10 ほんとに吐かねぇよ
「と、いうわけでガクとはもう二人きりでは会えないしこうして家に来たところで玄関までになるからよろしく!」
「別にもともと二人きりになんてならねぇし、回覧板を届けに来ただけだと思うんだがお前なんなの?」
夜中に押されたインターホンに顔をだして玄関ドアを開けたところで、瑞穂が両手で回覧板を突き出しながら必死にそっぽを向いて短い腕をぶるぶるとさせていた。知らんがなとしか言いようがない。背中では様子を見に来た母親が「あら瑞穂ちゃん、久しぶりあがっていく?」と声をかけたものだから、瑞穂はぎゅるんと勢いよく首を動かして「おばさんお久しぶりです! でもすぐ帰りますので!」と夜中に元気に返答していた。正直うるさい。
あらそうなの、と残念そうに部屋の中に戻っていく母親に視線を送り、瑞穂から回覧板を受け取りつつも「まあよかったんじゃないの」と適当に返事をした。
「咲崎だったっけ」
「そう! うん!」
「あいつは……まあいいや」
同じクラスだ。どんなやつかということは“聞けば”わかる。でも他人の色恋に口を挟む趣味はないから口をつぐんだ。
「なのでお付き合いする男の人ができたから、節度を持った距離感で生きていきたいと思います!」
「もともと持ってるけど理解したよ。こだわりは大事なんじゃないの」
そろそろ相手にするのもめんどくさくなってきたので回覧板はぷらぷらと片手に持ったまま腕を組んでドアに持たれた。にかっと瑞穂は大口を開けて笑ったので思わず眉をひそめた。別に不愉快に思ったわけではない。多分これはもともとの僕の顔だ。こうして他人の“声”にすぐに表情で反応してしまうからなるべく顔を隠すことに決めた。おかげで今はうっとうしい前髪をしてしまっている。
それじゃあこれにて、としゅぴりと片手を上げて素早く背中を向けるお団子頭に何かこういうとき言うべき言葉があるような気がしたけど、特には思いつかなかった。でもワンテンポ遅れて思い出した。
「おめでとう」
呟くと、瑞穂の心はざわざわした。それから、『ありがとう!』「ありがとう!」 相変わらず二つの声が被って聞こえる。
「ガクも、なんかこう、いいことあるといいね!」
「じゃんけんで負けて体育委員になったからなんかもう吐きそう」
「飲み込んだほうがいいと思うよ」
「ほんとに吐かねぇよ」
***
そうこう話したのが先週のことだったというのに、あくびをしつつぽてぽて廊下を歩いていたところ、「あー!」と瑞穂に指をさされた。「またポケットに手を入れてる! こけたら顔からぶつかるよ!」 こけねえよと思いつつも否定するのも面倒だと適当に返事をしていたら、瑞穂の隣に立つ女生徒がぎょっとしたような顔で僕を見ていた。――どうやら、僕と瑞穂は赤い糸で結ばれているらしい。
なんだそりゃ、と思いはしたが、“聞いた”ところで、そりゃそうだろうな、という感想しか浮かばなかった。赤い糸とは必ずくっつく男女の糸というわけでもなく、ただの相性のいい相手がわかるということだそうだから、僕と瑞穂は幼なじみで互いのことがなんとなくわかっていて、瑞穂は内も外も同じ“声”をしているから、僕としては二つの“声”の相手をせずにすむ。楽といえば、楽な相手だ。
どこにでもこういった力を持つやつはいるもんだな、と思いつつ、よく見ればその女生徒は“美人”と言われていた女だった。周りの“声”を聞いて気づいたことだ。
“美人”は僕と同じ体育委員で、時々顔をあわせる。大して会話もないが、互いの共通の話題は瑞穂くらいだ。口では柔らかく言葉をだしても、心の底では嫌悪がにじみ出ていた。そんな“美人”の態度を見て僕が思うことは、こいつすげぇな、と思う程度だ。よくもまあ、これだけ心と顔を別のもとにすることができるもんだ、と感心した。嫌いなもんがいることは仕方ないし、みんなそうだ。僕としてはいつもどおりに知らないふりをするしかない。
聞こえないはずのものにわざわざ相手をしていても疲れるだけだし、損をする。だからいつもどおりに、と思うのに、“美人”はすました顔をして、咲崎と瑞穂のデートを邪魔できたら、と考えているらしい。
さすがにそれはどうなんだ。