15話 ただの一人の男でしかないのだ
アイシェから平民になりたいという話を聞いた翌日、ウィリアムとトーマスとセスは執務室で頭を突き合わせていた。
ウィリアムは二人の顔を見ると意を決して口を開いた。
「一晩考えた結果、私は当主としてアイシェの願いを聞き入れることにした」
「宜しいのですか?」
驚いたトーマスが声を上げると
「父親としては、アイシェの苦しみを考慮しなければ、即却下だ。だが……今回の事件はリーシアがアイシェを化け物と呼んで拒絶したことに起因している」
「ですが、例えそうであったとしても、良識のある者ならばあのような愚行に及ぶことなどなかったはずです」
トーマスは怒りを押し殺した声で意見を述べた。
「分かっている。私とて腹に据えかねている。あの場で全員切り捨ててしまいたかったほどにな。だから当主としてなのだ」
ウィリアムが二人の顔を見ると、二人とも納得できない面持ちでウィリアムを見つめている。
「セスも何か言いたいことがあるようだな?」
ウィリアムが聞くと
「恐れながら申し上げます。私には奥様に端を発した歪みのしわ寄せが、何の咎もないアイシェお嬢様に全て行っているように感じられてしまい、納得し難いのです」
ウィリアムは頷く。
「そうだな……確かにその通りだ」
ウィリアムは一度大きく息を吸うと何かを考えるようにゆっくりと瞬きをした。
「今回のことは、表には出せない。リーシアに全てを話したとしてもだ。何故なら、メディエス公爵夫人の非道とメディエス公爵家の使用人の愚昧さを世間に曝け出すことになるからだ。メディエス公爵家の外聞を著しく損ねるようなことはできない。これは二人とも分かるな」
二人は頷く。
「そのために、彼らが使い込んだ金の回収は当家の失策を省みて放棄し、ナンシー達は秘密裏に処分して事故死として処理するつもりだった」
これにも二人は頷く。
「しかし、元凶となったリーシアが処罰されることはない。明確な罪状がないからだ。これに対して、今回のことを知る者達は少なからず憤りを覚えるだろう。何故ナンシー達だけが処罰されるのかと。トーマスが言うように良識がある者ならば決して起こさないようなことでもだ。死罪ならば尚更だ。だが、これが公爵家の金の横領ならどうだ。アイシェが幼いことをいいことに、アイシェのための予算を好き放題に使い込み自分たちだけで甘い汁を吸っていたのだとしたら。心証は変わってこないか?」
二人はハッとする。
「そして、今後同様のことが起こらないようにアイシェを公爵家から出す」
「アイシェお嬢様を公爵家からお出しになることで、奥様ではなくメディエス家として、責任を取る形に収めるのですね」
トーマスの言葉にウィリアムは頷く。
「狡いよな……」
そう言ってウィリアムは自嘲の笑みを浮かべた。
「アイシェが望んだからと、その事実に甘えて公爵家の傷が浅く済む方を選んだ。そして……私自身が楽になれる方を選んだ。最初に当主としてと言ったが、その実、私はリーシアを失いたくないだけなのだ。当主でも父親でもない、ただの一人の男でしかないのだ」
ウィリアムの言葉に驚いた二人は顔を見合わせる。
そして、それはどういう意味かと問いかけた。
「リーシアが何故あれほどに娘を望んだか知っているか?」
「それは、王太子妃殿下とのお約束のため、でしょか?」
「そうだ」
ウィルアムはリーシアのことを思う。
「お前達も知っている通り、リーシアは王太子妃殿下と愛称で呼び合うほどに親密な間柄だ。その理由は、二人が姉妹のように育ったからなのだが……」
ウィリアムはリーシアの過去を話し始めた。
「王太子妃殿下のご生家であるユサリナ公爵家とリーシアの生家であるキーネン侯爵家は、過去何代にも渡り親密な関係を築いていた。折に触れてお互いの屋敷を家族で行き来していたほどにな。それは、リーシアが生まれても変わらなかった。だが、キーネン侯爵家がユサリナ公爵家を訪れるときに、リーシアを同行したことは一度もなかったし、逆に、ユサリナ公爵家がキーネン侯爵家を訪れたときも、その席にリーシアが同席したことは一度もなかった。当時のユサリナ公爵夫妻は、生まれたはずのリーシアを全く見かけないことに疑問を抱いていたそうだが、リーシアの話を出しても曖昧な返事ではぐらかされてしまうために、それ以上深く詮索するわけにもいかず、時間だけが過ぎていったそうだ」
「いったい奥様の身に何が起きていたのでしょうか?」
トーマスが深刻な顔で問いかける。
「リーシアの母親である現キーネン侯爵夫人が、社交会に浮名を流すほど性に奔放だった夫人の実の母を忌み嫌うあまり、同じ色に生まれたリーシアを嫌悪し疎外したのだ。それでも三歳までは夕食だけは家族と取ることを許されていたようだが、成長するにつれて顔までが夫人の母親に似ていくリーシアを屋敷内で見かけることすら嫌がった夫人は、全てを乳母と数名の侍女に任せて、三歳になったリーシアを離れに移したのだ。離れに移されたリーシアの生活は、本邸にいた時とほとんど変わらなかったようだが、家族との交流は完全に断たれてしまった。リーシアは寂しさのあまりよく泣いていたそうだ」
