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夏詩の旅人

夏の終わりの曼殊沙華(夏詩の旅人シリーズ第3弾)

作者: Tanaka-KOZO

 2004年8月。


 稲穂の脇に曼殊沙華が咲き出す頃。

僕はとある小さな村へ、一人旅に来ていた。


今回の旅は山間なので、夜は寒いから車中泊ではなく、ちゃんとした宿を取る事にした。


泊まる宿はK屋旅館と言って、立派な兜造りの茅葺屋根であった。

部屋には囲炉裏があって、雰囲気も良い。

そして僕の好きな川魚の塩焼きや、山菜割烹料理も出してくれる。


宿の前には広い敷地があり、そこが駐車場となっていてどこへ車を停めても良い。


 その敷地には番犬の犬小屋があった。


番犬は雑種犬だった。

しかしその犬は、誰が現れても吠えずに尻尾を振ってくる。

いつも楽しそうに迎えてくれるから、番犬としてはあまり役立ちそうもない感じだ。


 僕はチェックインできる15時ちょうどに宿へ着いた。


「ごめんくださ~い」

我ながら、ちょっと間の抜けた声を出して、宿の人を呼んだ。


「はいはいはい…」

そう言いながら、奥から優しそうなおばあさんが現れた。


僕は宿のおばあさんと挨拶を交わし、部屋を案内してもらう。


階段を上がって二階の奥の部屋に通された。

襖を開けると目の前には、十畳はあろうかと思われる広い和室があった。


「こんな広い部屋…」

僕が申し訳なさそうに言うと…。


「いいの、いいの」

「最近は誰も泊まらないから、今夜も明日も、ず~とお客さんだけの貸し切り、だからサービスよ」

おばあさんが明るく言う。


部屋からは、沢の流れる音が微かに聴こえてくる。


「良い部屋ですね」

窓の下から見下ろす渓谷を眺めながら、僕は言った。


宿自慢の部屋を褒められて、おばあさんはニコニコしていた。


「でもほんと静かで良いとこだなぁ…。超穴場だと思いますよ」

「みんな知らないのかなぁ…、もったいない…」


僕がそう言うと、おばあさんはポツリと言った。


「昔はねぇ…、村にも若い人たちがいっぱいいたけど、今はもう少なくなっちゃって…」

「山を切り崩して、大型スーパーを建てるなんて話も出てきてるけど、あたしゃ反対だね」

おばあさんが寂しそうに言った。


「そうなんですか…」

僕は静かに言う。


 (こうやって自然はどんどん破壊されていくんだな…)


 土地開発工事が全て悪とは思わないが、こんな辺境の地で自然を壊してまで開発したところで、どう考えても村が潤うとは思えない。


 (これは工事業者と行政との利権が絡んでるとしか思えないな…)

僕はおばあさんの話から、そんなことを考えていた。


「夕飯は18時で良いですかね?」

おばあさんが、考え事をしていた僕に聞く。


「ええ…」

僕は応えた。


「夕飯までだいぶ時間もあるので、ちょっと裏の山を散策して来ても良いですか?」

続けて僕が言うと。


「ええ構いませんが、ちょっと急で危ない場所とかもあるので、気を付けてくださいね」と、おばあさんが言った。


「分かりました」

「実は、僕の趣味は登山なんです」

「だから危険な箇所とかには、登山者の心得として、けして行きませんのでご安心ください」

僕がそういうと、おばあさんは少し安心した表情をした。


 宿から出る僕。

鎖につながれた番犬が、舌を出してハッハハッハと息をしながら、尻尾を振って僕の方を見ている。


番犬の頭を撫でてやると、耳を後ろに反らせながら嬉しそうにした。


「お前、そんなに人懐っこかったら番犬失格だぞ」

犬にそう言うと、僕は裏の山へと向かった。


 久しぶりの軽登山。

運動不足がたたって、僕はすぐ息が上がってしまった。


(山登りって、この程度でこんなキツかったかなぁ…)

汗をかきつつ、そんな事を考えて登っていたら、僕の横斜面から何かがザザーッと、いきなり滑り落ちて来た!


「うわッ!」

僕は、何か獣が襲って来たかと思い、飛び退いた!


