鳥居にて
「狭い……!」
「我慢しなさい、このくらい!」
一人分の席しかない農業用トラクターに無理やり押し込められて、俺は複雑怪奇な姿勢を取らされながら、広々とした大地をゆっくりゆっくりと進んでいた。何かの出っ張りに肘が当たって、地味に痛い。向こうに見える山の麓まで、辺り一面緑色に染まった田園風景はさぞかし美しいものに違いないが、生憎それを楽しむ余裕が今の俺にはなかった。
「暑い……! 苦しい……!」
「黙らっしゃい!」
「…………!」
観覧車の中よりも狭苦しい運転席の中に、”姉さん”の怒声が響き渡った。華奢な見た目とは裏腹に、腕まくりをしてトラクターを運転するその振る舞いは、最早漢よりも漢らしかった。
「そんな暑苦しい格好してるからよ、もう……!」
そう言って姉さんは首にかけた白いタオルで汗を拭いながら、俺にも一枚タオルを投げてよこしてくれた。
ここに来る時、知り合いに見られるのが何となく嫌で、俺は帽子にマスク、サングラスをバッチリと決め、ダメージ加工のジーンズにパーカーという、まるでお忍びの芸能人のような格好をしていた。ところが、時折すれ違う町の人々はそのほとんどが麦わら帽子に下着のシャツといった具合で、明らかに逆に浮いてしまっている。若い子がいるところに行けばまた違うのだろうが、生憎今の時間はまだ授業中なのか、長い田んぼ道には農作業中のおっちゃんおばちゃんしかいなかった。
やがてトラクターはあぜ道を抜け、今度は数メートルの高さの大きな杉の木が大量に生えた山道を登り始めた。
「この山の中腹辺りに、おばあちゃん家があるの」
「へ……へえ……」
俺は不安げに首を動かした。コンビニも、信号機すら碌に見当たらない。代わりに”無人”と書かれたプレハブ小屋に、無造作に野菜が置いてあるのが見えた。
「何だあれ。あんなの、盗り放題じゃん」
「バカなこと言わないで。ちゃんとカメラ付いてるわよ」
「そうなんだ……」
トラクターがゆっくりと野菜の無人販売小屋の前を通り過ぎて行く。俺は物珍しくて、急いでポケットからスマホを取り出して写真に収めた。後でインスタに上げようと思った。
「ねえ……一番気になってたんだけど」
山の道沿いにポツンとそびえ建つ瓦屋根の一軒家をぼんやりと眺めながら、俺はずっと気になっていたことを姉さんに尋ねた。
「ここって、Wi-Fiは通じるよね……?」
「ウチにはないわよ」
「ええぇ!?」
姉さんはあっけらかんと答えた。
「三軒隣の吉村さんとこが契約してるらしいから、どうしてもの時は使わせてもらいな。鍵はかかってないから」
「ええええぇ!?」
どこから突っ込んでいいのか分からない。常識外の情報を与えられ、俺は軽く目眩を覚えた。
「あ……ちょっと待ってて」
「?」
すると突然、姉さんが腕時計をちらりと覗き込み、トラクターを止めた。目的地に着いたのかと思って、俺は辺りをキョロキョロと伺った。相変わらず緑一色の風景だったが、木々の間に人一人分通れるくらいの小さな石畳の階段が伸びていて、その上には古びた赤い鳥居が見えた。姉さんは颯爽と運転席から飛び降りると、その階段を登っていった。
「…………」
お参りだろうか?
勝手なイメージだが、田舎の人はそういうの大事にしてそうだ。トラクターのエンジン音が人気のない山道に響き渡る。鳥居の向こう側は、トラクターの運転席からは見えなかった。開け放たれた扉から、嗅ぎ慣れない草の匂いが漂ってくる。俺はスマホの画面を開いた。
四時四十四分。
別に意味はないが、何となくゾロ目だったので覚えていた。俺は暇つぶしにインスタを開き、早速無人野菜販売機の写真をアップロードした。
「お待たせ」
やがて姉さんは一分もしないウチに姿を見せ、トラクターへと戻ってきた。
「何してたの?」
「ちょっとね……」
「?」
再び運転席へと戻った姉さんは、何故か少し洗剤の良い匂いがした。それから姉さんはハンドルを握りしめ、俺は再び無理な姿勢を強要され、トラクターは再び山道を登り始めた。
「そうだ、悠希ちゃん」
「?」
姉さんがパッと顔を輝かせ、バックミラー越しに俺の顔を覗き込んだ。
「料理は得意?」
「!?」
俺は慌てて首を横に振った。料理なんて、得意どころかやり方すら分からない。
「あれ? 向こうではやってなかったの?」
「全然……。コンビニかスーパーに行けば、出来上がったものがあるし……」
「そうね、まずはウインナーをタコさんにするところから始めましょうか」
姉さんはどうやら俺に料理を教える気満々のようだった。
「えええぇ……それも売ってるじゃん。わざわざ作らなくても……」
「何言ってるの。自分で作るのが楽しいんでしょ」
「楽しいかなあ……?」
「あら、料理が嫌なら、別に日曜大工でも井戸の掃除でもいいわよ。ウチに来る以上……しっかり働いてもらうからね。せっかくだから、クローゼットでも作ってもらいましょうか」
「そんなの、余計作ったことねえよ!」
俺の言葉を無視し、姉さんはウキウキとアクセルを踏み込むのだった。




