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月下の亡霊、異世界に立つ  作者: 旧世代の遺物
6/18

6/ 親無き子、子無き親

不定期更新です。

今回も戦闘は無しです。



    /1



 今日はこの大集落の人々の営みを見て回ることにした。

 この部族に迎え入れられてもう一ヶ月は経過したが、実の処知っているのは貴族居住区だけというのが現状だ。

 これから戦争に動員されるであろうに内情すら把握していないのは拙いと思い、全体は無理でも大まかな暮らしぶり程度は見ておきたくなったのだ。


 農耕、牧畜の形態や建築様式、鍛鉄技術に貨幣といったインフラ水準やそれに関連する文化とは即ち国力を示すものに他ならない。

 文化といえば文字。これはある区切られた期間での総生産を表記、保存する為に発明されたものである。

 故に文字や数字の発展度合いとは文明の発展度を表し、生産力の高い文明は余剰生産力を有する為に階級制度が発達し、余剰を消費する階級によって文学などの文化が発展する。

 つまり文字文学が発展している共同体とは高い生産力を有する文明と言えるし、そこを見るだけで如何なる生産手段が用いられているのか窺い知ることも可能だと言えるだろう。


 誇張の類でなければ、コーバック曰く、アウロラ族は北方諸族の中でも比較的強大な部族であるらしい。

 確かに、城壁はそれなりに大きく、飛び地も合わせればかなりの領域を保有しているという事実を見れば"比較的"強大という話も偽りではないのだろうと納得する。

 旧帝国領に隣接してはいるものの、辺境であるこの部族国家ですらこの域にあるのだ。かつての帝国の強大さ、旧帝国領政権の広大さはさぞや凄まじいのだろう。


 朝の支度を済ませて足早に出発する。

 ここは現代と違い夜になれば暗黒に包まれてしまう。しかも秋である為尚更日没が早い。

 時間を無駄にしたくないのもあって必然的にそう悠々と構えてはいられないのだ。

 

 監視役であり世話人であるアーデルハイトもトラブル防止の為に当然同伴する。

 やはり自分はまだ会話で使える語彙も多くはないし、それが元で揉め事を起こそうものなら彼女自身の監督不行き届きになってしまうだろう。

 つまりこれは自分以上に彼女の保身の為なのだ。


 長ズボンにブーツ、腿までを覆うチュニックを身に付け、それを青銅のバックルが付いたベルトで締め、大通りを歩く。

 どうやらアウロラ族は周辺部族や帝国といがみ合っていただけでなく頻繁に交易をしていたらしく、貨幣経済はそれなりに浸透しており、街の大通りには様々な商店が立ち並んでいる。

