ゴミ袋
「それで、こないだのテストの結果なんだが……」
「言うな。何にも言わないでくれ」
陽は大分落ちかけていて、校舎の隙間から覗くグラウンドのフェンスの向こう側からは、橙色の光が木々の隙間から微かに見え隠れしていた。西陽に目を細めながら、僕等と、さらに数名の生徒達は、各々中庭で落ち葉を集めたりゴミを拾ったりし始めた。僕は適当にサボりながら箒を掃くフリをした。
授業が終わると、終礼の前に清掃の時間がある。
時間自体はそんなに長くない。大抵十五分かそこらの作業だったが、勉強疲れの僕等にとっては体を動かすささやかなリフレッシュの場でもあった。
「ゴミ、運ぶか」
「おう」
やがて集め終わったゴミを袋にまとめる。これを中庭から少し離れたゴミ捨て場へと運んだら清掃は完了だ。中庭の隅では、数名の生徒達がそれぞれ仲良しグループで集まって談笑し始めていた。
この仲良しグループの何処にも入れなかった僕みたいな奴が、ゴミを運ぶと言う最後の後始末を行う。本来なら上条も『あっち側』なのだが、何に気を使ってかいつも僕と一緒にゴミを持ってくれていた。口に出しては言わないが、僕には毎回それがとても有り難かった。
大きなポリ袋を担いで、僕はふらふらと歩き始めた。
「どうした?」
「いや……今日のゴミ、やけに重いな」
上条がよろける僕の姿を見て、首をかしげた。ここのところ碌に寝ていなかったから、少し疲れもあるのかもしれない。だけど中庭に落ちているものと言えば大半は落ち葉とか、せいぜい破れたノートとか壊れたボールペンくらいのものだ。それにしては今日のゴミは何だか、人でも入っているかのようにずっしりと腕にくる重さで……僕は数歩進んだだけで地面に袋を落としてしまった。
『あいたっ!』
「…………!」
突然、ゴミ袋の中から悲鳴が聞こえてきて、僕は目を丸くした。袋が勝手に震えだし、落とした拍子に解けた結び目から例の幽霊の顔が飛び出してきた。
「いたた……」
「……汚っ」
「きた……!? な、ななな何てこと言うんですか!?」
髪の毛にいっぱいゴミを絡めた少女を見て、僕は思わずそう呟いた。
袋から顔だけ出して、雪だるまみたいになった少女が顔を藤色に染めて慌て出した。僕は横にいた上条を見上げた。彼は黙ったまま、無表情で目の前のポルターガイスト現象を眺めている。僕はため息交じりに白装束の幽霊に向き直った。
「またか……。何なんだアンタは、一体」
「ええっと……その……。えへへ……」
「出なさい」
「驚いてくれました?」
「いいから、出なさい。汚いから」
「はい……」
少女はしょんぼりと、だけど身を捩って強引に袋から出ようとするものだから、辺りには集めたゴミが瞬く間に散乱した。こんな時こそすり抜ける体質を使えばいいのに、と僕は思った。
「おい君達」
「!」
その時だった。怒気を孕んだ鋭い声に、空気がピンと張りつめた気がした。突然後ろから声をかけられ、僕は驚いて振り返った。
そこにいたのは、顔は見たことあるが名前までは知らない、ひょろ長の眼鏡をかけた男子生徒だった。男子生徒は肩を怒らせてこちらに歩いてきた。
「坂本生徒会長」
上条がポツリと呟いた。
僕はもう一度驚いて二人の顔を見比べた。そう言えば上条は、生徒会役員だったような気がする。それにしても、この気難しそうなわし鼻の男が、生徒会長だったのか。もし今日彼に出会わなければ、僕はこの学校の生徒会長が誰かも知らずに卒業していたことだろう。
どうやら彼は、清掃の時間に生徒がサボってないか見回りに来たらしい。わし鼻生徒会長は僕の足元に散らばったゴミを指差して、ヒステリックに金切り声を上げた。
「君、遊んでる場合じゃないだろう。今は清掃の時間だろ」
「すみません……」
「聞いたよ、君。斎藤先生の授業を飛び出したんだって?」
生徒会長と呼ばれた男子生徒はそう言って目を鋭く光らせた。
「…………」
「全く、学業に専念すべき身が何をやってるんだ。日頃からもっと身を引き締めて、真面目にやってくれ給えよ」
「すみません。別に、遊んでるわけじゃ……」
僕は相手が生徒会長だったので、勿論真面目な顔をしようと試みた。だけど、現実に「やってくれ給えよ」なんて言葉遣いをされたのがツボに入ってしまい、何だか酷く苦しそうな表情になってしまった。
「……ない、ですよ」
「一体どこが真面目にやってるって言うんだね? 私には、さっきからゴミを散らかして遊んでるようにしか見えないが!」
わし鼻はそれが気に食わなかったようで、さらに僕に食ってかかった。
僕は内心ため息をついた。
この男、いきなりやってきてちょっと言いがかりが過ぎると言うか、神経質になり過ぎなんじゃないか。確かにゴミをぶち撒けてしまったのは僕が……と言うよりは幽霊が……悪い。だけどゴミ袋を落としてしまった生徒がいるなら、怒るんじゃなくて一緒に拾って上げるのが生徒会長として正しい在り方なんじゃないだろうか。僕がムッとなって反論しようとすると、横から上条が割って入って深々と頭を下げた。
「すいません」
「おお、上条君」
途端に眼鏡のわし鼻の声のトーンが変わった。僕は内心唾を吐いた。
「君と言う人がついていながら……こう言った輩には、ちゃんと指導してくれ給えよ」
「はい」
「君には期待しているから敢えて言うが、交尾む相手は選んだ方がいいと思うがね」
「はい」
それから生徒会長は「君みたいな生徒がいるから我が校が……」みたいなことを言って去って行った。彼の背中が見えなくなるのを待ってから、僕はまだ丁寧に頭を下げている上条に尋ねた。
「何だい、ありゃ」
「ああ……気にすんな」
「あんな奴、まだ現代に生き残ってるんだな」
「あれはあれで、気遣ってくれてるつもりなんだ」
上条はさらにもう一度「気にすんな」と言って肩をすくめた。僕も肩をすくめた。
何だか珍しいものを見れたって感じだ。せっかくの束の間のリフレッシュの場だったのに、何だか重苦しい雰囲気になってしまった。西陽はすっかり沈んでしまっていた。足元に散らばったゴミを見渡して、僕は小さくため息を漏らした。
「あのう……すいません、私のせいで……」
すると、上条の背後から申し訳なさそうに三角巾の少女が顔を覗かせた。僕は首をかしげた。
「まだいたのか……。あれ? もう五分くらい経ってない? 一分間じゃなかったの?」
「すいません、私のせいで怒られてるんじゃないかと思って、申し訳なくて時間オーバーしちゃいました……」
「何だそりゃ」
あまりにゆるゆるな「縛り」に、僕は思わず吹き出してしまった。
幽霊もちょっと泣き出しそうな笑顔を浮かべて微笑んだ。僕はゴミを掻き集めながら、悟られないように幽霊少女をそっと横目見た。
何をやったって、いややらなくたって、文句を言う奴は言うし横にいてくれる奴は横にいてくれる。恐らくそう言うことなんだろう。
それから僕等は”三人”で散らばったゴミをもう一度集め、改めてゴミ捨て場へと向かった。