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一分間彼女  作者: てこ/ひかり
俺の章
13/30

仏間にて

「着いたわ。ここよ」


 しばらく道なりに進んで、俺はやっと婆ちゃん家の前まで辿り着いた。俺はようやくトラクターから解放され、自然の空気を肺いっぱいに取り込みながら、古びたその家屋を見上げた。ところどころ瓦の禿げた屋根に、全力で体当たりしたら折れそうな柱。なるほど、想像を裏切らない程度に”田舎の家”って感じだ。


「お化け屋敷かよ……」

「失礼ね。私のお母さん……つまり貴方のお婆ちゃんは、もう六十年以上ここに住んでるのよ」

「お化け屋敷かよ……」


 縁側の先の、”緑色を超えた何か”に濁った池を見つめながら、俺は改めて呟いた。およそ生き物なんて住めなさそうな色の池から、これまた見たこともない色の蛙がひょっこり顔を出して藪の中へと消えて行った。

「…………!」

この近辺では、これが当たり前なのかもしれない。だけど生まれてこの方ずっと都会暮らしの俺にとっては、何とも異質な感じだった。姉さんに引きつられ、俺はおっかなびっくり、初めてその屋敷に招かれた。


「ただいま〜。お母さん、悠希ちゃん連れて帰って来たわよ!」

「お、邪魔しまァす……」


 梢枝姉さんがガラガラと横開きの玄関を開け、声を張り上げた。俺は身を縮こまらせ姉さんの後を追った。靴を脱ぎ、一歩家の中に足を踏み入れると、想像の二倍くらいの音で床がギシギシ鳴った。


「お母さーん!」


 このままでは床に大きな穴が空いてしまうのでは……という俺の不安をよそに、姉さんはどんどん家の奥へと進んで行った。やがて姉さんは廊下の突き当たりの襖を勢いよく開けた。俺が姉さんの背中越しに部屋の中を覗き込むと、今まで嗅いだこともないような、薬とも花とも取れない強烈な匂いがツンと鼻を刺激した。それがお香の匂いだと気づいたのは、数日後のことだった。


「…………!」


 部屋の中は、匂いと相まってまた異質な空気が漂っていた。

 ささくれ立った畳が敷き詰められたその和室は、障子窓が全て締め切られ、黒々とした木製の天井からは蛍光灯ではなく丸い提灯がぶら下がっていた。薄緑の壁には白い浴衣が掛けられ、天井付近には大勢の顔写真が並べられている。


 その写真は、恐らく遺影なのだろうが……どの顔にも馴染みがなく、それでいて自分の先祖には違いないという……ずらりと飾られたもの言わぬ故人の顔に見つめられ、俺はちょっと背中に冷たいものが走るのを感じた。絶対に夜中にこの部屋に入るのは止めよう、と思った。


 さらに入り口から正面の壁際には奥行きができていて、右側には掛け軸と生け花が、左側には二メートル程度の大きな仏壇が備え付けられていた。仏壇に飾られた、金色に輝く仏像の下に……今までほとんど会ったこともなかった……俺の婆ちゃんの丸まった背中が見えた。婆ちゃんは仏壇の前に紫色の座布団を敷いて、じっと両手を合わせていた。


「…………」

「お母さん、悠希ちゃん連れてきたから」


 俺が声をかけられずにいると、姉さんがさばさばとした口調で婆ちゃんの背中に声をかけた。婆ちゃんは何も言わず、黙って長い数珠を擦り合わせ続けていた。


「お父さんの部屋が空いてるから、そこで寝泊まりしてもらうね」

「…………」 

「じゃ、夕飯でね」

「…………」 


 姉さんが一人で喋り、その間婆ちゃんは仏壇に手を合わせ振り向きもしなかった。「行きましょう」そう言って姉さんは襖を閉め、廊下を引き返した。俺は慌てて姉さんの後ろをついて歩いた。


 ……何だか、話しかけ辛かったな。


 曲がり角付近で、俺はそっと襖を振り返った。もちろん期待はそれほどしてなかった。だけど、てっきり孫が来たんだから歓迎されるのかと思っていたので、婆ちゃんの様子は拍子抜けだった。


 それから俺は亡くなった爺ちゃんの部屋へと案内された。

 爺ちゃんの部屋は、恐らく生前のままなのだろう、全く片付けられた気配もなかった。何に使うかも分からない工具の山と、作りかけで剥き出しになった釘と木材。ウン十年前の古本で埋め尽くされたその小部屋は、寝室というより”作業場”で、どう見ても人が寝泊まりできる環境ではなかった。


「お化け屋敷かよ……」

 俺は机に突き刺さった錆びかけのノコギリを見つめながら、改めて呟いた。

 姉さんは……恐らく思い出の品であろう……床に転がったピアニカや、壊れたワープロなんかを無理やり押入れに押し込むと、何とか人一人分が横になれるスペースを作り出した。そこに布団を敷き、「はいどうぞ」とでも言いたげな表情で呆然と立ち尽くす俺を振り返った。


「夕飯ができたら呼ぶから。今日は休みなさいな。明日から忙しくなるわよ。スタンプラリーが始まるからね」

「すたんぷらりい?」


 聞きなれない単語に、俺は眉を吊り上げた。すると姉さんも負けじと眉を吊り上げた。

「知らないの? 村のあちこちを回って、チェックポイントに置かれたスタンプを集めて回るのよ」

「いや知ってるよ。知ってるけど……。何が楽しいのそれ……」

「あのね、”楽しむ”のは子供達。私達は”楽しむ”側じゃないの。”楽しませる”側なのよ」

「え? 俺も?」

「当たり前でしょう。ここに来た以上、働いてもらわなくっちゃ」


 姉さんは意気揚々と腰に手を当てた。俺はくたびれた感満載で傍に荷物を降ろした。


「あの……一応俺”療養”って目的で……。”のんびりして来なさい”って言われて、ここに来たんだけど……」

「”のんびり”?」


 俺の言葉に、姉さんはフフンと鼻を鳴らした。

 

「バカ言ってんじゃないわよ。農家の朝は早いんだから。明日は、五時起きだからね」

「えええええ……」


 姉さんは俺が何か口答えする前に、さっさと台所へと行ってしまった。仕方なく、来ていた服を脱ぎ捨てて部屋着になって布団に寝っ転がる。初めて見上げる木の天井には、見たこともない不気味な目のような模様が浮かび上がっていた。


 何だか、想像とは大分違う”スローライフ”になりそうだ。これから一ヶ月のことを考えて、俺は思わずため息を漏らしていた。

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