 補足だが自分の家は集落の外れの川べりに在り、水資源は豊富に入手できる。

 その為容易に入浴洗濯ができるので、この時代にしてはかなり衛生的な暮らしが出来ている。

 元々帝国人で清潔を好む彼女としてもそれは有り難いことなのだろう。

 そしてこの服は彼女が持って来てくれた代物だ。

 仕立ては当然現代の服に劣るが、動きやすく断熱性も高い。

 元の服は今洗濯中の為に何着か貰った服を着ているのだ。

 ……さらにどうでもいいことだが、彼女は見た事もない服に興味深々だったのか、洗濯にかなり時間を掛けていたのだった。


 街行く人々を見れば、実に様々な人間が居る。

 元々様々な民族を吸収しているからなのか、彼女やアルベルトと同じく金髪碧眼の者やコーバックと同じく赤毛の者、それから茶髪や黒髪黒眼で浅黒い肌の者まで居る。

 だが皆鼻は高く骨格もがっしりとしており、悉くコーカソイドの特徴を有している。

 やはり自分のような身なりをした者は珍しいのか、人々の視線はこちらを向いている。


「おい、あいつを見てみろよ」

「何だありゃ? どこの部族なんだ?」

「それにあんな綺麗な女まで連れてやがる。奴隷ってわけじゃなさそうだぜ」


 向けられる視線はおおよそ好奇、それから警戒といったところか。

 それだけでなくアーデルハイトにもかなり視線が向いてしまっている。

 彼女はどうやら抜群に美人であるようで、しかもただでさえ珍しい異民族と同伴しているのだから目立ってしまうのは当然だと言える。


 これだけの目線に曝されるのは不慣れなのか、彼女はかなり緊張してしまっている。

 そんな彼女に一応配慮して出来る限り人の少ない場所を選んで歩く。

 彼女は一言も話すことなく、ただ粛々と付いて来てくれる。

 どことなくぎこちない、雛鳥のような足取り。それは不安の表れなのだろうが、張り付いた無表情と相まって凄まじくちぐはぐだ。


「どうした? 不調なのか?」

「いえ、そういうわけでは。ただ……」

「ただ?」

「同伴して来たのは良いものの、実はワタシも初めてなのです。いつもは族長の家に居るから、あまり地理に明るくなくて……」


 ……なんと彼女も街のことはあまり知らないらしい。

 迷った時は彼女に頼ろうと考えていたのだが、完全にアテが外れてしまった。


「そうか、それは仕方がないな。それなら、村の方を当たってみよう」


 欲を言えばもっと市場の方を見てみたかったが、時間も無いので切り上げる。

 実は見たかったのは郊外にある放牧、農耕地の方なのだ。

 都市国家の様相を呈している城壁の外にある農村は壁でなく森で区切られており、城壁内部とはまったく異なる生活形態を維持している。

 陳腐かつ有り体に言うならば"中世風"の生活を送っているのだ。

 彼女は出自の為かやはり都市の方が慣れているようだが、そもそも自分は都市の空気は好ましいとは思えないのだ。

 もっともらしく理由を付けるとしたら、"処理する情報量が少なくて済むから"に尽きる。


 そうして城壁を出ると眼前には一面の緑が広がり、耳には雑多な動物の鳴き声が聞こえてくる。

 彼女もあの雑踏には参っていたのか大きく息をつき、どこか安心したように頬を緩める。

 この果てしなく続くようにも思える管理された緑の世界。自分は必要な時以外は外出しないし、出るとしても夜景を眺める為なので、明るい時に目にするのは多分初めてになるだろう。

 それに村の人間と顔見知りになっておけば後々何らかの利益があるかもしれないのだ。

 そういった合理的な視点に立てばこのような観光じみた行為も無駄にはならないだろう。


 放牧地で草を喰む羊を眺めていると、背後から甲高い声を掛けられる。


「Moin!」


 声の主はどうやら少年のようだ。

 髪は茶色のウェーブで、瞳は空のように淡白な蒼色。

 羊飼いかと思ったが、農民のように質素な服を纏っていて、一目ではどちらなのか判別が難しい。

 少年は屈託の無い笑みを浮かべ、自分とアーデルハイトを交互に見ながら捲したてるように早口で喋りかけてくる。


「Wäljkiimen!Weer kamst dü jurt? Ik kam foon……」


 一応聞いてはいるのだが、少しも理解できない。耳馴れぬとは思ったが、やはりこの部族の言語ではないのだろうか?

 

「……Weesegödj än snååk en lait sanier」

「Fertrüt me! Ik begrip dåt!」


 どうしたものかと思案していると、アーデルハイトが少年に自分ではまったく理解できない言語で返す。

 意味は滞りなく通じているようで、少年は申し訳なさそうに頭を掻く。

 ……驚いたことに彼女は語学にも通暁しているらしい。その多芸さには本当に驚かされるばかりだ。

 

