぶってた。
でも、それが逆に馬鹿ヤクザの心の琴線というか、チンコの裏筋というか、そこらへんを刺激したらしく、「小娘が峰不二子みたいなカッコしやがって」と突っかかってくるわけよ。
引いたら絶対ダメ。逆にこっちから積極的に手を出すのが良策。八極拳の拳をボディに叩き込んで悶絶させる。下手すりゃパンチが背中まで突き抜けて、殺しちゃうから、力の加減に気を遣ったわよ。心が怒りを感じる前に冷静に手を出すのがコツね。わたしって、ほら、ちょっと感情的なところがあるからさ。って、そこが笑うところですか、桃ちゃん。
でも、そのうちチンピラ連中も、低能は低能なりにあれこれ工夫するようになる。正面から行けば一撃で撃破される。だったら後ろから不意打ちしたらどや?とか、一対一でダメでも二人三人で行けばやれるんじゃね?とか。
卑怯と非難するつもりはない。兵法の基本よね。「実を避けて虚を打つ」とか「衆寡敵せず」とか。ああ、これは桃ちゃんに教わったんだっけ。出典は孫子? 三国志? まあ、喧嘩の常識でしょう。
でも、わたしには通じない。大の男が数人がかりで力任せに引き倒そうとしても微動だにしない。殴りかかってきたら、あえて顔面で真っ向から受ける。殴ったチンピラにとっては、鉄板を殴ったような感触だったと思う。下手すりゃ手首をくじいたり、指を骨折したり。
でも、わたしは痛くもかゆくもない。テッラの図書委員をなめるんじゃない、ってことよ。