良く見ると、斜面から落ちて来たのは10歳くらいの少年だった。


「おい!君、大丈夫かッ!?」

僕は少年に近づいて言う。


「うう…」

少年は痛そうに足を抱えて、うずくまっていた。

どうやら足をくじいた様だ。


「どうだ?立てるか?」


「無理…」

僕が聞くと少年が応えた。


「どうしてあんなとこ登ったりしたんだ!危ないだろ!」

僕は少年を少しだけ声を荒げて叱った。


「だって…」


「とにかく麓に降りよう。あと1時間で日没になる」


「ほら!」

おぶされと、僕は少年の前に背を向けてしゃがんだ。


少年をおぶさりながら山を下りる僕。


「君、名前は?」


「マモル…」

少年は、少し申し訳なそうに答えた。


「どうしてあんな危ないとこ登ったんだい?」

マモルをおぶりながら、今度は少し優しい口調で僕は聞いた。


「パパが嫌いだから…」

「だから家出して、探せないとこへ行ってやろうと思って…」

少年が話し出した。


「なんでパパが嫌いなのさ?」


「だってパパはいつも口うるさくて…」

「それに見た目も怖いんだ」


「だから友達の親もパパが怖い顔してるから、僕と遊んじゃいけないって言われてるみたいだし…」

少年は力なく話す。


「そうか…。でもな、パパの事、あんまそんな風に言うもんじゃないぞ」

「パパが君に厳しいのは、君の事を愛してるからさ」


「違うよ!」


「そうだ!」

僕はピシャリと少年に言った。


「君に強くなって欲しいから、厳しいんだよ」


「なんで?」

少年は僕に尋ねた。


「女の人は子を産む事で、自分の生きた証をこの世界に残せるだろ?」

マモルは、うんうんと頷いた。


「じゃあ子供を産めない男はどうすれば良い?」

黙って首をかしげるマモル。


「男は自分の生き様を子に託し、この世界に残すのさ」

「父親ってのは、そういうもんだ」


「パパが厳しいのは、将来自分が死んでいなくなってしまっても、君が一人で立派にやっていける様にする為だ」

「それが親の愛情というもんなんだ」


「ふ~ん」

後ろのマモルが、なんとなく理解した様な返事をした。


「マモルッ!」

その時、暗くなりかけた林道の先から、マモルの父親らしき人物が叫んで走り寄って来た。


僕は、かれこれと経緯をマモルの父親に話した。


マモルの父親は“カキザキ”と名乗った。


30代後半くらいの年齢で、派手な柄の開襟シャツに、胸元からは太い金のチェーンネックレスをしていた。

確かにこれじゃ、カタギに見えにくい(笑)


