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我慢おどし 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 おおっと、でかい音が鳴ったねえ。さすがにこの強弱ある「ブウ〜」という音、ケータイの着信音とかじゃないだろ? お腹の虫か、おならかな。

 いやいや、別に犯人が誰とか追及するつもりはないよ。出物腫れ物ところ嫌わず、という言葉は知っているかな? 身体から出てくるもの。おならとかおできとかは時と場所を選ばないっていうことだ。君たちくらいの歳なら、ニキビの悩みとかひとつふたつはあるだろ?

 これらは重要な身体のサイン。我慢しすぎるのは良くないとされている。実際に先生の学生時代の友達も、三日間徹夜して、その間トイレに行かなかったら病院送りになっちゃったんだ。君たちもそうならないよう、気を付けてくれよ。

 とはいえ、これらのことは公の場だと、たいていいい顔をされないもの。それは何も不潔だからという理由ばかりじゃないのを、小耳にはさんだことがあってね。

 よーし、眠くなってる人もいるようだし、脱線タイムだ。ひとつお腹の虫やおならに関する昔話をしようじゃないか。


 先にも話したように、公衆の面前でおならをしたりするのは失礼とされる。皆もその手兆したるお腹の張りを感じると、下っ腹に力を入れて、音を抑えようとした経験ないかい?

 科学的に分析すると、おならの大きさは、噴出されるガスの量と速さによって決まる。だが、先生たちの地元ではおならやお腹の虫に特別な意味合いを見出していた。それらの起こりは、人ならざるものからのメッセージなのだと。

 そして、先生のお兄さんが体験したケースはこのようなものだ。


 お兄さんは家族の中で、一番おならの音が大きかったんだ。先生が生まれる前からその傾向が見えていて、家族そろって食卓を囲む時でも、容赦のない大音量が耳を襲う。回数は多くないものの、一回一回の存在感が半端ではない。

 普段はまじめなお兄さんが、いきなり発射するものだから、思わず吹き出してしまう。そのたびお兄さんに、ぽかりと殴られたねえ。「笑うな!」って。

 赤面し、恥ずかしさを隠そうとしないお兄さん。先生以外の家族は、彼のことを笑わなかった。むしろ、喜ぶような雰囲気さえも醸していたんだ。両親曰く、おならというのは人間が自らの身体の中に作った、「ししおどし」なのだという。

 皆もししおどしについては、知っているだろう。上部を切り開いて設置した竹筒に、流水を注ぐ。時と共に中身がいっぱいになった竹筒は傾き、自分の足元へ水を垂れ流す。その傾いた筒が支持している石を打つことで、音が生じるという仕組みだ。本来の目的である、音で脅かして獣を遠ざけること以外にも、装飾品としての価値を私たちは見出してきた。

 私たちのおならもまた、厄を遠ざけるもの。注がれる水も、払われる相手すらも見えない、音だけの守護者。それが大きな音を立てるというのは、身体が真にさとく感じているということ。喜ばしいことなのであると、両親は話してくれた。


 そう話されても、お兄さんは納得ができなかった。すでに学校では、大勢が集まっているところで何度かおならをしてしまい、笑われたことがあったからだ。


「もうこりごりだ。おならなんか、一生出なければいいのに」


 先生と二人だけの時、お兄さんはしょっちゅうぼやいていた。両親に聞かれるとうるさいからね。お兄さんはできる限り下腹に力を入れるようにして、おならを出さないよう意識をしていたらしい。

 そうしておならを防ぐすべを得るのに、小学校6年間を費やした。それがすごいのか、くだらないのかは、評価が分かれるところだろう。とにかくお兄さんは、口うるさい親の前以外ではまったくおならをすることがなくなったんだ。



 そして時は流れ、中学校2年生の部活帰りのこと。同じ部の友達と買い食いしながらの下校時、お兄さんは猛烈におならをこきたい衝動に襲われた。それはこれまでの人生の中でも屈指の、差し迫った感じがあったという。

 だが今は習い事の愚痴を漏らす友達のひとりが、場の主役。ここには他の面子も揃っている。話を遮るほどの大きさで、おならをこいてしまったらどうなるか。かつての笑われた経験が頭をよぎり、お兄さんは自ら得た我慢の秘訣通りに、尻の穴を締める。

 これをやると、どうしても内股気味になってしまうのが難点。当初はそれこそ誰が見てもおかしさを覚えるほど極端にやらねば、意味がなかったらしい。それが6年の時間でだいぶ改善され、多少の違和感を抱かせる程度で済むようになったんだ。

