吉村さん家にて
「お邪魔しまぁす……!」
そう言ってガラガラと玄関を横に開け、俺は中の様子を伺った。吉村夫妻は、どうやらまだ留守のようだ。誰もいない吉村さん宅に、俺はスマホ片手に上がり込んだ。
ワイファイを飛ばしているのは、この付近じゃばあちゃん家から三軒隣の吉村さん家だけだった。農作業からお休みをもらった今日、久しぶりに下らない動画でも見てだらだらしようと思って、ここまで来たのだった。見ず知らずの他人の家でくつろぐと言うのは、初めは気が引けたが、二人とも気さくな人で何回か一緒に仕事を手伝ってるうちにすっかり仲良くなってしまった。
帰りに畑に寄って野菜を分けてもらおうか。
今ではそんな事を自然に考えていたりして、こっちでの暮らしに慣れて来た自分に、自分でもちょっと驚いた。
「あっ。お姉ちゃん!」
「よっ」
リビングに顔を出すと、テレビを見ていたおさげの少女がぱっと顔を上げてこちらを見た。吉村さん夫妻には四歳と六歳になる兄妹がいて、俺は何故か妹の菜月の方に懐かれてしまった。
「悪ィけど、ちょっとお邪魔するぜ」
「”わりいいけど、チョットおじゃまするぜ”。いいよ」
菜月は赤いカーペットの上に寝っ転がったまま、俺の口調を真似て笑った。俺はソファに座り込むと、早速ワイファイを繋ぎ滞っていたアプリのアップデートを始めた。最近アプデを怠っていたから、更新が必要なアプリの数は悠に四十は超えていた。
「ねえ。遊ぼうよ」
「ちょっと待て」
俺は膝にのしかかってくる菜月を制しながら、ぼんやりとテレビか流れるワイドショーを眺めた。番組では、夏休みにおすすめの日帰り観光スポットを紹介しているところだった。
「…………」
そういえば……。
学校に行かなくなってから、もう三週間が経った。正直、実感など湧くはずもなく……予想の何百倍かくらい、農作業が忙しかったのが原因だ……あっという間に、実家に戻る日が迫っていた。
ここに来た当初は、早く戻りたいとずっと思っていた。
何てったってここにはいつもスマホ画面から覗いていたような、今時の高度な文明が全くない。それどころか一昔前のゲーセンも、ボウリング場すらない。カラオケも映画館も、ましてやオシャレな服屋やアクセサリーショップなんてある訳がない。その代わりスタンプラリーはある。
だけど……。
案外、時間の流れがゆったりとしていて、それでいて体を使ってやることが山積みのココの方が、今の俺には必要な場所だったのかもしれない。その証拠に、今はあまり、実家に戻りたいと思えなかった。それどころか、梢枝姉さんや、ばあちゃん、それに吉村家の人々とだって、お別れするのが寂しいと思うほどだった。
「お姉ちゃんてば」
「分かったよ……」
菜月に裾を引っ張られ、俺は現実に引き戻された。俺は無邪気に笑う四歳児を見つめた。後一週間で帰らなきゃならないと言ったら、この子はどんな顔をするだろうか? 泣いてくれるだろうか? それとも……。
「……何して遊ぶ? そうだ、兄ちゃんも呼んで、皆でこないだ言ってたホラー映画でも見るか。井戸から幽霊が出てくるやつ」
「んー……」
菜月は小首をかしげた。
「でも兄ちゃんは、見れないから……」
「? そうか……」
「ゲームしよ! ゲーム!」
そう言って彼女は嬉しそうにテレビの下まで走っていって、据え置きゲームの電源を入れた。俺は苦笑した。結局都会だろうが田舎だろうが、子供が興味を持つものって大体一緒みたいだ。それから俺は菜月と二人で小一時間テレビの前に噛り付き、吉村さん家を出たのは夕方六時近くになっていた。
「お姉ちゃん。じゃあね」
「待たな」
「”またな”。へへ」
帰る時、玄関先まで菜月が見送ってくれた。
四歳児の、その屈託のない笑顔が眩しくて、俺は思わず目を細めた。今度会う時は菜月は小学生で、俺はもしかしたらもう働いてるかもしれない。そしたら、お土産を買って来てやろう。どんな顔をするだろうか? ちょっと楽しみになりながら、俺はばあちゃん家へと戻っていった。
□□□
「ただいま〜……」
疲れた顔で門をくぐると、農作業を終えたばあちゃんが縁側に一人座ってお茶を飲んでいるのが見えた。俺の声が聞こえているのかいないのか、ばあちゃんはじっと中庭の池を見つめたままだ。ばあちゃんは大体こんな調子で、孫の俺のことを大概ガン無視してくるが、まあボケが始まってると言う噂もあるししょうがないのだろう。俺は軽くため息をついて家の中に入った。
梢枝姉さんはまだ帰ってないようだ。夕飯の用意もまだだったので、そのまま電気の消えた食卓をぶらぶら通り過ぎて、何となく仏間に入った。襖を開けると、天井に並んだ遺影が相変わらずの表情で俺を見下ろしていた。最初はビクビクと驚いていた俺も、三週間もすれば全然気にしなくなっていた。人間、慣れるものである。あれほど不気味だったこの部屋とも、もう一週間もすればお別れだ。そう考えると、ちょっと名残惜しい気がした。
「…………」
それから俺は、仏壇の前に敷かれていた座布団に何となしに座ってみた。十五センチくらいのフィギュアみたいな仏像が、ちょうど座布団から見上げるくらいの高さに置かれている。それからお供え物の果物や、蝋燭、線香……見慣れない仏間グッズをぼんやり眺めているうちに、俺はあるものに気がついた。
「ん……?」
それは、一枚の写真だった。
天井付近に飾られている、遺影達。
その一番右端に掲げてある、一枚の少女の写真……。
俺は思わず腰を上げ、その写真に近づいて目を凝らした。
「…………」
その顔には、見覚えがあった。
俺は写真に釘付けになり、思わず息を詰まらせた。
どうしようもなく、心臓の鼓動が胸の中で跳ね上がるのを感じた。
「…………!!」
俺は持っていたスマホを畳に落とした。
その遺影に写っていたのは、他でもない、俺自身の顔写真だったのだ。




