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一分間彼女  作者: てこ/ひかり
俺の章
16/30

境内にて

「うわっ!?」


 早朝。

 起きたばっかりのぼやけた頭のまま、うっすらと瞼を開けると、真っ先に目に飛び込んで来たのは巨大な昆虫だった。両手に備え付けられた二本の刃……蟷螂(かまきり)だ。何処から部屋に入って来たのか知らないが、蟷螂は虫除け用の蚊帳(かや)の天井に止まって、その昆虫顔で俺をじっと見つめていた。


「……こんにゃろ!」


 俺は虫かごみたいな蚊帳からゴソゴソと這い出て、部屋の片隅に転がっていたハエたたきを振り回した。おかげで天井から釣り下がっていた蚊帳は崩れ、掃除の行き届いていないおもちゃ箱みたいなじいちゃんの部屋には大量の埃が舞い上がった。そのうちに蟷螂は何処かへ姿を消した。


「何やってんの……。朝ご飯、出来たわよ」

「……はァい」


 いつの間にか部屋の入り口に立っていた姉さんが、呆れた顔で俺を眺めていた。寝癖だらけの頭で、パジャマ姿のまま瞼を擦り、とぼとぼと姉さんの後ろに付いて食卓へと向かった。


 今日の朝ご飯は、白米に味噌汁、それに目玉焼きとタコさんウインナーだ。最近何故か、姉さんはやたらとタコさんウインナーに凝っている。普段は竹を割ったようなサバサバした性格だが、意外と可愛いものが好きなのだろうか。目の前の席で頰を膨らませる姉さんをじっと見つめて、俺は一人ニヤニヤ笑いを噛み締めた。


「何よ?」

「別に……」

 姉さんが怪訝な顔をして小首を傾げた。俺は目玉焼きを白米の上に乗せて黄身を崩した。


 ……そういえば、姉さんには彼氏とかいるのだろうか?


 いつもは長靴と麦わら帽子を被って泥に塗れている姿しか見ていないが……同性の自分から見ても、姉さんは顔もスタイルも悪くないし、彼氏の一人や二人いてもおかしくはないだろう。


「早く食べないと、お味噌汁冷めちゃうわよ」

「……はァい」


 ……もしかして。

 毎日姉さんが四時半頃になると姿を見せなくなるのは、デートに行ってるのかもしれない。

 俺はピンと思い当たる節があって、味噌汁を啜りながら一人頷いた。姉さんはますます怪訝そうな顔をした。


「悠希ちゃん。私今日用事があるから、悪いけどこの本図書館に返して来てくれない?」

「うん、うん」

「何よ。……ニヤニヤして、気持ち悪いわね」

「そうだよね……うん」

「……??」


 俺は勝手に納得して独り言ち、姉さんから『生物学入門』の本を受け取った。


 ……偶然を装って、こっそり例の神社の近くを通りかかってみようか。

「よし」

「何が”よし”なのよ?」

 姉さんが四時四十四分頃、一体何をやってるのか俄然興味が湧いて来て、俺は午前中の農作業に気合をいれるのだった。


□□□


「ばあちゃーん!! ちょっと、飲み物買ってくっから!!」


 夕方。

 遠く離れた木陰で、水筒のお茶を啜っているばあちゃんにそう叫ぶと、俺は返事を待たずして鍬を放り投げた。それから汗を滲ませ、息を乱しながら山へと続く坂道を走る。時刻は、三時五十八分。もちろん飲み物を買ってくるなんて嘘だ。姉さんが例の神社にやってくる前に、先回りしておこうと思ったのだ。


 目的の神社は、ばあちゃん家までの帰り道の途中にあった。

 神社へ向かう階段周辺は雑草が生い茂っており、パッと通り過ぎただけでは気づかないくらい自然に隠されていた。だが、周りには見通しのいい道路とガードレールしかなく、人に見つからないような隠れ場所は見当たらなかった。仕方なく、俺は神社へと続く古びた石畳の階段を登って行った。


 階段の一番上にはこれまた古い、赤い塗装の所々剥げ落ちた鳥居が立っていた。それを潜り中に足を踏み入れると、境内は辺り一面木々に覆われていた。景色の見えない狭く密閉された空間は、何となく小学生達が秘密基地にしてそうな、妖しげで良さげな雰囲気だ。


「…………」

 緑に囲まれた小さな青い空をぼんやりと見上げていると、社の上に止まっていたカラスが大きく羽を広げて何処かに飛んで行った。神社はそれほど大きくなく、周りには手を洗う手水舎と小さな賽銭箱があるくらいの質素な造りだった。およそ人が頻繁に利用しているようには見えなかったが、なるほど人知れず”内緒の密会”を開くには、もってこいの場所に違いなかった。


 俺は辺りをキョロキョロと伺って、何処か隠れる場所を探した。軒下も考えたが、結局参道を少し外れた草むらの中、大きな杉の幹の裏に身を潜めた。此処なら気づかれにくいし、隠れながら神社の様子が一目で分かる。俺は腕時計を覗き込んだ。四時二十七分。予定通りならもうすぐ、姉さんがこの神社にやってくる時間だった。


「……!」

 すると、案の定それから数分後、姉さんが石畳の階段から姿を現した。

 俺は自然と高鳴る胸を押さえ息を潜めた。木陰から覗き見る姉さんは家や田んぼにいる時と変わらない様子だったが、その表情には普段自分には見せない真剣な眼差しを浮かべていた。その顔を見て、何だかいけないことをしている気分になって、俺は急に罪悪感と緊張感がこみ上げて来た。


「……?」

 俺が息を潜めて見つめていると、姉さんは何やら脇に抱えていた鞄から白い衣装を取り出した。あれは……ばあちゃん家の仏間に飾られていた白装束だ。姉さんはその浴衣に袖を通すと、手水舎で手を洗い、賽銭箱の前に立ち……静かに目を閉じ、そっと両手を合わせた。


「!!」


 次の瞬間、俺は目を見開いた。



 姉さんは……泣いていた。



 あの男勝りの姉さんが、その美しいまつ毛を濡らし、一筋の透明な粒を静かに頬に伝わせていた。

 あの勝気な姉さんの、普段の生活は決して見せないその憂いを帯びた表情に、俺はしばらく目が離せなかった……。

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