カキザキは僕に「いやぁ~どうもありがとうッ!」と、両手で僕の手をがっしりと握って来た。


そして「私、店とかもやってるんで、これからぜひそこでお礼させていただきたい!」と言い出した。

店というのは、どうやらキャバクラとかの類の様だった。


「これから楽しみな夕飯が待っているからやめとくよ…」と、僕は断るがカキザキは頑として引かなかった。


「分かったよ」

「じゃあ夕飯終わったら行くから、あとで車で迎えに来てくれ」


僕はカキザキにそう言うと、3時間後に宿の近くのバス停前で待ち合わせる約束をした。



 17時半ちょっと前。

僕は宿へと帰って来た。


広い玄関に入ると、昼間には気が付かなかったポスターが脇に貼られてあった。


「H村音楽祭 8月25日開催決定!出演者大募集!!」

H村役場 市民広報課主催


ポスターには、そう書かれてあった。


「あっ…、お帰えんなさい」

ポスターを見つめている僕に向かって、宿のおばあさんが奥から出て来て言った。


「どうも…」

僕はおばあさんに軽く会釈する。


「あ…、それね」

「それ孫娘がやってるんですよ」


「孫娘…?」


「ええ、孫は役場の広報課に勤めてましてね」

「なんでもその祭りで、村を盛り上げるんですって…」


「孫は高校卒業してからは、ずっと東京で働いてたんですけど3年前に息子が…、つまり孫の父親が亡くなってからは、こっちに帰って来て、昼間は役場で働いてるんですよ」


「それで夜は、この宿の手伝いもしてくれてましてね」

「ほんと良い子で助かってますわ」


「なんせウチは爺さんも早くに亡くなってますから、あの子の母親と女手三人で回してますから大変で…」

おばあさんは苦笑いしながらそう言った。


「そうだったんですか…」

そう呟いた僕に、おばあさんが思い出した様に言った。


「そういえばお客さん、ギターみたいなの持って来てましたよね~?」

「なんかやってんですの?そういう類の?あたしゃよく分かんないんだけど。ほほほ…」

着物にエプロンを付けたおばあさんが、照れ臭そうにそう言った。


「ええ…、まぁ趣味の延長みたいなもんでして…」

僕は、とりあえず自分の素性は明かさなかった。




 清流の音が聴こえる部屋に戻ると、僕はケースからギターを取り出した。


まだ夕飯まで少し時間があるので、ギターを弾いてみる事にした。

どうせこの宿は、当分僕だけの貸し切り状態らしいから、静かに弾けば問題ないだろう。


ギターを爪弾きながら、小さな声で低くバラードを歌ってみた。

曲が終わりに近づく頃、「良い声…」と、僕の後ろから女性の声が聞こえた。


ぱっと振り返ると、「あ…!ごめんなさい!」と、ここの孫娘らしき若い女性が、気まずそうに僕へ謝った。


目が合った女性は、「あの、お食事お持ちしたんですけど…、つい聴いちゃって…」と、僕に言った。


「気にしなくて良いよ」

「食事はそこに置いていってくれ」

僕が彼女に言う。


すると彼女は、何か一瞬閃いた様な表情をし、僕の前までつかつかと歩き、近づいて来た。


 「初めまして、ワタクシH村広報課の奥村マキと申しますッ!」と、急にかしこまって僕に挨拶して来た。


「聞いたよ。お孫さんだろ?」

僕が言う。


「ハイッ!ワタクシが孫ですッ!」と、変なかしこまり方で、マキという名の孫娘は言った。


「別にそんなかしこまらないでくれよ。で?、何なんだい?」


「ハイッ!、実は8月25日に開かれる音楽イベントの件なんですが…。」

マキは、僕に詳細を説明し始めた。



 「ええ!?、俺にそのイベントに出てくれって?」


「ハイッ!、今お聴きした感じ、この村のイベントでトリを飾るのに相応しいのは、お客様しかあり得ないと思いましたッ!」


(まいったなぁ…。この地で人知れず、ひっそりと過ごしたかったのに…)

そんな事を僕が考えていると…。


「何か問題でしょうかッ!?」

「ギャラなら十分用意させて頂きますからぁッ!」と、切羽詰まった感じでマキは僕に言い出した。


「分かった!分かった!」

「考えとくから飯を食べさせてくれよ」


「はッ!スイマセン!」

マキは「はあはあ~」と、畳に額を擦り付ける様に土下座し出した。


「わぁか~たから、もうやめてくれよ」

「それから俺、これから人と待ち合わせてるから、詳しい話は明日聞こう」


「では明日の朝10時、役場の広報課まで!お待ちしておりますッ!」

約束を取り付けたマキは上機嫌で、足取り軽く部屋を後にした。


(おっと、もうこんな時間だ!)

時計を見ると、カキザキとの待ち合わせ時間が迫っていた。


(ヤレヤレ…、飯もゆっくり食えやしない…)

