無人駅にて
地下鉄を乗り継ぎ、さらに鈍行列車に揺られること約二時間。
両脇を鬱蒼と茂る木々で覆われた線路の上を、これでもかと言うくらいのんびりとしたスピードで電車が進んでいく。俺は何をする訳でもなく、手持ち無沙汰に向かいの車窓から見える景色をぼんやりと眺めていた。新緑のカーテンが不意に途切れ、時折広々とした田園風景がガラス越しに顔を覗かせる。だけど、そののどかすぎる景色が、余計に俺を不安にさせた。
今走ってるここは、一体何世紀前の世界なんだろう。
なんせ視界に飛び込んでくる景色は高層ビル一つなく、一キロどころか、軽く五キロ先まで見渡せそうな平野が広がっているばかりだった。右に左に小さく揺られながら、俺は眉をしかめた。
”インターネット”は通じるのか?
”電子マネー”の概念はあるのか?
もし”スマホ”が充電出来なかったら、これから”一ヶ月”、どうやって過ごしていけばいいんだろう?
尽きない悩みに、俺は呻き声を上げた。やがて乗っていた鈍行電車は長旅を終え、特急も停まらないような無人駅へと到着した。
「…………!」
俺は慌てて腰を上げた。整えようという意思すら見えない、伸びきった雑草が生い茂るホームには、俺以外の誰も降りて来やしなかった。改札口には切符を入れる自動改札すらなく、空箱が置いてあるだけ。中を覗くと、使い終わった切符が大量に捨てられていた。辺りに駅員は見当たらない。これじゃ無銭乗車し放題だと思うんだけど、大丈夫なんだろうか?
「おー……!」
改札を出ると、狭い駐車場と自動販売機と、野良犬が俺を待っていた。俺は思わず感嘆の声を上げた。真っ青な空を遮るビルや広告も無く、久しぶりに”パノラマ”な空を見上げたって感じだった。動画や写真では見たことがあったけど、田舎って、こんな感じだったんだと初めて実感した。まず大きな建物がないから開放感が半端ない。改札口を出ても、喧しいアナウンスや通販の広告、ランキング上位の音楽も聞こえてこない。聞こえてくるのは風の音と、遠くで唸る農作業用の乗り物の機械音くらいだった。
予定だと、遠方で、ほとんど会ったこともない田舎のばあちゃんが駅に迎えに来てくれるはずだった。だが駅前には生憎誰も来ていない。母方のばあちゃんは、とうとうボケが始まったなんて噂もあるし、孫が来る時間を間違えているのかも知れない。
「…………」
しょうがないから、しばらくここで待っていようか。吸い込まれそうなほど青い空を、首が痛くなるほど見つめながら、俺はこないだまでの出来事を思い出していた。
一ヶ月の停学処分。
通っていた都内の高校でそれを受け、俺は流されるままに、こうしてほとんど来たこともない田舎のばあちゃん家に預けられることとなった。
……別に、学校に行けないのなんてどうでもいい。むしろ勉強しなくていいからラッキー、くらいに思っている。
それよりも、今までずっと、都会暮らしだったのだ。
こんな地下鉄も自動改札もない、十九世紀で時が止まったかのような田舎町で、果たして一ヶ月も暮らしていけるかどうかの方が不安だった。俺はソワソワと金色に染め上げた髪を撫で、空の眩しさに目を細めた。腕っ節には多少覚えがあるが、言葉の通じない野蛮人と毎日命を奪い合うような、本格的なサバイバルはやったことが無かった。
「こらっ!」
「!」
すると、突然何処からともなく雷声が降って来て、俺は思わずビクッと体を跳ねさせた。
いつの間にか、俺の目の前に巨大な農業用トラクターがあった。俺の背丈の二倍くらいはあるトラクターから、運転手が身を乗り出して、鋭い声を飛ばしてきた。
「何そこでぼーっとしてるの!? アンタ、名前は!?」
「…………!?」
その運転手……どう見ても”ばあちゃん”じゃない……二十代後半か、もしかしたら十代と言っても通用しそうなほどの、若々しい”お姉さん”が、その大きな瞳で突き刺すように俺を見つめていた。
健康的な小麦色の肌に、艶々とした黒い長髪。真っ白なワンピースがスレンダーな体に良く似合っていて、男なら誰もが振り向くほどの、とても美しい顔立ちだった。俺はそのお姉さんに、思わず目を奪われた。
そんな見たこともない美貌を持った彼女が、巨大な農業用トラクターを豪快に乗りこなし、俺に向かってエンジン音に負けないくらいの怒鳴り声を上げた。
「私! 親戚の子迎えに来たんだけど、顔知らないの! アンタ、名前教えて!」
「お、俺……! 俺は……悠希……」
彼女の気迫に押され、俺は後ずさりしながら声を絞り出した。
「そう!」
俺の返事に、彼女はトラクターのエンジンを切り、運転席から颯爽と飛び降りた。
「!」
「よろしくね、悠希ちゃん」
「…………!」
彼女はさっきとは打って変わって満面の笑顔で、俺に近づいてずいっと右手を突き出した。
「私は梢枝。片桐梢枝って言うの。初めましてだね。これから一ヶ月、ウチで預かることになるんだけど……」
「…………!!」
「”女の子”が”俺”なんて使っちゃ勿体ないよ。ね、悠希ちゃん?」
「!!」
そう言って、彼女はにっこりと微笑んだ。俺は顔がカーッと熱くなるのを感じて、でも何もできずに、されるがままになってしまった。それから、片桐梢枝と名乗った俺の”叔母さん”は、強引に俺の手をひっ掴み、体から溢れ出るその凄まじい生命エネルギーと握力で俺を圧倒した。
こうして、停学を喰らい田舎に強制送還された俺と、何故か四時四十四分になると姿を消す梢枝さんの、約一ヶ月の共同生活が幕を開けた……。