「お前さん、意味が解るのか」

「ええ。これは半島北部で使われる言語のようですね。ワタシは昔から言語学が好きだったので、日常的な語彙なら理解できます」

「本当、何でもできるんだなお前さん……」

「まぁ、これも生活の知恵とやらですよ。通訳はワタシの仕事ですので」


 医術だけでなく通訳まで出来る多芸さに加え、当然のように家事全般まで完璧。

 これはあの族長が大切にする筈だ、と一人納得し、そんな人材が専属に付いてくれている現状に誰にでもなく感謝する。

 ……身分が身分なら、求婚者が後を絶たなかっただろうに。まぁ、この鉄面皮を許容できればの話だが。


「Koost dü Aurolsch?」

「……うん、大丈夫、あんまり上手じゃないけどできるよ」


 彼女が一言言うと少年はこちらも理解できる言語で応答する。

 おそらく彼女は"アウロラ族の言葉は使えるか?"とでも言ったのだろう。


「ごめんねお兄さん。僕はアレックス。こんなナリだけど一端の羊飼いだよ。お兄さん達は羊が欲しいの? だったらお父さんを呼んでくるけど」

「いや、ただ見ていただけさ。ここに来て日が浅いものでね。この村の暮らしを知りたいんだ」

「ふーん。確かにここらじゃ見ない顔付きだもんね。それじゃあお姉さんは? お兄さんのお嫁さん?」


 少年アレックスはそのくりくりとした大きな瞳で興味深そうにしげしげと見つめてくる。

 いったいどこが自分達を夫婦に見せているのか少しも分からないが、冷静に否定を返すことにした。

 

「いや、そういうわけじゃ……」

「違います。ワタシは族長に命じられてこの方に付いている奴隷です」


 圧倒的な速度で、しかし眉一つ動かさずに彼女が即答する。

 どう考えても動揺しているとしか思えない態度なのに、平生の冷徹さを崩さぬ、ちぐはぐとも言える一連の流れ。

 ……それほどまでに感に障る勘違いだったのだろうか。


「ほんとぉ? それにしちゃ良い服着てるじゃんか。僕なんか、ほら」


 アレックスはそう言って服の解れやシミを見せる。

 アーデルハイトが着ている物と比較すると年季が入っていて、あちこちにボロが出てしまっている。

 彼女が着ている服は配色こそ地味なものの、使用されている生地はそれなり以上に上質で、彼女自身の雰囲気も相まって上品な清楚さを醸し出している。

 ……これで装飾品でも身に付ければまごう事なき良家のお嬢様だ。これを奴隷と言われて信じろという方が無茶というもの。

 少年はおもむろに近づいて耳打ちしてくる。


「こんな人が奴隷なんて、お兄さん何者? いいなぁ、僕もお姉さんにお世話して貰いたいよ」

「まぁ、戦果を挙げたのはいいが異国から来たばかりで言葉が分からなくてね。彼女は族長に任せられてきた通訳兼雑用ってことさ」


 異国という単語に惹かれたのか、アレックス少年は大きな瞳を輝かせて興味深々に顔を寄せてくる。

 ……生憎記憶など無い身だが、不思議と忘れているのは自分と周囲の事だけで、自分が暮らしていた二一世紀の日本の環境については滞りなく思い出せる。

 流石に自動車や電気について語っても信じてはもらえないだろうし、アーデルハイトに語った時と同様の話で茶を濁すとしよう。


「わぁ! スゴイや! お父さんから聞いた帝国よりずっとスゴイよ! でもさぁ、なんでお兄さんはこんな所に来たの?」

「あー、それはだな……」


 そこから先は今までと同様に憶えている限りを話す。

 それを聞いた少年は少しばかり残念がり、そして一層関心を覚えてしまったらしい。

 ……正直もう語る材料も無い。

 むしろ自分は新しいことを知る為に来たのだ。少年の個人的な話や暮らしぶりを聞くとしよう。


「僕? そうだねぇ……実はね、僕のお父さんは本当のお父さんじゃないんだ」

「うん? つまり"お義父さん"ってことかい?」

「そう。本当の子供は三人居たんだけど、みんな病気で死んじゃったんだって。僕はずっと北から連れて来られた奴隷なんだけど、本当の子供みたいに接してくれてるんだ。僕の本当の家族はその時の戦いで死んじゃった。だからなのかな、お父さんは貧しいけどすごく優しいんだ」

「そうなのですね……あなたも同じ……」


 その言葉から覗くのは、親を奪われ息子のふりをする一人の子供と、子を失い手ずから奪った親のふりをする男の、歪ながら温かい日常。

 ……それは、なんと脆くて幸せで、哀しい眺めなのだろう。

 ……自分は、この少年の父親が如何な人物であるのか気になって仕方がなくなってしまった。


 そして奴隷という境遇に深い共感を寄せるアーデルハイト。

 その憂いと慈しみに満ちた表情からは普段の鉄面皮は外されていて、ただ本来の彼女が持っている優しさだけが溢れ出している。

 ──それは、決して自分だけでは見られなかった彼女の本質。

 もしその感情の覆いを全て外すことができたなら──彼女は一体どんな素顔を見せてくれるのだろうか?