僕は待ち合わせに遅れない様、楽しみにしていた山の御馳走を味わう余裕もなく、急いでかき込んだのだった。




 30分後、僕はカキザキがやっているという店に連れて来られていた。

案の定、そこはキャバクラだった。


その店はH村から少し離れた、隣のA市の駅前にある大きな店だった。

A市はH村と違って人も多く、賑わっている町だった。


店内奥の、広いフカフカなソファ席に僕は案内された。


店の女は若くて粒ぞろいだった。

若者が少ない隣のH村とは、ずいぶん違うなぁと感じた。


「へへへ…、良いとこでしょうこの町は…」

店の女性が作った水割りを飲んでる僕に、にやにやしながらカキザキは言った。


「私ね、結構手広く商売してるんで…」


「だろうな…」

僕は言う。


「でね、私の住んでるH村も、こんな風になってくれたら良いなぁ~と思ってるんです」


「そうかな?、俺はあの村は、あのままである方が良いと思うがね」


僕がそう言うと、意外にもカキザキは「やっぱそうですかねぇ…?」と、少し表情を曇らせ、僕に確認する様な感じで言ってきた。


「実は私は、親父が一代で築いたカキザキグループの2代目なんです」

「親父が亡くなって会社を継いでから、必死になって会社を守ってきたんです」


「でもね。時々考えちゃうんですよ」

「これで良いのかなってね…」


 さっきまでとは打って変わったカキザキの話しぶりに、僕は黙って耳を傾けていた。

同時に、コイツはそんなに悪い奴でもなさそうだなとも感じた。


カキザキは話続けた。


「親父の後を継いだ2代目が、会社をダメにしちまわない様にと、毎日必死で頑張って来ましたよ」

「家族も守っていかなきゃなんねえし…」


「それで時には、仕事で汚い手を使ったりしもしちまいました」

「そんな事で悩んだりして、つい女房やガキとかにも、強く当たっちまったりして…」


「それでマモル君が家出をした訳だ?」


「面目ない…」

頭の後ろに手を当てて、カキザキはすまなそうに言った。


「家族を愛してるんだな…?」


「勿論ッ!」

カキザキは力強く僕に言う。


「ならあんたは毎日“授業参観”があった、あの頃を思い出すんだな…」


「へ?」

僕の言葉にカキザキが言う。


「“授業参観”だよ」


「ジュギョウサンカン…?」

確認する様に、カキザキは僕に聞き返す。


「そう“授業参観”」

「“授業参観”は、親が子供の普段の授業風景が見られる日だ」


「だけど子供たちは、その日だけはいつもと違って何故かおとなしい」

「それは、親に普段悪さしてる自分を見られたくないからさ」


「あんたは、自分の毎日の仕事っぷりを、ガキや女房たちに、ありのままに見せられるかい?」

「もし見せられなくて恥ずかしいと思うんなら、ガキや女房が、いつもあんたの後ろで見ているんだと考える事さ」


「ガキや女房が、いつあんたの会社に現れても恥ずかしくない様な仕事をすれば良い」

カキザキは黙って僕の話を聞き続けていた。


「ガキの名前はあんたがつけたのか?」

カキザキが頷く。


「マモル…」

「良い名前だな」


「家族をマモル」

「ルールをマモル」

「そして正義をマモルだ」


「そういう願いを込めて付けた名前なんだろう?」


「あんたならホントは分かってるんじゃないのか?」

「何が正しくて、何が真実なのか…」


僕がそう言い終えると、カキザキの表情がパッと明るくなった。

何かが吹っ切れた様だった。


「ありがとう!」

「本当にありがとう!」

「何か気づかされたよ!」

そういう言ってカキザキは、僕の手を力強く握って来た。


「あんた気に入ったよ!、どうだい?うちの会社に来ないか!?」


「いや、やめとくよ。俺には組織ってやつは向いてないんだ」


「そうか…、残念だな」

「ならせめて、今夜はガンガン飲んで行ってくれ!」

「金の事なら心配しないでくれ、奢らせてもらう」


「それも断るよ」

「俺は明日、朝から用事があるもんでね」

「金も払う」

「いくらだ?」


「いや奢らせてくれッ!」


「いや良いって」


「ホントに良いのか?」


「いくらだ?」


「2万円になる」


ぶっ!

僕は思わず水割りを吹き出した。

(マジかよ…。ちょっと20分ほど座って水割り2杯だぜ…。)


「ひとつ言っていいか?」

僕が言う。


「なんだ?」とカキザキ。


「すまん負けてくれ…」


カキザキも水割りを吹き出した。




 翌朝10時。

僕は村役場の受付窓口へ来ていた。


マキの名前を告げると、ふくよかでずんぐりしたメガネの女性が対応し、パーテーションで仕切られた奥の部屋まで、僕を案内してくれた。


 「やあ。」

そう言って部屋に入ると、髪を後ろに束ね、事務員の制服を着たマキが座ったまま僕に会釈を返した。


僕にイベントの説明をするマキに、「なんだちゃんと喋れるじゃないか」と言ってやった。


「そりゃあ職場ですもの…」

ふふん…と、澄ました表情でマキが言う。


「では、出演していただけるんですね!?」

僕の返答にマキが言う。


僕は頷いた。


「それじゃ、一緒に村を盛り上げましょうね♪」

元気よく彼女は言う。


「この村の事が好きなんだね?」


「ええ…」

僕が言うとマキが応えた。


その時、役場の入口付近で、何やら騒がしい声が聞こえて来た。


パーテーションの上から覗くと人相の悪い、若い衆が5人いるのが見えた。


「おうッおうッお~うッ!」

「困るんだよなぁ~、勝手に村おこしなんかされちゃあよぉ~!」


5人組の中でも一番の大柄なデブが、受付でまくし立てて騒いでいた。

受付の若い女性は、怯えて声も出せない状態だった。


「きゃあ~どうしましょ!どうしましょ!」

受付の後ろでは、先ほど僕を案内したメガネの女性が、ヒステリックに右往左往している姿が見えた。


「この村はもう過疎化してダメだから、俺たちが土地開発しようってんのによぉ~!」

「変に村おこしなんかで盛り上げられちゃ、この村から出ていく奴らも、出てかなくなっちまうだろがよ~!」


「誰だぁ~村おこしの責任者はぁ~!」


(村おこし、村おこしとうるさいやつらだ。)

