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一億総ファッキン

作者: 三島由紀夫



私は人と違う人間だと思っていた。


恥を捨てて言えば、人より優れた人間だと思っていた。



何故なら、人生に必要だと思われるような事は、多少の労力を注げば、人並み以上に出来たからだ。


そして、それに人並み以上に従事する事で、身の回りの他者に負けないくらいになった。


身の回りから旅をする手立ても無かったのである。


自分の才能が及ばない事物に関しては人生の副産物に分類して、勝ち負けの勘定に入れない逃避を持ち合わせていた事も味方していた。



負けないという事は勝っているという事だ。


それは私の自尊心を満たした。


将来の展望は無かったが、このまま勝ち続けて行く事に一抹の疑いも無かった。


大学を卒業し、労働に従事する事になった。


資本主義の開かれた世界は『身の回り』を超えていたし、学歴や企業の格と言ったある種のアカデミズム的なものから解き放たれたその場では、勝ち負けの基準は曖昧だ。


曖昧は嫌いだ。


だから、人並み以上の従事を物事にする事は無くなった。そして本気を出していないという安心感のベールで自分の実力を隠し、自分だけの勝利に浸った。


そして、人間はこの世界でも勝ち負けを気にしていた。そんな奴らが滑稽で醜く思えた。


こいつらクソだ。



それぞれが価値観を持ち、各々のライフスタイルを選択して生きていく多様性が喧伝されているという時代背景が、この時代の若者である私

にはとても馴染み深く思えた。


綺麗な正論は好きだ。



それでもやはり、蔑まれたら苛立ち、尊敬の眼差しを感じれば、悦に浸る自分は消える事が無かった。


そしてその気持ちこそが、私がこの残酷な資本主義のサバンナで、生存競争を行き抜ける原動力であるような気もした。



気がついた。


私もクソの一員だ。


人間は愚かで滑稽で、クソなんだ。



しかし、それに気がついた私の視座だけは滑稽な世界から分離した世界に到達する事ができた。



その瞬間に私と私の視座が違う世界に発生する事で、自分を客観視する事ができた。


そして、醜くも哀れな自分を愛する事が、世界を愛することに繋がった。


壮大な自己愛の一つとして、世界を愛した。

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