 

「おーい、アレックス。その方達は来客かね? なら是非家にお連れしよう」


 とりとめも無く思索を巡らせていると、奥の家屋から野太い声が響く。

 声の主はずんぐりとした筋肉質な壮年の男だ。おそらくはアレックスの養父だろう。

 そして、アレックスの本当の親の仇かもしれない者。


「いや、ただ眺めていただけさ。お前さんがこの子の父親なのか?」

「やあ、アレックスが迷惑かけているようですまないな。私はフェリックス。アレックスの……父親さ」


 養父──フェリックスは言い淀みながら自己紹介をしてくる。

 やはり、アレックスの言う通り血の繋がった親ではないのか。

 ただそれだけで、とてつもなく気まずくなってしまう。

 単に自分が気にしすぎているのだろうか?


「オレは……今は亡霊(レムレス)と呼ばれている。彼女はアーデルハイト。オレの……世話をして貰っている」

「ふむ。つまり君が例の異邦の戦士ということかね? 確かに見慣れぬ顔ではあるが……」


 フェリックスは意外そうに瞬き、アーデルハイトと自分を何度も見据える。

 ……彼女が言うには自分はどことなくぼんやりした印象を与えることが多いらしい。

 やはりあの銀騎士や蒼き狼と比べるとあまりにも覇気に欠けるということなのだろうか。


「まあ、この際君達の身分は関係ない。何か欲しいものでもあるのかね?」

「いや、本当に用件はないよ。ここに来てから日が浅くてね。生活形態なんかを知りたいのさ」


 そう言うとフェリックスは一層驚いたように目を丸くする。

 それもそうだろう。何しろ彼は見たところしがない農民戦士だ。そんなわざわざ見せられるような物珍しいものなど持っていないだろうし、ただの農民の生活を見たいなんて言う物好きは見たこともない筈。

 ……なによりも、そんなことをしたところで彼自身の利益にもならないだろう。


「別段、何かして欲しいわけじゃないし、そちらの邪魔になるようなこともしない。必要とあらば手伝いをしてもいい。だからちょいと仕事とかを見せてもらいたいのさ」

「いやいや、邪魔などとんでもない! まぁ、つまらない所だが好きに見ていきなさい。ほら、アレックス。仕事に戻るぞ」

「はい、お父さん。それじゃゆっくりしてってよ二人とも」


 彼らはそうしてそれぞれの仕事に戻っていった。

 彼女もこういったことには興味があるらしく、あちらこちらに視線を泳がせては感心している。


 見たところ農民と言うよりは牧畜民である彼らの家の周りは小さな畑と大きな牧草地に囲まれており、運搬、農耕用の牛やロバ、食用や卵用の豚やガチョウ、鴨や鶏、それから搾乳用の山羊まで放されている。

 どうやら刈り入れの時期は終わっているらしく、耕作地は地力を回復する為の放牧地として利用されているらしい。

 晩秋である今は森にどんぐりが豊富に実り、飼料が不足する冬に備えて豚を森に放ち、丸々と太らせてから一部を残して食肉に加工するのだ。


 ……実に平和な眺めだ。

 こうしていると政治や戦争といったお偉いさん方の営みが馬鹿馬鹿しく思える。

 とはいえ、アレックスもまた戦争の被害者であるわけだが。

 

「ほら、大したものはないだろう。日常とはこういうものさ」


 横でフェリックスが呟く。

 確かに彼の言う通り、眼前に広がるのは何の変哲もないただの営みだ。

 穏やかで、凡庸で、意味のない螺旋。だからこそ、自分はそれが貴重で珍重なものなのだと思う。

 ……そこでふと、彼とアレックスの関係について気になってしまった。

 

