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一分間彼女  作者: てこ/ひかり
俺の章
20/30

玄関先にて

「悠希ちゃん、忘れ物はない? ちゃんと水筒は持った?」


 出発の朝、梢枝姉さんは「鞄に白装束は入れた?」とか「くれぐれも見られないようにね」とか、やたらと俺の事を心配した。前日の夜は、食卓と仏壇にはいつもより豪華なおかずとお供え物がずらりと並んでいたし、よほど気にかけてくれてるのだろう。あの豪快な姉さんが、まるで母親のように身支度を整えてくれているのが俺にはちょっとくすぐったかった。


「お父さんお母さんによろしくね」

「はいはい……俺ん家帰ったら、ね」

「また”俺”って言った。”私”の方が可愛いよ」

「かわ……!?」


 姉さんは、終いには俺のシャツのボタンまでとめ始めた。目と鼻の先にいる姉さんの吐息が顔にかかって、俺は思わず頬を藤色に染め、照れ隠しに目をそらした。


 結局俺は、一度実家に帰ることにした。

 これから姉さんの田舎でお世話になるにしても、やはり一度、ちゃんと”挨拶”をした方がいいだろうと思ったのだ。もちろん両親にもだが、学校の先生や、友達も喧嘩友達も含めて、色んな意味で。


「またいつでも帰ってきなさいよ。こっちは労働力なら、いつだって足りてないんだから」

「うん……」


 別れを惜しむ姉さんの言葉に、俺は小さく頷いた。本当はもし親の許可が取れたら、すぐにでも此処に戻ってくるつもりだった。


 此処には何もない……若者が屯ろする活発的な遊び場も、ネットで話題のデートスポットも、年中新着コーデが並ぶオシャレなお店も。あるのは田んぼ、田んぼ、それから田んぼくらいだ。此処にいたら、そのうち俺の目の色は田んぼの色になってしまうだろう。でも、此処に戻ってくるつもりだった。何処に何があるかとか、何がしたいかとかよりも、姉さんのそばにもっといたいと思ったのだ。


 別れ際、身だしなみを整えていた姉さんが俺の頭に無理やりリボンをつけて、ソワソワと位置を気にしだした。帰りの鈍行に乗ったら毟り取ってやろうと思いながらも、俺はそこでは黙ってされるがままになった。


 幽霊なのに何故身だしなみに気を使わなくちゃならないんだと不思議に思ったが、姉さん曰く、「まだまだ悠希ちゃんが未熟すぎて、ちょっとでも霊感のある人には見られちゃうから」らしい。「だって、すっぴんで髪ボサボサの幽霊がお腹丸出しで公園で寝てたとか、変な笑い話になったらこっちが恥ずかしいじゃない」とのことだ。幽霊としては怖がらせるのが目的なんだから、どっちかと言うとそっちの方が正解な気もするが、それを「ただの笑い話」で済ませるんだから、やはり田舎は恐ろしいところだ。

 姉さんが背筋をピンと伸ばし、幽霊の俺の顔を覗き込んで言った。

 

「いいこと? あんまり夜更かししすぎちゃダメよ」

「う、うん……」

「信号無視とか、風邪にも気をつけなさいよ。危ないからね」

「うん……」

「それから……」

「…………」

「…………」

 

 姉さんは言葉を途切らせて、霊体であるはずの俺をそっと抱きしめて包み込んだ。


「元気でね……」

「…………」


 姉さんの腕の中で、俺は今まで生きてきたどんな時よりも温もりを感じた。こんなあったかい事をされると、もっともっと生きていたかったと思えてくるから、やめて欲しかった。


「姉さん……」

「…………」

「その……」

「…………」

「……ありがと」


 俺は姉さんの胸に顔を埋め、どうにか嗄れた声を絞り出しそれだけポツリと呟いた。本当はもっと感謝を込めて、感情を込めてドラマみたいに劇的に、気持ちを伝えられたら良かったのだけれど、俺にできるのはそれが精一杯だった。声が小さかったから、ちゃんと伝わったかどうかも分からない。姉さんは黙って俺をぎゅっと抱きしめるだけだった。姉さんの向こう側の玄関では、俺のことが見えているのかいないのか、ばあちゃんが黙って俺達の方を見ていた。


 それから俺は約一ヶ月お世話になったばあちゃん家に手を振り、無人駅からビルの立ち並ぶ都会の地元へと帰った。


 その数ヶ月後、予てから決めていた通り、幽霊になった俺は各方面に”挨拶”を済ませ、また姉さんの元へと戻ることになる。それから俺は花嫁修行ならぬ”幽霊修行”と称して、田植えとか稲刈りとか育苗とかをさせられるのだが、それはまた別の話である。それから、俺自身の達ての願いもあって、俺の骨はそのまま姉さんのとこ……例の鳥居の近くの納骨堂に埋められた。苗字も”悠希”から”片桐”になって、奇しくも姉さんと同性同名”片桐梢枝”になった。そして数十年後、幽霊としての”いろは”を姉さんに叩き込まれた俺……いや私は、時田健介とかいう何とも無気力な高校生と出会うことになるのだが……それもまた、別の話である。



《第三部に続く》

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