ウィリアムは一息入れると、再び続けた。
「離れに住むようになって二年が過ぎたある日、キーネン侯爵家に遊びに来ていたユサリナ公爵家次期当主のご息女であった王太子妃殿下がリーシアの前に現れて、何故泣いているのかと聞いたそうだ。まだ五歳のリーシアは、自分は母親に嫌われていて家族と一緒に暮らせなくて寂しいと素直に答え、それを聞いた王太子妃殿下はそのことを祖父である当時のユサリナ公爵に話された。ユサリナ公爵はリーシアが全く姿を見せないことを心配していたからな、事情を知って直ぐにリーシアをユサリナ公爵家で預かることに決めた。キーネン侯爵はこれを快諾し、それ以降リーシアはユサリナ公爵家で本当の子供のように大切に育てられたのだ。もちろん、王太子妃殿下はリーシアをとても可愛がり、二人は本当の姉妹のように育った。それまで大嫌いだった自分の色は、ユサリナ公爵家でローズのように美しく品があり、魅力的で綺麗な色だと褒められ続けられた結果、大好きになっていたそうだ。ローゼの花の中でも特に濃くて深みのある赤色の花弁を持つものをローズと呼ぶが、私もリーシアの色はローズそのものだと思っている。あの色はとても美しい」
唐突に入ったウィリアムの惚気にトーマスとセスは苦笑を浮かべる。
ウィリアムはそんな二人の顔に咳払いを一つすると、話を続けた。
「その間、養育費は支払われるもののリーシアに全く関心を示さないキーネン侯爵家に対して、ユサリナ公爵家はリーシアの養子縁組を申し入れた。どうでもいいなら貰い受ける、とな。だが、キーネン侯爵家は他家との繋がりのためにリーシアは必要だと言って、これを断った。キーネン侯爵家の返答を聞いたユサリナ公爵は、開いた口が塞がらなかったそうだ。キーネン侯爵家の返答は貴族らしいと言えば貴族らしいのだが、ただの道具だと断定されたリーシアはしばらくの間塞ぎ込んでいたそうだ」
ウィリアムは大きなため息を吐く。
「悲しい現実だが、これは貴族の家に生まれた以上は許容しなければならないことではある。だが、子供を大切にしないこととは話が別だ。王太子妃殿下もユサリナ公爵夫妻もそう思われたのだろう。養子縁組はできなかったがリーシアをキーネン侯爵家に返すことはなく、王太子妃殿下が十歳で王太子殿下の婚約者に選ばれた後も王都の屋敷に一緒に連れて行き、リーシアが学園に入学して寮生活になるまで、王太子妃殿下は屋敷から王城に通われたそうだ」
「それはまた、大変なご苦労だったのではないでしょうか?」
トーマスの言葉にその通りだと答える。
「特に学園が始まってからは移動時間が増えて大変だっただろう。王城に居を移していれば移動時間が無くなり休む時間を取ることができただろうが……王太子妃殿下は、毎日日付が変わっても勉強されていたそうだ。それでもリーシアを疎かになさることなく、変わらず大切に愛しんで下さったそうだ。そんな王太子妃殿下と交わした、お互いの子供を結婚させて、本当の姉妹になろうという約束は、リーシアにとっては絶対に守りたい、叶えたい、約束なのだろう」
トーマスもセスも頷く。
「だが、ここでその約束を果たすのが難しくなった。王太子妃殿下は三人のお子をお産みになったが、皆王子殿下だ。しかも、王太子妃殿下は三人目のご出産の折に生死の境を彷徨われた。以降子供を産めないお体になってしまわれた。それが五年前だ」
「奥様がルーカス様をご出産なされた年でございますね」
トーマスの言葉にウィリアムは頷く。
「我が家に生まれた子供も二人とも息子。このままでは二人の子供を結婚させることはできない。だからだろう、リーシアは「次に産む子供は絶対に娘ですわ!」と言って、女児を産めると噂されている方法は、体に害の無いもの全てを試していた。夫婦の寝室の壁や絨毯にカーテン、天蓋のカーテンの色も変えたぐらいだ」
そう言えば普段は使わないような食材も頼まれましたと当時を思い出したトーマスが言うと
「リーシアの頼む物を全て揃えるのは難儀しただろう。面倒をかけた」
ウィリアムが済まなそうに軽く頭を下げたので、トーマスは慌てて滅相もございませんと首を振った。
「そのリーシアの努力と皆の協力の結果なのか、生まれてきたのは待望の娘だった。そればかりか、最初に生まれてきたのがリーシアの色をそまま移したような赤い髪と赤い瞳を持つ子供だ。……出産直後はかなり気分が高揚すると聞いているが、その状態のところへ、三人目にして初めて自分と同じ色の子供が生まれ、その子供は切望した娘で、王太子妃殿下との約束を果たせることへの希望が見えるという、平常時でも歓天喜地するだろう状況になったのだ。その喜びは、我々では測れないほどのものだったに違いない。ドナから聞いた話では、普段の落ち着いたリーシアからは想像ができないほどにはしゃいでいたそうだ」