「……一つ、聞きたいことがあった」

「何なりと」

「あの子から聞いたよ。あの子は養子だと。どうして引き取ることになったんだ?」


 フェリックスの穏やかな笑みが陰る。

 やはり複雑な事情があるのだろう。いきなり込み入った事情を聞いてしまったのは悪手だったかもしれない。


「……失礼した。オレの不徳だった」

「いや、話そう。君ならば私を蔑みはするまい……」


 そこで彼は滔々と語り出す。

 彼と少年の出会い、それに至るまでの経緯を。


「アレックスを拾ってからもう五年になる。……私には妻と三人の子が居てね。皆優しく、善良な者だった。だが……あの戦いの半年前までには皆病に斃れた」

「あの戦い?」

「……五年前、アウロラ族と半島南部の間で大きな戦争があってね。悲惨なものだよ。家族を失い、遣り場の無い怒りに駆られた私はそこで大勢を殺した。手向かう者も、そうでないものも、男も女も若者も老人も……。私はこの手で私と同じ者を大勢作り出したんだ。愛する者を喪う痛み。それをただ怒りに任せてばら撒いた。そして……」


 彼は己の行いを懺悔するように、呻くように言葉を紡ぐ。

 ……いや、きっと懺悔なのだろう。だからこうして話してくれている。


「アウロラの軍勢が街を焼いた時、私は一人の女を斬った。ただ略奪の邪魔になったというだけのことだ。そしてその後ろには……一人の少年が佇んでいた。状況を理解できていないのか、彼は何の感情も宿さない瞳で私を見ていた。──そこには、全身を血に染めた殺人者の姿だけが映っていた。私はその時に初めて我に帰り、自分がいったい何を仕出かしたのか悟ったのだ。……私はみっともなく少年に縋り、勝鬨をあげるかのように泣き叫び、ひたすらに謝り続けた……。今までの罪を、意味もなく憎しみだけを拡散させた己の所業を。そうして私は彼を連れ、混乱に紛れて戦線を離脱した」


 話から浮かび上がるのは、修羅の如き殺戮の戦士。

 だが眼前にその影はない。ただ己の所業を悔いる一人の男が在るだけ。

 ……思えば自分とて殺しに対して何の迷いを見せることもなかった。

 記憶こそ無いが、自分も修羅のようなものに成り果てているのかもしれない。


「戦いが終わった後、私は中心部を離れ彼と共にここに移り住んだ。そこで……私はただ怯えていた。もはや私の中身は空っぽだった。少年を引き取ったものの……何をすべきなのか、何を償うべきなのかすら分からなかった。だが……」


 重苦しい慚愧が男を覆う。

 話題を切り出したのはこちらだが、やはり話させるべきではなかったのかもしれない。

 これでは、懺悔というより自傷だ。


「少年は私を咎めることもなく、ただそこに在った。そしてあろうことか……私を案じていたのだ。その曇りなき瞳は、あどけない笑みは、私の畏れに縮まった姿だけを写し出し──」


 男は静かに語る。

 その怒りに満ちた半生が、如何にして変えられたのかを。


「私はそれが恐ろしくて仕方がなかった。だが──それは空疎な思い込みでしかなかったのだ。彼、アレックスは──私を癒そうとさえした。そうしていつしか、怨嗟すら失い人形も同然に成り果てていた私の内は、彼の慈愛で満たされていた。──救われたのだよ。その笑顔に、その無邪気さに。……そうだとも、私の態度は偽善だよ。私は所詮朽ち果てた殺戮者で、結局それを辞めることなど出来はしない。だが、この胸に満ちる記憶だけは、彼の優しさだけは──何よりも本物なんだ」


 男の影に、平生の優雅さが蘇る。

 その眩く、忌まわしい過去は、たった一人の少年によって美しい愛となって胸を満たした。

 自分はそれを──ただ遠い目で眺めているだけだ。

 男の語る物語は美しい結末であるのかもしれない。

 されど──自分はそれをどこか冷めた目で見ることしかできなかった。


「私は救われたのだ。私の犯した罪は消えない。償う道すらもありはしない。この罪過は墓場まで──地獄(ニブルヘイム)まで抱えていくべきものなんだ。私はアレックスの為に残りの人生を捧げると誓ったから。──これが私の持ち得るすべてさ。実につまらない、穢れた邪霊と罪なき仔羊の話だ」


 ──罪は消えない。

 誰もが忘却しようとも、事象が存在したという事実は不変だ。

 変化のみが唯一の永遠である──そう、誰かが嘯いた。

 自分はそうは思わない。確かに変化は永遠に続くものだろう。

 だが、過去は?

