14 やってらんねー!
「とりあえず、今日は手でもつないで帰ってみる?」
「なんで! 付き合ってもないのになんで!」
「なんでって、嫌ならわかるし。そっちが嫌がるならしない」
「わかるって、そんなわけないじゃない」
「だから言ってるだろ、僕は心が読めるって」
あんたは冗談だと思ってるみたいだけど、とどうでもよさそうに呟きながらポケットに手をつっこんだままの猫背の少年がぽくぽくと校門をくぐり抜けて歩いて行く。その背中を黒髪の女の子が立ち止まりながら見て、つかつか歩いたと思うと力いっぱい彼の背中を叩いた。少年は咳き込み、げほげほしている。
二人とも私の受け持ちクラスの生徒で、瀬戸さんは物腰の柔らかな優等生という認識だったけれどなんだか雰囲気が違う。殴られたのは土屋くんで、長い前髪は服装検査のたびに指摘されて、「うす」と小さな声で返事をするくせに毎回なんの変化もないので、新入生だったときはともかく、二年になるとだんだん周囲も諦めていた。そして白い紙をはさんだボードを抱えたまま、私もスルーした。
そっと去っていく二人の背中を見ていると、はっとしたように瀬戸さんは振り返って、ぺこりと私に会釈をする。そしてそのまま土屋くんを追って消えていく。ぼんやりと考えた。
(青春、すぎる……)
「工藤先生、おはようございまーす!」
「あ、おはようございます……」
うっかり意識が遠のきそうになったときに、ボードを小脇にはさんでずり落ちていたメガネを元通りにしながら通り過ぎる生徒にへらりと笑う。挨拶をしてくれた女の子達のスカートはひらひらとして、中々短い。口元をへの字にして考える。多分、ギリギリセーフ。大丈夫。いってらっしゃい。
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「アウトに決まってるでしょ」
「……で、ですかね……」
書き込みのない真っ白なボードを渡された迫井先生は眉毛を吊り上げて睨んでいた。想像できたことだった。
毎週担当の教師に割り振られる校門当番の日は朝から憂鬱になる。わざわざ早く来て、校門に立って、摘発した生徒の名前を紙に書き込んでいくというシステムなのだが、私は毎回文字すら書き込むこともできず真っ白だ。そしてとぼとぼ職員室に来て、生徒指導担当の迫井先生に職員室でどやされる。それが月に一度のお約束のイベントである。すでにもう帰りたい。
「僕だって毎回こんなこといいたかないけどさ。五月になったら気が緩んでくる生徒達もいるんだから、きちんと指導してもらわないと。工藤先生、あなたが門に立った日の教室の様子、ちゃんと見てる?」
「もちろん、見てます、見てますけど……」
「けどってね、あなたが立った日に教壇に立つとねぇ、授業の前に一回指導を入れなくちゃならないわけよ。だるっだるで見てらんないのよ! あなたも教師ならわかるでしょ、指導案に書いている通りに進めなきゃならないのに、それだけで五分のロスだよ! 毎日積み重なるとどうなるかわかってんの!」
「おおおお、おっしゃる通りです……」
こうして迫井先生は怒る度に顔が真っ赤になっていく。瞬間の湯沸かし沸騰機のようで、そこまで真っ赤になって大丈夫だろうかと見ていてい毎回不安になる。私よりも背も低いので見下ろす形になってしまうのだけれど、私は思わずじっと視線を下げて迫井先生を見ていた。
「……何か僕に言いたいことでもある!?」
「ひ、ヒェエエッ! ないです、すみません、次からは気をつけますー!!」
そして私は職員室から逃げた。
自分の机から授業で使う教材をひったくって廊下に飛び出し、ひい、ふう、と息を繰り返す。自分の成長の無さが悔しくなる。
「工藤ちゃん、またタコイに怒られてたね」
そんな私を見てにひりと笑うのは、三年生の女の子だ。タコイ、とは迫井先生のことで、怒るとだんだん顔が真っ赤になっていくので生徒達の間でひっそりとあだ名されている。絶対に本人の前では言えない。
「え、そうかな、うふ、うふふ……」
私をからかうようににやつく彼女に、へらりと笑って対抗するしかない。そして足早に逃げた。私はいつでもどこでも逃げている。
工藤湊、二十代半ば。教師生活も数年となり、新卒とは言えない。基本的に生徒には馬鹿にされ、工藤先生、と呼んでくれるのは一年生くらいだ。二年、三年になるとまるで友達のような距離感で扱われる。気が置けない相手だと思われてくれていると言えば聞こえはいいが、ようは舐められているのだ。
授業が終わって、さて昼ごはんだとなったとき、教材の代わりとばかりにお昼のパンを小脇にはさんで私は階段を駆け上がった。時間がないので二段、三段飛ばしである。屋上までの扉の鍵を取り出し差し込んだ。そして扉を勢いよく開けて叫ぶ。
「や、やってらんねーーーー!!!」
王様の耳はロバの耳。生徒からはなめられ、生活指導もまともにできず、そして同僚からは怒られる。高校生達は青春真っ只中できらきらしていて私の目を潰すことに注力してくるというのに、私といえば休日にすることといえばスルメを焼いて食べる派である。叫ばないとやってられない。そして叫んだといいつつも、外に聞こえる可能性があるためなるべく控えめに、しかし人目があるところでは絶対に無理な声量だから、胸の内は吐き出すとすっきりした。
今年になって管理のためにと回ってきたどこの部屋でも開けることができるマスターキーは、下調べの際にもしやと思って屋上の扉に突き刺してみるとかちりと音をさせた。あとはMAXまで溜まったストレスがはち切れそうになったとき避難がてらに使ってやろうと思ったのだ。
想像以上に効力を見せたロバ作戦は、私の心を明るくさせた。
目の前には真っ青な空が広がっている。私は小さな頃から空が好きで、いつもなんとなく上を見上げていたからひょろひょろと背が高くなったのよと母に言われたけれど、大人になった今となっては色々と事情があるのだけれど、“悔しくて”いつも下ばかりを向いていた。
だから、とにかく空を見るのは久しぶりのような気がして青色の絵の具を存分に塗りたくって、雲を描き忘れたんじゃないかと疑うくらいに広々とした世界が体の中に染み込んだ。吐息のような息をこぼして、明日を前向きに見ようとしたとき、よいしょよいしょと何かがもそもそ動いていた。
屋上の枠に足をひっかけて、一人の女生徒が今にもその先に踏み出そうとしている。衝撃の展開である。死ぬほどでかい声が出た。
「いやこれ一体どういう状況!!!!?」