僕がそう思ってると「私が責任者ですッ!」と、マキが若い衆の前に立ちはだかった。


「なんだぁ~おめ~が責任者かぁ~!?」

デブがマキに詰め寄った。


「おいッよせよお前らッ!」

僕はデブとマキの間に割って入った。


今どきのヤクザはカタギなんかに手は出さない。

こいつらはヤクザの真似事をしてる中途半端なチンピラに違いない。


「誰だオメ~はッ!?」

「名を名乗りやがれッ!」

「クソボケこらぁあああ!」

今度はデブが僕に詰め寄った。


「俺か、俺の名はな…。」

「ムラコシとおるだッ!」


「はッ?」と、マキがこっちを向く。


「芸名ッ!芸名ッ!、アーティスト名ッ!」

僕は素早くマキに耳打ちする。


あんまり村おこし、村おこしうるさいから、テキトーに言った名前だったが、よく考えたら超有名なAV監督の名前だった!(笑)


「ムラコシとおるだぁ~?」

デブが僕に睨みを利かせながら言った。


「ねぇねぇ、ムラコシとおるさんって、どっかで聞いた事ない?」

「どっかで聞いた名よねぇ~?」

「ねぇ?あなた知らない?ムラコシとおるさんって、ねぇ~?」

後ろからメガネ女性の声が聞こえる。


僕は吹き出しそうになるのを堪えながら、「お前らこそこんなとこで騒ぎ起こして、警察に5人まとめて引っ張られたいのかよッ!」と激を飛ばした。


「あんだとぉ~!」

デブは少し動揺しながらも、懸命に凄もうとしている。

やはりこいつらは偽ヤクザのチンピラに間違いない。


「おいッ!引き上げるぞ!」

後ろにいたリーダー格らしき男がデブに言った。


「ムラコシとおる~!覚えとけよぉ~!」

デブは捨てセリフを吐きながら、役場から出て行った。




 「実は以前から、ああいった嫌がらせがあったんです。」

「でも今日みたいに役場まで押しかけて来たのは初めてでした。」


広報課の部屋に戻った僕に、マキはすまなそうに言った。


「本来なら中止すべきだと言いたいところだが、止めないのには何か訳があるんだろ?」

僕はマキに聞いた。


するとマキは首をうなだれながら、僕に話し始めた。


マキは高校卒業後、両親の反対を押し切って東京で就職した。

3年前に亡くなったマキの父親と、10年経ったら戻るという約束を交わして…。


しかし東京での生活は甘くなかった。

それでもマキは負けずに、がむしゃらに仕事を頑張っていた。


親を見返したかったマキには意地があった。

このままじゃまだ帰れない。

もっともっと成功しなければ、マキは故郷へ帰る事ができなかった。


そうこうするうちに、約束の10年はあっという間に過ぎてしまった。

それでもマキは帰らなかった。

いや、帰れなかったという方が正しいかも知れない。


そしてマキは、父の容態を知らされる。


実はマキの父親は数年前から身体を壊して寝込んでいたのだった。

しかし娘の成功を願う父は、マキにその事を知らせない様にと、家族に固く口留めさせていた。


マキは急いで実家に戻ったが、父親の死に目に会う事は叶わなかった。


父の死後、実家で暮らす事となったマキ。

そんな彼女にとって、更にショッキングな出来事が知らせれる事となる。


村が過疎化の為、隣町と合併し、無くなりそうだという話。


そして村の自然を破壊する大規模な開発工事を行うという話。

せめて父が愛した故郷を残して、約束を破った父に悔いたいと願うマキにとって、それは耐えられない事であった。


そこでマキは敢えて役場に就職した。

それは、役場とゼネコンの間で進行しつつある、開発工事や合併の話を内部から阻止する為だった。


「なるほど…」

「それでまずは村をイベントで盛り上げたりして、活性化を図ろうとした訳だ」

僕がそう言うと、マキはコクリと頷いた。


「よし分かった!」

「俺たちでH村音楽祭を盛り上げよう」


「出ていただけるんですか!?」


「勿論ッ!」

「トリが出なきゃ盛り上がらないだろ!?」

僕が力強くマキに言うと、彼女は目を潤ませながら「ハイッ!」と返事した。


そして「ギャラ弾みますからねぇえええええ…」と、マキはブルブル震えながら泣き出した。


「いいから、いいから…」

僕はそう言いながら、マキの頭をいい子いい子してあげた。



 それから間もなく、イベント会場の予定地ではステージの設営工事が始まった。

僕は舞台の正面に立ち、その様子を眺めていた。


僕を呼ぶ声がした。

マキだった。


僕の元へマキが駆け寄って来た。


「出来ました~宣伝チラシ~!」

そういうと彼女は僕にチラシを1枚渡した。


(ゲッ!)

