板橋区泉町
それから一週間、動けなかった。比喩表現じゃなく、文字通り腰が抜けて一歩も歩けなかった。学校に行くどころじゃない。部屋にこもりっきりで、ベッドで寝たきりだった。
だが、一週間後の深夜。わたしはベッドから起き上がった。パジャマのまま、本棚から古びたギデオン版「新約聖書」を取り出す。北区の図書委員の必携図書だ。合掌した両手の間に聖書を挟んで、念を込める。「いんへるの」と、リンガ・ビブリアが自然に口からこぼれ出る。テッラの図書委員の起動ワードだ。聖書から、ぼおっと黄色い光が放射され、収斂してバスケットのボールくらいの大きな光の玉となる。これが本に宿る力…マナが変換されたテッラのエネルギー。おしっこみたいに真っ黄色の光球を、わたしは両手のひらから体内に吸収する。
図書委員の仕事はサボりっぱなしで、マナをチャージするのも、半年ぶり。頭がキーンとなって、ちょっとクラクラする。例えば禁酒一週間後に100プルーフのウオトカを1ショットやった感じ? 禁煙一週間後にショートピースを? はたまた純度100パーのシャブを…。と、以上は図書委員として本を読んだ知識で言ってること。実体験ではありません、と言い訳しとく。
図書委員・土御門香織、準備完了。
マナが全身すみずみにまでしみわたっていくのを実感する。これでわたしは、再びゴジラになった。テッラの必殺技である「ぐらびて」の一撃で半径五十メートルを更地にできる怪獣に。三年前の「板北戦争」の頃は一発で打ち止めだったが、今なら三発は打てる。死ぬ気になれば五発くらいは。
一週間ぶりに熱いシャワーを存分に浴びて、身体も髪も徹底的に洗った。髪を乾かし、新品の下着を身につけ、ジーンズとブラウスに着替えた。それにレザーのブルゾンを羽織る。パジャマ以外の服を着るのも一週間ぶりだ。
一年前から愛人宅へ行ったっきりのパパの部屋へ行く。押入れの中の金庫に、ごくごく軽く「ぐらびて」をかけて、扉を破壊する。中に入ってた帯封百万円十個を丸々ちょうだいする。
そして、スーツケース一つをゴロゴロ下げて、わたしは家出した。桃ちゃんを追って、南米目指して。
ところで、これはわたしという人間の最大の弱点なんだけど、方角や距離というものがまったく分からない。いわゆる方向音痴。それも重度の。小学校入った時も、自宅からわずか百メートルの学校に行くのに何度も道に迷った。ある時なんか、下校途中にどこ歩いているか分からなくなり、歩いているうちに日が暮れて夜になって、心配したパパが警察を呼んで、大変な騒ぎになった。
十分自覚していたから、一人で知らない道を歩かないよう、注意していた。でも、そんなこと頭からすっとんでたのよ、あの夜は。
赤羽台の家を出て、わたしには何のあても無かった。
一.家を出る。
二.桃ちゃんのところへ行く。
以上。
でも、桃ちゃんがどこにいるか分からない。いや、居場所は分かってる。南米だ。南米へは飛行機で行くの? 飛行機ってどこで乗るの? 成田? 羽田? それ以前にパスポートも持ってない。どこで買えるの。いくらかかるの。どこへ行きゃいいの。どうすりゃいいの?
頭の中がグルグル、グルグル回ってる。そして、わたしは道に迷ってしまった。どこまでも続く住宅地を、どことも知らず、あてもなく歩いて、歩いて、何時間も歩いて、歩き疲れて、たまたま出くわした児童公園のベンチに座ったら、そのまま寝てしまったらしい。
何か温かいな、と思って目を覚ましたら、大きな犬がわたしの手をペロペロと舐めていた。馬鹿でっかいハスキー犬だった。犬の飼い主らしい、ジャージ姿の爺さんがそばに立っていた。
赤銅色っていうの? 日に焼けた肌が赤黒かった。背は低いけど、がっしりした体格で彫りの深い顔立ちだった。銅でできた彫刻みたい。わたしがとっさに連想したのは「インディアンの酋長」。アパッチとかコマンチとか…よく知らないけど。
「大丈夫かい、嬢ちゃん? 野宿にゃまだちょっと寒い季節だぜ」
と酋長はわたしに声をかけてきた。
そこでわたしは何て言った?
「ここは、南米ですか?」
て言ったのよ。今でもハッキリ覚えてる。で、
「いや、泉町だ。板橋区の」
と言われて、がくりと力尽きた。ダメだ。わたしは桃ちゃんを追っては行けない。太平洋を越えて、国境を越えて南米なんて絶対無理。北区から板橋区へ「区境」を越えるのが精一杯。そう思い知ったのと同時に、両目に涙が溢れてきた。ハスキーを両腕で抱いて、うわああん、と大泣きした。ハスキーはわたしの顔を涙ごとペロペロと舐めまくって、わたし自身も犬になったみたいで、うおお、うおお、と吠えまくった。
そのまま、泣きながら、犬と一緒に爺の家に連れてってもらい、そこに泊めてもらい、そのまま住まわせてもらうことになった。「もらい」だらけじゃん。ホント情けないんだけど、事実はそういうことだった。ちなみに犬の名は「チビ」。十五歳のシベリアンハスキーで、当時すでに相当の老犬だった。
爺は「酋長」じゃなくて「組長」だった。ヤクザの。「長」だけ当たってたわけね。
板橋区を拠点とする博徒系地域暴力団「泉組」。その十何代目だかの組長で、名前は板橋佐吉。ご先祖様はお百姓さんで、江戸時代以前から板橋区に住んでる「板橋」さん。地名姓ってやつよ。
大きな家で庭も広かった。でも荒れていた。庭は草ぼうぼうで、手入れをしてない庭木が伸び放題で、ジャングルみたいになっていた。敷地の角にお稲荷さんが祀ってあって、そこだけはキレイだった。爺がメンテナンスしてたんだろう。
家も、十年ぐらい放ったらかしで廃屋みたいになっていた。その一階の八畳敷の和室に爺は暮らしていた。仏壇があって、品のいいお婆ちゃんの写真があった。その部屋以外、爺が使うのはトイレと、台所の蛇口だけ。台所じゃ、お湯さえ沸かしていなかった。ガスも止まってたんだ。
「最小限必要なもんだけありゃいい。だから水道と電気だけで、ガスは止めた。電話もNHKも解約した。ここにあるのは婆さんの位牌だけだ」
で、わたしは二階の、こども部屋だったらしい部屋に住むことになった。たった一晩だけだけど、公園のベンチで夜を明かした身にとっては、屋根と壁があるところで寝られるってだけで幸せよ。浴室の水シャワーで身体洗えたし。それで十分。
庭には錆びついた三輪車が転がってた。家のそこかしこに、小学校に上がる前の男の子が使ってたと思われるオモチャや絵本があって、「かつて」が偲ばれた。
ここは爺の息子夫婦の家だったのよ。そこに爺夫婦が呼ばれて仏壇付きの和室で暮らしてた。でも婆が死んで、それから何かがあって、息子一家は、この家から去っていった。その後も、爺は一人でこの家に住み続けていた。息子がそうであった「カタギ」の家に。
具体的に何があったかは分からないけど、亡くなった妻の写真とともに「カタギ」の家で一人暮らしを続けてる「ヤクザ」の爺の、「人生の形」は分かったような気がする。その家に住むことになったわたしは、「一宿一飯」どころか、百宿百飯の恩義を負っちまったわけよ。




