7 ぐちゃぐちゃにしてやるのだ
涙をこぼしながら、ゆっくりと家に帰った。そんなとき、ふと空を見上げながら気づいた。
杉原さんが、土屋くんと一緒になればいい。それが一番綺麗な形だった。二人は幼馴染で、相性がぴったりで、これから先もずっと一緒にいるんだろう。そうすれば、私がこんな惨めな思いをせずにすむ。
私と咲崎くんの相性はぴったりなわけだから、杉原さんさえいなければ、咲崎くんは私の良さに気づいてくれるだろう。彼女がいる相手に近づいて、自分の良さをアピールできるほど、私は恥知らずではない。彼らが別れたあとで、私は咲崎くんとゆっくりと距離を近づけたらいいのだ。
考えれば考えるほど、気持ちが明るくなってくる。小指に巻き付く赤い糸は、それが正しいのだと証明してくれている。証があるということは、とても安心する。杉原さんが間違っているだけだ。
***
私の赤い糸は、いつも咲崎くんのことを教えてくれる。彼が教室の前を通ると、ぴん、とひっぱって存在を告げるのに、いつまで待ってもその様子はなかった。昨日、杉原さんが、親戚に不幸があった、と言っていた。つまり、忌引ということだろう、と大して不思議に思うことなく、どうにもいつも以上にそわついていた杉原さんの背中を見つめた。
杉原さんは何度もスマホの画面を確認し、とんとこ、と授業中にまでときおり画面を叩いていたから、教師に没収までされ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。どうせ咲崎くんとメールをしていたのだろう。
さて、私はどうやって土屋くんが、杉原さんの運命の人だと教えてあげたらいいのだろう、と考えた。赤い糸が見えるとまさか直接伝えるわけにもいかない。それとも、芸能人たちの結び付きを予想して、伝えてみたら信憑性があるだろうか、と想像して自分で失笑した。バカバカしい。
笑ってしまいながらも、私はグラウンドの清掃を行った。クラスのじゃんけんで負けた押し付けられた体育委員恒例の月一行事だ。部活動がやっている隙間を縫うようにゴミを点検し、備品の確認を行う。このあとに部活動が控えている人たちはどことなく焦った様子だったけれど、別に私はなんの用事があるわけもなく、ゆっくりとボードにチェックの印を入れていく。
一人、二人とノルマをこなして消えていく中、私と同じく、ずいぶんゆっくりと手元を動かしている男子生徒が目に入った。高い背を折りたたむようにしているから、長い前髪がいつも以上に長く見えて、すっかり表情を隠している。土屋岳人だ。
ボールペンの背で、ボードを叩いた。こつ、こつ、と動かしながら土屋くんを見つめた。どうにも彼は察しがよすぎるようで、その長い前髪で、何で気づいたのかと思うほど俊敏に周囲を見回し、私と目が合う。なんとなく、気の所為だろうか。彼の表情が歪んだようにも見えた。片目と口元しか見えなかったけれど。
それから私は土屋くんと同じ片付けを行い、体育倉庫の鍵を開けた。薄暗くて、埃臭い。しばらく扉を開けていよう、と硬い扉をめいいっぱいにひっぱって中に太陽の光を入れる。土屋くんは想像よりも力があり、私が必死で両手を使っているところを、ひょいと片手でひっぱり、あっさりと動いてしまった。体の大きさが違うから、当たり前のことかもしれないけれど。
それから、どちらともなく、杉原さんの話をした。彼と、私とつなぐものは彼女しかいないのだから、話題に上がるのは当たり前だ。どれくらい昔から一緒にいるの、と私は土屋くんに問いかけて、土屋くんは短く返事をした。無視をするか、どうしようかと決めかねているような間をあけつつではあったけれど。いつ、この会話が途切れるのだろう、と思いつつ、備品の数を数えながら問いかける。
「杉原さんにガクって、呼ばれるくらいに、仲がいいんだよね」
それこそ、咲崎くんよりよっぽど。
「……あんた、何がいいたいんだよ」
喉からすりつぶしたような声に少しばかりは躊躇した。「あんたではないよ、瀬戸だよ」と伝えた。それから別になんてことのないように続ける。だって、本当になんてこともない。私は事実を伝えるだけだから。
「土屋さんのことが好きなら、好きって言った方がいいんじゃない? 咲崎くんより、土屋くんと杉原さん、二人一緒の方がしっくりくるな」
土屋くんの小指には、未だに赤い糸が揺れている。当たり前だ、彼ら二人は、赤い糸がつながっているのだから。
ただの私の親切だ。知らなければ、もったいないことだ。とんとん、とボードをボールペンの背で叩く。土屋くんから返答はなかった。照れているのだろうか。まあいいや、と作業を続ける。「あんたの」と、聞こえた声は、少しばかり小さかった。
「あんたの、願望を僕に押し付けるな」
数秒の間のあと、ゆっくりと土屋くんに顔を向けて、わからず、私は首を傾けた。
「汚いやつだな」
はっきりと、拒絶した瞳だった。そう片目のみで睨まれて、少しばかり私の心に、彼の言葉は届かなかった。けれど時間を経つにつれ、じわじわと飲み込み、羞恥が襲った。“見透かされた“。そのことが震えながらもひどく胸をかきむしりたくなるくらいにじわじわと長い何かが体を突き刺すようで、ただ耳の周囲が熱くなった。違う、これはただの親切だ。土屋くんが杉原さんに伝えきれない想いを持っているのなら、大丈夫だと背中を押してやろうとした。それだけだ。それだけなのに、と考えるこの思考は、まったくもって嘘だった。
彼と杉原さんの話をしようと、無理やりに話題を作ったのも、土屋くんと同じ作業をするようにとタイミングを見計らって倉庫に来たのも全て私だ。
それが全て、まるで見透かされているような。
ボードを持ちながら震えた指先は、怒りなのか、なんなのか、私にはわからなかった。
その次の日、杉原さんはひどく明るい顔色をしていた。どうしたの、と問いかけると、彼女はひどく言いづらそうにしていた。咲崎くんのことなのだろう、とすぐにわかった。だから、そう聞いた。うん、と彼女は笑う。
「そうだね、この間、瀬戸さんには言っちゃったものね。ご不幸があったから、こんなふうに思ってはいけないけど、杉原くんはきちんとご親戚のお見送りができたみたいで、もう大丈夫と言っていたから。だから、安心したんだあ」
ぱかっと口を開けて、杉原さんは笑った。教師に取り上げられたスマホは、戻ってきたらしい。またそのスマホで、咲崎くんとの愛をささやきあうのだろう。重たい泥の中に沈んでいくような気持ちだった。自分が汚らしく変わっていく。
「あのとき、偶然瀬戸さんが一緒にいてくれたから、本当に嬉しかったよ。ありがとう」
それは杉原さんからの心からのお礼なのだろう。ああ、なるほど。
私は彼女の言葉を聞いて理解して、「そう」と、そっぽを向いて、自分の長い髪を指先ですいた。するり、するり、とつるつるとした黒髪に指を入れながら、考える。私の小指が見えた。咲崎くんとつながっている、赤い糸。糸。はさみ。
真っ先に、ハサミを思いついた。ぐちゃぐちゃにしてやるのだ。これ以上、私が汚らしくなる前に。はさみを、ちょきりとするように終わらせる。
消してしまえば、私はこれ以上、汚くならずにすむ。
じっと杉原さんを見つめた。どうしたの、と彼女は可愛らしく微笑む。何もわかっていない顔で、笑っている。だから決めた。消してしまおう。