てっきり、ゲームの世界だと思っていました。
母と二人暮らしのフローラは、5歳で母を亡くした。生前、町の人と積極的に付き合いをしていた母のお陰で、すぐに町の孤児院から申し出があり、フローラは孤立せず、同年代の子どもたちと協力し合って生活を送っている。
半年後に成人を迎えるフローラは、町を訪れていた。週末で活気溢れる市場には、もうすぐ住み込みで働く果物屋も出店している。おつかいのついでに挨拶をしようと、キョロキョロと店を探す。
「誰かと待ち合わせか」
見ず知らずの男がニヤニヤとフローラを見ている。
「ご心配なく」
一言告げると先を急ぐ。後ろから聞こえる足音は無視をするに限る。
「ちょっと付き合ってくれてもいいだろ」
肩に手を置かれ虫唾が走る。成長するにつれ、面倒ごとが増えた。はあーと溜め息を吐く。早く手を退けてもらおう。振り向くと、男は急に走り去った。不思議に思いつつ、いなくなってくれたのなら幸いだと向き直ったとき、目の前を大きな体が立ち塞がっていた。そういえば、周囲が騒がしい。一体何事かと、ちらりと顔を上げると、フローラは最悪な状況を認めなければいけなくなった。
「運命の人。やっと、出会えた」
執着の王子。前世でフローラの姉がプレイしていた『王宮の秘め事〜もう二度と離さない〜』のメインターゲットだ。
孤児院には、週に2回、国が雇った教師が教鞭を奮っている。独立支援のため、読み書きと簡単な四則演算を中心としているけれど、世相や流行を、何気ない会話に織り交ぜ、わかりやすく話してくれるのが人気だ。周囲が目を輝かせ聞き入る中、フローラは徐々に既視感を覚えるようになっていた。
前世。追われてこそ愛だと、姉は豪語し、ゲームの進捗やキャラクターの魅力を毎分毎秒アピールしてきた。百歩譲って追われるまではいいとして、ゲームのターゲットたちはいただけないとフローラは内心思っていた。監禁一直線の執着王子に、コレクター騎士。GPSの宰相に、秘薬の司書官。他にもいた気はするけれど、思い出すだけで背筋が凍る。全ての出会いは、孤児院を慰問する王子に話しかけられるところから。フローラは、王子が来ると耳にすれば、何かと用事を引き受け積極的に席を外した。苦労が水の泡だ。
「人違いでは?」
不敬かどうかなど考える余裕は、フローラにない。今すぐ立ち去りたい。それだけだ。
「探し求めた愛しい人を、間違えるほど愚かではない」
キャーっという悲鳴が、あちこちから聞こえる。王子の装いは、煌びやかではないものの身分を隠すものではない。どこからどう見ても、王子による求愛だ。フローラは覚えた目眩にぐっと耐え、こくりと頷くと、ありがとうございます、と小さく応えた。とりあえず、この場から逃げたい。一斉に拍手が上がる。どうしてこんな見窄らしい恰好の女への求愛に肯定的なのだと、フローラは絶望に包まれる。下を向いていると、王子はさっと手を差し出した。
「立ち話というわけにもいかないので、このままお時間をいただけるかな」
この空気で断れる人間がいたら見てみたい。フローラは肩を落とし、手を重ねた。
右半身が熱い。広い馬車の中、どうして密着して横並びに座っているのだろう。フローラは納得がいかない。おつかいは騎士の一人が終わらせ、孤児院へ届けるそうだ。フローラの行き先も伝えるという。フローラは、おつかいに行った騎士に見覚えがあった。騎士は殆どが貴族。貴族など遠い存在のフローラにとって関わりはない。思い起こせば、記憶は遠い過去に遡る。あの横顔は……コレクター騎士。
「何を考えているの。せっかく二人になれたのに」
低い声、眉間に寄った皺。頬に添えられた大きな手が寧ろ怖い。
「殿下は、どうして私を知っているのかと」
「町で見かけた」
