衆議院東京十二区
「この犬畜生!」
いかにも「アニメ」な可愛らしいボイスが罵声となり、紫のコスチュームに身をまとった小柄なセーラー戦士が鞭を振るう。小太り色白の、ふんどし一丁の裸の男性が鞭打たれて、地面を転がり回る。その身体を、セーラー戦士はさらにブーツで蹴りつける。時刻は午後二時。場所はJR赤羽駅西口広場。百人近い観衆が集まっている。白昼堂々、公衆の面前でのコスプレSMショーか? いや違う。選挙運動である。
衆議院東京十二区は、北区を主エリアとした選挙区だ。七月四日日曜を投票日とした、衆議院議員総選挙。与野党がっぷり四つ、天下分け目の選挙戦が、全国各地でくり広げられていた。その最終日の三日土曜。北区の要・赤羽の中心であるJR赤羽駅前で、選挙運動の場を借りて、前代未聞のパフォーマンスが行われていた。
主役はふんどし男の立候補者・紫蓮院権太・四十八歳…ではなく、その妻・紫蓮院香織・三十三歳。その年にして十代前半にしか見えない童顔で、セーラーサターンこと土萌ほたるのコスチュームが、スリムな肢体に似合いすぎている。紫を基調にしたミニスカセーラー服で、額には金のティアラ。足下は紫のエナメルブーツで固めている。原作のほたるは長柄の大鎌を振るうが、香織は黒革の長大な一本鞭だ。自由自在にあやつり、夫を容赦なく打擲する。
「京都のお寺さんに生まれて、京都で育って、東京の人間なんか『田舎者』と馬鹿にしてんだろ?」
ビシッと鞭が権太の背中を打つ。
「ああっ! 違います。馬鹿になんかしとりまへん」
「その京都弁が馬鹿にしてるんだよ!」
ビシッ!
「その上、灘高から東大法学部にご進学ですか。馬鹿にしてた東京の。で、東大卒のエリートさまは、わたしら北区の庶民なんざ、サル山のサルみたいなもんだと思ってるんだろ?」
ビシッ!ビシッ!
「そんな、北区も立派な東京の一部です」
「その言い方が、北区を侮辱してるんだよ、この犬畜生!」
ビシッ!ビシッ!ビシッ!
鞭がヒットするごとに、観衆から「おお!」と、どよめきが上がる。
「やれ! 本気でやれ! ぬっ殺しちまえ!」
最前列でドス黄色い歓声を上げているのは、豹柄プリントのワンピースの、六十絡みの太ったおばちゃんだ。髪はショッキングピンク。何とも赤羽らしい光景である。
SMショーの背景に黒スーツの女性が十人ほど、手を後ろで組み、直立不動で立っている。実は彼女らは東京都北区立図書館の司書たちで、香織は東京都図書委員会委員長。自らが「長」を務める組織の人員を、地元つながりで夫の選挙運動に動員するなど、公私混同も甚だしいのだが、それはさておき、ちょっと離れた場所に立ち、ステージ?と観衆双方の動向を観察している女性に注目してほしい。
百七十センチ以上ある長身で、ワーキングシャツにジーンズというラフな格好だ。サングラスで容貌は分からないが、三十代半ばか。インカムに向かってつぶやいている。
「オケー、カオリン。お客さんはガッチリ掴んでる。次行って!」
「了解、桃ちゃん」と香織はコスチュームの胸元の隠しマイクに答える。鞭を投げ捨てて、息絶えだえの権太と並び、地面に正座する。
「ごらんの通りの犬畜生ですが、日本国のために、そして北区民の皆様のために、身も心も、魂までも捧げる覚悟を決めた犬畜生です。どうか、皆様のお力添えを、心からお願い申し上げます」
香織は深々と土下座する。アスファルトに額のティアラをすりつける。
うおおおおっ!と観衆の熱狂は頂点に達する。司書たちが香織に駆け寄って、その身体を助け起こす。
「香織姐さん、もう十分です。これ以上は、わたしたちが見てられません」
「ほら、権太さんもボーッとしてないでちゃんと立って。って、やだ。勃ってんじゃないですか!」
赤面した小柄ポニーテール司書に軽く頬を張られて、権太が「はいぃぃ」と至福の呻きを漏らしたのを、香織はキッチリ見咎めて、観衆サイドからは見えない角度で、八極拳の寸勁を込めた極小半径右フックを権太の下腹部に鋭く叩き込む。
「ロ、ローブロー」悶絶する権太。香織は「ふん!」と鼻を鳴らす。
「イッキにフィナーレだ。みんな、いくよ!」
「はい、香織姐さん!」
「紫蓮院権太、紫蓮院権太をよろしくお願いします! 明日、七月四日の投票日には、紫蓮院権太、紫蓮院権太をなにとぞ、なにとぞよろしくお願いいたします!」
選挙結果は圧勝だった。対立候補にダブルスコアの差をつけての。かくして、衆議院議員・紫蓮院権太が誕生した。公認をもらっていた自民党に正式入党し、派閥は安倍晋三が所属する清和会に入る。第二次安倍内閣の成立に際し、権太はともかく、妻の香織はいくらかの影響力を行使したのだが、それはまた別の話。