ウィリアムは視線を落とす。
「そんな喜びも最高潮のところに、私ともリーシアとも違う……私達の子供ならば絶対にありえない、光を発する白銀の髪を持つアイシェを見た。リーシアは一転、酷く動揺していたそうだ。そこへ追い討ちをかけるように開かれた目には白銀の瞳が光っていた。思いもよらない現実を受け入れることができなかったのだろう。リーシアは……アイシェを化け物と呼んだ……」
目を閉じると鮮明に思い出せる当時の光景にウィリアムは深いため息を吐く。
トーマスもセスも当時のリーシアの様子を思い出したのか、大きなため息を吐いた。
(あのときのリーシアは酷く取り乱し、金切声で叫んでいた。だが、私の顔を見て正気に戻ったとき、最後に視線を向けたのは、悲痛な面持ちでごめんなさいと言ったのは、アイシェが出て行った扉に向けてだった……)
「だが、リーシアがアイシェを記憶から消したのは、アイシェの姿を拒絶したからではないと思っている」
ウィリアムの言葉にトーマスとセスが怪訝な顔をした。
二人にはそれ以外に理由があるとは思えなかったからだ。
「リーシアは先に話した通り、髪と瞳の色のせいで母親から疎外され、幼少期に辛い思いをしてきた。それなのに、いくら驚いたとは言え、自分の母親と同じことをしたのだ」
「では……」
「おそらく、自分の中で決して許せない行為を自分自身がした、その事実が許せなかったのだろう。だから、アイシェを拒絶した自分と共に、アイシェの存在を記憶から消してしまったのだと思うのだ。あの時、リーシアが意識を失う直前に口にした謝罪は、私に向けてではなく、アイシェが出ていった扉に向けられていたのだ」
初めて知る事実に二人は驚きを隠せない。
「そんなリーシアにアイシェの存在を明かし、更に今回の事件を話したなら、自分が原因で侍女が罪を犯し、娘は監禁され、自身が経験した以上の孤独を味わった事を知る。アイシェを拒絶したことで記憶を消してしまうほどなのにこの事実を知ったなら、リーシアはどうなってしまうのか。記憶を失うだけでは済まないかもしれない。今度は、リーシアが壊れてしまうかもしれないのだ。それを考えたら、私はアイシェの願いを聞き入れることしかできなくなった。リーシアを失いたくなかったのだ」
「旦那様……」
「ウィリアム様……」
「お前達も知っての通り、朝、リーシアの様子を見に行った時にはアイシェのことは彼女の中から綺麗に消えていた。そして喜悦に満ちた顔でマリアローズのことを話していた。その姿を見た私は、アイシェのことを話せなくなった。リーシアの心からの笑みを消してしまいたくなかったのだ。だから私は、リーシアの分もアイシェを愛し守ろうと決めて離れで育てることにした。あの時は公爵家で育てることがアイシェを守ることだと思い込んでいたのだ。家族から離され、隠され、閉じ込められたアイシェがどんな気持ちで生きていくかも考えずにな。本当に守りたいなのら、一時的にリーシアの笑顔を奪うことになっても、あの時点でもう一人産んだのだという事実をしっかりと伝えるべきだったのだ。扉に向かって謝罪したリーシアを信じるべきだったのだ……私の、過ちだ」
ウィリアムは後悔の全てを追い出すように大きなため息を吐くと、ハッキリと言い切った。
「改めて言う。私はアイシェの願いを聞き入れる。これは公爵家のためになり、アイシェの隠されたもう一つの願いを叶えることにもなるからだ」
「ナンシー達の助命でございますね」
トーマスは何かを耐えるように言う。
「ああ、アイシェが生まれていなければ、監禁されていた事実が無かったことになり、残るのは西の離れの管理を任せていたナンシー達が公爵家の金を使い込んだ事実だけになるからな。既に出生届けは提出済みだから生まれなかったことにはできないが、死亡届けは出せる。そして、三歳前の今ならば死亡届けの時期がずれていても問題にはならない」
ウィリアムの言葉にトーマスもセスも頷く。
「父親になりきれなかった私だが、これからは間違えたくない。アイシェが気持ちよく公爵家を出られるようにするためにも、その後も笑顔を失うことなく生きていけるようにするためにも、トーマス、セス、私に協力してほしい」
「「かしこまりました」」
こうしてアイシェの平民になりたいという願いは叶えられることとなった。
ウィリアムが一人になった時、滂沱の涙を流して泣いていたことは、誰も知らない。
と思っているのは本人だけで、実はトーマスとセスにはしっかりとバレていたが、二人ともそのことに触れることはなかった。