 前述のように、事象が存在した事実は、如何なる手段を持ってしても改竄することは不可能だ。

 稚拙な解釈だが──過去もまた永遠ということ。

 だから罪を消すことはできない。誰かがそれを裁こうとも、犯した罪という過去は永遠である故に。

 男は己の罪を裁き続ける限り、アレックスを愛し、愛され続ける限り、永遠に罪人なのだ。


「私の話はこれだけだ。君はどうだね? 君の大切なものは何だ? 君は何を愛し、何に救われた?」

「……何も。オレは何も望まない。オレは持っているものも、持つべきものもありはしない。己の業を自覚することがない故に、誰に裁かれることもない」

「──ならば、君は」


 そう、自分は何も持たない。そうやって傷を負わないように生きてきた筈なのだ。

 何かを手に入れたなら、それを守り通さなければならず、もし失おうものなら大きな痛みになるだろう。

 自分は元よりそんな人並みの人間性なんて望まれていなかった。

 だから何を肯定することもなく、何に否定されることもなく、その中間の伽藍堂を渡り歩いて──やがて空の器に成り下がった。


「君にとって彼女は──アーデルハイト殿は何なんだ? ただの奴隷に過ぎないのか? ……彼女が何を思おうとも、君にとってはくだらぬ茶番なのか? たとえ失ったとて──金貨で払い戻せる程度の道具でしかないのか……?」

「そいつは極端だな。……オレだって恩義を感じているし、これからも頼ってばかりになるだろう。あいつはオレの恩師で、それ以上でも以下でもない。ただ……」


 どうにも形容し難い感情が喉元につっかえる。

 ──確かに彼女は恩師であり、それ以上でも以下でもない。

 だが、もし永久にお別れとなったなら。

 自分は──それでも何の感慨も抱かずにいるのだろうか?


「もし代わりが現れたとしても、同じように見ることはできないと思う。似たような人間が居たとしても、同じ人間は二度と現れない。だから──何かで代わりにできるものではないだろう。少なくとも、オレはそう考えている」

「ふっ、君も素直じゃないな。まぁ何にせよ、救いというものはこの先必ず必要となる。……どのみち、この世界の掟は殺るか殺られるか。今は平穏でも、春には戦争になるだろう。君も私も──そこで多くを殺すこととなる。君も見た所、多くを殺めてきたのだろう?」


 そこでふと、己の手を見遣る。

 ただ武器を振るい、殺す為だけに練磨された破壊の両腕。

 何を生み出すことも救うこともない、奪うことしか能の無い身体。

 自分は一体──どれだけ殺してきたのだろうか?


「さてな。少なくともこっちに来てからは、何とか指で数えきれる程度に収まっているさ」

「ならば君は幸いだ。まだまだ底はあるのだからね。──君も私と同じにならぬよう、救いというものを見出してくれれば良いのだが」


 男は憐れむように、羨むようにこちらを見て、小さく息をつく。

 その所作はどこまでも草臥れていて、とても猛威を振るった狂戦士とは思い難い。

 救い──何一つ己というものを省みて来なかった自分の罪の在り処とは何処にある?

 

「──今日はここらでお暇させて貰おう。世話になったな」

「こちらこそ。私の話を聞いてくれてありがとう。また会おう」


 そう言ってアーデルハイトを呼び戻し、日が暮れる前に帰宅しようとする。

 アレックスとフェリックスは穏やかに見送ってくれた。


 結局、大した収穫は無かったものの、何故か大きなものを得たような感覚が渦巻いていた。

 


 更新が遅れました。

 今回も日常回ですね。

 またしても未知の言語登場。とはいえ既存の言語であることには変わりないのですが……。


 もし良ければ感想、評価をよろしくお願いします。その一つ一つが作者の燃料となります。

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