 友達の話は途切れることがなく、お兄さんは相づちをうちながらも、尻のあたりへの集中を止めない。溜めれば溜めただけ、被害が大きくなるのは経験済み。何としても、みんなが解散するまで耐えなくてはいけない。

 時間と共に、身体のむずむずを大きくしていくお兄さん。すでに帰り道を別にした人が何名かいるが、真の別行動地点にはまだ距離がある。ついに隣にいる子に「大丈夫?」と声をかけられてしまった。

 正直、大丈夫ではないけれど、大丈夫で通さなければ今後の名折れ。耐えに耐えたお兄さんは、ようやく皆の目を離れられる地点までたどり着く。


 下手に急ぐと、その拍子に漏れる。知った顔がなくなったとはいえ、人通りはそれなりにあった。ここでするわけにはいかない。尻を締めながらの早歩き。それをあと10分ほど続けるんだ。

 公衆トイレが途中にあったが、それも却下。誰が通りかかるかも分からない空間に、長く留まるのははばかられる。家に着く3分前など、湯気を吐き始めるやかんのように、「ぷす、ぷす」と、小さく穴から呼気が漏れていた。限界はすぐ近くまで来ている。

 ようやく家に帰ったお兄さんは、玄関にカバンを放り投げ、家のトイレに飛び込んだ。おならを喜ぶ我が家だ。この中であれば、いくらでもおならを漏らすことができる。

 長く続いた封印が解かれた。待ちわびていたガスが、大きな音を立てて漏れ出していく。その音はいつもの3倍増しかと思うほど大きいもの。緊張が解けたためか、小便も一緒に出始めた。

 この解放感は我慢をしてきた人だけの特権。お兄さんとてそれを否定することがしない。あとは身体の赴くまま、すっきりするのみ。

 

 すっきりしない。いつまで経っても。

 普通、出すにつれて下腹が楽になっていくはずなのに、いつまで経っても暴発寸前の、あのくすぐったさが止まないんだ。おならのみならず、小便の方も。いつまでも水音が止まらないんだ。

 もう何分ほど経過しただろう。身体のどこからひねり出しているかもさることながら、このままでは、詰まらせた時みたいに、便器の中の水かさがせり上がってきてしまうはず。けれど、その様子はまるで見られない。

 そっと下を見やるお兄さん。確かに自分の出すものが、便器の中の水たまり目掛けて注いで……。

 

 いや、違う。いつもは自分の身体から離れていくばかりの小便。それが一定時間で続けたかと思うと、今度はひとりでに流れが逆になり、自分の中へ戻っているんだ。

 残尿感がいつまでも腹から消えないのは、このせいだった。更に意識を集中してみれば、おならもそうだ。吐き出し続けた息は、どこかで吸って継がねばならないように、おならもまた出し続けたものを、吸いなおしている。腹は楽になった先から再び張りはじめて、それがずっと繰り返していたんだ。

 ししおどし。両親が使っていた表現を、お兄さんは頭に思い浮かべる。注ぐ水が尽きない限り、ししおどしはその役目を終えず。永遠に自分の身体に水を注がせ、石を打つだろう。それが今、自分の身体を渦中において、働きに働き過ぎている。

 

 座ったままでは手が届かず、足で何度かトイレのドアを蹴り、大声をあげるお兄さん。ほどなくスリッパの音を立てながら、母親がドア越しに声を掛けてきた。

 事情を説明すると母親は、深呼吸しながら腸を時計回りにゆっくりなでるよう、アドバイスをくれたんだ。


「これまで不自然に歪められてきた仕事。それを果たせるとなって、これまでの分を取り返そうと身体が躍起になっているのよ。指導者たるあなたが身体を安心させてあげなさい。焦って仕事をしなくていいのだと」


 お兄さんは眉につばつけて聞いていたけれど、いざ試してみると、じょじょに水とおならの出が弱まっていく。結局、二十分以上トイレに籠城していたことになる。

 ぬくんだ便座から、やっと腰を上げたお兄さん。自分の影と同化して、色まではよく見えなかった水たまりは、それこそ身体への害悪を知らせるように、すっかり黒ずんでいたようだ。


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気に入っていただけたら、他の短編もたくさんございますので、こちらからどうぞ! 近野物語 第三巻
― 新着の感想 ―
[一言] 間に合ったと思ったら……エンドレスリピート!? これ本当にお家のトイレで良かったですね。 でもそういえば、自分もお腹の調子が悪い時とか何気にさすったりしますし、もしかしたら無意識にそういう術…
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