僕のアーティスト名が「ムラコシとおる」で、大きく書かれていたッ!




 「そうか…あんにゃろうがイベントのトリというワケか…」

そう言うと、手にしたイベントチラシをくしゃくしゃに丸めて投げ捨てる男がいた。


あのデブだった。

しかしそんな事を、僕は知る由もなかった。



 8月24日。

いよいよイベントは明日に迫っていた。


ステージも完成していて、僕は日々リハーサルをバックバンドのメンバーらと一緒に繰り返していた。




「あッ!…、ムラコシとおるだッ!」


この村を歩いていると、そう言って僕を指さす子供たち。

あの宣伝チラシのせいで、この村ではすっかり有名人になっていた。


「おじさんッ!」

振り返るとそこには、あのカキザキの息子のマモルが立っていた。


「足はもう治ったのか?」


「うん」


「おじさん“ムラコシとおる”だったんだね…?」


「ああ…」

僕は引きつり笑いで答える。

(頼むからその名前で呼ぶのヤメテくれ!)


「あれからパパ凄く優しくなったよ」

「でもそれだと愛情が無いんだよね?」


「いやぁ~…、それは違うと思うけどな…」

僕は返答に困ってしまった。


「マモルも明日は観に来てくれるんだろ?」


僕がそう聞くと、「そのつもり…、でも一緒に行く友だちがいないんだ…」と、ちょっと寂しそうな表情でマモルが言った。


「ならさ、“俺はムラコシとおる”のマブダチだって、友だちに言ってみれば良いじゃん」


「いいの!?」


「いいさ…」(ホントはイヤ…。)


