タコさんウインナー
四限目が終わると、ようやく重苦しい雰囲気の授業から解放される。
昼休みのチャイムが鳴る瞬間を、僕は大体十五分くらい前から時計をチラチラ見つつ数えていた。
かくしてチャイムが鳴った。
「行くぞ」
「おう」
その瞬間、それまでの鬱々とした静けさが嘘のように、教室の中が一斉に騒がしくなる。
僕は後ろから上条に声をかけられ、弾かれるように机から立ち上がった。今日の一大イベント。最早これだけが楽しみで生きていると言っても過言ではない。いや過言だが、とにかく待ち焦がれていた昼ご飯の時間が幕を開ける。
心地良い開放感とともに、爽やかな一陣の風が僕の頭の中を吹き抜けていく。終業のチャイムが合図になって、授業の内容が一気に流れ去ったような、そんな気分だった。朝からあれほど時間をかけて黒板を書き写したり先生の話を聞いていたのに、今頭に残っているのは「今日の昼ご飯は何だろう?」と言う疑問だけだ。
何時代にどんな事件が起きたとか、素因数分解の定理とか、そんなことは最早どうでもいい。それよりも問題は今日のおかずは唐揚げなのか、それともフィッシュフライなのかと言うことだ。それだけで僕の授業の後半のモチベーションはかなり違ってくる。
カバンから青い巾着袋と水筒を取り出し、二人して中庭の横の階段に走る。最近じゃ階段の踊り場で座り込んで昼ご飯を取るのが僕等のマイブームだった。まあ何でブームなのかと言われると、ただ単に「教室じゃ生徒の声がうるさ過ぎる」とか、「コンクリートが座ると冷たくて気持ちいい」とか、そんなしょうもない理由だった。
「いただきます」
「いただきまーす」
行儀のいい上条は、わざわざ食べる前手を合わせて「いただきます」と宣言する。僕も上条に釣られて思わず「いただきます」と言ったが、あまり心がこもっていないので、間延びした感じの変な声になってしまった。ようやく昼ご飯にありつける。僕は勢いよく弁当箱を開けた。
「うわっ!?」
「!?」
だけどその途端、僕は大きな声を上げてひっくり返りそうになった。僕の声に、上条が少し眉を吊り上げ目を丸くした。
「やった! 驚いてくれた!」
「…………!」
やがて聞き覚えのある声が、弁当箱の中から聞こえてきた。よくよく覗き見ると、おかずとおかずの間に挟まって、例の幽霊少女が弁当箱の中に小さな姿になって横たわっていた。僕はびっくりして、せっかくの唐揚げを放り出しそうになった。胸を押さえながら、小人みたいになった幽霊を僕は改めて眺めた。
「その姿……。アンタ、小さくなれたのか……」
「すごいでしょう? えへへ……」
タコさんウインナーの横に並び得意げに照れ笑いする幽霊を、僕は指で摘み上げた。
「……ちゃんと服洗ったんだろうな?」
「大丈夫です。私幽霊だから、食べ物にはバイキンとかついてませんっ」
何が大丈夫なのか理屈は良く分からないが、どうやら衛生面に理解のある幽霊で助かった。これでもしおかずの中のタコさんウインナーがダメになっていたら、たとえ幽霊とて命はないところだった。僕は空中で捉えられジタバタしていた幽霊を放してあげた。半透明なことを除けば、まるでハムスターか何かのようだ。僕は幽霊に説教を始めた。
「ちゃんと空気読んでくれないか? いくら幽霊でも、食事とか寝る時間はダメだよ。人ってお腹が空いてる時と眠れない時は、イライラしてるもんなんだから」
「そうなんですか?」
「そうだよ。大体、四時四十四分って約束だったじゃないか。上条、今何時?」
「一時二十五分」
上条が頰に菓子パンを詰め込みながら冷静に答えた。この状況でも動じない上条は流石である。
「一時だって。聞いたか? まだ全然予定の時間じゃないじゃないか」
「でも時田さん、時間指定だったら怖くないって、こないだ言ってましたよね? だから……」
「確かに言ってたけど……ちゃんと守る幽霊があるか。真面目かアンタは」
「?」
真面目な幽霊は弁当箱の中で身を縮こまらせ、顔を曇らせた。
「ごめんなさい私……実は朝からお腹が空いてて、気がついたらこの弁当箱の中に吸い寄せられていたんです。それで、えーっと……この人……」
そう言って彼女は弁当箱の中のウインナーを指差した。
「タコさんウインナー?」
「そう! タコさんウインナーっていい匂いで静かだし、冷たくて抱き心地いいなーって……ああっ」
彼女が話し終わる前に、僕は”一分”を待たずして弁当の蓋を閉めた。何故幽霊がお腹がすくんだとか、だったらびっくりさせる気なかったんじゃんとか、そんなことはどうでもいい。と言うか、そんなにタコさんウインナーが好きなのか……。僕が黙っていると、上条がパックジュースを吸いながら冷静な顔をして尋ねた。
「どうした? 食べないのか?」
「……食べるよ。一分後にな」
「そうか……ところで、誰と喋ってたんだ?」
「……タコさんウインナーに取り憑いた幽霊と」
「そうか……」
ズズッ、と音を立てて、上条がグレープフルーツを飲み込んだ。
そして約一分後。僕は改めて弁当箱の蓋を開け、昼ご飯を食べ始めた。小さくなった幽霊は姿を消し、もう見えなくなっていた。予想外の奇襲にあったが、今日のおかずは唐揚げだったので、何とか後半の授業も乗り切れそうだ。
「結局残すのか? ウインナー」
しばらくすると上条が僕の弁当箱を覗き込んで、不思議そうな顔を浮かべた。僕は唐揚げをほう張りながら、白い雲がゆったりと流れる青空を見上げた。
「ああ……お腹いっぱいになったからな」
「本当か?」
「何だよ?」
上条が何か言いたげに僕をじっと見つめてきた。
「その、”お前にしか見えない幽霊”に上げるためだろ?」
「ちげえよ。何だよそれ。全然ちげー」
「照れなくていい」
「照れてねーし」
僕は上条から目をそらし、無理やり唐揚げの塊を飲み込むと急いで弁当箱の蓋を閉めた。