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生活

大学生活も早2週間が経つと、新入生は皆新生活に慣れてきたようだった。

授業やサークルで生まれたコミュニティが定着し、何処へ行くにも集団で行動する大学生が増えていた。

俺はそんな大学生活とは無縁なことは知っていた。

学費と生活費を稼ぐためにバイトに明け暮れる毎日が続いた。

奨学金も借りていたのだが、生きていくためにはもっとお金が必要だった。

高校生の俺は見通しが甘かったと言わざるを得ない。

実家からの仕送りは極力断っていた。

とにかく親の力を借りたくなかった。

俺は実家から離れたかったのだ。

あのときはあの家から出れればいい、ただそれだけを考えていた。


俺の話はいい。

心配なのは夢子だ。

夢子の話をしよう。

あの日を境に、夢子は目に見えておかしくなっていった。

夢子は不眠症になっていた。

彼女は眠ると必ず悪夢を見るのだと言った。

儀式の後で見た夢とは、また違う悪夢だと彼女は訴えた。


「高校生のとき、トラちゃんと電車で高校まで長い長い道のりを登下校してたよね。覚えてる?」

「あのときの電車と全く同じ車両にいるの。座席からつり革まで同じ。でも、乗客にだけ違和感があって」

「私はいつもボックス席に座っている。私の他に女性が4人座っていて、私は左側に窓が見える位置にいる」

「これまでに会ったことがない人たちなんだけど、彼女たちは無表情で生気のない顔をしている」

「私たち以外の乗客は一人もおらず、電車はずっとトンネルの中を走っているかのように薄暗く蛍光灯もチカチカと怪しげについたり消えたりしている」

「私がこれは夢だなって思い始めると、突然ひどくノイズ交じりのアナウンスが流れるの」

「アナウンスの内容自体はおかしくないのだけど、話している男の声は怒りがこもっているというか、どこか威嚇的で」

「アナウンスが終わると、別の車両から帽子を目深にかぶった車掌さんが扉を開け入ってくる」

「彼は私たちの元まで歩いて来ると、切符を拝見しに来たと私の隣に座る女性に決まってそう言う」

「震える手で女性が男に切符を手渡すと、彼は帽子をとって顔までそれを近づけてじっくりと眺める」

「余りにも顔を近づけるものだから、いっこうに男の顔は見えないまま」

「男が切符を見ている間、隣の女性はずっと怯えているの。彼女は右手でひじ掛けを強く握りしめ、何かを我慢しているようでもあった」

「へぇ、『蜂の巣』までいかれるのですか、それは大変ですね、と抑揚のない声で言いながら、男は帽子をまた目深にかぶり直す」

「男は逆の手で腰からはさみのような大きいパンチを取り出すと、女性の右手に開いて押し当てる」

「男が両手で思い切りはさみを閉じると、バチンという肉が弾ける音が響く」

「それと伴に女性の悲鳴と血なまぐさい臭いが暗い車内に充満する。肉片が私の服や肌についた感触がする」

「私はもう見ていられなくなって顔をそむけるけど、隣に女性がいるので右耳にぐわんぐわん悲鳴がこだまする」

「はぁ、これは大変ですねぇ、と男がため息をつくのと同時に、またパンチが閉じる音がする」

「悲鳴の中に乾いたような骨が砕ける音、それと今度はパンチ同士が嚙み合ったような金属音もする」

「私が横をちらりと見ると、女性の右腕にはパンチで押された穴があって、空洞は赤黒く肘掛けと腕がくっついているように見える」

「いつの間にか私たちの周りには車掌姿の男が増えており、彼らは全員大きなパンチを手にしている」

「女性の悲鳴が大きくになるにつれ、彼女の体に穴が増えていく」

「早く目が覚めろと強く思っていたら、悲鳴が止まって電車の中が静かになる」

「気が付くと全身穴だらけになった女性も、あの男たちもいなくなっている」

「車内にまたアナウンスが流れ始める」

「次は、『生け作り、生け作り~』って」

「こんな夢をさ、眠るたびに見るんだ。嫌になっちゃうよね」


彼女の眼に刻まれたクマは、日を追うごとにひどくなっていた。

それでも彼女は俺に会うたびに明るく振舞っていた。

俺には気休めのような言葉をかけるぐらいしかできなかった。

しかし、満足な睡眠がとれていないため当然と言うべきか、夢子は大学生活に支障をきたしていた。

彼女は友達も減り、授業への出席状況も悪くなっていた。


ある日、バイト先で飲み会に付き合わされた帰り、俺はサークルの持ち家に立ち寄った。

夢子がいる気がしたのだ。

俺の予感は的中した。

彼女はソファーの上で小刻みに震えていた。

ブランケットを被った彼女は、やはり眠りにつくのがこわいのだと言った。


S町は、夏は暑く、冬は寒いという最悪な気候環境だ。

そのため四月と言ってもまだ夜中は冷えむ。

その日、俺と夢子は身体を温めあった。

俺は酒のせいか感情の昂りを抑えきれなかった。

布団の上で白牡丹の花が朱に染まった。


その日も夢子は悲鳴をあげて目覚めた。

「最初に夢を見たときは、4人いたって言ったよね。でも、繰り返し夢を見るたびに内容は変わっていったの」

「3日前には3人だったの・・・」

「今日見た夢では、私、私と向かい合って座る女性の2人だけになってた」

「その女性は私の方をまっすぐ見続けていた。それが続くだけで怖い夢じゃなかった」

「途中までは」

「ふと彼女の隣の窓を見たの。そしたら、窓の向こうにも彼女はいた」

「鏡に映ったような顔じゃなくて、彼女の顔はまっすぐ私の方を見ていた」

「私の隣の窓にも彼女がいた。私の隣にも座っていた。いつしか電車の中は人の気配であふれていた」

「電車のスピーカーから、後ろから、隣から彼女の声がした」

「ツ ギ ハ 、 オ マ エ ダ・・・って」

「繰り返し、繰り返し、言い聞かせるように・・・」

「・・・もう、私、耐え切れないよ」


俺は夢子に精神科の先生やカウンセラーに診てもらうよう強く勧めた。

はじめはホームシックではないかと軽い気持ちで受け取っていたが、これほどまでに悪夢が続くのであれば、精神的な強いストレスによるものではないかと俺は考えた。

そして俺は休学することも提案した。彼女はそれには強く抵抗していたが。

とにかく5月には長期休暇が待っているので、そこで実家に帰ると彼女は言った。

賢ちゃんも一緒に帰ろうね、と彼女は言った。

そんな約束を交わした矢先、彼女は俺との連絡を絶った。


夢子と会わなくなって1週間が経った。

俺は毎日でもあの赤瓦の家に寄った。

俺がいつ訪れても、あの家はしんと静まりかえっていた。

晴れた日には布団を干しておいた。

夢子がいつ帰ってきてもいいように。

牡丹の染みは赤から褐色に変化していた。


最後に彼女を見たのは、大学の駐輪場だった。

僕は彼女を見つけると一目散に駆け寄った。

彼女と一緒に帰ろうと声をかけた。

彼女は気のない返事を返した。

半ば強引に彼女について行った。

彼女も自転車を降りて、僕は隣を歩いた。


大学に併設する保育園に差し掛かったときだ。

僕らは小さな女の子に挨拶された。

良くできた女の子だと思い、僕は挨拶を返した。

夢子はずっと心ここにあらずといった感じで、少女を見ることは無かった。

次にその少女が言った言葉が僕は耳から離れなかった。

「お姉ちゃん、どうしておネエサンを ダ ッ コ シ テ ル ノ ?」


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