どきりと心臓が跳ねた。トキメキではなく恐怖だ。慰問の度に逃げ回っていたのに、既に町で見られていたとは。
「自分では気づいていない? あなたは花畑で誰もが目に留める、輝く一輪だということに」
自覚はある。声を掛けられることが増えたのも、半ば諦めていた。ゲームのヒロインに転生してしまった。運営が導き出した、どんな好みにも当たる万人ウケする美少女像を憎いと思っている。視線を逸らせ逡巡していると、頬の手が下に滑った。
「よく無事でいてくれた。誰も殺めなくて済みそうだ」
にこりと微笑んだ顔が近づいてくる。どうしてこうなった? 混乱の中、フローラはぎゅっと目を瞑る。
「もう離さないからね」
耳元で囁かれると、そのまま肩に顎を乗せられた。フローラは、追い詰められ固まってしまう。そっと抱き締められたまま馬車は城へと辿り着く。
「うわー」
案内されたのは、孤児院の大きな食堂がすっぽり入る大きさの部屋だった。パステルブルーの壁に、金縁のある白い猫脚の家具。扉が開いた瞬間、フローラの部屋だと告げられた。
「帰るという選択肢はないのでしょうか」
「どうして?愛する人を帰すなど、有り得ない」
「もしかして。このままずっと、ですか」
「当然」
ここまで来るのに繋がれた手が、ぎゅっと握られた。信じられない。今日初めて言葉を交わしたのに、好感度は既にMAXを超えているのではないか。
「ああ、立たせたままで悪かった。座ってくれ。いや、フローラの部屋なのだから好きに使ってくれたらいい」
そろりと手前のソファーに座ると、王子は横を陣取った。距離が近い。一人掛けを選べばよかったと後悔していると、王子は嬉しそうに頭を撫でてくる。
「町で私を見掛けたことがあると言っていましたが、初対面ですよね。私は、貴族ではありません。こんな場所に足を踏み入れることなど出来ない人間です」
撫でていた手がピタリと止まる。
「やはり。あなたは自分を知らなさ過ぎる。あなたは母親と二人で暮らし、今は孤児院で生活していた。しかし、伯爵の娘であることは変わりないだろう」
「え?」
「聞いていないのだな」
母は子爵家の娘で伯爵家当主と恋に落ちたが、結婚目前で家が没落してしまった。周囲の反対に負け、迷惑をかけまいと母が身を隠したときに身籠っていたのがフローラだ。前世、耳にタコが出来るほど姉が語っていたので、当然知っている。スラスラとフローラの生い立ちを語る王子に驚く姿は、何も知らなかったと捉えられたようだ。
「母親の美しさは、当時よく知られていたようだ。フローラは母親に似ているのかも知れないな」
母と過ごしたのは、前世のことを思い出す、ずっと前。いつも優しく笑っていた母が、知っているシナリオを通ってきたのだと思うと胸が熱くなる。
「お母さん」
知らず流れた涙を、王子が指で拭う。
「どうして。そんなことまで知っているのですか」
「惚れた女のことは知りたいだろう。フローラは何度、私に惚れされば気が済む?」
「は?」
「まず町で見掛けたときだ。その容姿に佇まい、無駄のない動き。惚れるには十分だ。健気に生きる姿は心を奪われるし、派遣している教師の評判では、始まって以来の秀才という」
それは前世のチートというか、積み上げた学力が備わっていたからだと、今のフローラには分かる。周囲ほど苦労せずに理解出来ていたのは、自分でも不思議だった。
「全部、報告書に目を通して知り得たことだが。会ってみて、わかった。実際はもっと魅力的だ」
「あの、報告書って」
「ああ。宰相に頼んだ」
GPSの宰相……フローラは一気に血の気が引く。間違いない。もう逃げられない予感がする。
「この部屋は気に入ってくれたかな」
「豪華というか、目にしたことがない華やぎに落ち着きませんが……いえ、可愛い部屋だとは思います」
