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17 おけまるー

 


「飯塚くんの映画の主演が決まりまして」

「うん……」

「クランクはもう少し先なんですが、私は楽しみで、楽しみで、楽しみなんですけども!」

「はい……」


 咲崎さんがぴょんぴょんと跳ねながら拳を振り上げていた。元気である。「はい、咲崎さん、制服オッケーです……」 もはや生返事をするしかない。

 校門から見下ろす道はまるで絨毯みたいに真っ赤な落ち葉が散らばっていて、生徒達はさくさく、と足音を立てながらゆっくりと坂を上ってくる。季節が一つ終わると、また一つがやってくる。そんなときの朝の空気はおいしくて、ぱくっと食べてしまいたくなる。でも落ち葉の掃除が大変そうだ。


「工藤先生、聞いてます!?」

「聞いてないです。はい、次の人ー……」


 儚げ少女の面影などどこにもなく、咲崎さんは服装チェックをする私の周囲をぴょんぴょこ飛び回っていた。まるで重力を忘れてしまったみたいだ、と思い出しながら苦笑する。すると、迫井先生が地を這うような声を出しながら、「咲崎、お前名札……は、つけてるな」 名札をつけない常習犯であった彼女はぴかっと自分の胸を光らせるように主張した。


「なんで二人も先生がいるんですか? いつもは一人なのに」

「今日はこのあと朝礼があるから忙しいんだ。というわけでさっさと教室に行きなさい」

「朝からタコイ先生とだなんて大変ですね、工藤先生」

「目の前で堂々と呼ぶな堂々と」


 迫井先生はシャープペンシルのお尻を連打しつつもさっそく怒りで顔を真っ赤にしている。カチカチが激しい。でもすぐに自分の責務を全うしていた。私としてみればこうして要領よくさくさく仕事を進める迫井先生はとても心強いのだけど、生徒達から見るとそうではないのだろう。気持ちはわかる。


 咲崎さんはちろっと舌を出して、照れたように笑った。

「飯塚くんの話ができるのは先生だけだったんで、ごめんなさい。今度は家族とちょっとくらい話してみようかな」

「そうだね、まあほどほどにね」


 はあい、と返事をしてたかたか校舎の中に消えていく。(うーん、主演映画……) 世情にはそれほど強くはない私でも名前を知っている。咲崎さんから話をきいているうちに気になってしまって、CMで見かけるとちらりと目で追ってしまう。日本人離れしたすらりとした体型をしていて、脱色した髪が似合っている二十歳そこそこの青年だった。俳優なのに歌うし、それもまたヒット続きである。熱愛宣言、のちの破局の報道から一部からは非難の声も上がっていたが、今はそれも下火になりつつある。


(あれくらい成功してる人だったら、悩みなんてないよねぇ……)


 と、考えたとき、なんとも自分勝手な感想だと思った。そんなわけない。


(どれだけ人から注目を集めていても、そうじゃなくても関係ないよねぇ)


 生きている限り、悩みなんて尽きるわけがないのだから。

 馬鹿なことを考えてしまった、と空を見上げて、ついでにぱくっと空気を食べた。おいしい、と胸の中にで粗略する。

 そんな仕草を自分で笑ってしまったとき、今の間も迫井先生が私の数倍速のスピードで瞳を動かし、ペンを走らせ生徒達のチェックを続けていたことに気がついて、慌てて私も参戦した。


「す、すみません迫井先生!」




 ***





「げっ」

「げげげっ」


 なんてこったと私と彼は互いに顔を合わせて後ずさった。そいつは深いニット帽で明るい髪色を隠して、かけていた黒いサングラスをずらした。顔を歪ませている。対してこっちは大きめのマスクと眼鏡つきだ。映画の券売機をタップしている最中、隣を見るとやつだった。そして互いに同じような表情をしている、というわけである。


「なんであんたがいんのよ」

「そっちこそ、なんでこんなとこに」


 こうして会うのは久しぶりだ。何よ、来ちゃ悪いっての。そういうわけじゃねぇけど。じゃあなによ、何が言いたいのよと食って掛かるようなセリフの言い合いになるのはいつものことだ。「あのう……」「あっ、ごめんなさい……」 背後からの声掛けに慌てて顔を隠しつつも頭を下げた。五つあるうちの券売機の二つを占領して口喧嘩をしていたのだ。上映の時間の制限もあるし、そりゃあ止められもする。


 私はそいつなんて放っておくことにして、慌てて操作の続きを行う。座席をタップするときは、少しだけ指が迷ってしまった。でもすぐに購入を完了させる。隣も同じく操作が終わったらしく列から離れて私の後ろにつくように歩いてきたが、振り返って、互いに顔をあわせて、フンッ! と同時にそむけた。つかつか歩く。歩いて、進んで、もう一度、ちょっとだけ振り返った。ざわざわと人が通り過ぎるだけで姿がない。いなくなったんだ、と思ったら売店でポップコーンを買っていたのでイラッとした。


 腕時計を確認して時間を考えるとそろそろだ。「八番スクリーン、お待ちのお客様――」 あそこね、と発券した紙をスタッフに見せると場所を案内される。肩にかけた鞄の紐を持ち直して、こつこつ歩いて、アルファベットの数字を探す。


 ぼすり。

 ぼすり。


 二つの音が並んだ。見てみると、やつであった。


「……なんでよ」

「こっちが聞きたいんですけどねぇ」

「っていうか、ポップコーン食べるの早すぎない!? もう半分終わってるし!」

「好きなタイミングくらい好きに選ばせてくんね? っていうかこれ、俺の主演のやつですけど」

「知ってるわよそれくらい」


 いやそういうことではなく……と飯塚健二は口元を歪ませたけどスルーした。


「そっちこそ自分の映画を見に来るの? っていうかグラサンおかしすぎよ。逆に目立ってる。はずしたら?」

「えっ、そう? いい感じだと思ったんだけど」

「今が夏ならね。冬ですし。そして室内じゃなかったらね」


 こいつはこういう男である。ちゃらんぽらんで、ハッピーで、なんでもおけまるーと人差し指と親指をくっつけて丸をつくってへらへら笑い飛ばしてしまうような、私とは正反対の人間だ。おけまる、という言葉をリアルで使う人間は私は始めてみたと最初は衝撃を受けた。


 なのに今は随分おとなしい。でも、いつまでもこうして顔を合わせて話しているわけにはいかないから、つん、と私は正面を向いた。公開されてから時間もたっているからか、座席に座る人の数は随分少なく、上映前のスクリーンはまだ緞帳も開いていない。


「……なあまゆか、なんか、俺達こうして話すのって久しぶりじゃない?」

「別に、一年か、二年か、それくらいでしょ」

「十分久しぶりじゃん」

「何しんみりしてんの?」


 そっちは見ないように、と思ったのに苛立ってそいつを睨んだ。健二は馬鹿なサングラス越しでもわかるくらいに情けない顔をする。親に怒られた子供みたいな顔だ。でも彼を責めるような声は続く。


「私とあんたがわかれるのは、初めから決まってたことでしょ? 私達は、全部わかってて付き合ったんだから」


 そう言って吐き捨てた言葉とともに、上映開始のアナウンスが流れた。






 ***ケース4 【中口まゆか】【飯塚健二】


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