「でもさあ、権太さんもよくそこまでやってくれたわね」
とため息をついたのは、穂村桃子。先日のSM選挙運動のディレクターである。前板橋区図書委員会委員長で、本職はフリーのルポライター。今は温泉から上がりたての浴衣姿である。
「『よくそこまでやった』のはわたしよ。三十過ぎで中学生の息子がいて、それでセーラー戦士のコスプレよ。恥ずかしくって顔から火が出そうだった」
という紫蓮院香織も、桃子と同じ湯上がりの浴衣姿で、ともにマッサージチェアで背中をゴリゴリされている。
「まあ、そうでしょうねえ」
選挙から数週間後。二人が今夜の宿をとったのは、湯河原温泉の高級旅館「さわの家」。一般客は受けずに馴染みのみで営業している小さな宿である。秘匿性の高さから、客の大半は政財界の要人だ。
「権太は単に『地』だから。あんなんじゃ満足できなくて、その夜、リプレイさせられたのよ」
「リプレイですか。それは、どちらの駅前で? 王子? それとも十条?」
「まさか。家のリビングでよ。智が寝ついた夜中、紫のブーツまでしっかりコスプレして、できるだけ音を立てないように。そんでも昼間の十倍以上鞭でしばいたかなあ。わたしも手が痺れてきちゃって」
「真正のMなのね、権太さん」
「実際、本気で苛められなきゃ勃たないのよ。まだ四十八なのに。そんで、ようやっと勃ったのを、わたしがハイヒールのブーツで床に踏みつけて、ちょっと、こんなに強く踏んだら、壊れちゃうんじゃないかな、ってくらいまで踏みつけてやって、それで初めて達するの。全身を痙攣させて、そのまま死ぬかも、ってな勢いで、すっごいいっぱい出るの。フローリングで良かった。絨毯だったら後始末が大変」
「あの、そこまで具体的にお聞かせいただかなくても」
「何よう、桃ちゃんが言わせたんじゃないの。こんな恥ずかしいことまで。桃ちゃんが…桃ちゃんがさあ」
「カオリン、泣いてるの?」
「そ。桃ちゃん、慰めてくれるよね?」
(やっぱ嘘泣きか)と桃子は内心で嘆息する。
「それは、まあ。今日はその覚悟で来てますし」
「でも実際、あんなんじゃ『二人目』なんて無理よね。わたし、智の他に女の子も欲しいんだけどなあ。桃ちゃんにおチンチンがあれば良かった。わたし、絶対産むよ、桃ちゃんのこども。何人でも!」
(両拳を握りしめて断言されても…)と桃子。
「わたしも明と双子と三人こどもがいるし、他にこどもができても困るのよね」
「冗談よ、ばか。わたし、桃ちゃんとこうしていられるだけで幸せだから」
と、三十女二人が甘々なムードに浸ったところで、ごくざっくりと背景事情を説明しよう。
穂村桃子、旧姓・高島桃子。紫蓮院香織、旧姓・土御門香織。二人はともに「図書委員」OGである。
図書委員とは、本に宿るエネルギー・マナを引き出し、異能の力を行使する正義の味方である。全員が女子。所属する中学、高校の図書館を管理するとともに、OGである公立図書館司書による「図書委員会」によって厳格に統制されている。
かつて、区境を接する板橋区と北区の図書委員たちの間で抗争が勃発した。その解決のために、双方の代表選手が荒川河川敷で「集団戦闘」を行った。後に言う「板北戦争」である。その板北戦争のリーダーがこの二人。板橋区サイド・高島桃子(都立高浜高校二年)と北区サイド・土御門香織(北区立稲月中学一年)
※ともに所属・学年は当時。
「戦争」は引き分けに終わったが、その結果、二人は「こういう関係」になってしまった。そして、現在に至る。
「何よう!」と香織がナレーションに抗議する。
「なーにが『こういう関係』よ。交友関係と誤解するじゃない。わたしと桃ちゃんはマリアナ海溝より深い、ふかーい愛で結ばれてるんですからね。だって…」
「えー、テステス」と桃子もマイクテストの上で割り込む。
「あの頃のわたしとカオリンの関係はあくまで友情。高校生と中学生の女子同士の。その、何ていうか、いわゆる『百合』とは違うのよ。で、今は、わたしもカオリンも、それぞれ結婚して大きなこどももいるんだし。誤解されたら困るじゃないの。旦那もそうだし、こどもらに誤解されたら大変よ」
「でも、ちゅーはしたよね。ベロ絡めてぶちゅーって」
「だから、それは…」
「一緒にお風呂に入ったり、同じベッドでお寝んねしたり。桃ちゃん、わたしのこと、いっぱい、いっぱい可愛がってくれたじゃない」
「だーかーらー、誤解を招く発言はご遠慮くださいって」
「わたしは桃ちゃんが『初めてのひと』だと思ってるんだよ。わたしは中学一年、十二歳だった。桃ちゃんがわたしに教えてくれたことに比べれば、男なんて。まして権太なんてさあ…」
「年齢言ったらダメでしょ!」
…そういうことらしい。