落ち着かないと言った途端、王子の顔を曇らせてしまったので、フローラは慌てて言葉を変えた。ここまでの流れで、意図に逆らうのは悪手だと感じる。今までの生活からは考えられない、分不相応な部屋だと正直に言わなくてよかった。前世では、憧れたことのある部屋だ。
「フローラは可愛らしいものが好きだと聞いたから。気に入ってもらえたのなら、よかった。フローラが生活をする場所だからね」
フローラは、ぎくりとする。もう監禁生活スタートなのだろうか。
「あの、知っていると思うのですけど。私は仕事が決まっていて」
「心配いらない。果物屋には、別の人間が働くことが決まっているからね」
「決まっている?」
「運命を感じた相手とは自然に遭遇したい。待ち伏せする羽目にならず、本当によかった」
果物屋には、もともと別の人が働くことが決まっていたらしい。というか、フローラに決まった後、そういう方向に変えたという。フローラの独立までに自然に遭遇できなかった場合、初出勤のフローラを捕まえるつもりでいたと。ゾワっと鳥肌が立つ。どう転んでも、城に来ることは確定していたのだ。
「暫くは、この宮を散策していたらいいよ。本は好きでしょ? いつでも図書館に入れるように話はつけている。庭園の花も見頃だからね」
思いもよらない提案に、フローラは呆気に取られる。大きく目を見開いていると、王子は、ぷっと吹き出した。
「いいな。これからは私に、いろんな表情を見せて」
そう言うと、王子は仕事に戻っていった。
「出て行ってくれた」
すっかり冷めたお茶を入れ替えてくれる女官に気付かれないよう、ぽつりと呟く。監禁されなかったし、居座られることもなかった。もしかして。そっくりだけれど、ゲームとは違う世界なのかもと、フローラは仮説を立ててみる。逃げられないのなら、前向きにアップデートしていくしかない。
「ここのフルーツジュースは飲んだことがある?」
「いいえ」
王子が愛しの婚約者を連れ、町を歩く姿がある。突然の求愛から、二人揃って三度目の視察。お馴染みとなった光景に、行き交う人は二度見することがなくなった。一目惚れから始まった王子の恋は、町の人にとって知る人ぞ知るものだった。フローラの容姿と人当たりの良さも相まって、どうしても成就して欲しいと世話を焼こうとする者までいた。手を繋ぎ歩く姿は、今では若い男女の憧れとなり、二人の物語は吟遊詩人が隣国まで伝えていった。
「はい。おふたつですね」
店主は王子に二つのコップを渡す。
「瑞々しくて美味しいです」
「そうか。こちらもスッキリしていいぞ」
王子は、手にしたコップをフローラの口元に差し出す。
「柑橘系の香りがいいですね」
フローラも自分のコップを差し出す。
「これは甘いな」
屈んで受けた王子は、想像以上の甘さに少し顔を顰めた。
「ふふ。どちらも美味しいです」
フローラにとって、王子との生活は順調だった。朝晩、食事を共にしているが、王子が部屋に滞在することはない。時折、庭園の散歩や町の視察に誘われることがあるくらいだ。護衛騎士と女官が付いているものの、フローラは宮の中で自由に過ごしている。
「相変わらず、仲がよろしいですね」
二人の様子に、思わず店主が話し掛ける。
「当たり前だ」
空になったコップを二つ、王子は店主に渡す。
「この国は安泰です」
「助言のお陰だ」
店主の言葉に王子は呟く。頭上の小さな声は、フローラには聞き取れなかった。首を傾げるフローラの頭をくしゃりと撫でると、王子は手を取り歩いていく。
「やっぱ、あの二人のビジュ強いわ。拗らせる前に、男には威圧をかけろ、惚れた女には窮屈をさせるなと言っておいてよかったー。選ばれなかったら意味ないし、ヒロインにだって幸せになる権利はあるもんな」
店主はコップを片付けながら、遠くなる背中を見守った。