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一分間彼女  作者: てこ/ひかり
僕の章
7/30

 窓の外は、もう真っ暗だった。

 シン……と静まり返った空間に、シャーペンを走らせる音や分厚い参考資料を捲る音があちらこちらから聞こえてくる。その音が何重にも重なり合って、図書室に独特のオーケストラを響かせていた。


 春も過ぎ初夏に差し掛かろうとしている今、僕は放課後図書室へと出向いていた。


 大体僕にとって図書室というのは、漫画版『三国志』を読んだり映画雑誌を眺めながらダラダラする場所で、それ以外に利用することは今までほとんどなかった。


 だけどここのところ、どうしても「受験勉強」から避けられなくなって来た。こないだのテストの結果を親に見つかってしまって、「このままではスマホを一時没収する」などと最終通告を受けてしまったのだ。


 僕にとってはスマホのゲームをしている時が一番の至福であり、それ以外に僕の存在意義はない。それを取り上げるだなんて、「貴様の心臓を一時預かる」と言っているようなものだ。

 こうして生命の危機に晒された僕は、仕方なく図書室へと向かった。

 学校の図書室は二十二時まで解放されていた。家に帰ってやるよりは、誘惑が少なくて済むと思ったのだ。


「…………」


 ……ところが先ほどから僕のノートには、片隅に子猫の落書きが出来上がっていくばかりだ。開いた参考書にずらりと並ぶ文字列も、最早母国語とは思えず、何処か遠い異世界の呪文か何かにしか見えない。僕は四人掛けのテーブルの片隅からチラリと周りを覗き見た。


 皆真剣な表情で……音楽を聴いたり、時にぼんやりと天井を見上げてる生徒もいるけれど……参考書を片手にノートに筆を走らせている。一体何が彼らをそんなに受験勉強に駆り立てるのか、僕にはさっぱり分からなかった。そのままぼんやりと周りを見渡していると、カウンターにいる図書委員の女子生徒にジロリと睨まれ、僕は慌てて目を逸らした。


 とはいえこのままでは、ノートが子猫で埋め尽くされてしまう。仕方なく、僕は立ち上がり参考書を探すフリをした。とにかく、少しでも勉強する雰囲気に慣れていかなくては。僕は『自然科学』のコーナーの一番奥の、『生物学入門』という分厚い参考書を手に取った。


 席に戻り、「自分から難しい本を読んで、何だか頭が良くなったように思えてくる」雰囲気を味わいたいが為だけに興味もない『生物学入門』の頁を開いてみる。パラパラと胞子やら細胞の写真やらを眺めていると、突然本が小刻みに震え出した。


『時田さん! 時田さん……!』

「?」


 僕は分厚い参考書に突如話しかけられた。くぐもってはいるが、何だか聞きお覚えのある声だ。よく見ると、本に挟まった栞が小動物のように震えていた。僕は栞の頁を開いた。


「時田さん! こんばんは」

「…………」


 『生物学入門』の、『動物行動学』の頁に、一反木綿みたいになった例の幽霊が挟まっていた。

「お勉強ですか? えらいですね……」


 少女は僕のノートに描かれた子猫の群れをチラリと見た。


「……って、全然できてないじゃないですか! 一体何やってるんですか!?」

「……それはこっちのセリフだよ」


 僕は干物みたいになった白装束の少女を指で摘み上げて、本から引っぺがした。


「あーあ。せっかくやる気になってたところだったのに。まさかこんなところに幽霊がいるだなんて、やる気なくなっちゃった」

「ウソ……!?」

「冗談だよ」


 驚いて目を丸くする一反木綿の少女に、僕は小声で苦笑した。


「アンタ、もう驚かす気ないだろ」

「時田さん、何か悩みでもあるんですか?」

「ガン無視じゃないか……」

 

 ぺらぺらの紙みたいになった幽霊が、机の上で僕を見上げてきた。


「何か渋い顔をしてらっしゃるから……」

「悩み……ってほどじゃないけれど……」

「?」


 僕は周りをちらと盗み見た。他の生徒達は自分のやることに集中していて、こちらは気にもとめてないようだった。僕はさらに小声で話し始めた。


「何ていうんだろ……皆将来”やりたいこと”とか”なりたいもの”があって、進学したり就職したりする訳だろ? 僕にはそれが何もなくって……」

「…………」

「だからどうしても、勉強に身が入らなくってさ。こんなことやって、一体何になるんだろう、って」


 悩みとも言えない僕の小さなつぶやきに、少女が不思議そうに首をかしげた。


「別に、いいんじゃないですか?」

「え?」

「無いなら無いで、これから探しに行けばいいんですよ。”やりたいこと”や、”なりたいもの”を」

「…………」

「そりゃあ私だって、時田さんを驚かそうと思って、色々アレコレ考えるけど全然上手く行かなくって……こんなことやって本当に驚いてくれるのかなって、毎日それの繰り返しですよ」


 幽霊が悲しそうに俯いた。上手く驚いてやれなくて、僕はちょっと申し訳なくなった。


「それに、別に”スマホのゲームがしたい”でも、”地下鉄に乗ってみたい”でも、十分ですよ。立派な”やりたいこと”だと思います」

「立派かなあ……? ちょっと待て。何でアンタ、その事知って……」

「あ! 時間だ!」

 

 三角巾の少女は目を逸らすと、わざとらしく声を上げ煙のようにその場から姿を消してしまった。後には『生物学入門』だけが残された。


「ゴホン」


 ふと頭の後ろから咳払いが聞こえて振り向くと、図書委員の女生徒が僕の背中に立っていた。彼女は眼鏡をクイッと上げて、低い声で僕に言い放った。


「図書室では、静かにお願いします」


□□□


「お前、話しただろ?」

「何を?」

 次の日、教室に着いた僕は早速上条に話しかけた。


「惚けんなよ。地下鉄の件。お前にしか話してなかったろ? 僕にしか見えない幽霊に、言ったな?」

「お前こそ何を言っているんだ……」

 上条はとても悲しそうな目を僕に向けてきた。

 怪しい。だけど僕もそれ以上、追及はしなかった。


 相変わらず勉強する気は起きなかった。

 けれどその日から僕は、地下鉄沿いの都会の大学について調べ始めた。

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