「自慢してやればいいさ」

「だってホントにマブダチだろ?」


「分かった」

「それならなんとかなるかも♪」


「じゃあ明日!」


「じゃあね♪」

マモルは元気よく走り去って行った。



 前日のリハが終わった。


「お疲れ様でしたぁ~」

マキが冷たい飲み物と、冷えたタオルを持って来た。


あとは当日リハの後、いよいよ本番ですね。

頑張って下さい。



「その事なんだけど…。おいッ、みんなもちょっと聞いてくれ!」

僕はバンドメンバーに呼び掛けた。


「明日、俺はリハをしない」


「え~ッ!」

どよめくバックバンドのメンバーたち。


「俺ってトリで出るだろ?」

「リハやってから間延びしちゃうと、ムズムズしてきてダメなんだ」


「そんな精神状態で、みんなと明日やるのは良くないと考えたんだ」

マキとメンバーたちは、僕の話を黙って聞いていた。


「だったら一発勝負の緊張感を持ったままステージへ上がりたい」

「その方が絶対良いステージなると思うんだ」


「音響のバランスとか心配ないんですかッ?」

マキが僕へ不安そうに言う。


「大丈夫だ」

「信じてる」


「だからみんな…。明日はドカンといい音待ってるぜ」


「分かりましたぁ~ッ!」

この言葉が、メンバー全員のハートに火を点けた様だった。



 H村の駅は無人駅だった。

その駅前には不動産会社が一軒だけあった。


その中へ、例のチンピラ風情のデブが入って行く。


「奴の居場所が分かりました」

デブが言う。


「どこだ?」

リーダー格の男が言った。


「K屋旅館です」


「そうか…」

リーダー格の男がニヤリと笑った。



 8月25日。

H村音楽祭当日。


マキは既にイベントの準備で、朝早くから家を出発していた。

僕の出番は彼女から16時頃だと知らされていた。


時刻は15時半になったところだった。

僕は宿を出て、ギターケースを手に駐車場へと向かった。


砂利の広い駐車場に着く。

隅には曼殊沙華が数本咲いていた。


風に揺れる曼殊沙華を見て、僕は秋が近づいてきたなぁと思った。


いつもの様に、吠えない番犬が尻尾を振って僕の事を出迎えてくれた。

番犬の前でしゃがみ、僕は頭を撫でてやる。


僕が頭を撫でてると、犬が僕の背後を睨み、機嫌悪そうに「ウウウウウ…」と唸りだした。


すると今度は、物凄い勢いで犬が吠えだした。

この犬が吠えるなんて、初めての事だった。


僕は後ろを振り返る。

すると駐車場の遠くから、角材の棒を手にした、あの5人衆が近づいて来るのが見えた。


僕はギターケースを地面に置き、奴らの前へ進んで行った。


「何の用だ?」

僕は言う。


「悪いがあんただけは行かせるワケには、いかねぇんだよ…」

後ろに立っているリーダー格の男が静かに言った。



 「遅いわね~ムラコシさん」

マキは到着しない僕に、ヤキモキしていた。


演奏は既に、僕の1組前が始まっていた。


「まだ寝てんじゃないでしょうね~。ちょっと家に電話して来ますッ!」


マキはそう言うと、一緒にバックステージで待機しているバンドメンバーたちから場を外し、自宅のK屋旅館へ電話を掛けに行った。


そして、しばらくするとマキが慌てて戻って来た。


「大変よッ!、ウチに電話したら、とっくに出たって…ッ!」

「携帯に掛けても出ないわッ!」


「何かあったんじゃ…」

マキの心がザワザワと揺れた。


「大丈夫ですよ」

ギターの青年が言った。


「そうそう…」と、ベースの彼。


「あの人は何があっても必ず来ますから…」

今度は、ドラムの彼も言った。


メンバーたちは、「ムラコシとおる」の到着を信じて疑わなかったのだった。(その名前、ヤメロ~ッ!)




 犬が激しく吠え続けている駐車場。

例のデブが一人だけ、ズカズカと僕の前まで歩いて来た。


「痛い目に合いたくなかったら、ここでおとなしくイベントが終わるのを待ってやがれッ!」

角材を左手に握ったデブが僕に言う。


「痛い目?」


「そうだよ。ここなら警察も呼べないぜ」

デブがニヤリと笑う。


「痛い目に合うのはどっちかな?」


「んだとコラァ~ッ!」

デブが右手で僕の胸倉を掴んだ。


すごい力だ。

腕回りも30cmはあるな…。


こんなのに殴られたらたまらない。

しかたない…。

僕は反撃に出る事にした。


「どうしたぁッ!?」

「おッ?」

「何とか言ってみろぉ~!」

デブがそう言った瞬間。


「おっ、早いな警察もう来たわ」と、デブの後ろを一瞬チラ見して、ボソッと言った。


「何ッ!?」

慌ててデブが振り返る。


デブの手が緩んだ瞬間。

僕は親指でデブの喉を突き刺した。


「ぐえっ!」

人間の急所で、もっとも苦しい喉を突かれたデブは、その場で崩れ失神した。


警察が来たというのは、デブを油断させるためのブラフだ。



「ててて、てめえッ!」

角材を握ったチンピラどもが、僕を取り囲む様に広がった。


 「馬鹿だなぁ…、警察が来ないって言ったのはそっちだろ」

僕が言う。


「てめえ卑怯だぞッ!」


「どっちがだ?」


「悪いが俺もこれ使わせて貰うぜ」

デブが落とした角材を僕は手にした。


そして正眼(中段の構え)に構えた。


「うっ…!」

一瞬チンピラどもはたじろいだ。


人間は格上の対戦者と向き合うと、本能的に細胞が察知し、不思議と無意識に尻込みしてしまう。

その瞬間、相手に対して飛び込めなくなってしまうのだ。


実は、僕は剣道の有段者である。

将来は家を改築して道場を開こうかと考えたほど、真剣にやっていた時期があった。


僕が素手で、相手が棒を持ってたら分が悪かったが、棒さえ持ったら、やつらは素手でプロボクサーにケンカを売ってる様な状況に逆転だ。


「うわああああ~!」

チンピラの一人が、目蔵めっぽうに棒を振り回して向かって来た。


僕は足さばきして、相手の棒を軽くかわす。

そして相手の脇腹へ胴を繰り出した。


「ぐえっ!」


今の一撃は、あばらにヒビがいっただろう。

やつは動けなくなった。


「くそぉおおお~!」

今度は正面の奴が、棒を上下に揺らしながら僕を威嚇してきた。


僕は相手の棒をはたいて、今度は小手を打ち込んだ。


「ぎゃッ!」

奴は角材を手から落とした。


防具の無い手首に角材の小手。

こりゃあ相当痛いはずだ。


残りあと二人。


奴らが後ずさりした瞬間、何かが僕の足首を掴んだ。


さっきの倒れたデブが、腹ばいになりながら、すごい力で僕の足を掴んでいる。

とどめを刺さなかった情けが仇となった様だ。


(こりゃマズイ…)

僕はデブの手を放そうとジタバタしたが、逆にデブの怪力で倒されてしまった。


「ははは…」

勝ち誇った様に、リーダー格の男が近づいて来た。


(やられるッ…!)

