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一分間彼女  作者: てこ/ひかり
俺の章
15/30

食卓にて

「いただきまぁす……」


 夕飯が並ぶ食卓に、俺の声がポツリと転がった。梢枝姉さんは、今夜は公民館で話し合いがあるとか何とかで、テーブルには俺とばあちゃんの二人だけが座っていた。

「…………」

「…………」

 チカチカと弱った電球が、テーブルの上の沢庵や魚の煮付けを点滅しながら照らし出した。窓の外はもう真っ暗だ。明かりの行き届いていない部屋の隅っこには、まるでお化け屋敷みたいに薄暗い影が出来上がっていた。

「…………」

「…………」


 ……会話が弾まない。

 ばあちゃんとは、初日からずっとこんな感じだった。楽しい家族団欒のひと時だというのに、何だか自分が悪いことでもしたみたいだ。無駄に明るく大声な梢枝姉さんの重要性を、改めて思い知らされる。齧った煮付けも、どことなく味がしなかった。沈黙の重さに潰されそうになりながら、そっと目の前の席を盗み見た。


 ばあちゃんはさっきから、黙ったまま箸を静かに動かしていた。空いているのかいないのか分からない目は、俺の方をちっとも見ようとしない。何となく、昔見たホラー映画に出てくる幽霊を思い出して、俺は人知れず背筋を震わせた。


「あの……」

 

 沈黙に耐えきれず、俺は喉の奥から声を絞り出した。


「この煮付け、美味いっスね……」

「…………」

「……あ、あとこの沢庵。自分で漬けたんスか?」

「…………」

「いやァ〜初めて食べましたよ、こんな食べ物あるんだっツーか……」

「…………」

「味が? 染みてるっつーの? 何ていうか……」

「…………」

「…………」


 ……このババア、背中ごとへし折ってやろうか。

 淀んだ空気の漂う薄暗い食卓に、俺の畏まった言葉が虚しく響き渡る。その間、ばあちゃんは黙って箸を動かし続けた。俺のこと、ちゃんと見えてるのか? それとも耳が遠いのか? ”妖怪返事しないババア”に、俺はもうムキになって、さらに大きな声を出して話し続けた。


「それにしても、毎日大変っすね、”田舎”は……」

 ”田舎”の部分を強調して、少し大げさに言い放つ。

「地下鉄もないし? バスは一時間に一本あるかないかだし? これじゃ、どこにも行けないッスね。昨日だって……」

「…………」

「昨日だってバ……ばあちゃん、雨の中梢枝姉さんと二人で夜通し田んぼ見に行ってたでしょ? いや〜真似できないわ〜」

「…………」

「俺も少しは体力あるつもりだったけど、やっぱ全然無理っスわ……。ほら俺学校じゃ……」


 ……同級生と殴り合いになって、停学になった。


 その言葉が上手く出てこなくて、そこで俺は唾を飲み込んだ。

 ”忘れよう”と思っていたことを不意に思い出してしまい、急に胸が締め付けられたような気がした。目を落として、治りかけの手の甲の傷をじっと見つめる。喧嘩には自信があった。気絶するまで殴り合って、病院で目が覚めたことだって何度でもある。

 でもそんなこと、決して褒められることでも、自慢することでもないと分かっていた。

「俺……」

「…………」

「…………」

 頭の上で電球がチカチカなって、食卓はさらに暗くなってしまった。

「!」

 すると、いつの間にか今まで黙っていたばあちゃんが顔を上げ、細い目でじっと俺を見つめていた。”妖怪”に見つめられ、俺は思わず固まった。

「…………!」

 そのまま固まっていると、ばあちゃんは黙って食器を片付け、洗面所に歯を磨きによろよろと歩いていった。

「……! いや何も言わんのかい……!」


 一人取り残された俺が立ち上がろうとすると、ばあちゃんが洗面所を隔てた暖簾から、にゅっと顔を突き出してきた。

「!!」

「来んしゃい」

「……!?」


 ばあちゃんはそう言って俺を手招きして、電気もつけずに廊下をヒタヒタと歩いていった。

「…………」

 ばあちゃんが目指していたのは、仏間だった。おっかなびっくり後ろを付いて来た俺を振り返ることもなく、ばあちゃんは襖を開け中へと入って行った。

「……?」

 仏間は、初めて見た時と同じように天井付近に遺影が並び、同じようにお香の匂いが炊かれていた。この間と違うことと言えば、壁に白装束の着物がかかっていないくらいだった。


 ばあちゃんは何も言わず、紫の座布団を仏壇の前に二つ敷き、それから手を合わせて仏像に向かい合った。

「…………」


 ……これは、俺も横に座れと言うことだろうか?

 生憎俺は無宗教だし、神様や仏様といったものを信じちゃいない。宗教を信じて救われている人もいるだろうからそれは否定はしないが、だからって他人にまで押し付けてくるのは”かったるい”の一言だ。俺も一応女ではあったが、同級生の女の子に比べるとオカルトや占いなんてさっぱりだったし、そもそも”幽霊なんている訳ない”派だった。


 とは言え用意された座布団を無下にするわけにもいかず、俺は渋々ばあちゃんの隣に座ってむにゃむにゃ言うことにした。正座なんて何年振りだろう。横に座った俺をちらりと見て、ばあちゃんは仏壇の前に置いてあった大きな数珠を俺に手渡してくれた。渡す時に握られた手が、思いの外あったかくて、俺はびっくりして顔を上げた。


「……アンタが無事ならそれでええ」

「!」


 気がつくと、ばあちゃんの目には薄っすらと光るものが浮かんでいた。ばあちゃんはそれだけ言うと、後は何も聞かず何も語らず、ひたすら仏壇に向かって拝み始めた。

「…………」


 それから俺はしばらくして、足が痺れてしまい黙って座布団を立った。ばあちゃんは俺を横目見ることもなく、手を合わせ続けていた。


 ……俺には良く分からないが、きっとばあちゃんにとっては、仏壇に拝むことはそれだけ大切なことなんだろう。よろよろと畳の上を歩き、襖を開ける前、俺はそっと仏間を振り返った。背筋のピンと伸びたばあちゃんの背中が、何だかちょっとだけ頼もしく見えた。


□□□


「たっだいまァ〜! いやぁゴメンゴメン、遅くなっちゃった! ゴミ拾い手伝わされちゃってね。真面目な生徒会長の息子さんが……あれ? どうしたの?」

「いや別に……」


 風呂から上がって体を拭いていると、公民館の集いから帰って来た姉さんが大量の野菜や果物を手に帰って来た。どうやら他所の家からおすそ分けしてもらったらしい。実家にいた頃は、他所の家の人と会話することさえ滅多になかったのに……ここに来てから一週間以上が経つが、毎日そんな感じだったのでもう驚かなくなってしまった。


「悠希ちゃん、なんかちょっと嬉しそうじゃない? いいことでもあったの?」

「……何でもないって」

「フゥン……?」

 

 姉さんは首を傾げながらも、鼻歌を歌いながら大量のビニール袋を抱えて台所へと入っていった。風呂上がりだからだろう、俺はちょっと顔を火照らせながら、布団に潜り込みその日は朝までぐっすり眠れた。

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