そう思った瞬間、「お前ら待てッ!」と、誰かの怒鳴る声。


「しゃッ…社長~!」

チンピラどもが、その男に向かって言った。


社長と呼ばれた男は、なんとあのカキザキであった。


「てめえらヤメロ、ヤメロ、なにやってんだッ!」

カキザキが早歩きで、こちらへ近づいて来た。


「あのプロジェクトは中止したと言ったはずだぞ!」

チンピラたちに怒鳴るカキザキ。


(そうか、土地開発をやる会社ってのは、カキザキの会社だったのかッ!?)

僕は瞬時に理解した。


「大丈夫か?」

そういうとカキザキは、へたり込んでる僕に手を差し出した。


「なんとか…。」

そういうと彼の手を握って、僕は立ち上がった。


「あんた、なかなかやるじゃないか」

カキザキが笑って僕に言った。


「死ぬかと思ったよ」

僕も笑って彼に応えた。


「でも、どうしてここが?」

僕はカキザキに聞いた。


「いや、実はマモルが、あのおじさんが“ムラコシとおる”だって言っててね…」

(またその名前か…)


「それで、そういえばウチの若い奴らも、今度“ムラコシとおる”っていう生意気な奴を懲らしめてやるとか言ってたもんだから、それでもしかしてと思い探してたんだ」


「しゃッ…、社長、お知り合いだったんですか?」

リーダー格の男が引きつって言う。


「そうだバカやろッ!、勝手な事しやがって」


 「さ、あんたは早く行ってくれ、後の事は俺に任せて」

カキザキはそう言うと、僕を送り出してくれた。




 「もおおお…」

「この曲が終わったら、“ムラコシとおる”の出番じゃないのよぉ~!」

マキがイライラしながら言う。


「よお!、お待たせ!」


「ムラコシさんッッ!」

周りのみんなが一斉に叫んだ。


現在演奏中のバンドの最後の曲が終わる頃、僕は何とかイベント会場に到着できた。


「もおお~!何やってたんですかぁ~!」

マキがすごい勢いで、僕の胸をポカポカ殴って来た。


「ちょっとヤボ用が入って…」

そう言ってマキの顔を見ると、マキは涙ぐんでいた。


「もう…、心配してたんですからねぇ…」

わなわな震えながらマキは言った。


「もう大丈夫だ。さあみんなステージへ行こう!」


「はいッ!」


「あっ…ちょっと待ってください」

マキが言う。


「これギャラです」

「私、この後イベントの後処理でバタバタしてて渡せないと思うから先に…」

そういってマキは僕に封筒を渡した。


「中見てください♪、たくさん入れときました」


マキにせかされて、僕は封筒の中身を見た。


1000円札が3枚だった…。


呆然としている僕に、「何ですかぁ~不満なんですかぁ~ッ!?」と、またマキが食って掛かって来た。


「これでも、このビンボー村で、必死にやり繰りして、それにこの県の最低賃金に比べれば凄く多い方で…」

またマキが、めそめそし始めた。


「だぁ~、もお分かったッ!分かったからッ!」

僕はマキをなだめながらステージへと向かった。


 ステージに上がる。


「けっこうお客が入ってるじゃないか…」


ステージの最前列には、マモルの姿もあった。


マモルがこちらを見て、握ったこぶしを上に振り上げた。

僕もそれに応える様に、右こぶしを上に振り上げた。


それを見たマモルは、隣にいる友だちと一緒に喜んではしゃいでいた。


「それでは、“ムラコシとおるバンド”のみなさんです!」

「お願いしま~す!」

場内アナウンスが叫ぶ。


僕はその名前で、ずっこけそうになったけど、なんとか持ち直した。


僕は後ろを振り返る。

「よし始めるぞ!」


バックステージの端から、祈るように見つめるマキの顔が見えた。


僕は彼女に、にっこり微笑む。

そして前を向いた。


ドラムのカウントが入る。


スリー…、フォー…。


ドンッッ!


イントロの激しいビートが、僕の全身をビリビリさせた。


僕も負けじとギターをかき鳴らす。


ステージから見える清流沿いには、無数の曼殊沙華が咲いていた。

そして少しだけ冷たい風を肌に感じて、僕は歌い始めた。


夏が終わろうとしていた。


fin


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